第148話 いらない感情

 「オーデヘイム諸国関連の書籍は、ここですね」

 アランチャに案内されて、王立図書館の奥の資料室へ向かうビビ。

 オーデヘイム諸国はガドル王国と生活圏がまるで違うという。入国してバタバタしないよう、あらかじめ情報を仕入れておくことに越したことはないだろう。

 「わぁ、服装とか全然違うんですね」

 「元々オーデヘイム王国はガドル王国より魔法圏ですから。女神テーレの信仰が深く、近隣諸国も建国500年を超える古い国家がほとんどです」

 パラパラとめくりながら、数冊選んでテーブルに置く。

 「陛下からは、閲覧と貸し出しの許可が出ていますから、読み切れなかったら、後ほどカイザルック魔術師会に届けておきますよ?」

 「ありがとうございます。助かります」

 ほほ笑むビビに、アランチャは密やかな笑みを浮かべる。


 「寂しくなりますね・・・」

 アランチャとはあまり懇意にはしていなかったが、この国で目覚めた当初はベティー同様いろいろ世話になった一人である。

 執務室でお茶を入れてもらって、ヴェスタ農業管理会から提供された、新種の花の情報交換をする時間はとても有意義で楽しかった。

 「三年たてば、再入国可能ですから。いつでもいらしてくださいね。お待ちしていますから」


 *


 「・・・もう、こんな時間」


 手元が暗いのに顔をあげると、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 窓枠が風でガタガタ揺れ、雨音が聞こえてくる。

 どうやら外は雨が降り出したらしい。

 ビビは立ち上がり、窓辺に歩き寄る。

 「・・・今日は、朝の段階では大気は安定していたのに。どうしたんだろう?」

 ピカッ、と稲妻が走り室内が一瞬明るくなる。

 「この雨じゃ・・・本を持って帰るのは、無理そうだなぁ」

 つぶやき、机に乗った書籍を括り、明日また閲覧できるように棚の隅に片付けた。


 カタン、


 音がして、カチャカチャとドアノブが回る音に、ビビは振り返った。

 アランチャは先ほど仕事を終えて一足さきに帰ると、図書室の鍵と入口の結界をお願いされた。忘れ物をしたのだろうか?


 「アランチャさん?」


 ギッ、と重苦しい音をたてて図書室のドアが開く。


 「・・・サルティーヌ、様」


 ポタリ、と床に雨の雫が落ちる音が響く。

 うす暗い灯りを背に、カリストが立っていた。


 *


 黙って出国するつもりはなかった。

 浴場の件で、ガドル王城で鉢合わせて逃げ出して。さすがにそのまま逃げて出国するほど非常識ではない。

 ちゃんと目をあわせて、話をして、お互い納得して、お別れを言うつもりだった。

 それでも・・・表情は見えなかったが、雨に濡れて立っているカリストに自然と委縮してしまう。

 まるで、始めて会った頃のように・・・研ぎ済まされた刃物のように冷たい雰囲気を纏っていたから。


 「・・・どうしたんですか?こんな時間に」


 「来月、」

 カリストの低い声が重なる。


 「来月、出国するのか?」

 「・・・」

 責めるような視線を感じ、ビビはカリストの前に立つ。

 薄暗い灯りに照らされた、青い目を見上げる。


 「はい、本当です」

 まっすぐ見上げられたその視線に、冷ややかな青いまなざしが、ふいに戸惑いに揺れる。

 「ちゃんと、サルティーヌ様にも話するつもりでした。騎士団の討伐も続いていたから・・・なかなかご挨拶にも行けなくて。タイミングを計りかねていたので・・・すみません」

 「ビビ」

 「わたし・・・厄介な加護持ちの女、なんです。本当は、この国にも長居するつもりはなかったんです。でも、あまりにも無知すぎて、魔術師団の好意で保護してもらって、色々教えてもらって・・・」

 「ビビ、」

 「師匠や、師団長、陛下にもずいぶんご迷惑かけちゃって・・・本当はもう少し恩返しをしてからって思っていたんですけど、来月オーデヘイム諸国行きの商船が立ち寄るって聞いて、この機会逃したら次はいつになるかわからないから、思い切って決断しちゃいました」


 くるりと背中を向け、机に置かれた本を整頓しながら、動揺を逃がすビビ。

 「ジャック・ランラン卸売店の会長のリベラさんが、紹介状書いてくれるって。便利ですよね?世界各国に支店があるそうで・・・縁は持って損はなかったです」

 背中を向けているので、カリストがどんな表情をしているかはわからない。

 暗闇に溶ける沈黙が痛い。

 「本当は来年まで居られたらよかったんですけど・・・この前の団服の加護付与が最後の仕事になるのかな?急いでやらなきゃいけないから、また暫くは魔術師会館に籠る生活が続きそう」


 どうか・・・どうか、声が震えているの、気づかれませんように。


 「サルティーヌ様ともいろいろありましたけど・・・これからは、ちゃんとこの国の女性と向き合って・・・」


 バン!!️


 背中に衝撃が走り、そこでビビは壁に押しつけられたのに気づく。とっさに逃げようとした先を、さらにカリストの腕に阻まれる。


 「・・・つっ、」


 殺気のようなものが頭上から降ってきて、ビビは思わず両腕をあげて、顔を覆った。


 「・・・なんで・・・」


 くぐもった、カリストの声。


 「なんで、そうなんだよ、お前」

 「・・・え?」

 「・・・なに勝手に自己完結してんの?それを俺に押しつけて・・・なかったことにしろと?」


 「・・・!」


 びくっ、とビビは肩を震わせた。


 「なんなんだ?何がしたいんだよお前・・・散々人の心をかき乱しておいて、振り払って、勝手に消えるって、ふざけるな」


 顔をあげると、歯を食いしばり、本気で怒っているカリストの目と視線がぶつかる。

 ああ、怒っている時でさえ、綺麗なんだ。この人は・・・


 「・・・だって、もう終わりにしなきゃ」

 ビビの声は震えていた。

 「なにを」

 「あなたが・・・わたしを好きなんて、あっちゃいけないから、」

 そう、自分はここにいるべき人間ではない。

 「何故、お前がそれを決めるわけ?」

 カリストの目が更に鋭くなる。


 「・・・今なら、間に合うんです」

 ビビはぐっ、と握りしめる手のひらに力をこめた。

 ここで目を逸らしてはいけないと思った。

 言わなきゃ、はっきり。でないと、またズルズルと引きずってしまう。


 「今なら、なかったことにして、離れられる・・・だから、」


 鼓動が速く、胸がキリキリと痛む。

 気づきたくなかった。こんな、醜い感情。

 誓ったのに・・・オリエを不幸にした元凶を封印するために、《鍵》として与えられた自分の役目を果たし、けじめをつけると。

 なのに。その誓いすら、この感情を前にもろく崩れそうになっている。


 "堕ちろよ、俺に"


 ああ、どうして


 "身も、心も、全部"

 どうして、この男は今になって・・・


 "そうしたら、俺が護ってやる。お前が背負っているものから、全部"

 

 わたしが欲しくて堪らなかった言葉を告げるのだろう・・・


 だめ・・・

 ぎゅっと胸が締めつけられる。

 決して手を伸ばしてはいけない。求めてはいけない、願ってはいけない。

 ビビはカリストの怒りに満ちた目を見返す。


 頑なに護っていたものを、簡単に押しのけ・・・包み込んで支配する青い目。

 最初は、まっすぐ自分に向けられたそのまなざしが怖かった。


 「・・・いらないの、こんな感情」


 弱い自分はいらない。愛されれば・・・弱くなる。愛してしまえば・・・縋りたくなる。

 一番許せない自分に、この男の熱は堕とし絡める。気づけば身動きができなくなるほど、その目に捕らわれている。

 だから、離れなければ・・・自分が、自分であるために。


 「言ったよな」


 ポツリ、とつぶやく声。

 目を合わせたカリストは、どこか自嘲めいた笑みを浮かべている。

 ゆっくりのびた指先が、くい、とビビの顎をあげた。


 怖い・・・


 「俺の本気をなめるな、って」


 ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。こくりと息を飲むビビに、くすり、とカリストの形の良い唇が弧をかく。


 やめて、そんな目で、わたしを見ないで。


 「お願い、気づいて」

 震える声で、ビビは懇願した。

 「あなたが好きになる人は・・・わたし、じゃない」


 「まだ、言うんだ?・・・その口で」


 ガタン!と何かが倒される音。

 両手首をつかまれ、そのまま強く引かれた。

 どん、と乱暴に再度壁に押し付けられ、ぶたれる!と思って目を固くつぶった瞬間、


「・・・んっ・・・!」


 唇を塞がれ、それがカリストのものだと理解するのに、数瞬。

 ズキン、と胸が痛んだ。


 「・・・やっ・・・!」

 背けた顔を強引に手で押さえ、更に深く唇を重ねてくる。

 甘いキスのはずが・・・まるで針を飲まされたようで。

 「いや!」

 「・・・くっ、」

 とっさに唇に噛みついて、怯んだ隙に両腕で思い切りその胸を押し、逃げようとしたが、難なく後ろ手をとられた。

 「・・・きゃ・・・!」

 引き戻され、両手を片手で束縛されたまま、机に押し倒される。バサバサと音を立てて本が床に落ちて散らばった。

 「やだ!やめて!離して!」


 「・・・ば・・・いい」


 耳元で聞こえる、低い声。

 「・・・え・・・?」


 「・・・俺のものにならないなら・・・壊れてしまえばいい」

 ズタズタになって。俺がいなければ生きていけない傷を、負ってしまえばいい。


 ・・・その目に、俺しか映さないように。


 からまった視線は・・・まるで獲物を狩る猛獣の、それと似ていた。

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