第176話 愛を乞う①
赤い髪の少女と別れ、カリストは再び緑の淡い光の群衆を追って、森の中を進んでいく。
時折、光はふわふわとカリストの元へ漂ってきて・・・
手を伸ばし、それが緑と金の光を放つ、蝶であることを知る。
あんな距離で、カリストでさえ光の粒にしか見えなかったそれを、少女は"ちょうちょ"だと判別した。
あまりにも、面影がビビそのもので・・・カリストは不思議な感覚に捕らわれる。
きっとビビの幼い頃は、あんな感じだったんだろうな、と知らず口元に笑みが浮かんだ。
だんだんと緑の光が集まってくる。
カリストははっとして、足を止めた。火を起こしたような、焦げたにおいが鼻をつく。
前方にそびえたつ巨木の根元の草の繁みが、ひときわ明るい光を放っているのが見えた。
「・・・ビビ!」
カリストは叫び、そして固まる。
ビビは木の根にぐったりともたれたまま、目を閉じていた。周囲にはビビを護るようにたくさんの緑の蝶が、ひらひらと舞っている。カリストが駆け寄ると、次々と消えていった。
カリストは無言で肩にかけていたマントを外すと、ビビの肩を包み、抱き起こした。
「ビビ、しっかりしろ!」
「・・・う」
頬を撫でると、小さく呻いて閉じられた瞼がピクリと動く。
ゆるゆると持ち上がり、深緑の瞳がカリストをぼんやり捕えた。
カリストはホッとした表情を浮かべる。
「サルティーヌ・・・様?」
「・・・っ、この馬鹿!」
そのまま引き寄せられ、抱きしめられる。頬に触れる体温に、ビビはホッと息を落とした。
抱きしめ返したかったが、身体が重くてだるくて、指一本動かせそうにない。
「温かい・・・」
出た声は、弱弱しく掠れている。
「・・・お前が氷みたいに冷たいからだ」
「いつもと装いが違うんですね」
「万が一、川に入ることになれば鎧は邪魔だからな。総長の意見は正しかった」
まだ意識が朦朧をしているのか、ビビは川・・・?とつぶやき、僅かに首を傾げてカリストを見上げる。
カリストは無言で冷え切った額に軽くキスを落とし、木の根に胡座をかくと、ひょい、とビビを横抱きにして膝に乗せた。
ビビは僅かに身動ぎしたが、おとなしくカリストに抱かれたまま、胸に頬を寄せた。
あ、そういえば、とビビは再度カリストを見上げる。
「サルティーヌ様・・・」
「なに?」
「・・・おかえりなさい」
「・・・くっ、」
ビビを抱くカリストの腕に力がこもる。苦々しく眉を寄せた。
「お前って・・・」
濡れて冷たいビビの髪をなで、カリストは息をはく。
「なんで、そうなんだよ。俺がどれだけ・・・」
何か堪えるように、カリストは言葉を詰まらせる。
無事で良かった、と呟く声にビビは目を閉じ、すがるように首筋に顔を埋める。
革の手袋をはずし、少しでもビビに暖を与えようとするカリストの手のひらの温かい感触に、知らず身体から力が抜ける。
ああ・・・
すごく、ホッとする。
「良かった、もう会えないかと・・・」
カリストは無言でビビを抱きしめる力を強めた。
*
いつかも、こんなシチュエーションがあったな、とビビはぼんやり思う。
まだ知り合って間もない頃、廃墟の森のダンジョン探索に同行させてもらって、そこでカリストの剣の錬成をさせてもらって。
根こそぎ魔力を持っていかれて、そのまま魔力切れを起こして気を失って・・・
あの時も、こうして冷えた身体を抱きしめてもらって、温めてもらったっけ。
パン、パン、と焚き火の火の粉が弾ける。
身体は温まり、身体を巡る魔力が僅かながら戻ってきているのも感じ、安堵する。
ゆるりと頭をもたげて、ビビはカリストを見上げた。
「気づいたか?」
「・・・あ、はい」
頷くと、カリストは腕の力をゆるめ、マントでビビをくるんだまま隣に座らせる。傍らの革の鞄を片手で引き寄せた。
「色々持たされたんだけど・・・さすがだな、あの人たちは」
言いながら、鞄からサンドイッチと水筒を出し、ビビに手渡す。
「とりあえず、食べろ。食べたら傷の手当をする」
えっ?とビビが首を傾げると、カリストは苦笑した。
「お前、いま魔力が枯渇しているだろう?」
「あ、」
そこでビビは首にさげられた皮紐の先の小袋の存在に気づく。
恐る恐る手に取り中身を確認すると、ポトリと手のひらに落ちる深緑の綺麗な魔石と、金色の鎖。金の鎖は千切れ先端は赤黒く変化している。ビビは目を見開いた。
「何故、これが・・・」
ふいにフジヤーノ嬢に無理やり引きちぎられ、橋の下へ投げ捨てられた記憶がよみがえり、ビビは恐怖に身震いをした。
「お前を探している途中で見つけた。・・・とりあえず身に着けていたほうがいいかと思ったんだが、普通の鎖じゃなさそうだし」
身に着けていた時は、まるで肌と一体となり重さを感じなかったが、手のひらに乗ったそれはひんやりと冷たく、ずっしりしている。魔力が僅かしかない現状では、魔力連動している鎖が千切れたことにより、魔石になにが起きているのかわからなかったが・・・ぎゅ、と握りしめると感じる懐かしい感触に、ビビはほうっと息を吐いた。
「ありがとうございます。・・・よかった」
カリストは頷き魔石をビビから受け取ると、革の小袋に戻しそっとビビの首にかけ直す。ビビにサンドウィッチを手渡すと、空腹なのか、ビビは笑みを浮かべサンドウィッチを口にする。
夢中で口をもぐもぐさせているのが、森の小動物が餌を食べるそれで。ああ、良かった・・・いつものビビ、だ。とカリストは心から安堵した。
「食欲はあるようだな」
ビビの口端についたソースを軽くぬぐいながら、カリストは笑う。3つ目のサンドウィッチを手にしたビビは、思わず赤くなった。
「あ・・・すみません、いつもなら魔力で空腹をコントロールできるんですけど、まだ安定していなくて」
「構わない、いくらでも食べてくれ。ジャンルカ氏からなるべくビビに魔力を使わせないよう言われているし」
カリストの言葉に、ビビは目を瞬いた。
「俺をここまで転送させたのは、ジャンルカ氏なんだ」
「・・・師匠・・・が?」
「お前、錬成した"
「あ・・・」
水筒からカップにお茶を注ぎ、カリストはビビに手渡す。
「驚いた。見かけない種類だと思ったけど・・・送り主の声を運ぶんだな」
しかも、移動距離も普通の"
規格外のビビの魔力で錬成された、まさに規格外の蝶、と言えるのだろうが・・・魔力が枯渇していたビビ自身、錬成した覚えがさっぱりない。
だが、あの蝶のお陰で、ビビの居場所が確定できたらしい。
直ぐに迎えに行くこととなったが、地図を確認したところ、かなり流されたらしく、既に国境は越えていた。人力では急いでも3日はかかるだろうと判断される。
「ジャンルカ氏が・・・お前の転移魔術の魔法陣を使って、"
ビビが呼んだのは、カリストだから、とジャンルカ直々の指名だった。
後はあわただしく、オスカーから色々詰め込まれた遠征用のリュックを背負わされ、イヴァーノからはダンジョン討伐用の鎧ではなく、森の中でも動きやすい戦闘服を着用するよう指示を受け、代わりに加護つきの厚手マントを手渡された。追い立てられるようにジャンルカの魔法陣へ入り・・・今に至る。
「
だから、今は魔術を使うのは極力控えて備えろ、というのだろう。ビビは納得して頷いた。
どちらにしろ、神獣ユグドラシルの魔石を持っても魔力が回復しない今の状態では・・・体内に転移石に耐えゆる魔力が溜まるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
「まさか・・・魔術嫌いなサルティーヌ様に来ていただけるなんて、びっくりしました」
「ジャンルカ氏の方が良かったか?」
カリストに苦笑され、ビビは慌てて首を振った。
「いえ・・・あの、無理矢理転移魔法なんて使って・・・師匠、大丈夫だったのでしょうか・・・」
短時間で再度組み替えをして、調整をしながら確実にカリストを送り込んだのは、さすがとしか言いようがないが・・・その分かなり魔力を消耗したはずだ。
「ああ」
カリストは頷く。
「良くわからないけど・・発動する時はファビエンヌさんが力添えしていたみたいだから、問題ないだろう」
ビビはホッとして、サンドイッチを口にする。
「
「・・・そうですか」
また、心配かけちゃったな、とビビは項垂れる。カリストは苦笑して、ビビの頭を撫でた。
「俺は・・・嬉しかった」
「・・・えっ?」
「無意識でも・・・お前、ジャンルカ氏じゃなくて、俺を頼って呼んでくれたから」
「・・・っ、」
ビビは赤くなる。
確かに・・・もし誰かに自分の最期を伝えるなら、と無意識に頭に浮かんだのは・・・師匠であるジャンルカではなくカリストだった。
それに自身驚愕する。
「す、すみません。サルティーヌ様は魔術苦手なのに、お手間を・・・」
慌て目をそらし、ごまかすようにサンドイッチを咀嚼する。今頃になって心臓が騒ぎだす。カリストは笑った。
「あ~残念。体調が悪い時のお前は、素直にすり寄ってかわいかったのに。戻るとそうやって、距離とって、謝ってばかりだな」
ぐっ、とビビは言葉に詰まる。
「だって・・・」
ビビはカップを両手で握りしめる。
「あの・・・」
「うん?」
「来てくれたのがサルティーヌ様で・・・嬉しかったので、その・・・無意識に呼んでごめんなさい、なんですが・・・」
ボソボソ声が小さくなる。
「・・・最後に会いたいと思ったのが・・・あなただったのは・・・本当です」
真っ赤になってうつむくビビを、カリストはまじまじと眺める。
居たたまれなくなって、ビビはサンドイッチの残りを飲み込み、カップのお茶を飲み干す。
あ、これ体力回復の薬草茶だ。準備したのファビエンヌさんかな?
ふと、その傍にカリストが手をつき、覗きこむような気配に手が止まる。
「ビビ」
呼ばれて、顔をあげると、唇に柔らかな感触が。
「・・・?!」
キスされたのだ、と気づくと同時に背中にカリストの片腕が、するりと回り込む。
背けようとした顔を、もう片手に押さえられ、上を向かされた。
再び重なる唇に、身体の力が抜けて、手からはカップが滑り落ちた。
「・・・んっ・・・」
ゆっくりとキスを交わしながら、気づけば横抱きされ、再びカリストの膝に引き揚げられていた。
思わず胸を押した両手首を、カリストは掴む。
「さ、サルティーヌ様・・・」
「すごい、心配したんだからな」
こつん、と重なる額。カリストは囁いた。
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