第156話 ズルい人
「宜しくって・・・」
ビビはテーブルに置かれた、デリックの分の食事を片付け、水の入った手桶とタオルを抱えて二階へとあがった。
「サルティーヌ様、具合どうですか?」
「・・・うん、だいぶいい」
ゆっくりと起き上がって、ビビの方へ向き直る。
相変わらず色白だが、熱もさがり赤みも消え、顔色も良く。心なしかすっきりした顔をしている。
・・・仕方ないが上半身は裸のままだ。何とか?下着は着用しているのはチラ見してわかってはいたけど。この国の男はベットで練る時はいつも裸、なんだろうか。
「デリックは?」
「お帰りになりました」
なるべく視線を合わさないよう、サイドテーブルに手桶を置く。
上着くらい着てくれ!と心で懇願しながらも、とりあえずは・・・
「熱下がったようですから、身体拭いたらどうかと思って」
「・・・ああ、ありがとう」
汗すごくて気持ち悪かったんだよね、とカリストは笑う。そのかすれた声色にドキリとする。
「・・・サルティーヌ様が素直にお礼なんて、雨降りそうですね」
「ずいぶんだな。俺だって感謝もすれば、御礼だって言うぞ」
ああ、もう嫌だ。
自分の気持ちを自覚したとたん、カリストの些細な言動に馬鹿みたいに反応してしまう。
ビビが必死に動揺を隠そうとしていることなど知らず、カリストは"さっきはあんなに優しかったのに"、と穏やかに笑った。
その声色に知らず、顔に熱が集まるのを感じる。
何かを振り払うように、ビビは頭をぶんぶん振った。
「ぜひそれを今後もキープしてください。人間感謝する気持ちは必要ですから」
口調が思わずつっけんどんになってしまい、ビビはごまかすようにぷいっ、と背を向けた。
自分も大概素直じゃないな、と思いながら。
「わたし、食事の準備していますから・・・着替え終わったら声かけてくださいね」
「待って」
ぱしっと後ろ手を捕まれた。
ぐっ、と息を飲む。
「悪いんだけど・・・背中拭いてもらえない?」
振り返ると、青い目と視線がぶつかる。
多分、ものすごく・・・この時の自分はアホ面をしていたんだろう、と思う。
「・・・はい?」
「見られついでに頼む」
そして、そんなアホ面を晒しているビビに。それはそれは、普通の女子であれば赤面ものの、破壊力をもつ笑みを浮かべて、カリストは首を傾けてみせた。
「くっ・・・」
「駄目?」
絶対わざとだ。ま、負けるもんか!
わなわな震えながらも、その病み上がりの麗しい笑みを前に、"フェロモンに屈しないぞ!"というビビの強い決意はあっけなく破られたのだった。
我ながらチョロすぎて、情けなくなる・・・。
*
固くタオルを絞って、すごすごとベットの上にのし上がり、背中を向けたカリストの肩にそっと手を当てる。
肌に触れるだけで、顔が赤面していくのが自分でもわかるくらい、緊張していた。
「でっ、では失礼して・・・」
「よろしく」
なんの試練だこれは・・・!と心で叫びながら、努めて平然を装おい汗ばんだ背中を拭いていくビビ。
いつもは白銀の鎧で覆われたその身体は、無駄なく引き締まり、陽を浴びていないせいか白く彫刻のよう。
ああ、やっぱり鍛えているだけあって逞しいなぁ・・・
特に、流石肩甲骨は芸術的に綺麗だな。柔軟性ありそう・・・きっと泳ぎも得意に違いない。って、ここの人は川や湖で泳いだりはしないのか。水、綺麗だし精霊が人間が出入りしないよう護っている、と云われているもんね。
やけくそ半分、ビビの頭は現実逃避モードへ。
そういえば、あの鎧も頑丈なだけで、動きにくそうだもんね。もっと関節と筋肉の動く部分を考慮して・・・
「・・・おい」
わたしなら、この上腕二頭筋とこの筋肉をむすぶラインをカットして・・・
「おい、人の背中見て、なに想像しているわけ?」
手、止まっているし、視線が痛いんだけど・・・。と言われハッと我に返るビビ。
「あ、すみません」
慌てて手の動きを再開する。
「サルティーヌ様の筋肉の動きに合わせた、甲冑のカッティングを想像していたんです。いやいやさすが綺麗な筋肉されていますよね、農業管理会の婦人部のマダムが見たら、憤死レベルです」
動揺を誤魔化すように早口でまくし立てるビビに、カリストはクックッと笑った。
「・・・なんなら、前も拭いてもらってもいいけど?」
「やめてください。セクハラでベロイア評議会に訴えますよ!」
せくはら?と聞き返すカリストに、もう!前向いてください!と無理やり肩を押すビビ。
何やらぶつぶつ独り言をつぶやきながら、丁寧に自分の背中を拭くビビの指先の感触を堪能しながら、カリストは喉を鳴らした。
遠慮がちに腕に添えられた手は小さく、とっさに掴んだ手首は華奢で。
この細腕で、あの魔銃を軽々と扱うのが不思議だった。
指先から伝わるのが、嫌悪ではなく。ひたすら戸惑いと、羞恥であることにホッとする。
熱が下がらず、朦朧とした意識の中、自分を見下ろしていたビビは、泣いていた。
"あなたを憎んでいいのか、愛していいのか、わからない・・・"
そう呟きながら、労るように額を撫でてくれた手は冷たくて。
熱い身体を包み込む白い光はどこまでもやわらかく心地よかった。
ーーーー酷いことをした自覚はある。許されないことをしてしまったと。
自分のものにならないなら。いっそこの手で壊してしまいたい。
傷つけても、憎まれても。その心に自分を刻み込んで、決して逃れられないよう、執着という鎖で縛り閉じ込めてしまえたら。狂気にもにた感情を止められなかった。
でも、自分に無理やり抱かれても、彼女の身体も心も汚されることはなく・・・残るのはただ後悔と暗い劣情のみだった。
果てる寸で助けを求める名前は、
彼女を弟子とし、護り慈しむ男であったことに、絶望し、一気に正気へ引きずり戻された。
わかっていたはずだった。でも現実は容赦なくカリストを打ちのめす。
どんなに願っても、焦がれても。ビビは伸ばした手をすり抜けていく。その心に触れることすら、叶わないのだと。
多分、ビビはデリックに無理矢理連れてこられたのだろう。
でも、朦朧とした意識の中で見たあの眼差しは・・・少なくとも自分を本気で心配してくれていたのだと、信じたかった。
*
機嫌良さそうだったのに、いきなり黙りこんでしまったカリスト。
どうしたんだろう。気分が悪いわけじゃなさそうだけど・・・?
綺麗に汗を拭って、手洗の水でタオルを洗うと、背を向けているカリストに声をかけた。
「終わりましたよ?水、替えてきますから、前はさすがにご自分で・・・」
「お前さ・・・」
カリストは顔だけ振り返って、ビビを見る。そのどこか戸惑ったような、困ったような表情に、ビビは首をかしげた。
「はい?」
「そもそも動じないよな。ミラーとかで見慣れているわけ?」
ビビは目を瞬く。
何故そこにフィオンの名前が?
「・・・見慣れているって、何をです?」
「男の裸」
バン!
至近距離でタオルをカリストの顔に叩き付けた。濡れタオルだから、多分これはかなり痛い。
「いってえ!」
「逆セクハラまがいなことさせておいて、さらに何馬鹿なこと言っているんですか!」
顔を真っ赤にしてビビは叫んだ。
ああもう、これだからナルシストなイケメンは!
今世ではフィオン君とは
フィオン君とは・・・!
キス止まりだよっ!悪かったな!!
「あなたしか知らないの、知っているくせに、今更!もう、最低!」
急に猛烈に恥ずかしくなって、居たたまれなくなり、勢いよく椅子から立ち上がると、部屋から跳びだそうとした。
が、それより早く伸びた腕がビビの腰にまわり、強い力で引き戻される。
「ぎゃ・・・!」
バフッとベットのスプリングが音をたてて軋む。気づけば後ろからタックルされたような体勢で、引き戻され、そのままベットに押し倒されていた。
病人だろ、この人、どこにこんな力が
「なにす・・・」
か、顔が近い・・・汗
視界に飛び込んでくる端整な顔に、ビビは息を飲み込んだ。
綺麗な青い目に、目をまんまるくしたヘン顔の自分が映っている。
「・・・」
前言撤回。
病み上がりで急に動いたせいで、当たり前だが息があがっている。せっかく拭いたのに、触れる肌はしっとりと汗がにじんでいた。
「無茶しないでください、病人のくせに」
抵抗を諦めて身体の力を抜くと、カリストは明らかにほっとした表情をした。
「逃げるからだろ、お前が」
「身の危険を感じた防衛本能ですが・・・」
前科があるのをお忘れで?と怪訝そうな表情で訴えビビはふい、と顔をそむけた。
「・・・ごめん」
素直に謝られて、ビビは言葉に詰まる。
「謝って・・・済むことじゃないけど。本当に・・・すまなかった」
カリストの指先が労るように、噛みついたであろう肩の部分をそっと撫でる。
「・・・っ、」
自身で治療して、もう痕も痛みもないはずなのに。衣服の上からとはいえ、まるで素肌に直接触れられたような感覚に、ぞわり、とする。
あの時を思い返したかのように身体を強張らせ、少し怯えたような表情で顔を反らしたままのビビに、カリストもまた、傷ついたような表情を浮かべる。
「俺が・・・怖い?」
心の内を読まれたように。囁くように問われ、ビビはぎくりとする。
「怖い・・・です」
強張った身体の力を抜くように、ビビは小さく息を吐く。
「もう・・・あんな無理やりなの、嫌」
「・・・」
苦し気な表情のカリストに、ビビもまた堪えるかのように眉を寄せる。
「でも・・・謝らないでください。そこまでサルティーヌ様を追い詰めたのは・・・わたしだって、わかっているから」
「え?」
「・・・逃げてばかりで、ごめんなさい」
カリストは目を見開く。ビビはそむけていた顔を戻し、視線をカリストに向けた。手をのばし、そっとカリストの頬を包み込む。
少し痩せた頬をなぞり、
「あなたと・・・向き合うのが怖くて、逃げていた。気づきたくなくて知らないふりをした。・・・あなたはあんなに、はっきり言葉で伝えてくれたのに」
「ビビ、俺は」
言葉に詰まるカリスト。
はにかむように、ビビは笑い、首を振った。温かな、カリストの好きなビビの笑顔に、胸がじんとして泣きたくなった。
許されないことをしてしまった、と。
もう二度と・・・その温かな笑みを見ることは、叶わないのだと思っていたから。
「わたし・・・あのまま逃げていたら、取り返しのつかないことをするところだったんです」
ビビは苦し気に眉を寄せる。
「あなたに対し、フィオン君の時と同じ過ちを繰り返すことろだった。それを、あなたは気づかせてくれた。だから・・・謝らないでください」
「ビビ・・・」
泣きそうなカリストの表情に、ビビは微かに口元に笑みを浮かべる。
「ほんと、こんな女のどこがお気に召したのかわかりませんど・・・わたし、サルティーヌ様が思っている以上に、面倒くさくて厄介な女、なんですよ?」
「・・・知っている」
「あなたの好意に気づきながら、逃げるような卑怯な真似をする女なんですよ?」
「それでも、お前がいい」
そっと横髪を指ですき、露わになった深緑の目を正面から見つめる。
「・・・っ、」
迷いのないそのまっすぐな言葉と視線に、ビビの顔が何か堪えているように歪む。
「あなたって、本当にずるい」
言って、泣きそうな顔になった。
「そんなこと言われたら・・・あんなことされても、許しちゃうじゃないですか・・・」
「ビビ・・・」
何か言いかけたカリストの唇を、そっとビビの指先が抑える。
「わたし、逃げずに答え、出しますから」
「・・・?!」
「その、まだ解決しなきゃいけないこともたくさんあって。事情により、あなたに話せないこともたくさんあるんですけど・・・そもそも、れ、恋愛とかよくわからないし、男女の駆け引きとか苦手だし!・・・イラつくこともあると思うんですけど。でもわたし・・・ちゃんと、答え出しますから、待っていてほしいんです」
頬を赤くそめて、しどろもどろに言葉を綴るビビに、カリストは目を見開いたまま固まっていたが。
ビビの、駄目ですか?と尋ねる声にはっとして、ようやく笑みを浮かべる。
こつ、とビビと額を合わせ、目を閉じた。
「ありがとう・・・待ってる」
キスしたい、と囁くと、ぴくりと肩が跳ね、慌てたように胸を押された。
「ダメです!い、いきなりキスはダメ・・・」
「ダメなの?」
「心の準備が必要なんです!」
「じゃあ、断ればいいんだ?」
「う~・・・時と場合によります!ああ、もう!お願いだから、上着、着てください!」
さきほどから腿に当たるものが生々しくて落ち着かず、ビビは笑うカリストの胸を押し返し叫んだ。
****
懲りない男、カリスト・サルティーヌ
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