第139話 後悔の朝※

※大人向け表現あり。ご注意ください。

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 「・・・っ、」


 ビビはぼんやり目を開けた。


 なんだ、この倦怠感。

 まぶたが・・・重い。


 「まぶし・・・」


 ふぅ、と息を吐き腕をあげると、両手で顔を覆う。薄く開けたまぶたの隙間から、射し込む朝日の眩しさに、思わず小さく呻き


 「・・・ん?」


 違和感を感じ、顔から手を離す。

 素肌に直に感じる、ごわごわしたシーツの感触に、目を瞬いた。ゆっくりと起き上がり


 「・・・なんで・・・服着てないの?わたし・・・うっ・・・!」


 ズキッと腰に鈍痛が走り、思わず呻き、同時にズキンズキン痛む頭に、こめかみを押さえた。


 一体、何が・・・


 「う・・・ん」


 傍らで声が聞こえ、目を向け。

 息が止まりそうな衝撃が走る。


 え?

 え・・・?

 ええええ??


 隣には。

 鍛えられた上半身を晒した男。

 カリストがこちらを向いて、寝息をたてていた。


 はらり、と滑り落ちるシーツの下、何も身に付けていない自分。

 見渡すと・・・床には自分が着ていた服と、カリストの鎧やアウターらしき衣服が散らばっている。


 な、な、な、な・・・っ!


 ビビは文字通り真っ青になる。

 どうやらカリストと、一夜を共にし、いたしたらしいことはもちろんのこと、それよりも。


 「・・・ちょっと待って、」


 昨夜、ジェマたちと飲んでいたら、何故かイヴァーノ総長とカリストとデリックが乱入してきて。隙を見て逃げ出したらカリストに拉致されて。そのままカリストに強制的に酒場へ連れていかれて、それから・・・


 どくん、と胸が高鳴る。


 "お前が・・・欲しい"


 バタン、と扉を乱暴に開け、閉めると同時にカリストに壁へ押しつけられ・・・

 互いの身体に腕をまわし、貪るように唇を重ねあっていた。

 カリストの鎧が、重い音をたてて床に落ち・・・


 「・・・っつ!」


 もつれるようにベットに倒れこみ、熱に浮かされたように本能の赴くまま、身体を重ねたのだ。

 それはまるで、嵐のような激しさだった。


 カアッとビビの顔に血がのぼる。

 よろよろしながら、なるべく音をたてないようにベットから滑り降りる。


 「・・・っ、痛っ・・・」


 下半身に力が入らずぺたり、と床に座り込む。

 震える手で衣類をかき集め、痛みを堪えて身につける。


 とにかく、ここから逃げなきゃ・・・


 ドアのノブに手をかけ、振り返ると。

 朝日に晒された、カリストの白い肌と、投げ出された腕。

 あの腕に・・・昨夜抱かれたんだ。

 ぶるっと身を震わせ、ビビは部屋を後にした。


 *


 こんなに一人の女に執着したことは、未だかつてなかった。


 例え、その女が他の男の手を取ったとしても、"欲しい"という気持ちは微動だにしなかった。

 男と別れて、その目が自分を映すようになって・・・気持ちは益々膨れ上がり、抑え込むのに精いっぱいで。

 でも、女は頑なに心を閉ざし。来年の春には国を出る、という。


 ああ駄目だ、限界だ。止まらない。

 欲しい、この女の心が、・・・すべてが

 だから。



 "痛い・・・っ"


 違和感を感じながらも・・・止められなかった。欲しくて触れたくて渇望していた、その身体を前に正気を忘れ溺れてしまった。


 "お願い・・・もっと、ゆっくり"


 性急に乱暴に求められた痛みで、最初は呻くだけだった声が、慣れていくたびに甘い喘ぎ声へ変わっていく。

 何度も抱きしめ熱を分かち合い、重なり合う。吐息すら溶け込んでひとつになっていく感覚に酔いしれた。

 耳元で小さな声をあげ、自分にしがみついていた力が抜ける。しなやかな身体がゆっくりとシーツに沈みこむのを抱きとめた。見事に波打つ赤い髪が、シーツに広がる。一房指に絡めて唇を寄せると、鼻腔をくすぐる、甘い香り。


 その頬に残る涙を指でぬぐい、耳元で囁くと・・・

 ゆっくり開いた瞳が、熱に浮かれたような表情の自分を映していた。

 深い・・・苔むした森のような緑の色。

 光が弾くと、金色になるその瞳が印象的な女。


 "ーーーー"


「・・・ビビ・・・?」


 カリストは目を覚ます。

 起き上がり、ベットに自分一人であることに戸惑う。

 たとえ酔っていたとしても・・・人の気配には数倍敏感であると自負していたから。傍らで寝るビビの僅かな動きにも、反応する自信はあった。

 目覚めたらちゃんと目を見て、話をするつもりだった。

 酔った勢いで抱いたわけではない、と。


 それなのに。


 すでに温もりの残らぬ、しわくちゃになったシーツへ目を落とし、ギョッとする。

 一気に覚醒した。


 "カリストにビビのハジメテを奪われるくらいなら・・・"



 *


 「・・・ああ、しんど・・・」

 

 ビビは薬草の入った籠を地面に落とし、木の根元に座り込む。

 腰が痛い。だるい。あらぬところが疼いて、立ち続ける体勢が辛い。

 朝帰りしたビビに、ベティーは呆れたように"若いわねぇー"と笑い、特に深入りしてこなかったのが有り難かった。

 そのまま部屋で湯を使って身を清め・・・、ベティーの手伝いをしようと階下へ降りたが、顔色のすぐれないビビに、今日はゆっくりするよう、休みをくれたのだった。


 「・・・情けない。なにやってんの、わたしって」

 はぁっ、とため息をつき、籠を抱えたままうずくまる。

 酔った勢いとか、記憶がないとか・・・いや甦ったら甦ってで、のたうちまわる現状なのだが・・・十代の子供じゃあるまいし・・・いや、子供だったよ今の自分(涙)

 浮かんでは自身に突っ込みを入れながら、一度底辺まで落ち込んだテンションは、なかなか浮上しない。

 あの、カリストと一夜を共にした、ということよりも。お互い酔った勢いに飲まれてしまっていたこと。

 どうやら自分は経験がない清らかな身体だったらしく。無自覚に捧げてしまったという事実。

 そして・・・

 

 「勝手に帰ってきちゃったし」

 ビビは泣きそうになる。


 "お前が欲しい"


 真摯に見つめてくるあの青い瞳を思い出しただけで、心臓がぎゅっとなって、身体の奥底が疼く。

 気づきたくなかった自分の、女としての部分に向き合い、生々しく触れて・・・どんな顔をしてカリストと顔を合わせていいのか、わからない。


 「だいたい!初心者相手に、何回やるんだつうの!体力ありすぎでしょう、どんだけ絶倫なんだ!ばかっ」

 うう、と居ない相手に向かって悪態をつき、痛む腰を押さえながらビビはうめき声をあげる。


 でも、嫌じゃなかった。

 初めての痛みも、息がつまるほど強く抱きしめられた腕も。何度も重ねた肌の熱さも。

 おかしい。

 もっと欲しい、もっと抱きしめて、キスをして、と腕を伸ばし脚をカリストの身体に絡め・・・


 うわ・・・無理っ。


 思考を一旦停止させ立ち上がると、痛みに効く薬草を求めて薬師の森に入って行くビビ。

 森の中央にそびえ立つ聖樹。最果ての島にそびえる"世界樹"の種から数百年かけて育った、ともいわれている。

 この箱庭で目覚めた時に見た世界樹の巨大さには及ばないが、他の樹木とは明らかに違う、大きくてどこか神聖で神々しい佇まいは、確かに世界樹と同じ生命の流れを感じる。

 ビビはふらつきながらも聖樹の前に立ち、幹にそっと手をあてて目を閉じた。


 とくん・・・とくん・・・

 

 幹の中で刻まれる、生命の息遣いの音。

 ふう、と息を吐き、そのまま幹に手を伸ばし抱きしめるようにする。

 ここに来ると、身体の中でくすぶっていたものが、徐々に薄れていく気がする。神獣ユグドラシルの心地よいオーラを感じる。


 この前は・・・

 

 ビビはこつり、と額を幹につける。

 フジヤーノ嬢と対峙した、あの路地裏で。

 責められた言葉に、心が砕けそうになった時、確かに胸元の魔石から感じた神獣ユグドラシルの聖なるオーラ。

 

 「護ってくれて、ありがとう・・・」

 呟くビビの身体を、柔らかな風が包み込んだ。


 *


 幹にもたれて目を閉じ、過ぎることしばし。


 「・・・おい」


 突然声をかけられて、ビビははっと目を開けた。顔をあげると、自分を見下ろしている青い瞳と目と視線があう。

 ひゅっ、と喉が鳴り、ビビの呼吸が止まる。

 

 「・・・ちゃんと生きているようだな」

 ホッとした表情を浮かべる、カリスト。

 ビビは反射的に逃げようとしたが、それより早く伸びた両腕に阻止された。

 「・・・っ、」

 「逃げるな」

 カリストの冷ややかな声が響く。

 

 「・・・おはようございます。サルティーヌ様」

 直視するのが怖くて、かろうじてそれだけを伝え、ビビは顔を背けた。

 ビビの身体が小さく震えているのに、カリストは目を細める。

 腕を掴んだ手を離し、ゆっくりと豊かに波打つ髪にそっと触れた。

 「・・・サルティーヌ・・・様?」

 ひと房指に絡め、口元へ運ぶ。視線はビビに向けたまま、そっとその髪に口づけを落とした。・・・昨夜のように。


 びくっ、とビビの肩が戸惑いに跳ねる。

 「・・・やめ・・・て、ください」

 真っ赤になって、泣きそうな表情でビビは口を覆う。

 ふいにカリストの青い目が、心配そうに、いたわるように細められた。

 「・・・身体、大丈夫か?」

 「・・・っつ、」

 ビビはぎゅっと目を閉じた。


 「サルティーヌ様が、心配されることは、なにもありませんから・・・!」

 自分に向けられた、やさしいまなざしに心臓が爆発しそう。

 ぱっ、と髪を愛撫する手を払いのけ、ビビは顔を背けた。

 そのまま背を向けて、寄りかかった木の幹と向き合い、身体を己の腕で抱きしめる。それが全身で自分を拒否しているようで。

 カリストは軽く舌打ちをして。でも、逃がすまいとビビを挟んで両手を幹にしっかりつけてホールドする。


 「ビビ」

 

 カリストの静かな声が響く。

 「こっち向・・・」

 「嫌です!」

 ビビは叫ぶ。

 「お願いですから・・・っ、放っておいて・・・」

 「いい加減にしろ!そんな青い顔をして!」

 ぐっ、と強めに腕を引かれ、身体の向きを変えられると、そのまま幹に押しつけられる。

 「う・・・っ、」

 下半身に鈍痛が走り、膝が折れそうになるのを堪えて、それでもビビは顔を背けた。

 はらり、とフードが落ち、赤い髪が波打って首筋から背中に流れる。

 昨夜は・・・それが美しいな、と思った。


 「・・・」


 ・・・そこまで、俺を拒絶するのか。昨夜の事を否定するのか。


 ズキッと胸の奥に痛みがはしる。それをあえて押し殺し、目線は何かを堪えているように、固く噛み締められた赤い唇へ。

 昨夜、重ねたそれは・・・弾力があって果実のように甘かったことを思い出す。ほっそりとした首筋とフードから覗く、綺麗な鎖骨のラインに目をやり・・・。

 ごくり、と息を飲む。

 昨夜の行為が甦り、反応しそうになる欲求を理性で押さえた。ふう、と息を落とす。


 「・・・すまなかった」

 

 ポツリ、とカリストは呟く。

 ぎゅ、とビビは上着を掴む指先に力をこめる。まるで昨晩の行為は過ちだったと後悔しているような声色に、走る胸の痛み。

 わかっている、あれはお互い酔った勢いで、そこには特別な感情はない。なのに・・・何故自分はこんなに傷ついているのだろう。


 「問題ないと・・・申上げています。それとも、サルティーヌ様は初めての女性を抱いた時には、毎回謝られるんですか?」

 強がりをいいながら、ビビの身体は震えている。その小さな肩を見つめ、ため息が漏れ、カリストを更なる罪悪感が襲う。


 初めての女、なんて抱いたことなどない。昨夜は酔いと欲望に負けて・・・乱暴に抱いてしまったことを後悔しながらも、口に出せずにいた。

 どうしたら、伝えられるのだろう。謝るべきでは、なかったのだろうか?


 「・・・いや」

 「なら、良いです。わたしも・・・忘れますから」

 「おい、ちょっと待て」


 忘れる?


 カリストははっとして、ビビの腕をつかむ。


 「忘れるって、お前」

 「忘れます!その方が、お互いに・・・」

 「・・・俺に抱かれたことが不本意なのはわかる。・・・でももし孕んでいたら、どうすんの」

 言われて、ビビは目を見開く。

 「・・・え?」

 「・・・悪いけど。俺は本気でお前を抱いたから」

 

 あれだけ熱を分かち合ったのに。ビビも自分を求めて絡みつき、背中に爪をたてたのに。それを一夜の過ちとしてなかったことにしろと?

 自然に口調が強くなるのを押さえられなかった。


 「・・・・・・あ」

 「・・・だから万が一子供できた場合、忘れるとか、関係ないって言ってられないの、わかるよな?」

 「・・・」

 「あ、言っておくけど。勝手に色々決めたら・・・許さないから。俺はそこまで無神経でいい加減な男じゃないからね」

 その言葉の意味を感じとり、ビビはごくり、と喉を鳴らした。


 カリストは無表情でビビを見つめていたが、ふいに動いてビビの両脇と両膝に腕を通して、ひょいと籠ごと抱き上げた。

 「・・・きゃ!」

 暴れるビビをしっかり抱え、すたすた歩き出す。

 「ち、ちょっと!サルティーヌ様!」

 「だいたい、体調悪くて休みをもらっておいて、なに青い顔して森に入ってるの。なんかあったらどうすんだ、お前」

 ベティーが心配していたぞ、とカリストに言われ、ビビは抵抗をやめる。

 「・・・」


 そうなのだ、この女は・・・

 カリストは内心、激しく舌打ちをする。

 あれだけ人に囲まれているのに、頑なに頼ろうとしない。他人に与えるだけ与えて・・・でも自分は何も受け入れず、常に一線を引いて強がっている。本当はこんなに弱いくせに・・・それが、どうしようもなく腹立たしい。


 「キツかったら、目を閉じてろ」

 カリストの声にはやや苛立ちが。

 「・・・すみ・・・ません」

 後悔と罪悪感で押し潰されそうになりながら、ビビは腕の中でちいさくなる。

 「・・・謝らなくていい。俺にも・・・責任があるから」

 だから、泣くな。と幾分声を和らげ、カリストは抱える腕に力をこめた。


※※※※※

そして無言の土下座

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