第175話 赤い髪の少女
「今から、お前をビビの元に送る」
研究室の中央に描かれた魔法陣の前に立ち、ジャンルカはカリストを振り返った。
「・・・やはり、師であるあなたが迎えに行った方が」
カリストは戸惑いを隠せない。
「迎えに行ってやりたいのは山々だが・・・」
ジャンルカは苦笑する。
「ビビが助けを求めたのは、お前だ。この転移の魔法陣はまだ実験段階だから、ここで微調整する必要がある」
そう告げると、ますます不安そうな表情を浮かべるカリストに、この男は桁外れな良質の魔力を持つわりに、魔術というものを苦手がっていることを思い出す。
ビビが属性にあった剣を錬成してから、かなりコントロールが落ち着いてきたように思えたが。
めずらしい対比の属性二つ持ちで、それを無難なく使いこなす実力は、ジャンルカも認めていた。
無自覚だろう、この男もまたビビと同様に・・・目に見えぬ神々や精霊の加護の影響を、濃く受けているのかもしれない。
「安心しろ、ちゃんと間違いなく送ってやる」
カリストは緊張した表情をわずかにゆるめ、小さく息を落とす。
「はい。ご期待に応えます」
「カリスト」
「はい」
「お前に・・・ひとつ誓約魔法を付与したい」
「・・・え?」
「ビビに対して使うか、使わないかは・・・お前次第だ」
ジャンルカはカリストの額に手を翳す。
「ジャンルカさ・・・」
「ビビを頼む」
魔法陣が光り、カリストの姿が消える。
見届け、ふいによろめいたジャンルカを、後ろから支える腕が伸びる。
「誓約魔法の付与と転移魔術を同時でやるなんて、何無茶なことしているの?」
「・・・ファビか」
ゆっくりとその腕を押し、ジャンルカは魔法陣を見やり、無事カリストがビビの元へ転送できたことに、安堵の息を漏らす。
少し狙いが外れたようだが・・・カリストなら、なんとかビビを気配を探知して、探し出すだろう。
「付与する対象とリンクさせるのが目的だからな。下手に回路を組み直すよりシンプルだ」
俺の魔力も、そろそろ限界だな、とつぶやくジャンルカに、
「ほんと・・・馬鹿な男ね」
ファビエンヌは何故か泣きそうな声で呟く。
「自覚はある。助かった」
「あなたを助けたつもりはないわ。あの坊やが、違えてどこかへ転移されたって興味ない・・・ビビのためよ」
吐き捨てるように、ファビエンヌは言った。それでも、無事転送できたのも、誓約魔法を付与できたのも、彼女が魔力を影で助力してくれたお陰だ。
「あの坊や・・・ビビに施すと思う?」
「ああ」
疲れたように、ジャンルカは机に身体を預ける。両手に目を落とし、息を落とした。
「もう・・・魔力を練ることも難しくなってきている。ギリギリ間に合って良かった」
「・・・損な役回りね」
後ろで茶化すように笑うファビエンヌの声は震えていた。
*
暗い夜空に、星が瞬いている。
狭い錬成室から、いきなり広がる森の景色に視力が追いついてこない。カリストは顔をあげ、眩暈を逃がすように軽く頭を振る。
まだ足元がふわふわしておぼつかなく、傍の木の幹に手を押し当て、呼吸を繰り返す。
やはり、魔術は苦手だ、とカリストは思う。
ビビがダンジョンで設置した転移ゲートの魔法陣とは、飛ぶ距離や回路も異なるのか・・・身体に感じる違和感が半端ない。
「・・・とりあえず、無事転移、できたんだ・・・よな?」
月は明るく、水の流れる音から、川沿いなのだろう。
カウンターの魔法陣はまだ実験段階と言っていた。ジャンルカが発動したから、失敗はないと信じたいが・・・一面に広がる夜の森を前に、成功したと納得するものは、残念ながら見つからない。
マントのベルトを締め直し、大きめのリュック・・・一体何が入っているのか?を背負いなおし、カリストは周囲を改めて見渡す。
「とりあえず、ビビを探すか」
転移が成功していれば、ビビは近くにいるはずだ。
カリストは探知のスキルは持ち合わせていなかったが、人の気配を察知するのは得意としている。
今はそれに期待するしかなさそうだ。
どこかで火でも焚いていてくれたらいいんだが、と思いながら一歩踏み出した時だった。
「ソル!」
振り返ると幼い少女が一人、カリストの腰にしがみついていた。
「・・・え?」
カリストはギョッとする。
人の気配を察知するのは得意と自負していながら、この少女の気配は全く感じられなかった。
「見つけた!お面つけていないけど、あなた、ソルでしょう?」
まるで宝物を見つけたように、喜びに目を輝かせている少女に、カリストは息を飲む。
「・・・ビビ?」
鮮やかな赤い髪に、深い森を思わせる深緑の大きな瞳。果実のような赤い艶やかな唇。少女特有のあどけなさを宿した顔立ちは、歳は違えど探し求めているビビそのもので。
カリストは膝をおり、少女と目線を合わせる。少女は真っ白いレースをあしらったワンピースを身に着けていた。
この森の中で、汚れひとつ付着していない違和感に目を細め、カリストは少女の頭を軽く撫でる。
「どうしたんだ?迷子?」
「・・・ソル、じゃないの?」
少女は気落ちしたように、赤い唇を拗ねたように歪める。
「いや、違う。人違いだ」
「・・・そうなんだ」
しょんぼりして少女は肩を落とす。
「どこから来た?」
「神殿から。お兄ちゃん、何しているの?」
少女は首を傾げる。その仕草がビビそのもので・・・カリストは無意識に笑みを浮かべた。
「うん、俺は人探し。お前と同じ、赤い髪と瞳の」
「うふふ、大事な人、なんだね?」
にっこり少女は笑った。それにつられてカリストも笑う。
子供は苦手なはずだったのに、いくらビビの面影を宿している少女とはいえ・・・何故かこの少女を見ていると心が温かくなる。
「わたし、一緒に探してあげる。ねぇ、お兄ちゃん。お名前は?」
「カリスト」
「わたしは、ルナ」
ソルとルナ・・・神話の神様の名前だ。
カリストが両手を差し出すと、少女は嬉しそうにカリストの首にしがみつく。そのまま抱き上げて歩き出した。
「ここら辺に、神殿があるのか?」
「うーん、わからない」
カリストの問いに、腕の中の少女は首を傾げ、曖昧に答える。
「なんかね、心が痛くて、誰かに呼ばれている気がしたの。で、神殿にね、泉があるんだけど、そこが光っていたの。覗いたらここにいた」
少女の言葉にカリストは首を傾げる。
この少女もまた、・・・どこからか転移魔法で飛ばされてしまったのだろうか。
聞きかけて、カリストは少女の手元に視線を落とし、息を飲む。
「それは・・・」
少女の小さな手に握られた、キラキラ光る金色の鎖と・・・その先にぶらさがっている緑の魔石。
それは、見間違うはずはない。ビビがいつも肌身離さずつけていた、魔石のネックレスだった。カリストは少女を片手で抱えなおし、自分の左手の薬指にはめられた、指輪を目元にかかげた。
少女はそれに気づき、カリストの手を取ると、その指輪と手にしていた魔石のネックレスを見比べ、同じだ~と声をあげる。
「それは?」
カリストが尋ねると、少女はカリストを見上げ、にこりと笑った。
「泉で光っていたの。これ、お兄ちゃんのなんだね?」
「いや、俺の・・・探している人の、」
呟き、肩を落とす。
ガドル王国は女神ノルンを信仰している。その御使いと云われている神獣ユグドラシルもまた信仰対象のひとつとなっているが、9つあるアルコイリス大陸では・・・目に見えぬ神々、神獣ユグドラシル他、多くの神獣や聖獣、精霊を信仰している国は多い。
この魔石は神獣の加護がこめられていて、ビビと魔力で繋がっている、と聞いていた。ビビの持つ膨大な魔力が暴走しないよう、逆に枯渇して倒れても命を落とさぬよう、護るものである、と。その貴重な魔石で指輪を錬成し、御守りとして贈ってくれたのだ。でも、その魔石は・・・神獣の加護は、ビビの危機を救ってはくれなかった。
鎖が切れているところを見ると、流された時に切れたのか・・・。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
少女はそっと魔石を手で包み込み、胸にあてて目を閉じる。
「この持ち主の・・・人、お姉ちゃん?生きているよ?わたしと同じだね。この魔石も生きている・・・お姉ちゃんとちゃんと、繋がっている」
「・・・」
「はい、これ。返すね?お姉ちゃんに渡してあげて」
魔石を手渡され、その魔石から感じるやさしい魔力に、カリストは泣きそうになって、ぐっと魔石を握りしめる。
「ありがとう」
少女の言葉の真意はわからずとも・・・心が救われ、身体が軽くなるのを感じた。
「お前は?帰り方、わかるの?」
動揺を悟られないように、カリストは少女に尋ねる。
「時間がきたら、見つかると思う」
「見つかる?見つけられるんじゃなくて?」
「神殿の人。わたし、神殿から出ちゃいけないんだって。わたしがいないと、みんな不幸になるって。だから迷子になっても絶対見つかるの」
よくわからなかったが・・・その幼い小さな身体に、なにか責任を背負わされているのだろう。ひょっとして、どこかの神殿で保護されている巫女候補なのかもしれない。
「・・・そうか」
「うん、だから見つかるまで、お兄ちゃんの大切な人、探そう」
ふわふわと赤い髪がカリストの頬をくすぐる。香るのは甘い花の香りで。ビビの髪も同じ香りがしたな、と思う。
「あ、」
少女の声に、カリストは足を止める。
「どうした?」
「ちょうちょ」
言って、少女は遠くの繁みを指さす。はっとして指をさした方向に目を向けると、いくつもの淡い緑の光が繁みの向こうをゆらゆら漂っているのが見える。
「あれは・・・」
「お兄ちゃん、あのちょうちょ、追って?こっちだって、呼んでる」
「わかった」
少女を抱えなおし、カリストは草をかきわけ緑の光を追う。
緑の光はふわふわと、星の日で見かける"ルミエ"のように漂い、カリストが近づくとそのまま先へと飛んでいく。
「そういえば、お前が探しているって、ソルって?」
「うーん、いつもお面がぶっているから・・・間違えちゃって、ごめんなさい」
少女は肩をすくめる。
「お面?」
「うん。お面をかぶって、黒い綺麗な翼を持っているの」
少女は笑う。
「ソルはわたしの、半身、なんだって。年に一度のお祭りでしか会えないけど・・・いつかわたしも連れて行ってくれるって」
「半身、か」
「探しているお姉ちゃんも、お兄ちゃんの半身、なんでしょう?」
覗きこまれた大きな緑の瞳の中に、金色の光が弾く。
「ああ」
カリストはほほ笑む。
「誰より大事な、俺にとっての半身だよ」
言って、片手で赤い髪をくしゃりと撫でる。
「お前も、半身に・・・ソルと会えたらいいな」
「うん!」
嬉しそうに頷き、少女は顔をあげる。
「・・・あ、時間だ。わたし、行かなきゃ」
「え?」
「神殿の人が迎えに来た。お兄ちゃん、ここでおろして?」
ぽんぽん、と腕を叩かれ、カリストは少女を地面に下ろす。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫。ごめんね?わたしが神殿の人以外の人と話すと、怒られちゃうの」
「窮屈なんだな」
苦笑するカリストに少女は笑う。そしてカリストに手招きをした。
「?」
言われるがままに膝を折り、少女と目の高さを合わせる。
「汝、カリストに女神テーレと神獣ユグドラシルの祝福を」
艶やかな唇が告げる。小さな手がカリストの頬をそっと包むと、その額にキスを贈る。
「真実があなたと共にありますように」
ふわり、とやわらかな風がカリストの身体を包み込む、唇が触れた部分がわずかな熱を放つ。
目を開けると、少女はあどけない笑みを浮かべ、手を振った。
「お兄ちゃん!早くお姉ちゃんの所へ行ってあげてね?」
ぱっと身をひるがえし、軽やかに暗い森の中へと溶け込んでいく白い後ろ姿を見送り、カリストは立ち上がる。
まるで、夢のような少女だな、と思った。
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