第160話 護りたい人

 コンコン、


 カイザルック魔術師団の師団長居室のドアをノックするビビ。


 「はいよ」


 中から、養父(と本人が主張して譲らない)リュディガー・ブラウンの声が聞こえる。

 今日は午後からハーキュレーズ王宮騎士団の総長イヴァーノがリュディガー宛てに訪問する旨を聞いて、面会を申し入れたところ快く承諾された。

 聞いたところによると、隣国グロッサ王国より要請があった、武術団の派遣についての打ち合わせらしい。


 「失礼します」


 一呼吸おいて、ドアを開ける。

 ピリッと踏み入れたつま先が結界を感知する。

 足元がグラリ、と揺れて・・・


 ーーーーーーーーーー


 「さすが、無事来られたね?」


 穏やかなリュディガーの声に顔をあげると、見慣れた師団長の居室ではない一室。

 ひとまわり狭い、窓のないその部屋の中心のテーブルに座ってこちらを見ている、リュディガーと・・・


 「イヴァーノ総長、お久しぶりです」

 「おう」


 ワイングラスを掲げて、挨拶をしてくるイヴァーノ。

 周囲を見渡し、その部屋にめぐらされた結界に気づく。

 「ここは・・・魔防壁ですか?」

 「あたり。ビビが来たらここに移動できるよう、魔法陣を張っておいたんだ」

 ここなら、情報が漏れることはないからね、とリュディガーはビビに椅子を薦める。

 「・・・ったく、趣味悪いぜ。飲まなきゃやってられねぇ」

 イヴァーノはブツブツいいながら、ワインを傾けている。それは・・・先日ビビがプラットからカリストが世話になった、とお詫びとお礼を兼ねて届けさせた高級ワインだったのだが。あえて言わないでおく。


 「お忙しい時間にすみません」

 「構わないよ。そろそろ、お前さんを呼ぼうかと思っていたんだ」

 「わたしを、ですか?」

 「カリストが世話になったと聞いてな」

 イヴァーノが肩肘ついてビビに視線を向ける。

 「なんとかトーナメント戦に残るまで回復したのは、お前の尽力あってだとデリックから報告を受けている。・・・礼をいう」

 言ってイヴァーノは頭を下げた。それに、ビビは仰天した。

 「そ、総長!やめてください!」

 「正直、今回のトーナメントは・・・カリストに関しては諦めていたからな」

 いつもの上から目線の高慢さは微塵もなく、疲れたように苦笑するイヴァーノに、ビビは今回のフジヤーノ嬢がらみの案件が想像以上にイヴァーノを始め、ハーキュレーズ王宮騎士団全体に影響を与えていたことを知る。


 「天上天下唯我独尊のイヴァーノ総長殿が頭をさげるのを見られるなんて、長生きするもんだなぁ」

 可笑しそうにリュディガーが茶化すも、イヴァーノはジロリと一瞥するのみで言い返す風でもない。

 ぽかん、としているビビにリュディガーは視線を戻す。

 「ま、よくやった、と褒めてあげたいところなんだけどね」

 少しトーンが下がったその声色に、ぎくり、とビビは顔を引きつらせる。

 にこにこ笑いながら、リュディガーの目は・・・


 禁止されている、カイザルック魔術師団のメンバー以外で治療魔術を施したという、お説教を受ける準備はできている?


 との、お説教モードスタート、な目線だった。

 やば・・・と背中を冷たいものが流れるのを感じながら。ビビは「ハイ・・・」と小さく頷き、頭を垂れた。


 *


 小一時間リュディガーの説教を受け。

 「まぁ、その辺で勘弁してやれよ」

 「口を挟むな、ってかお前さん、いつの間に!それは俺の秘蔵のワインじゃないか!」

 

 気づけばイヴァーノはワイン二本目を開けていた。しかも、リュディガーがこっそり隠しておいた秘蔵品をちゃっかり見つけ出して、勝手に開けていたらしい。

 「わかるところに仕舞っている師団長が悪い」

 ケロッと全く悪びれないのは、さすがである。先ほど少々気落ちしていたようにも見えたが・・・やはり、イヴァーノはこのくらい高慢な方がらしくていいなとビビは思った。

 

 「わかるところになんぞ、置くか!まったくお前さんのその抜け目なさは、もっと他に生かすべきだ!」

 ビビの説教そっちのけで、リュディガーはご立腹である。

 それにイヴァーノは笑いながら、グラスにワインを注いだ。

 「不安材料が減って、こっちはお祝いしたい気分なんだ。付き合えよ」

 「ふざけやがって・・・」

 言いながら、ため息をつき・・・リュディガーはカチンとグラスを重ね合わせる。イヴァーノはビビにもワインを掲げてみせた。

 「おい、お前も飲むか?」

 ビビははっとして、あわてて首を振った。


 「あの、総長。サルティーヌ様の件で安心するのは、まだ早いんです。根本的な問題がまだ解決されていないので」

 「ああ?」

 「ビビ?」

 イヴァーノとリュディガーの視線を受け、ビビは背筋を伸ばす。

 「今回はとりあえずクリアできましたけど・・・フジヤーノさんがサルティーヌ様にスキルを使う限り、近いうちにまた同じような状況になると思います」

 「スキル?ああ・・・女神ジュノーの加護の【魅了】のスキル、だと言っていたな?」

 イヴァーノはリュディガーを見る。リュディガーは頷き、

 「だが・・・実際、彼女のスキルの影響を受けているかどうかは、今の時点では確証できるものはなにもない。現に、カリストは他の男どもとは違い、彼女の差し入れたものには手をつけていないし、距離を置いているからね」

 「はい。生半可なやり方では、解除できないと思います。特に、サルティーヌ様に関しては・・・」

 断言するビビに、イヴァーノとリュディガーは顔を見合わせる。

 「ビビ、お前さん何を・・・」

 「リュディガー師団長」

 ビビはリュディガーに視線を合わせる。


 「わたし・・・サルティーヌ様を護りたい」


 「・・・?」

 「・・・?!」


 「ビビ・・・?」

 「来月の出国の手続き、キャンセルしてください」

 膝の上で握りしめた手が震える。

 

 「わたしが、フジヤーノさんの魅了のスキルを解いてみせます」

 

 リュディガーは驚きのあまり声が出せないようだった。イヴァーノもあっけにとられたように目を見開いていたが、強い決意を秘めたビビの目を見つめ、息を落とす。

 「お前、いきなり何を言いだすのかと思えば・・・」

 「自分勝手なことを言っているのは、わかっているんです」

 ビビはわずかに身を乗り出す。

 「あれだけ出国するって決意表明しておきながら、ここにきて覆すなんて呆れられて当然だって。本当は今でも悩んでいるんです。わたしはこの国にいるべきじゃないって。でも、でもわたし・・・」

 ビビはリュディガーを見、イヴァーノを見る。

 

 「あんなサルティーヌ様を、もう見たくない」


 強い意志を持つ人間であった為に。フジヤーノ嬢の魅了のスキルと、働く強制力に反発して、カリストの精神は壊れる寸前だった。

 それでも屈しなかったその精神は恐るべき、と言えるのだろうが・・・。

 それに対しビビが感じたのは、そこまでしてカリストを手に入れようとする、フジヤーノ嬢に対する怒り、だった。

 そして、自分がもっとフジヤーノ嬢を恐れず、前に出て、その不明なスキルと呪縛にも似た強制力に立ち向かっていれば・・・カリストはここまで苦しむことはなかったのだと。


 「・・・ビビ」

 「わたし、サルティーヌ様をあんな目に遭わせてまで付け入ろうとする、フジヤーノさんを女として許せない。これは・・・わたしの"けじめ"です。どうか」

 言ってビビは頭をさげる。


 「どうか、わたしに力を貸してください・・・!」


 *


 「驚いたな、おい」

 ビビが部屋を立ち去った後、イヴァーノはため息交じりにリュディガーを見やる。

 「一体、何があった?随分と逞しくなった・・・というか、あの目は大切なものを護る者の目、だぞ?」

 リュディガーはしばらく視線を遠くに向けていたが、やがて小さく息を吐く。

 「とりあえず国に留まる意思を見せてくれたものの・・・原因はカリスト、とはな。正直喜んでいいのかわからん」

 賭けはお前さんの勝ち、だな、と力なくリュディガーに言われ、イヴァーノは笑った。


 「まぁ、見せてもらおうか。ビビ・ランドバルドの"本気けじめ"、というものを」

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