第161話 閑話 時の賢者

 薄い靄のたちこめる闇の中、ビビは歩いていた。

 

 ふわふわと雲の上を歩いているような、おぼつかない感覚。

 時折足元からふわりと光の粒が舞い上がり、きらきらと薄い光を放ちながら散っていくのが、なんとも不思議な光景。


 ここは・・・どこだろう。


 ビビは周囲を見渡す。

 天を見上げると、生き物のようにうねりはためく極色のオーロラが広がっている。


 『おや、こんなところに・・・珍しいお客さんだね』


 背後から声がかかって、振り返ると。

 人間が一人、積みあがった瓦礫の上に腰をかけ、こちらを見ている。

 その足元には・・・金色の光を放つ緑の神獣が。


 ビビは目を見開いた。


 (神獣・・・ユグドラシル・・・?)


 神獣は立ち上がり、まっすぐビビの元へやってくると、初めて出会った時のように、銀の角をすり寄せ甘える仕草をした。

 思わず膝をおり、不思議な手触りのたてがみを撫でる。

 オーロックス牛のような固い毛並とは違い、シルクのような柔らかくて触れればそのまま溶けてしまいそうな感触。


 (久しぶり・・・なのかな?魔石を通していつもそばに感じているから、こうしてじかに触れると妙な気分)

 ふふふ、とビビは微笑む。神獣はその声に応えるように頭をもたげる。

 金色のたてがみが揺れ、"ルミエ"と呼ばれる蛍火がふわふわと舞い上がった。

 

 《銀月夜》のみに現れる"ルミエ"。神獣ユグドラシルが歩いた軌跡と云われ、普通は手に触れると儚く消えてしまうが、時々神獣のいたずらで白い花に姿を変える。この花を偶然にも手にした者には幸せが訪れるというジンクスを聞いたことがあった。

 思わず手を差し伸べると、蛍火は消え、銀の光を放つ小さな花へと姿を変えた。

 ふわり、と花は空を舞い、ビビの指先をすり抜けて地面に落ちる。


 『そうか、妙に落ち着きがないと思ったら、君を呼んでいたんだね』


 その声に顔をあげるビビ。

 気づけばその声の持ち主はビビと神獣ユグドラシルの前に立っていた。

 腰を折り、地面に落ちた白い花を拾い上げる。

 目元と鼻を覆う、不思議な形をした仮面を被り、唯一覗く口元は可笑し気に弧をかいていた。

 年齢性別不詳、灰色のローブを頭からすっぽりとかぶり怪しいことこの上ない装い。

 

 誰だろう・・・でも、どこかで会った気がする。


 (あなたは・・・?)


 『ああ、失礼。私は・・・そうだね、時の賢者と呼ばれている。ここ、時空の狭間を管理する者』


 (時の・・・賢者?)


 ビビは立ち上がる。

 真正面で向かい合い、時の賢者と名乗る人物がそれほど背は高くなく・・・やわらかな物腰と話し方から、女性なのでは?と思った。


 (あの・・・)


 『おいで、ここは時の干渉のない狭間。長い時間いると元の世界に戻れなくなるよ』

 言って歩き出すその後ろを追うビビ。神獣ユグドラシルもその後に続いた。


 *


 『ユグドは君のことが大好きみたいだね』


 歩きながら賢者は言う。


 『過去に加護を与えた聖女より、君に馴染んでいるようだ』


 (聖女オリエ・ランドバルドをご存じなんですか?)


 ビビは目を見開き思わず問いかける。


 『うん、知っているよ。・・・生きている時に会ったことはないけれどね』


 (・・・?)

 それって・・・?

 首を傾げるビビを振り返り、賢者は口端をあげる。


 『さあ、ついた』

 

 ようやく足を止め、辿りついたのは崖の上。

 おそるおそる賢者の後ろから覗き込むと、その崖の下に広がる無限の闇と。


 (わあ・・・)

 ビビは思わず感嘆の声をあげた。

 崖の下に広がる闇の中、無数の光が渦巻き、きらきらと輝いている。

 まるで、満天に広がる星を見下ろしているような。


 (これは・・・箱庭?)


 『正解』


 ビビの隣に佇む時の賢者はにっこりとほほ笑む。


 『君の生きていた前世でいうところの、GAMEのデータ群衆さ。あの光・・・箱庭ひとつひとつは、《アドミニア》によって管理されている。いったいどれだけあるんだろうね。産まれては消滅し、または時が止まったまま漂流している。すべては《アドミニア》の意のままに』


 時の賢者は仮面越しにビビへ視線を向ける。


 『君が《アドミニア》として管理していた箱庭も、かつてはこの空間で産まれたんだよ。今はその管理を外れ、ひとつの"世界"として時を刻みだしている』


 (そういう例は・・・今まであったんですか?)


 『いや?そもそも、この空間に干渉することは天空の神々ですら不可能なんだ。それを守護龍アナンタ・ドライグは、龍騎士オリエ・ランドバルドの願いを叶えるという誓約のもと、君、という《アドミニア管理者》から箱庭を強引に切り離してしまった。まったくね、後始末するこちらの身にもなってほしいものだよ。【黒い鳥】といい、守護龍アナンタ・ドライグといい。向こう見ずにもほどがあるね。彼らの人間に対する情は・・・私には理解しがたい』


 (【黒い鳥】をご存じなんですか?!)

 思いもよらず賢者の口から飛び出したその名前に、ビビは聞き返し詰め寄った。


 『ああ、知っているよ。彼らの残した"余波"で《アドミニア管理者》であった君が巻き込まれ、翻弄されていることもね』

 対して答える賢者の声は、どこまでも穏やかで。


 (余波・・・って)


 『君も知っての通り、守護龍の解放したかつての箱庭の中にふたつのレールが存在してしまっているだろう。君の母親であるオリエ・ランドバルドのレール、そしてその娘である、ビビ・ランドバルドのレール。同時に存在してはならぬこれらの"余波"はゆがみとなり、彼女たちから引き継いだ君の魂の記憶・・・君たち《アドミニア管理者》はそれを【時の加護】と呼んでいるのかな?に、大きな影響を及ぼしている』


 まあ、守護龍もさすがに龍騎士オリエ・ランドバルドの願いに、彼女と【黒い鳥】との誓約が絡んでいるとは、思いもしなかったんだろうけどね。


 『許してやってくれ。君を《鍵》として呼び寄せた彼らにも、やんごとなき事情があるんだよ』


 クックッ、と可笑しそうに肩を震わす横顔を見つめ、まるで【黒い鳥】や守護龍アナンタ・ドライグを旧知の友のように呼び、親し気に語る口調が不思議で・・・ビビは目を瞬かせる。

 

 その視線に時の賢者はビビを見返し、首を傾け肩をすくめた。


 『心配はいらないよ。《アドミニア》の管理から外れた箱庭のふたつのレールは・・・徐々に互いに上書きされあいながらひとつの"世界"になっていくだろう。《鍵》となる君を中心としてね』


 (わたしを中心、として・・・ですか?)


 『さあ、これを』

 言って差し出された手のひらには、先ほど"ルミエ"から変化した白い花が。

 受け取るとふわり、と光が漏れ白い花は深緑の小さな魔石に姿を変える。


 (これは・・・)

 思わず自分の胸元に目を落とす。

 これは、魔石だ。大きさは違えど、自分の胸元にある神獣ユグドラシルと同じ・・・?。


 『これは"ルミエ"の魔石。神獣の加護がこめられている。ユグドが君に渡してほしいと』


 (・・・え?)


 『何に使うかは君の心のままに、と言っている。これを渡したくてここに君を呼びだしたんだね・・・この私を媒体に使うとは、悪い子だ』


 くすくす笑いながら、時の賢者は神獣ユグドラシルのたてがみを撫でる。

 

 『さあ、時間だ。そろそろ戻らないと・・・《アドミニア管理者》でなくなった君は、時空の迷子になってしまう。ここは本来なら神々すら干渉できぬ空間だからね』


 (待ってください、あの、わたしは・・・)

 ビビは慌てる。

 聞きたいことはたくさんあるはずなのに、思考は言葉にならず脳裏を過ぎ去っていく。

 そうこうしているうちに、目の前がだんだん霞んでいき、時の賢者と神獣ユグドラシルの姿がゆっくりと闇に溶け込んでいくのがわかった。


 『すべての答えは、君の中にある。悔いのない選択を。神獣ユグドラシルに愛されし娘よ』


 時の賢者は口元に笑みを浮かべる。


 『真実が、君と共にありますように』

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