第143話 ゲレルード大浴場にて②
バシャバシャと湯をかき分けて誰かが向かってくる。
「おう、こっちだ」
声に答えて、イヴァーノは、次の瞬間ビビが飛沫をあげて自分の背後に回り込んだのに驚く。
「・・・おい」
言いかけ、ビビがうつむきイヴァーノの背中に身を寄せ、その身体が小刻みに震えているのに気づいた。
「カリスト」
イヴァーノは声をかけると、湯気の向こうから現れたカリストは動きを止める。
「・・・どなたかとご一緒ですか?」
「まあな」
イヴァーノはため息をついて頭をかき、カリストに背中を向けると、背後のビビの肩を抱いて見えないようにする。ビビは一瞬息を止めたが、大人しくイヴァーノに身を寄せた。
「悪い、取り込み中だ。急ぎじゃなければ後にしてくれ」
「いえ、任務完了の報告ですから、後程で構いません」
カリストは頭を軽く下げ、ちらっとイヴァーノに抱かれる人間を見やる。
「・・・」
「どうした?」
「いえ、失礼します」
カリストの気配が完全に消えるまで、ビビはイヴァーノにすがりついたままじっとしている。
頭が丁度イヴァーノの胸元のあたりの高さで。丁度腹筋の下あたりに弾力のあるものが。
いい眺めだな、と上から見下ろし、イヴァーノは正直に思う。
ハリがあって柔らかそうな二つの胸の谷間に、滴る雫が鎖骨を伝って流れ落ち、吸い込まれていくのが官能的だ。
いつもはゆったりとしたフードつきの上着を着ているから、全然気づかなかったが・・・綺麗にくびれた腰から尻にかけてのライン。
小娘かと思いきや、なかなかそそるいい身体をしている。
相手がビビではなかったら・・・いや、やめよう。カリストがこええ。
「・・・おい」
「・・・はい」
「・・・胸が当たってる」
ビビはすごい勢いでイヴァーノから離れた。
「これは、貸し、だからな」
ふん、とイヴァーノは腕を組み、面倒くさそうに告げた。
「・・・ありがとう・・・ございました」
「なにこじれているのか、知らないが・・・俺を巻き込むな」
「こじれていません」
「じゃあ、今からでもカリストを呼ぶが?」
「・・・」
泣きそうな表情のビビに、そろそろ勘弁してやるか、とまたまたため息をつく。
「クワタルト」
「・・・はい?」
「クワタルトで許してやる。作って持ってこい」
※
「俺は、連中はとっくにできていると思っていたんだがな」
カウンターで一人レッドビーツの火酒を飲みながら、イヴァーノはため息をつく。ため息をつくのもいい加減飽きてきた。
ビビとゲレルード浴場で別れ、その足でベティーの酒場へ繰り出した。ビビは採集した薬草を早めに処理したいと、魔術師会館へ行く、というのでそのまま別れた。
「少なくとも、先日酔った勢いで一晩床を共にするくらいは、進行形で好きあっているみたいよ」
あなたも飲み会で一緒だった、と聞いたけど??とベティーはクスクス笑いながら答える。
「は?」
泣く子も黙る鬼のハーキュレーズ王宮騎士団総長イヴァーノ・カサノバスの、鳩が豆鉄砲食らった顔って・・・なかなか貴重だわとベティーは思う。
「あのカリストが、酔った勢いって・・・」
そんなの知らんぞ、と言いかけて・・・イヴァーノはああ、あの日か、と納得したように息を落とす。
あの日、気づかぬうちに脱走したビビを、カリストは追っていった。なにやら言い訳していたが、こちらも酒が入っていたから覚えていない。
「寝た仲なら、なんでカリストから逃げるんだ?」
「・・・さあ?追いかけられるから逃げてみる、って、恋の駆け引きみたいなもんじゃないの?」
ファビエンヌあたりが伝授していそうよね、とベティーは肩をすくめる。
「あいつが、そんな器用な女だとは思えないが・・・」
どちらかといえば下手に煽って、逆に食われるタイプだ。
それに、あれはそんな生優しいもんじゃなかったな・・・とイヴァーノは思う。
自分の後ろに逃げるように身を隠したビビは、完全にカリストに怯えていた。他人に必要以上に関わらない主義のイヴァーノでも、流石に・・・あのまま放置するのは気がひけるほどに。
「あいつに限って、無理強いなんてことはないと思うがな・・・」
ああ、でもそういえばビビは処女だとジェマが言っていたことを思い出す。
唆したのは確かに自分だが、あいつもまた馬鹿正直に、面倒くさい女の初物をもらっちまったもんだな、と唸る。
そのカリストも、もう二十歳になった。デリックや、オーガストなど同じ歳頃の同僚は皆結婚して、奥方は妊娠中だ。
あれだけ恵まれた容姿と才能を持ちつつ、カリストに関しては、今まで浮いた話は一度もなかった。本人曰く、女に全く興味がないのだ、と。
女、と言うよりも。決して男色というわけでもなく。他人や自分そのものにさえ、興味がないようだった。
不器用で感情を出すのが苦手で。
でも一生懸命自分についてこようとする、この青年騎士が好ましく、いつしか自分の後継に・・・と目をかけだしたのは、去年歴代最年少で第三騎士団副隊長、というポストを加護なしでありながら実力で奪い取った時だ。
その男が・・・よりによってカイザルック魔術師団が保護している、どこの馬の骨がわからん異国の娘に、好意を持ち出した。
ビビを知る前であれば、迷わず咎めるところだが・・・気づけば、どこの馬の骨かわからん娘は、騎士団の面々と顔見知りになっていて、いつの間にか違和感なく入り込んでいる。
恐ろしいほどの方向音痴さえなければ、直ぐにでも騎士団で戦力になるであろう剣や魔銃の実力に加え、非常識に展開して度肝を抜く魔術のレベルの高さ。
王家の人間でしか出入りを許されないガドル王城の温室で、陛下と南国から輸入した花の世話をしているのを見た時は、流石にたまげた。
陛下曰く、ビビに世話をさせて、枯れかけた貴重な植物が多数甦ったらしい。
そこで伏せられていた事実をリュディガーから打ち明けられ、愕然とした。
神獣ユグドラシルの加護をもつ、唯一の人間だということ。その能力は自然界と共有するものであり・・・その目と手は際限なくスキルを未だに生み出し、魔力は衰えることはない。そして人間離れした戦闘能力は・・・カドル王国で"龍騎士の始祖"と云われた、二代目"オリエ・ランドバルド"の力を継いでいるという。
「あれはある意味、危険な存在にも成りうる。本人は来年の春に出国の申請をしているらしいが、できたらガドル王国に帰化させたい」
カイザルック魔術師団のトップのリュディガーから打ち明けられた時は、正直関わったらロクなことにならないと、容易に想像ができた。
無視を決め込もうにも・・・騎士団の連中をはじめ、カリストが入れ込みつつあり。
なにより・・・ビビに関わるのを、いつの間にか自然に受け入れてしまっている自分。
・・・不思議な女だ、と思う。
あれは、タチの悪い天然人タラシだ。人をあれだけ無自覚に惹きつけるのに、本人は常に距離を置いて立ち入らせない。
だが、気づけば目で追い、知りたいと思う。笑った顔を見るホッとする。
そう言っていたカリストの言うことも・・・今ならなんとなくわかる気がする。
だが。
「来月・・・か」
極秘にされているが、来月のオーデヘイム諸島へ向かう商船に、ビビが乗船するという。
隣国のグロッサ王国の要請を受け、近々、武術団で討伐隊が編成され、ゲートのある森へ派遣されることが決まっている。
ここ最近増えつつある魔物の出現は、数百年前に起きた今はなきオーデヘイム王国の戦禍により、封印された魔界の門が解かれつつあるのだと、関係者は戦々恐々としているらしい。
ビビならば帰化し、共に戦う選択もあるのだろうが、彼女はそれを拒み、彼女の意思で国を出て最果ての地を目指し・・・母親であり、龍騎士の始祖である"オリエ・ランドバルド"から継いだ【時の加護】を解放することを選んだという。
数百年前オーデヘイム王国が招いた戦乱と大地の浄化。
その原因となった、神獣ユグドラシルの加護を受けた、母親の前世でもあるもう一人の"聖女オリエ・ランドバルド"
現在近隣諸国で確認されている一連の禍は・・・その魂と加護を継いだ自身の存在が、影響しているのだと、いわんばかりに。
愚かな。でも、ビビならそうするだろう、と。
そして、立ち去るビビを止めることは、誰にもできないのだろうと。
・・・一人の男を、除いては。
「さて、どう出る?カリスト」
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