第145話 唯一無二の女※

 ※大人向け表現あり。ご注意ください。

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 無意識にカリストの腕を掴んでいた。

 「だって・・・」

 掴む指先に力がこもる。

 「だって、水着姿だったし!ほ、他の人に見られるの、恥ずかしくて・・・」

 確かにカリストを避けていたのは事実だが、それ以前に、あの際どい水着姿を晒すのに抵抗があった、なんてとても言えない。

 「・・・」

 カリストの反応がないのに、恐る恐る顔をあげるビビ。


 「・・・恥ずかしい?肌見られるの、総長なら・・・いいんだ?」

 カリストは呟く。目が合い、その鋭い視線にビビはヒヤリとする。

 あわてて掴んだ腕を離したが、逆手を取られ、壁に押さえつけられた。

 「さ、サルティーヌ・・・様?」

 「俺は知り尽くしているのに、何いまさら・・・?」

 どくん、と心臓が嫌な音をたてる。


 「俺、覚えているよ。あの夜のこと」


 耳元で囁かれて、ビビは顔に熱がこもるのがわかった。


 「お前の肌の柔らかさも、髪の香りも、交わしたキスの甘さも」

 かかる吐息にぞくぞくっ・・・としてビビは息を飲む。

 「や、やめてください・・・」


 「お前の・・・中の熱さも、イクときの声も」

 「・・・っ!」


 どん、と突飛ばし、逃げようとした身体に腕をまわすカリスト。

 抱き抱えるように、唇を寄せた。

 が・・・、


 ・・・

 ・・・・・・


 「・・・」

 ビビは両掌をカリストの唇に当て、俯いたまま震えている。


 「・・・やめて、ください」


 ビビの声は震えて、今にも泣きそうだった。


 「もう・・・好きじゃない相手に・・・こんなこと、しないで・・・」


 ぽた

 ぽた

 ぽた・・・っ


 とうとう堪えきれず、涙が滴り落ちる。


 「・・・好き、じゃない?」


 カリストは唇を覆う、その両手をほどく。


 「なんで信じない?」

 握られた手首の内側に唇が押しあてられる。その感触にビビはびくりと肩を震わせた。


 「・・・俺はお前が欲しかった。触れたかった、ずっと・・・」


 だめ・・・

 震えたままゆっくりと首を振る。


 「あれは・・・お互い酔った勢いで・・・」

 あっちゃ、いけない・・・カリストが自分を好き、だなんて。


 「違う」


 カリストはビビの頬を、両手で包み込む。

 「どうでもいい相手を、酔った勢いでも抱いたりしないし、まして俺からキスなんて、しない。・・・お前だけだ」

 言ったよな?と囁き、そっと親指の背で溢れる涙を拭う。壊れ物を扱うようなそのやさしい仕草に、心が震えた。


 「お前は・・・?俺を受け入れたから・・・抱かれたんじゃないの?」

 ビビはカリストを見返す。

 ポロポロと涙がこぼれ、唇は震え、ちいさく"やめて、"と呟く。


 「認めろよ」

 カリストは囁く。


 「お前は・・・俺が好きなんだよ」

 「・・・ぅ」


 ビビの言葉を遮るように、強引に重ねられる唇。からめられた舌は、涙の味がする。

 ズクリ、と身体の奥底が甘く疼く。


 強引で・・・でも優しいキスに、自分を求める熱に、頭がクラクラする。

 でも、今はその優しさは針のようにチクチク心に突き刺さるようで。


 「・・・っは、」

 苦しげにビビは息をもらした。

 「ビビ・・・?」

 唇を離し、カリストはビビの顔をのぞきこむ。

 綺麗な・・・すいこまれそうな青い瞳に映る自分の顔を見て、ビビは表情を歪ませた。

 彼が見るべき人間は、この瞳に映るのは、自分じゃないと・・・自分であってはならないと。

 うつむき、弱々しく首をふった。


 ああ、なんでこんなに・・・胸が痛いんだろう。

 フィオンに別れを告げた時にさえ、こんな気持ちにはならなかった。

 フィオンが他の女性を娶ったと聞いた時ですら、こんな心は痛まなかった。

 自分を抱くこの腕が、包み込むやさしさが、他の女性に向けられることを想像しただけでどうにかなってしまいそうだ。


 駄目、気づいちゃ駄目だ。自分の気持ちに蓋をしなきゃいけない。

 冷静になれ、今なら・・・まだ、間に合う


 「・・・これ以上、入ってこないで・・・お願い」


 わかって・・・

 自分の頬を包む手に、自分の手を添えて。どん、とそのまま胸へ押し返す。

 絞り出した言葉に、カリストは息を飲む。


 「好きじゃない・・・から」


 震えながら告げたその表情は・・・本心とは、ほど遠く。何故かひどく傷ついて、なにかに耐えているような。そんな悲痛な表情をはじめてみたから、掴み返そうとしたカリストの手は行き場を失う。

 ビビはうつむき、肩を震わせた。


 「あなたなんて・・・絶対好きになったりしないから!」

 痛切な・・・それは悲鳴にもにていて。カリストは動きを止め、目を見開く。


 「・・・!」

 そのままドアを開け、ビビは部屋を飛び出した。

 暫し立ち尽くすカリスト。


 *


 「・・・フラれたな」


 声がかかって、我に返ると、開け放たれたドアの入り口にイヴァーノの姿が。

 「・・・総長・・・」

 カリストが暴走して、なにかあったらヤバいから、様子を見に来てみれば。

 

 「なに、情けない顔をしてる、色男が台無しだぞ?」

 「立ち聞きなんて、趣味悪いですよ。」

 吐き捨てるように言うカリストに、プッと噴き出す。

 「お前らの痴話げんかなんざ、興味ねぇよ」

 言って、部屋に入ると・・・手にしていた包みを差し出す。カリストが訝しげに見返すと

 「ビビから。俺の所に立ち寄った後に、お前のところに行くつもりだったみたいだな」

 包みを受け取り・・・中身はクワタルトだ、と告げられる。二つ折りにして包みに挟まれたカードには


 "ご心配されたことには、なりませんでした。ご報告まで ビビ"


 心配・・・?

 思い、ふと思いあたる。万が一、子供ができる事態になった場合は、責任とると言っていたことを。


 そうか・・・妊娠はしていなかったのか。


 「残念だったな」

 イヴァーノに言われ、ドキリとする。

 「総長・・・」

 なにが・・・、といいかけ口をつぐんだカリストに、イヴァーノは腕を組み、首を傾げた。

 「無駄だ。たとえ既成事実作ったところで、あいつは縛れない。それはお前が一番わかっているんじゃねぇの?」


 残念・・・?子供ができなかったことが・・・?

 そうか、と改めて思う。


 妊娠していれば・・・ビビを自分の元に置いておけたのだと。

 そう思ってしまった、自分に愕然とする。

 ビビに対し、執着とはいえそんな醜い感情があったのだと。


 「・・・総長」

 「なんだ?」

 「仕事、まだ残っていますか・・・?」

 イヴァーノは目を丸くする。思い詰めたようなカリストの横顔をしばし眺め、ふう、とため息をついた。

 「もう、今日は終いだ」

 ぽん、と肩をたたく。

 「飲みに行くぞ。先ほどの無礼の詫びに、つきあえ」

 ま、アドリアーナのお小言は今始まったばかりじゃないしな・・・と、休み明けにまったく片付いていない机の書類を見て、悲鳴をあげる部下の顔を思い浮かべながら、イヴァーノは密かに合掌した。


 *


 「・・・好きになったり、しない・・・か」


 つぶやくカリストをちらり、と見るイヴァーノ。

 「ま、とりあえず」

 イヴァーノはカリストとグラスをカチン、と重ね合わせニヤリと笑う。

 「改めて、脱☆素人童貞おめでとう。どうだ?本気の女を抱いた感想は?」

 ブーッ!とカリストは火酒を噴き出す。

 「なっ、、」

 イヴァーノは爆笑した。

 「動揺しすぎだぞ、お前!」

 ゲホゴホむせるカリスト。

 「総長!」

 「いやー、ビビ、あれでなかなかいい身体しているからなぁ~」

 カリストは赤くなる。むせて、苦しかったのと、羞恥両方入り交じった表情で、イヴァーノを軽く睨み付けた。

 

 「総長は・・・」

 「小娘相手に勃つかよ。あれはたまたま、俺の孫と一緒に泳いでいたのに居合わせただけだ」

 「・・・からかうのは、やめてください」

 イヴァーノはグラス片手に笑う。

 「処女相手にがっつきすぎだろ。お前。ベティーに文句言われたんだぜ?こっちは」

 ジャンルカまで出てきたそうだ、と言われ。カリストは自分の失態に本気で頭を抱えたくなった。

 「よりによって・・・」

 呻くカリストに、イヴァーノは可笑しくてたまらないという感じで肩を震わせている。

 

 「安心しろ。リュディガーは知らん。いいじゃないか、師匠公認で」

 「・・・まさか」

 あの、誰よりもビビを可愛がっているジャンルカに、公認されているなど・・・と訝し気にイヴァーノを見返すと、イヴァーノはグラスに火酒を注ぎながらニヤリとする。

 「あのな、ジャンルカを本気で怒らせたら・・・怪しげな魔法陣が発動して今頃お前は間違いなく一生アレが不能だぞ?ビビの報復のためなら、それぐらいはする男だ」

 なんでもアリ、だからな。やつらの魔術は、と言って、イヴァーノはグラスを一気にあおる。

 少し想像して、カリストはわずかに身震いをする。

 運ばれてきたオードブルをつまみながら、しばし無言で火酒を飲んだ。


 「総長、俺は・・・」

 カリストはグラスに目を落とす。


 「あいつが・・・ビビが欲しい、です」


 タンとテーブルにグラスを置き、イヴァーノはカリストを見る。

 「欲しくて・・・欲しくて、たまらない。こんなの初めてです・・・傷つけるとわかっていても。自分が抑えられない」


 「・・・ビビは・・・できたら、やめておけ」


 イヴァーノに言われ、カリストは顔をあげる。

 「あれは・・・普通の男の手に余りある。関わるには、失うものが多すぎる。手を引くなら今だぞ?」


 それは、本心だった。


 彼女は、二人のオリエ・ランドバルドの加護と力を引き継いだ娘。

 本人の意思と関係なく高みへと導かれ・・・もう、その限界のない力は神にも等しいのかもしれない。

 もしそれが世界に露見することになれば。

 ビビは間違いなく・・・その力を各方面から求められ、利用され、壊されていく。


 オリエ・ランドバルドから、ビビへ。そしてその子供へ。その力と加護は記憶とともに、永遠に引き継がれる。まるで呪いのように・・・


 そんな人間を、カリストが1人で背負いきれるとは思えなかった。いや、ビビを望めば必然的その過酷な道を、共に背負い歩まなければならぬとわかっていても・・・この男は、迷わずその手を取るのだろうか。


 「ビビは、ビビです」


 カリストの言葉に、イヴァーノは目を軽く見開く。


 ああ、この男は・・・


 「普通じゃなくても、どんな過去があっても、俺には関係ない。俺にとってビビは・・・」

 カリストは、くいっとグラスをあおる。


 「唯一無二の女です。諦めたくない」


 テーブルにグラスを置き、カリストは前髪をゆるりとかきあげる。

 伏し目がちに、ふっ、と自嘲の笑みに口元が僅かに歪んだ。

 そんな表情でさえ、ぞくりとする色気がこの男にはある。


 「・・・だって、そうでしょう」

 続くカリストの言葉に、イヴァーノは眉をひそめた。黙ってグラスに酒を注いで促す。


 「どんなに拒まれても、例えあいつが他の男に心奪われても。この気持ちは微動すらしないんです」

 カリストは密やかに笑う。

 「そんな女・・・他にいない」


 「・・・」

 イヴァーノは、ふう、と息を落とした。

 「ビビもやっかいな男に惚れられたもんだ」

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