第125話 触れる唇
それから暫くして。
ミラー家に嫁が迎えられたと、風の噂で聞いた。
同じ山岳兵団の娘だとリュディガー師団長は言っていた。
山岳兵団は一族の存続が絶対で。何よりも絆を重視する。
所詮・・・旅人で、いつかは国を離れなければならない自分は、合い交わってはいけない世界なんだ。
そう、思った。納得して選択した、と思っていたけれど。
「人生は・・・ままならぬもの」
ジュノー神殿を見下ろせる丘の上に腰をおろし、ビビはつぶやく。
フィオンと別れた、という現実は・・・やはり思った以上に堪えたようで。
ぽっかり空いた心の穴を埋めるように、レッドビーツの火酒をちびりちびりあおる。
空きっ腹に染み入るアルコールの強さを感じて、逆にホッとする。
ここ数日、息をしているだけの生活だったから。
何を食べても味はしないし、寒さも感じないし、音は耳に届かないし。
辛うじて会話は成立できたことが救いだった。
とはいえ、周囲は事情を察してくれて、特に口出しすることはせず見守ってくれている。それがありがたかった。
フィオンと別れた後は。
近々迎えられるであろうお嫁さんを煩わせたくなくて、ビビはミラー家の出入りをやめることにした。
フィオンから報告を受けたのだろう。兵団最高顧問のオスカーとアナクレトが間に入って引き継いでくれたので、真空装置の開発は、つつがなく進んでいる。
数日後には試作品があがるはずだ。納品すればあとは山岳兵団の職人管轄になり、ビビの手から離れる。
ヴァルカン山岳兵団管轄のダンジョンの転移ゲートの設置も、オスカーやカルメンの協力をもとに先日終了した。
・・・山岳兵団に出入りする必要も理由も、なくなった。ミラー家の土地に設置されていた、ビビ専用の転移の魔法陣は取り払われた、との報告も受けた。
何か結婚祝いに贈ろうかな・・・なにがいいかな?今の自分でできること・・・なんてぼんやり考えていると。
ふいに手元が陰る。
顔をあげると、無表情に自分を見下ろす、カリストの青い目と合った。
いつの間に来たのだろう?気配を全然感じなかった。というか・・・危機関知すら麻痺しているのだろう。今のビビなら、子供ですら一本取れそうだ。
「・・・こんにちは」
「・・・」
挨拶を返すことなく、黙ってビビの横に腰をおろすカリスト。
そういえば、面と向かって顔を合わせるのは、久しぶりな気がする。
女神テーレの御子コンテストの出来事以来か。
「昼間っから飲んだくれて、なかなか良い身分だな」
「・・・サルティーヌ様こそ、お仕事サボリですか?第三騎士団副隊長の名が泣きますよ」
久々なのに、相変わらず突っかかってくる口調に笑ってしまう。口元がひくついて、ちゃんと普通に笑えているんだろうか?
「・・・辛気臭い顔してるな」
「邪魔するなら、あっち行ってください」
ぷいっ、と顔を背けると、カリストの手が伸び、ビビが持っていたグラスと火酒の瓶を取りあげる。代わりに手渡されたのは、赤く熟れたビーツの実。
「昼飲みなんざ、まだ早い。これでも食ってろ」
「ひどい、横暴~」
「それ食ったら飲ませてやる」
ぶうぶう文句を言いながら、ビビは渡されたビーツの実を齧る。
シャリ、と音がして、口の中に爽やかな酸味が広がる。
「・・・美味しい・・・」
シャク、シャク・・・
火酒よりも、じんわりやさしく胃の中に染みていく。
カリストは黙って視線を眼下の緑に広がるジュノー神殿の屋根に向けたまま。流石に勤務中だから?火酒に手をつけることはしなかった。
食べ終わって。
ビビは息をつき、両膝を抱える。
「・・・ごちそう・・・さまでした」
カリストは黙っている。
なので、ビビも何も言わず・・・黙って広がる樹々の緑に目を向ける。
陽射しが暖かく、ゆるやかな風が通りすぎて行く。
一人になりたかったから、自然に足が向いていたけど・・・思えばここはビビの記憶の中、亡くなった母親が教えてくれた、城下の人間でさえ知らないという、とっておきの場所だった。
ビビは辛いとき、悲しいときはいつもここに足を運んでいた。
オリエの葬儀の日も、耐えられなくて途中で抜け出して、ここで広がる空を見ながら母親の魂を弔い見送っていた。
"へぇ、こんな場所があったんだ"
フィオンはあの時も・・・ビビを追って、見つけ出してくれた。
よくわかったね?と感心したら
"そこは、ビビへの愛の深さ故だと褒めてほしいな"
と、おどけたように笑った。
フィオン君・・・。
"これからは、俺が護るから"
"いいんだ、泣いたって。俺の前くらい、無理するな。・・・受け止めるから"
あ・・・駄目だ。ビビの記憶が溢れて・・・
視界が涙で揺れる。
ビビは慌て、両膝に顔を埋める。
・・・知らなかった。
《アドミニア》としてGAMEをしている時は、ただただ自分のキャラクターを育てることに夢中で。
他のキャラクターがどんな生活をして、何を思っているのか?なんて、考えたことなかった。
キャラクターが思うように動かなかったら、リセットして、うまく進まなくなったら、リセットして。それを繰り返し理想的に進行するよう導いて。
《アドミニア》の自分は箱庭ではいわゆる《神》であり。GAMEの世界は自分中心に回っていて、いざとなれば金にものを言わせ、思い通りになんでも出来るんだと。
でも実際は・・・自分の気持ちひとつ整理することも出来ず。
人々は自分を無視して動くし、時は平等に流れていく。気づけば・・・ひとり取り残されて、動けずにいる自分がいる。
そして・・・動けず躊躇していたせいで、大切なフィオンを傷つけ、彼は離れていった。
先の見えない現実。オリエでもなく、その娘のビビでもなく。わたしは、わたしなんだ。自分で考えて、自分を導いていかなければいけないんだ。そう、なんども言い聞かせてきたのに、【時の加護】の記憶に縛られ翻弄され、なにひとつ解決できない。
ああ、辛いな・・・
両膝に顔を埋めたまま、ぐずっ、とビビは鼻をすすりあげる。
目線は目下の森の緑に向けたまま、カリストは口を開いた。
「・・・お前はミラーを選ばなかった。ミラーもお前より家族を選んだ。ただ、それだけだ」
ビビは驚いて顔をあげ、その横顔を見る。
「もっと優しく言ってほしいか?」
カリストはビビに目を向ける。見開いた目から頬をつたう涙に目を細め、再び視線を広がる木々へと戻した。
「ミラーは・・・自分の幸せより、お前の幸せを望んだんだ。だから、奴を選ばなかったお前が、自分を責める必要はない。ミラーのために何かしたいなら・・・振り返らず、前に進むんだな」
ふ、とカリストは自嘲にもにた笑みを、口元に浮かべる。
ビビは目を瞬いた。
「・・・慰めてくれているんですか?」
らしくないし、
呟き、
じわり、と再び浮かぶ涙を必死にこらえ、ビビはカリストから目をそらし、ぶっきらぼうな口調で尋ねた。
カリストは視線は、相変わらず風が渡って揺れる、森の木々に向けられたまま。
・・・泣き顔を見られたくない自分に、気を使ってくれているのだろうか?
「お前の泣き顔は、見ていて鬱陶しい」
・・・でも、ないか。
「じゃあ、見なきゃいいじゃないですか」
「視界に入ってくるから、しょうがないだろ」
もう、とビビは息を吐く。息を吐いて・・・それまで自分がちゃんと呼吸できていなかったことに気づく。
そして、ふと視線を再びカリストに向ける。
「サルティーヌ様に喧嘩売ったのって・・・ひょっとして、フィオン君、ですか?」
ビビの言葉に、ピクッと反応するカリスト。わずかに目が泳いだのは、動揺したからなのか。
「・・・まあ、な」
「結果きいても?」
ビビの問いに、カリストは目を見開いた。ビビが首をかしげるのを見て、何故か疲れたようにため息をつく。
「それ・・・今更お前が聞くんだ?」
「・・・え?」
「秘密」
※
数日前。
カリストはフィオンに呼ばれて、この場所にいた。
フィオンは・・・ミラー一族の兵団長になったこと。同時に、一族の決まりで同じ山岳兵団から嫁を迎えること。
・・・ビビと別れたことを淡々と伝えてきた。
「俺は・・・あなたには負けたくなかった」
フィオンは言う。
「・・・結局、俺はビビより一族を選ぶ」
負けた、と言うなら・・・それは彼女を選べない自分自身に、なのだろう。
フィオンは目を伏せ、拳を握りしめた。精悍な横顔が苦しげにゆがむ。
ふ、と小さく息をはき、カリストを見た。
「あなたなら・・・もし、俺と同じ立場だったら。こんな古い掟も絆も歴史も、全部飛び越えて。きっと全てを棄ててもビビを選ぶんだろうな・・・」
あなたの強さが羨ましい、と。
そして、笑う。
「ビビを・・・幸せにしてやってください」
※
「・・・いい男だな。ミラーは」
フィオン ミラー
きっと将来は間違いなく、ヴァルカン山岳兵団を率いる人物になるだろう。
ビビは本心であろう、カリストの言葉に、目を見開く。あれほど敵視しあって、相容れない2人だと思っていたのに、フィオンを語るカリストの横顔は・・・なにか吹っ切れたように、清々しく見えた。
「そうですよ」
その横顔が眩しくて。動揺を隠すようにぶっきらぼうに同意したビビに、カリストは視線を向ける。そのスッキリした眼差しは、ビビをとらえるとふいに穏やかな色へと変わっていった。
かすかに口元に浮かぶ笑みにさらに戸惑い、ビビは目を逸らし両膝を抱える腕に力をこめる。
「た、ただただ感情をぶつけて、人を混乱させる誰かさんとは、大違い・・・」
言いかけて、顔に落ちる影にビビは反射的に顔をあげ。
風が撫でるように・・・唇の横ににそっとカリストの唇が触れる。
ちゅ、と軽い音がして、薄い唇の柔らかな感触が音の余韻とともに離れていった。
「・・・っ、」
近距離で視線が交わり。
見つめ返す蒼い瞳に、真っ赤になった自分が映る。
「・・・なに・・・する、んですか・・・?」
カリストは目を細めた。
「止まったな。涙」
「・・・!」
それとわかるように、カリストは柔らかい笑みを浮かべる。
ドキン、と心臓が高鳴った。
え・・・?
「泣き顔も悪くないが・・・やっぱりお前は、笑っている方がいい」
くしゃり、と頭をひとなでして、カリストは立ち上がる。
「風が冷たくならないうちに、帰れよ」
ひらり、と後ろ手を振りながら、そのまま立ち去って行った。
呆然とその後ろ姿を見送る、ビビ。
なに・・・今の。
そろそろと手を伸ばし、カリストの唇が触れた部分に指をつける。
なんで・・・そんなに優しく、触れるのだろう?
心臓がバクバクいってうるさい。思わず胸元をぎゅっ、と握りしめた。
「駄目だよ、あの人は・・・違うから」
勘違いしちゃ駄目だ。
もう、恋なんてしない。
しないんだ・・・。
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