第149話 慟哭※

 ※大人向け表現あり。ご注意ください。

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 ザーザー・・・


 音が聞こえる。


 これは、雨音・・・?


 ちがう、滝の音、だ。

 ガドル王国のずっと北にある、広大な水源の滝の音。


 *


 "滝の音、すごいね~"

 幼い少女の声と共に蘇る、子供の頃の記憶。


 "こんなにいっぱいお水出ているのに、なくならないの?"


 "上のほうに泉があって、そこから水が湧き出ているから、なくならないんだって"


 まだ幼くて、川の水面に突き出た岩を伝って歩くのは危険だから、と。大量の水が流れ落ちるのが見られる滝の真正面まで、父親はいつもビビを抱っこして連れていってくれた。


 "パパ、その泉は見たことある?"

 

 父親は当時アルコイリス杯で守護龍の試練を乗り越え、母親に続きガドル王国5代目"龍騎士"の名を受けていた。

 一般の騎士団の白銀の鎧とは違って、深緑に金糸の刺繍をされた豪華な団服を身に着け、その雄々しい姿が娘として誇らしくて、ビビは父親が大好きだった。


 "パパも見たことないな~お話で聞いただけなんだけど"

 白髪も混ざりだした黒髪に、滝の水しぶきが飛んでキラキラ光っている。

 綺麗な青い目をビビに向け、父親はほほ笑む。


 "上の泉には、豊穣の神ヴェスタ様から水の守神として遣わされたシルドラという精霊が住んでいて、立ち入る人間を捕まえちゃうから、誰も見に行けないんだよ"


 "じゃあ、なんで泉があるってわかるの?"


 "大地の守護龍アナンタドライグが偵察する時、きっとお空から見たんだよ"

 

 "そっか、守護龍さまなら強いから、負けないもんね!"

 

 屈託なく笑うビビを抱えなおし、父親は笑う。ビビも笑って父親の首にしがみついて頬をすり寄せた。


 "ビビ"

 父親はそのやわらかな頬にキスをする。

 "忘れないで、パパはずっと、ビビの幸せを願っている"


 ビビが幸せになるために・・パパは未来のビビにひとつ贈り物を残したんだ。


 ・・・・・・


 ・・・・・・・・・


 温かなやさしい記憶。

 父親の愛を全身に受けていた、幸せな・・・


 *


 ザーザー・・・


 激しく降る雨音に、ビビの意識がぼんやりと浮上していく。


 「・・・っ、」

 僅かに身動きして、走る右肩の痛みにうめき声が漏れる。


 ゆるゆると痛みが響かぬよう首をめぐらし、肩を見やると。暗がりでもわかる、むき出しの肩に血の滲んだ痕が。

 「・・・」

 ふう、と息を吐きゆっくりと身を起こした。

 露わになった上半身には、騎士団で支給されているマントがかけられていた。

 それを手にとり、ビビはギクリとあわてて周囲を見渡した。

 暴れたせいで、机に乗せられた本は床にちらばり、ペンや書類も散乱している。

 が、先ほどまで自分を無理やり押さえつけ、自由を奪っていた男の姿はなく。


 「サルティーヌ・・・様?」


 乱暴に乱された衣類は、申し訳ない程度に戻されてはいたが。

 それでも床に投げ捨てられた、引きちぎられたインナーと、破れたパーカーつきの上着は・・・ビビが望まぬ行為を強いられたと思わせるには充分で。


 (ゆるさない・・・!)

 泣き叫ぶビビを無理やり抱くカリストは、傷つけているビビよりも、苦しそうで泣きそうだった。


 (俺から離れるのは、ゆるさない・・・絶対に、)


 (・・・けて、)

 あの時、ビビが助けを求めたのは、ジャンルカだった。

 (助けて、師匠・・・っ!)

 無意識に叫んだ名前に、カリストの背中が大きく打ち震え、

 ガリッ、と次の瞬間右肩に歯をたてられ、その痛みにビビは悲鳴をあげた。


 (好きだ・・・)

 耳元で荒い呼吸を繰り返しながら、カリストは告げる。


 (お前が好きだ。どうしようもなく・・・傷つけたいわけじゃない、泣かせたいわけじゃない)

 額をつけあわせ、痛みに打ち震えるビビの身体を抱きしめ、


 (どうしたら、お前の心を手にできる?どれだけ好きになれば、お前は俺を受け入れる?)

 滴り落ちビビ頬を濡らすのは、カリストの汗なのか・・・涙だったのか。


 「・・・は・・・っ」

 吐き気がこみあげ、ビビはうめき声をあげる。

 震える手で、かけられたマントを抱きしめるようにして、背を丸めた。

 思い出したように痛み出した手首は、強い力で拘束されていたせいで赤黒い痣になってしまっている。

 「・・・っく、」

 パタパタ、と再び涙が溢れて頬をつたい、滴り落ちた。


 痣になってしまった手首が痛い。固い机の上で抱かれた背中が痛い。無理に暴かれた身体も、歯をたてられた右肩も。

 だがそれ以上に・・・追い詰められた獣のように、自分にそそがれたカリストの暗いまなざしが脳裏を横切り、胸を締めつける。


 傷つけてしまった・・・

 あんな顔をさせてしまうなんて・・・


 声を押し殺し、ビビは泣いた。

 はじめてカリストの、自分を求める本気の気持ちに触れた気がした。


 (ビビ、お前が欲しい)


 「ああ・・・っ」

 堪えきれず漏れた低い慟哭が、暗い部屋に響き、それを強まった雨脚の音に消されていく。


 違う。

 あなたが愛するのは・・・抱くのはわたしじゃない。

 わたしであっては、ならない。


 どうして・・・

 どうして、わたしはビビ、なんだろう・・・辛い。苦しい、

 心がちぎれそうだ。


 *


 「・・・うわ、なにここ?」


 ふいに人の気配がして、はっと顔をあげると。


 「誰かいる?なんでここ、こんな散らかってんだ?」


 聞き覚えのある声に、思わず身を固くする。そのまま自分に気づかず立ち去ってほしい、という願いは呆気なく破られる。相手が相手だけに。


 「・・・ビビ?」


 相手・・・ヴィンターは、びっくりしたようにビビを見下ろしていた。


 「きゅぴい!」

 そのヴィンターの足元から、白い塊が転がるように飛び出し、ビビに飛びつく。


 「ラ・・・、ヴィー・・・」

 「きゅぴい、きょるるる」

 身を包んだマント越しにビビはブルーに染まったスライムを抱きしめた。

 「ラヴィー・・・ラヴィー!」

 「・・・」

 そのまま泣き出したビビを、ヴィンターは厳しいまなざしで見つめ、ふと窓の外に目を向け歯軋りをした。


 ***

 しんどいの、あと二話続きます。

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