訪れる終焉
第181話 悲しい別れ①
"弟子が手を離れるのも、寂しいものだな・・・"
"カリストは・・・不器用だが、決して揺るがない、真っ直ぐな男だ。あいつの手を離すな"
そう言って、頭を撫でて微笑んでくれた金色のまなざしが・・・
最後を看取った時の、母親の面影と重なる。
あの時頬に触れた指先も、氷のように冷たかった。
心の片隅に、ポツリと滴り落ちた不安が、黒い霧となりやがて心全体を覆っていくようで。
嫌でも現実味を帯びてくる。
ああ、もう近いんだ、と悟った。
*
モーッ、
オーロックス牛の不満げな鳴き声に、ビビははっと我に戻る。
鳴きながら、角をすりすりビビに軽く押しつけていた。
「ああ、ごめんね?考え事していて・・・」
ビビは慌てて握ったマッサージブラシを持ち直し、オーロックス牛の毛づくろいを再開する。
シャッ、シャッ
モーッ、
そこじゃない、とオーロックス牛が声をあげる。
「ビビさん、お疲れですか?少し休まれては」
そばで一緒にマッサージしている、婦人部の女性に声をかけられ、ビビは頭をさげる。
「す、すみません」
原因は、わかっている。
ビビはため息をつき、胸元に目を落とす。
ユグドラシルの魔石のペンダントは、あの日フジヤーノ嬢により、カイザルック皇帝橋から投げ捨てられてしまった。
失くしてからわかる神獣の加護。カリストから回収されたものの、赤黒く変色していた鎖は千切れたままで、何故かビビの魔力を受け付けず・・・ジャンルカに相談したところ、眉を顰めて少し調べると言い、預けて数日が過ぎていた。
どれだけ自分は護られていたんだろうと思う。魔力切れを起こしても一日あれば元に戻っていた身体が、魔石のない今では三日はかかる。無意識のうちに発動していたスキルも、都度意識しなくてはコントロールもままならず・・・日々の疲労も知らず溜まってくる。
「どれだけ頼っていたかって、ことだよね。結局のところ、わたしって自分一人じゃ何もできないんだわ」
再度ため息をつくと、後ろから声がかかる。
「ビビさん」
振り返ると、プラットがほほ笑んで立っていた。
「プラット組合長・・・」
「東国から珍しいお茶が届いたんです。ご一緒にどうですか?」
様子のおかしいビビに気を使ってくれたのだろう。
ビビはその心遣いに感謝し、婦人部の人にマッサージブラシを渡すとその後を追った。
「わぁ、これ、玉露ですね」
出されたお茶の香りに、ビビは顔をほころばせる。
「さすがですね」
お茶請けに出されたのは、羊羹、だった。ゼラチンと東国から輸入された小豆を使って、先日婦人会のマダムたちと作ったのだ。白豆と青豆で作った餡も用いて、ダイズ模様にカットされ盛られた姿は、まさに高級和菓子といったところか。
「美味しい!」
ビビが言うと、給仕してくれた婦人部の女性達がガッツポーズをして、歓声をあげる。
ごゆっくり、と皆部屋から出ていき。プラットと二人で和菓子と玉露を楽しんだ。
「最近、愚息とは会えていますか?」
プラットに突然尋ねられ、ビビは玉露にむせそうになる。
「・・・いえ、実は戻ってきてからは、一度も」
かれこれ半月は会えていない。噂では、ビビ救出後はそのまま討伐に駆り出され、討伐生活を強いられていたにもかかわらず、先日準決勝トーナメントで直属の上官である第三騎士団隊長に勝利し・・・なんと年末の決勝でイヴァーノ総長戦なのだとか。
リュディガーには、カリストを交えて今後のことを話し合おう、と言われていたが・・・そんな暇あるのか、と思えるほど今のカリストの立場は多忙を極めていた。
「まったく、イヴァーノ総長も人使いの荒い・・・」
不満げに漏らすプラットに、ビビはあわてて手を振ってみせる。
「しょうがないですよ!サルティーヌ様は有能ですもん。引っ張りだこになるうちが華、というじゃありませんか」
いや、言わないよそれ、と一人突っ込みを入れるビビの薬指に光る指輪に、プラットはほほ笑む。
「来年は、第三騎士団隊長に任命されることがきまったそうですよ。これも・・・ひとえにビビさんが愚息を見捨てず、力になってくれたおかげです」
「見捨てず・・・って、それは、わたしのほうですよ」
言って、ビビは苦笑する。
「結局わたしって・・・自分でなんでもやれるんだって思っていたけど、それってひどい思い違いだったなって」
湯呑を手で包んでビビは息を落とす。
「どれだけ、皆さんに護られていたか、今になって気づくなんて愚かすぎです。結局は一人じゃなにも選べなくて、未だに師匠に・・・」
言いかけて、ビビは口をつぐむ。
「・・・ビビさん?」
訝し気にビビに視線を送り、ビビの湯呑を包む手が震えているのに気づく。
「どうしましたか?」
「あ、いえ・・・、師匠が・・・」
「ジャンルカ氏、が何か?」
「その、様子が変で・・・」
ぴくっ、とプラットの肩が僅かに反応を返す。
ジャンルカはここ数日、魔術師会館に顔を出していない。
自宅で研究をまとめているのだと、ファビエンヌから聞いた。弟子になった当初から、ジャンルカが自宅で仕事をすることは多々あったから、今更それが不思議なことではないのはわかったいたが。
会えば、普通に会話はするし、自宅にベティーの代わりに食事を届けることもある。一緒に食事して、話をして。それは以前と、変わらない。だけど。
「何が、って聞かれたらうまく説明できないんですけど・・・なんか、遠くて」
「ビビさんは、愛弟子、ですからね。なにか他の人にわからぬものを、彼に対して敏感に感じるのかもしれませんね?」
「わたし、師匠に迷惑ばかりかけて、まだなにも返せていないんです。まだ、師匠に安心して見送ってもらえるには・・・」
言いかけて、ビビは息を飲む。
ドキン、と心臓が大きく鼓動する。
あ、
"俺からは何も聞かないよ、ビビ。そして、言うつもりはない。・・・カリストに託した"
GAMEの記憶では。
最愛の妻を亡くしたジャンルカは、その数年後には後を追うように亡くなっている。
まさか、
まさか、師匠は・・・
「ビビさん」
プラットに声をかけられて、ビビは顔をあげる。
真っ青なビビの顔いろに、プラットは一瞬眉を寄せ、そして立ち上がった。
「お渡ししたいものが」
言って、奥の棚からワインのボトルを引き出し、持ってくるとビビの目の前に置く。
「今年はのレッドビーツ収穫量が倍増して、品質もかなり良いので・・・思い切って発泡ワインを仕込んでみたんですよ」
「発泡ワイン?」
「冬季限定になりますけどね。出荷は来年の新年を予定しています。これ、樽出し第一号です。どうぞ、差し上げます」
「え??そんな貴重なものを」
「味は保証しますよ?いつも愚息共々お世話になっていますから。良かったらジャンルカ氏と飲んで、感想を聞かせてください」
ビビは驚いてプラットを見る。
プラットはほほ笑んだ。
「婦人部に、ワインに合うつまみを用意させますから、持って行ってください」
「でも・・・」
「ビビさん、」
困惑気なビビの言葉を、プラットは遮る。
「たまには、師匠をねぎらって差し上げたらどうでしょう?ジャンルカ氏は、発泡ワインが好きだったんですよ?若い頃はよく飲んだものです。ああ見えてジャンルカは奥手で。ベアトリスを落とすのに随分時間かけていましたからね。相談にも乗っていました」
懐かしそうに目を細め、プラットは言うと、ビビを見てほほ笑んだ。
「ここだけの話。ジャンルカは・・・ビビさんから恋の悩みのひとつでも相談されることを、期待していたみたいですし」
俺の弟子はつれない、とぼやいていたという。とはいえ、奥手の幼馴染が弟子の恋愛相談に乗って的確なアドヴァイスができるかは、いささか疑問ではあったのだが。
「ええ??」
「いい機会ですから、愚息の愚痴でも吐き出してやってください。ああ、愚痴ならもちろん私もいつでもお受けしますからね?」
茶目っ気混じりに言われて、ビビは思わず噴き出す。
カリストの"誓約魔法の付与"についても聞きたいところだったから。今後のことも含めて、機会を与えてくれたプラットに、ここは感謝することにした。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて行ってきます」
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