第138話 夜に溺れる

 デリックとジェマの暴走がおさまり。

 お酒が入ってさらにテンションがあがったあたりで、ビビは漸く解放・・・というか、隙をみて逃げ出した。

 お会計が気になったが、まぁ仮にも騎士団総長のイヴァーノがいるから大丈夫だろう、と自分を納得させる。

 とにかく、あれ以上あの場に留まり、話のネタにされるのは避けたかったし、なんといっても隣で淡々とグラスをあおるカリストが怖い。

 極力視線を合わさないよう注意はしていたが・・・胃がキリキリする緊張感だった。

 

 「なんで、あんな緊張して飲まなきゃいけないんだ」

 緊張しすぎて、途中からお酒の分量がわからなくなっていた。イヴァーノは、俺の酒が飲めないのか!的なノリと脅しでじゃんじゃん注いでくるし・・・涙 もうやだ、あんな飲み会二度と行かない。

 店を出たとたん急に酔いが回ってきたのか、足元がおぼつかない。

 ふらふらしながら、夜の賑やかなイレーネ市場を過ぎて、酔いをさますために波止場まで足を運ぶ。このまま帰ったら、きっとベティーに心配かけるだろう。少し時間を置かなきゃ・・・しかし。

 

 「・・・飲み過ぎた」

 

 両頬に手をあて、ふぅ、とため息をつく。

 少しひんやりした夜の空気が、火照った顔に心地よい。


 「おい」


 いきなりかけられた声に、文字通り飛び上がる。


 「・・・ぎゃっ!」


 飛び上がった拍子に、足元がよろめき傾く身体。それを後ろから伸びた腕が支えた。そのまま引き上げられるように、抱き止められる。

 「・・・っ、あぶね」

 耳元で聞こえる声に、ぞわりとした。

 「気をつけろ、酔っぱらい」

 

 声の主・・・カリストがため息まじりに言った。

 かあっ、と顔が赤くなるのがわかる。夜で良かったことに感謝するビビ。

 

 「・・・いきなり声、かけるから・・・でしょうが」

 目を反らし、ビビはもがく。

 「なにそれ、お礼くらい言ったら?」

 「・・・アリガトウゴザイマシタ」

 「全然感謝してないよね、それ」

 ぷっ、と耳元で可笑しげに言う声が・・・耳に毒、というか、ぞわぞわして身震いする。

 そして抱く力は緩まったが、カリストの腕はビビを抱いたまま。

 

 「あの・・・」

 「なに?」

 「もう離していただいて・・・結構なんですが」

 頼むから、離してくれ!と心の中で叫び、ビビはもう一度拒絶の意味を込めて、身動ぎをする。駄目だ、頭がくらくらする。酔いのせいか、抱き止められているシチュエーションなのか。


 「・・・つきあって」

 

 カリストの声に耳を疑う。

 「・・・は?」

 「飲み足りないから」

 言い放ち、カリストはビビの腕を掴んだまま歩き出す。

 え、え、ちょっと・・・と慌てるビビ。

 「サルティーヌ様!」

 「なに?」

 「飲み足りないなら、皆さんのところに戻ればいいじゃないですか!」

 「デリックは帰ったし、ジェマが崩れ出して手がつけられないし。イヴァーノ総長がお前のこと、心配していたから」

 背を向けたまま淡々と答えるカリストに、ビビは更に慌てる。

 

 「大丈夫ですから、わたし、ちょっと休めば・・・」

 ピタリ、とカリストは足を止めた。いきなり止まられて、勢いあまって背中にぶつかるビビ。わふっ、と声をあげ、掴まれていない方の手で鼻を押さえた。

 「もう、なんですか!急に止まら・・・」

 

 「あのさ」

 カリストは振り返る。

 「こんな夜更けに、おぼつかない足取りの酔っ払った女、そこらの男が放っておくと思う?」

 「・・・え?」

 ビビは目を見開く。

 「お前、何度も襲われかけていた。見ていられない」

 ビビを見返すカリストの目は冷ややかで。そこでビビは初めて、自分が何度か襲われかけていたのを、カリストが未然に防いでくれていたらしいことに気づく。

 「これ以上迷惑かけたくないなら、つきあって」

 「・・・あ」

 呆然とするビビに、カリストはため息をつき、再び歩き出す。ビビは黙って手を引かれるままその後に続いた。


 *


 本当にわからない、とビビは思う。

 この、カリスト・サルティーヌ、という人物は。


 いつも不機嫌そうな顔をして、人を寄せ付けない雰囲気だけど、ある日いきなり廃墟の森のダンジョン探索に誘われたことを、思い出す。

 てっきりダンジョンでは放置されるものだと思っていたのに、実は非常に面倒見の良い人なことを知った。相変わらず方向音痴爆発な自分を、文句言いながらもちゃんと誘導してくれる。ふいにつかまれた手が、自分と比べてびっくりするほど大きくて。触れた体温は温かくてドキッとした。


 何度も口論して、ぶつかって。

 冷たい物言いをするけど、その内面に労るような優しさを感じはじめたのは、いつだろうか。

 自分を見つめるまなざしに、追いつめるような激しさを感じはじめたのは、いつだろうか。


 駄目だ、と本能が警告する。


 この人に近づいてはいけない・・・って。

 何度も離れようとして、都度自分に言い分けして、結局は離れきれなくて。

 こうやってわけわからない自分の感情に、いつも振り回されている。


 *


 ほどなく歩いて到着した酒場。

 ベティーの店ほど広くはないが、二階は同じように宿になっているらしい。

 こじんまりとはしていたが、窓は大きく・・・ガドル川が見える。

 カリストは、ビビが水場好きなのを知っているのか、奥の一番川が見える席を指定した。

 

 「・・・座ったら?」

 窓に張り付いて、壮大に流れる水面を見て、目を輝かせているビビに声をかけるカリスト。

 自分はレッドビーツの火酒を、ビビにはビーツ果実のジュースを頼む。

 「よく来られるんですか?」

 席に座り、ビビは尋ねる。

 一人でゆっくり飲みたい時は、とカリストは答える。

 「オーナーが叔父なんだよね」

 テーブルの横に剣を立て掛けながら、何故かため息をつく。

 

 「普通の酒場は、商売女がうるさくて落ち着いて飲めない」

 「はぁ・・・」

 「隙あらば部屋に連れ込まれ兼ねないし、一服盛られたことも多々あるから。最近じゃ、頭のおかしい女につきまとわれるし」

 顔が良すぎるのも・・・色々あって大変なんだなぁ・・・

 「ほんと、女って嫌いだ」

 いや、わたしも一応女、ですが?と思ったが、口に出すのは憚れる。なので、素直に頭をさげた。

 

 「すみませんでした。ご迷惑おかけしました」

 「・・・」

 カリストは肘をついて指先を組み、じっとビビを見つめている。

 「あの・・・?」

 「いや、後から乱入したのは俺達だし。お前、結構総長に飲まされただろ。止めてやれなくて悪かった」

 あんなふうに楽しそうに酒を飲む総長は、久しぶりだったから止めるの忍びなくて、とカリストは苦笑する。

 ビビは目をぱちくりさせた。

 

 「なに?」

 「いえ、そういえばサルティーヌ様とイヴァーノ総長の関係をお聞きしたのを、今更思い出して・・・」

 ビビの言葉に、カリストは憮然となる。

 「あのな」

 「大丈夫ですわたし、そういう偏見はありませんし」

 「偏見ってなんだよ。やめてくれ、俺はノーマルだ」

はーっ、とカリストはため息をつく。

 「いちいち理由づけするのが面倒くさいから、否定していないだけだ」

 「・・・総長なら、逆にそれを面白がっていそうですよね」

 確かに、とカリストはため息をつく。

 「前に悪ノリされてな、群がる女どもの前で無理やりキスされそうになって・・・」

 「えええ??」

 やっぱり、そっちも大丈夫なのか??と声が裏返るビビの額を、ぺちんとカリストの指先が弾く。

 「するか、バカ」

 「あら、残念・・・」

 「残念って・・・おい、お前俺をなんだと思っているわけ?」

 「おんなひゃくにんぎり、の・・・サルティーヌ様」

 「いいよ、もう」


 丁度、飲み物が来たので、一旦会話は途切れる。


 軽くグラスを重ねて、黙々と飲むカリスト。

 あれだけ飲んでいたのに、全く酔った感じはない。

 一方ビビはまだ酔いが醒めきらず、数口飲んでぼうっとしながらジュースの入ったグラスを眺めていた。

 

 不思議な時間が流れていく。

 会話はないのに、決して居心地が悪いわけではなく。沈黙を共有している、と言うのだろうか。

 ふと、視線をあげると、片ひじついて窓の景色を眺めるカリストの整った横顔。

 やっぱり、綺麗だな、と思う。

 なんで、こんな綺麗な人が自分に関わるのだろう?

 ふと数日前、強引にキスをされたことを思いだし、ビビは顔に熱が集まるのを感じた。

 視線に気づいて、カリストはビビに目を向ける。


 「・・・なに?」

 「い、いえ・・・」

 しどろもどろになりながら、慌ててビビは目を反らす。

 やっぱり、変だ。

 この人が・・・母親のオリエ、ならともかく。母親の外見をなにひとつ譲り受けていない自分に好意を持つ、なんて。


 「サルティーヌ様は・・・」

 

 ビビは組んだ手元に視線を落とす。

 「周囲に、綺麗な女性がたくさんいて・・・そこに毛色の違う娘が紛れ込んできたから、目に留まっただけなんです」

 カリストはビビを見返す。

 「なんの、話?」

 探るような視線に、ビビは赤くなる。

 「や・・・その、サルティーヌ様がわたしに構う理由を、わたしなりに考えてみたんですけど・・・」

 気持ちを落ち着かせるために、ジュースを一口。

 

 「フルコースばっかり食べなれると、たまにゲテモノが食べてみたくなるでしょう?だから、きっと・・・一時の気の迷い、みたいな」

 ゲテモノかよ、自分・・・。言っていてむなしくなってきた。


 カリストは黙って火酒を飲んでいたが、はーっ、と深いため息をひとつ。


 「お前が、自分のこと卑下するのは勝手だけど」

 タン、とグラスをやや乱暴にテーブルに置く。

 「俺のお前に対するあれこれを、勝手に決めつけられる筋合いはないんだけど?」

 冷ややかに言われ、気分を害したのかと、ビビはギクリとする。

 「悪いけど。それは譲れないから」

 「サルティーヌ様、でも」

 「・・・少し黙れ」

 カリストは額を手で押さえ、前髪をくしゃりとかきあげた。

 「ほんと、可愛げのない女」

 吐き捨てるように、言い放つ。


 「自己評価は限りなく低いし、人の感情には敏感なくせに、自分に向けられた好意にはムカつくくらい鈍感で。強がりばかり言って、素直じゃない。泣くほど辛いなら頼ればいいのに、意地張って逃げ回る。捕まえたと思ったらすり抜けて・・・本当になんなんだよ」

 はぁっ、と再度ため息をつくカリスト。

 それは・・・多分、自分のことを言われているんだろうな、とビビは思う。

 でも、珍しい。こんなに感情を出す人ではないはずなのに。彼もまた、酔っているのだろうか?


 「・・・サルティーヌ・・・様、あの・・・」

 「・・・わからないなら、教えてやるよ」

 カリストは目線をビビに戻す。


 「俺は、お前のことをなにも知らない」


 伸びた手がビビの手のひらを握りこむ。

 「だから・・・」

 真っ直ぐ自分を見つめる、綺麗な、青い目。


 「お前の事を・・・知りたい」


 握ったビビの両手の甲を口元に運び、指先に口づける。まるで、請うように。

 触れた薄い唇は冷たかった。


 「サルティーヌ・・・様」


 やめて、と言わなきゃいけないのに、震える唇は音を発しない。

 駄目だ、と手を振り払わなければいけないのに、そっと握られた手に力が入らない。


 「お前は?」


 カリストはビビを見つめる。


 「知りたくない?・・・俺のこと」


 どくん

 心臓がはねあがる。


 手のひらを包む、手が熱い。頭がくらくらするのは、熱に・・・あてられたのだろうか。



 「・・・っ、」

 「もっと、お前に触れたい」

 カリストは指先に力をこめる。


 「触れて・・・」


 「キスして」


 まっすぐに届く声に、一瞬息が止まる。


 「お前が・・・欲しい」


 見つめあうこと、暫し。

 口の中がからからに乾いて、言葉を発しようにも喉がひくついて声にならない。

 青い目にとらわれて、何かが身体をじんわりと浸透していく感覚。

 甘い疼き。その視線に犯されているような・・・快感に似たもの


 だから、


 「酔って・・・いるんです・・・よね、お互い」


 それでも視線をまっすぐにカリストに向け、ビビは眉をさげ、笑みを漏らす。

 その視線にカリストは、ふ、と表情を緩めた。


 「・・・そうだな」


 言って、立ち上がる。片手で剣をとり、そのままビビの手を引いた。ふらつきながら、カリストに引かれるまま席を立つ。

 足元がふわふわして、まるで雲の上を歩いているみたいだった。


 酔っているんだ。でなきゃ、ありえない。


 ・・・このまま流されてもいい、なんて。


※※※※※

ちなみに、崩れたジェマはイヴァーノに担がれて、家に届けられた模様。

以前闘技場で捕獲されて担がれたビビを、羨ましがっていたジェマ(笑)酔っぱげて多分記憶ないでしょう。残念~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る