第131話 心が満たされる②

 夢、を見ていた。


 月の光が明るく差し込む室内で。

 その女性は椅子に座り、灯りもつけずに視線を窓の外へ向けていた。


 少しウェーブがかかった綺麗な金髪が月の光を浴びて、ふんわりとやわらかな光を放っている。

 白い横顔は悲し気で。膝の上に置かれた古びた銃を、そっと指でなぞりながらため息をつく。


 「いつまでそうしているつもり?」

 部屋に入ってきた男は、テーブルに食事が乗ったトレイを置きながら、尋ねる。

 男の感情のない声色に、女性の肩がわずかに反応を返す。


 「子供たちが心配するから、食事くらい一緒にとってやって。今日はイゾルデの誕生日だったの、忘れていたでしょ」


 「・・・あ、」

 女性は顔をあげ、男を見上げる。その泣きそうな顔を見て、男は一瞬戸惑った表情をうかべ、ため息をついた。

 「君は、母親なんだよ。あの子たちの・・・」

 「そんなの、わかって、」

 「無理に俺の妻である必要はない。でも・・・あの子たちの母親はやめないでくれ」

 「・・・っ、」

 突き放したような冷たい男の声色に、女性は立ち上がる。

 立ち上がった瞬間に、膝に乗せられた銃が重い音をたてて床に落ちた。

 部屋を出て行こうとする男の背中に縋りつく。


 「行かないで・・・!」

 女性は身体を震わせ、声を絞り出す。

 「赦して、なんていう資格もないことは、わかっているの。でも、でも信じてほしい。わたしは・・・」

 背中に感じるその体温に、男は天を振り仰ぐようにして目を閉じる。

 口元を強く引き締め、握る両手は何かに堪えているように震えていた。


 男は、思う。

 

 いつからだったのだろう。

 二人の歯車がかみ合わなくなったのは・・・?


 いつからだったのだろう。

 一緒にいるのが、これほど苦痛になってしまったのは・・・?


 結婚して数年、長女を出産した後に彼女は長年勤めたヴェスタ農業管理会を辞めて、武術の道へ進みたいと相談してきた。たまたまダンジョンで一緒になった、カイザルック魔術師団の師団長である、リュディガー・ブラウンに魔銃士の素質を見出され、誘われたのだと。

 半信半疑でジュノー神殿で属性魔力診断を受けさせたところ、かなり強い魔力持ちであることがわかり・・・当時三代目龍騎士として名をはせていた師団長の後押しもあり、彼女が魔銃士の道へ進むことに反対はしなかった。


 ・・・それが、夫婦そして家族が引き裂かれるきっかけになることになるなんて、想像もしていなかったから。


 やさしい女、だった。

 いつも笑顔を絶やさず、緑が好きで、生きているものが好きで。

 そのたおやかな白い手が、魔銃をとり、日々戦い、いつしか自分にすら背を向けるようになった。

 そして、彼女が武人の頂点である四代目龍騎士になった極夜の王立闘技場で。


 そう、あの時。


 迎えに来た、と人目はばからず妻を抱きしめた【黒い鳥】

 会いたかった、と抱きしめ返して泣いていた妻の横顔。

 そして告げられる、残酷な真実。


 繋がっていた細い糸が切れ、自分たちの間にできてしまった溝は、もう修復不可能であることを自覚したのだ。

 

 それでも。


 「ーーーー」

 男は女性の名を呼び、振り返ると。涙に濡れた女性の白い頬をそっと両手で包み込んだ。

 部屋に射し込む月の光に、女性の顔が露わになる。

 壮年にさしかかってはいたが、綺麗な顔立ちをしていた。その澄んだアクアマリンを思わせる瞳には、涙があふれ零れ落ちる。


 (・・・え?)


 「いいんだ。何も言わなくて。わかっているから」

 絞り出すようなその声は震えていて。苦しげに首を振り小さく息を落とした。

 白髪の混じった男の黒髪が暗闇に溶ける。何度も何度も彼女の横髪を指先ですきながら、男はこつ、と額を重ね合わせる。

 「愛しているよ」

 囁くように告げる告白の言葉に、女性の瞳は大きく見開かれた。

 「・・・カリスト、君・・・」


 (・・・え??)


 「俺は俺のやり方で、子供を護る。あの子は俺たちが愛し合った証だから」

 だから、と男は女性を抱きしめる。

 「君はここにいて。俺の傍から、居なくならないでくれ」

 「・・・っく、」

 男の背中をかき抱き、女性はすすり泣く。

 「あなたを、愛しているわ・・・」

 うん、と男は金の髪をやさしく撫でながら頷く。

 「俺も、愛しているよ、・・・オリエ」


 (オリエ・・・?)


 (オリエって・・・誰だ?)


 **


 「・・・・」


 ぼんやりと、意識が浮上してくる。

 遠くで聞こえる生活音。


 また・・・夢、か。

 最近よく見る夢。


 ふと、人の気配がして、シャッ、とカーテンが引かれ、窓が開けられる音がした。

 朝陽の眩しさに思わず顔をしかめると、クスリ、と笑う声。


 「おはようございます。そろそろ、起きませんか?」


 聞きなれた少し低めの、澄んだ声が耳に心地よい。

 カリストは目をあけ、声のするほうへ視線を動かす。

 ふわり、と窓から吹き込む風に、やさしい花の香を運んでくる。


 やわらかく揺れる赤い髪が視界に入り、一瞬まだ夢を見ているのかと思った。


 髪の色は違えど・・・夢の中の、月の光を浴びた儚げな女の面影が、朝日を浴びて眩し気に目を細める、見知った横顔と重なる。


 「・・・ビビ?」


 声がかすれてうまく出ない。

 ビビは振り返り、カリストと目が合うとふわり、と笑った。

 「酒焼けですね」

 言って、テーブルに置かれた水差しから、グラスに水を注ぎ、起き上がったカリストに手渡す。

 受け取って口に含むと、冷たい水が喉を潤していく。一気に飲みほし息をはいた。

 「うま・・・」

 思わず口にすると、ビビはクスクスと声をあげて笑う。

 「ついでに服も着ちゃってください。あ、ちゃんと洗濯していますから」

 綺麗に畳まれたインナー一式を受け取り、そこで自分が一糸まとわぬ裸であることに気づく。ビビは背を向けたまま、床に並べられた鎧をテーブルに置いている。

 

 「聞きたいんだけど・・・」

 インナーに袖を通しながら、カリストはビビの背に声をかける。

 「俺、昨日の記憶ないんだけど?ここ、ベティーの店の二階?俺、昨日ここに泊まった?」

 「そうですよ?ずいぶんお酒入っていて、自宅に一人置き去りにするのは危険だからって」

 振り返り、ビビは苦笑する。

 「そっか・・・迷惑かけた。ありがとう」

 

 確かに泥酔状態で自宅に戻って、万が一あの女に押しかけられたら、躱せる自信は正直ない。多分、デリックやオーガストが気をまわしてくれたのだろう。それに心から感謝する。

 とはいえ、記憶をなくすほど深酒をしたワリには、身体も頭もスッキリしているのに驚く。ビビに視線を向けると、ビビはニコッと笑った。


 「お疲れのようでしたから、少しおまじないしておきました。気分は、どうですか?」

 「・・・ここんところの疲れが嘘のように、身体も軽いし、気分がいい」

 立ち上がり、鎧を身に着けながら、カリストは感心したようにうなずいた。

 「おなじないって?何したの?」

 「え~秘密です。サルティーヌ様にはお世話になっていますから、特別です。おまじないスペシャル」

 なにそれ、と笑うと、ビビもまた笑って鎧のパーツを手渡してくれた。

 穏やかな時間が流れるのを感じ、カリストは息をはく。つくづく、ここ最近は精神的にキツかったのだと自覚する。ビビが傍にいて、笑っているだけで、何故こんなに癒され、気持ちが楽になるのだろうか。

 最後の鎧のパーツを受け取り、剣を腰にさげると、カリストはビビに向き直る。


 「あのさ」

 ビビは顔をあげて首をかしげる。

 「はい?」

 「抱きしめたい」

 カリストの言葉に、ビビは目を瞬く。カリストは気まずげに、嫌ならいいけど、と、ふいと目を逸らす。

 「疲れている時、お前ハグすると楽になる・・・し」

 「・・・おまじない、足りませんでした?」

 「足りてる。でも、もう少し補充したいんだけど、駄目?」

 ビビは眉をさげる。そっと腕を伸ばし、カリストの背中にまわして身を寄せた。

 「・・・っ、」

 「無理しないでください。すごく・・・疲れているみたいでした。おまじないなら、いつでもして差し上げますから」

 カリストは息をはき、ふわり、とビビを抱きしめる。


 ビビは誰にでも優しい。困っている人を放っておけない人間だ。

 多分・・・フジヤーノ嬢とのゴタゴタを、デリック達から聞いたのだろう。

 でなければ、決して彼女に対し、愛想が良いとはいえない自分に、こんな優しい柔らかな対応をするわけがない。

 それでも・・・今はその優しさに縋りたい自分。ああ、弱っているなぁ、と思う。


 「そういう事言うと・・・マジで頼むよ?俺」

 「珍しく弱気ですね」

 くすっ、と腕の中でビビは笑う。

 その穏やかな声に、胸がぎゅっとなって、カリストはビビの頭に顎を乗せたままため息をついた。

 「そうだな・・・俺らしくない」


 ああ、でも落ち着く。

 心が・・・満たされる。

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