第150話 師より学んだもの
「ああ、よかった!私の服がピッタリですね」
着替えて部屋から出てきたビビの姿を見て、キアラはにっこりと笑う。
「上着のベスト、ちょっとやぶけていたから縫っておきました。大丈夫、全然わからないから安心して?」
言って、テーブルに畳まれた上着をビビに手渡した。
「す、すみません。なにもかも・・・」
フードつきの上着を受け取り、恐縮してビビは何度も頭を下げる。キアラはクスクス笑って、椅子をすすめてくれた。
「気にしないで!困った時はお互いさまだし。いまお茶を入れますね」
シャワーで冷えた身体を温め着替えさせてもらい、温かいお茶を飲んでビビはようやく人心地がつく。
ヴィンターはマントでビビを包み、そのまま自宅へ連れ帰ると、妻のキアラにビビを託し出て行った。
ヴィンターは魔術師会館に私用で立ち寄り、そのついでに先日借りた本を図書室に返すところだったらしい。
本来、時間外は入口のポストへ返却できるようになっている。アランチャも帰った後なのに、まだ結界も張られていなかったので妙に思っていると、後ろからラヴィーが体当たりしてきて、騒いでいるのを不審に感じて中に立ち入ったらしい。
ラヴィーは、ビビに抱かれたまヴィンターの家まで着いてきて、片時もビビから離れようとしなかった。
手首の治療を受けながらキアラから経緯を聞き、ラヴィーをあやしていると、ヴィンターが戻ってきた。
「あら、あなた。お帰りなさい」
キアラから迎えられ、ヴィンターは軽く頷きキスを落とす。
「キアラ、悪いけど・・・」
「ん、両親のところに連絡して、今日は泊まらせてって伝えているから。ビビさん、ごゆっくりね?今度お茶ご一緒できたら嬉しいわ」
「明日の朝、迎えに行くから」
そしてまたキス。
「ラヴィーちゃん、一緒に行こう?」
キアラに声をかけられ、ラヴィーは不満そうにビビの膝の上でプルプル身体を揺すらせている。
「ビビさんは疲れているから、休ませてあげなきゃ。ね?私と行こう?魔術師会館まで送ってあげるから」
「きゅるるる~」
「ありがとう、ラヴィー。もう大丈夫だから」
言って頭を撫でると、ラヴィーは低く鳴きながらビビに頬ずりをする。
キアラはラヴィーを抱え部屋を出て行く際、もう一度ヴィンターとキスを交わし、ビビに笑いかける。
「おやすみなさい、あなた」
「おやすみ、キアラ。愛してるよ」
パタン、と閉まるドア。
*
「・・・なに?」
呆気にとられているビビを見て、ヴィンターは不機嫌そうな顔に戻る。その変わり方が凄すぎて、ビビは慌て首を振った。
「いや、聞きしも勝るラブラブぶりだなと」
「余計な御世話だ」
むすっとテーブルにつく、ヴィンター。
「その貴重な2人の夜の時間に乱入して、なにを言う」
「・・・すみません」
「いいよ、キアラには前からビビを家に呼びたいって言われていたし」
言って、ヴィンターは置かれたカップに口をつける。その仕草に、大切な師匠が重なった。
「・・・なに?」
「やっぱり、師匠と親子なんだなーと」
髪の色も瞳の色も、顔立ちも全く違うのに、ふとした動作と伴う雰囲気が、驚くほど似ているのだ。
「そりゃね。ただ父は俺以上に愛妻家だったけど」
「・・・えっ?師匠が??」
「そりゃもう、目が合えば母親とキスしまくっていたし。子供ながらに目の毒だったな」
残念だったな、とヴィンターは人の悪い笑みを浮かべる。
ビビは思わず顔を赤らめ、両手で頬を覆った。
「・・・師匠が・・・キス魔??」
「失望しただろ。父はああ見えてむっつりなんだ」
「とんでもない!魅力再発見です!」
「・・・あっ、そ」
呆れたようにため息をつき、ヴィンターはカップをテーブルに置く。
「図書室に鍵と結界は張っておいたから。魔術師会館に出入りするならって、無理やりファビから覚えさせられたけど・・・役に立ったな」
「あ・・・」
いきなり現実に引き戻された。
「散らかった本の戻し場所はわからなかったから、机の上に積んでおいた。明日にでも片付けておいて」
「・・・すみません。あと、上着も・・・」
ぎゅっ、とカップを包み込む指先に力がこもる。ヴィンターは一瞬手を止める。
用をなさなくなった衣類は、キアラが処分してくれたようだった。
「いいよ、別に」
それは、言いたくないなら、聞かない。と言われているようで。
「・・・」
「・・・魔術師会館の手前で、カリストさんを見かけた」
ぴくっ、とビビの肩が反応する。
「そしたら、見慣れぬ傘が図書室の前にあったから」
あれ、あんたのじゃないよね?
ヴィンターに言われてうなずく。
「・・・一応持って帰ってきた。明日・・・マントと一緒に城へ届けておく」
カイザルック魔術師団の連中に見つかったら、面倒くさいからね、とヴィンターは続ける。
ああ、全部おみとおしってことか・・・。
「・・・すみません」
ビビは顔をあげ、ヴィンターを見つめる。
「あのっ・・・」
ヴィンターはふい、とビビから目をそらし。
「・・・他言はしない。キアラにも言っている」
だけど、とヴィンターは再度ビビに視線を戻す。
「あんたが・・・望まず不本意に傷つけられたなら、俺は絶対に許さないよ。相手がカリストさんであっても」
その強い視線にビビの動きが止まる。じわりと目尻が熱くなってビビは目を瞬かせた。
「・・・つっ、」
駄目だ、涙腺が・・・ゆるみそう。
「あんたさ・・・乱暴されたくせに、まだなにをそんなに頑なに耐えているのか、わからないけど」
ヴィンターはため息をつく。
「いや、違うな。逃げているのか?」
ヴィンターの言葉に、溢れた涙が頬を伝う。
---------そう、自分はずっと逃げていた。
それは、過去
これから訪れる、見えない未来
自分に加護と力を引き継いだ、二人のオリエの・・・魂の記憶
カリストがオリエを通して、娘である自分を求める現実
受け入れることが叶わず、・・・でもそれを知っても・・・彼に惹かれずにはいられない、自分の心
「逃げることが悪い、とは思わないよ俺は。・・・逃げは最大の防御だ、とも。でも・・・」
ヴィンターは言葉をとめ、わずかに眉を寄せる。
すっ、とビビにハンカチを手渡した。瞬きを忘れたビビの目からは、とどめなく涙がこぼれ、滴り落ち・・・。
「・・・まったく、なんて顔して泣いてんだ。あんた・・・泣き方も知らないのか」
動けないビビのかわりに、頬を伝う涙をぬぐい、ヴィンターは言った。
「そんなに泣くなら、泣くほど好きなら始めから逃げないで飛び込んどきゃいいのに」
ふっとヴィンターは困ったような笑みを浮かべる。
「ほんと、あんたってこんなに素直でわかりやすいのに。どうしてカリストさんが絡むとこう、拗れるのかな。俺には理解できないよ」
「・・・ほんと馬鹿ですよね、わたし」
ビビも思わず笑う。笑った拍子にまた涙が零れた。
「飛び込む度胸もないし、逃げる勇気もないし・・・結果、相手を傷つけて自分も傷ついて」
でも、どうすればよかったのだろうか。お互いの感情をなかったことにできないなら、離れるしか・・・
それが、彼を傷つけることになったとしても。
フィオンに好意を寄せられた時は、驚くほどすんなり受け入れられた。
彼を好きだ、と思う気持ちを疑いもしなかった。
なのに。
カリストのそれは、まるで激しい炎のようで、ビビを追い詰める。
「あんたって、他人のことには敏感なのに、自分のことになると・・・てんで駄目だな」
ふ、と息を落とし、ヴィンターはビビにハンカチを握らせる。
「なぁ。あんたの師匠は・・・俺の父は。あんたに逃げることを教えたか?」
はっとして、ビビは顔をあげ、ヴィンターを見返す。
「あんたは、なんのために父を師とした?なにを学んだ?逃げるためか?あんたのその力は・・・自分を犠牲にしてまで、他人を救うために与えられたものなのか?」
違うよな、とヴィンターは言う。
「生きるためだろ?生きて、その手で選べるように、あんたはその力と向き合い、学んできたはずだ」
ヴィンターの言葉にビビは目を瞬く。
ヴィンターはふっ、と笑ってもう片方の手を伸ばして、ビビの頭を撫でた。
「あんたが笑うとさ、みんな嬉しいし、悲しむと笑ってほしいと願う。背負っているものを手伝いたいと思う。俺も、父も、カイザルック魔術師団の連中も・・・みんな。カリストさんだって・・・本当は誰よりもあんたを大事に思っていて・・・護りたいはずだ。なのに、あんたは・・・逃げるのか?なかったことにしたいのか?」
ビビ・ランドバルド。
ガドル王国国民が愛してやまぬ、神獣ユグドラシルの加護を受けし者。
博識なヴィンターもまた知っていたのだろう。ビビの胸元に輝く魔石がなんであるのか。
わかっていながら、知らぬ顔をして見守っていてくれたのだ。
そうやって、自分は今まで護られてきたのだ。知らぬうちに、多くの優しい手に。
かつての聖女オリエ・ランドバルドは、その与えられた加護と力を多くの人に求められ、奪われ、壊された。
自分の存在が、皆の幸せのためにあるのだと。それが生きる意味であり価値であるのだと、洗脳されていた。自分の心すら自由にならず、束縛され皆のために祈り続けていた地獄の日々。
ああ、今の自分が・・・彼女とどう違うというのか。
同じ過ちは犯すまいと誓っていたのに。傷ついた心に蓋をして気づかぬふりをして・・・皆に背を向け、なかったことにして。立ち去ろうとしていた自分と。
「・・・う」
ぼろぼろと涙が零れ、ビビはしゃくりあげる。ハンカチで顔を覆い、首を振った。
「ごめ・・・なさ、い」
自分は自分のことで手一杯で、でもその行動がどれだけ周りを心配させ、不安にさせていたのか、全然見えていなかったなんて。
ああ、なんて愚かだったのだろう。
それ言うの、俺じゃないでしょ?とヴィンターは茶化すように笑い、ビビの髪をやさしく撫でる。その仕草が師であるジャンルカに似て、更に涙が溢れ嗚咽が漏れた。
「・・・だから、今は逃げずにもう少しだけ、寄りかかってみないか?」
ビビを大事と思っている皆の気持ちに。
「ヴィンター・・・」
「少しだけ、受け入れてみないか?」
ビビに笑ってほしい、と願う皆の心を。
そして・・・
「何よりも、自分を否定すんな。なかったことになんて、するな。あんたの心はあんただけのもの。その心を護れるのも、導くのも、あんただけなんだよ。その自分の心すら否定し欺くなら・・・本当の自分を見失い、何も見えなくなる」
忘れるな。
あんたの苦しみの上に成り立つ幸せなんて、誰も望んでいないのだから。
顔を手で覆い、ビビは声をあげて泣いた。
涙は・・・止まらなかった。
****
ウィンター・・・いい奴です。
しんどいのもう一話続きます。頑張ってください汗
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