第124話 温かな指先
花束を抱えたまま、ビビは人混みを抜けていく。
コンテストで来年の女神テーレの御子に選ばれたビビを見て、一緒に後夜祭に参加しよう、と誘いをかけてくる街の人たちに、なんとか笑顔で断りを入れ、ひたすら歩く。ジェマやアドリアーナや・・・顔見知りの人に会わなくて良かった。
もし、会ってしまったら・・・それこそ涙腺崩壊して堪える自信がなかったから。
泣き顔のビビを見たら、ジェマたちは黙っていないだろう。
どこかへ・・・
誰もいない場所に行きたい
無意識に、足はカイザルック魔術師会館へと向かっていた。
建物は祭りで休日ということもあり、ひっそりと静まり返っていたが、奥の研究室には灯りがともっているのが見える。
ビビはほっとして、ゆっくりと研究室の扉を開けた。
「・・・ビビか?」
そこには、銀髪のビビの師がいた。
いつもなら調薬用の白衣を着ているが、今日は休日だけあって珍しく私服姿だ。
他には誰の姿はなく、どうやらジャンルカは一人休日出勤らしい。
どこまで人間嫌いなんだろう、と思う。この人物は・・・どこまでも真面目で、一匹狼で。
それでも振り返ると、いつもビビを見てくれていた。黙って頷いて、そっと背中を押してくれた。
「どうした?今日は夜までミラーと会っていると・・・」
言いかけて、泣き顔のビビにジャンルカは目を細める。ビビは作業テーブルに花束を置くと、たまらず駆け寄って、その胸に飛び込んだ。
「・・・ジャンルカ師匠っ、」
ぎゅっ、とその背中に手をまわし、胸に顔を埋める。
「・・・何があった・・・?」
答えられずビビは顔を埋めたまま首を振る。
ジャンルカは小さく息を吐き、嗚咽を漏らし震えるむき出しの肩に、そっと手を置き撫でるようにした。
「ビビ、」
泣いているだけじゃ、わからない。そう宥めるようにやさしく触れる指先に、堪えきれず涙があふれて滴り落ちる。
「フィオン君と・・・別れました」
ビビの言葉に、震える肩を滑るジャンルカの手がわずかに反応を返す。
「・・・そうか」
察したのか、ジャンルカはそれ以上何も言わなかった。さらり、と長い指先がやさしく頭を撫で、髪をすく。
シャラ、と髪飾りの花が軽やかな音を響かせる。
ビビはしゃくりあげ、抱きしめる手に力をこめた。
*
「落ち着いたか」
コトリ、と目の前に置かれたカップから立ち上る湯気をぼんやり見ながら、ビビは頷いた。
「お前が淹れるほど美味くはないが。飲め」
言われて口をつけると、ほんのり優しい甘さが広がる。
「・・・おいしい」
懐かしい。初めてジャンルカの研究室を訪れた時、こうしてお茶を入れてくれたんだっけ。
ギシリ、と音がして顔をあげると、正面の椅子ではなく、隣にジャンルカが腰をおろし、カップに口をつけていた。
触れるか触れないかの距離。でもわずかに感じる体温に、ひどく安心する自分に驚く。
やっぱりこうしてみると脚が・・・長いなぁ・・・
「お仕事の邪魔してすみません」
「今日は休みだから、謝ることはない」
相変わらずそっけない物言いに、笑みが溢れる。ジャンルカは片眉をあげた。
「泣いたり笑ったり・・・忙しい奴だな」
「ふふふ、師匠が師匠で安心したんです」
更に怪訝そうな顔をするジャンルカに、ビビは笑いかける。その、無理した笑みにジャンルカはため息をついた。
「俺は俺だ」
当たり前のことを、と言われビビはビクッと肩をすくませた。
「・・・師匠」
ビビは顔をあげる。
「師匠には・・・わたしが誰に見えますか・・・?」
「ビビ・ランドバルド、だろう?」
ジャンルカは目を細める。
「もし・・・もしわたしがわたしじゃなくて・・・違う人、だったら・・・」
すべてを打ち明けたら・・・この優しい銀髪のお師匠はどう思うのだろう。
この世界は・・・かって自分が《アドミニア》として管理していたGAMEの世界で。
本当は、自分は普通とは違う、いわば《アドミニア》に都合よく創られたキャラクターなんだと。
本当は、違う人間が・・オリエ・ランドバルドが、この地に降り立ち歴史を刻んでいたのだ、と。
本当は、ジャンルカには弟子など存在しなかったのだ、と。
オリエでも、その娘のビビでもない《アドミニア》だったわたしが・・・時代を遡り、オリエの代わりに転移してしまったことにより、ねじ曲がってしまったレールと、上書きされてしまった記憶。
《アドミニア》として犯してしまった自分の罪に気づくも、この世界は・・・守護龍の誓約により《アドミニア》の管理から切り離され、流れる時は現実で。GAMEのように管理することは叶わず、起こってしまったことを、どれだけ後悔しても戻らない。なかったことにできない。
辛い。
寂しい。
誰か、助けてほしい。
でも、それは許されない。そんな資格自分にはないのだ。
どんなに人に囲まれても、笑いに包まれても。孤独はいつもビビについてまわる。そして・・・ふとこうして思い知るのだ。
この世界で自分が《鍵》として、答えを求めて一人で生き続けること。これは・・・罰、なんだと・・・
視界がにじみ、ふわり、と頬に触れる指先。
「・・・ふっ、」
「どうした?何が不安なんだ?」
「・・・」
再び溢れ、はらはらと流れる涙を拭うことはせず、ジャンルカは静かにビビが落ち着くのを待っているようだった。
不器用ながらも、彼らしい優しさに、何度も救われてきた。
「お前が違う人間・・・?バカをいう。俺の目の前にいるのは、お前以外の何者でもないと言うのに」
「・・・っ」
「そうだな、たとえお前がお前じゃなくなっても・・・違う誰か?だったとしても」
ジャンルカはビビの顔を持ち上げ、目を覗きこむ。ジャンルカの金色の瞳は凍てつく真冬の月の光のようで。でも静かに告げる声は、ゆっくりとビビの荒んだ心に浸透し、やさしく癒していくようだった。
「俺にはわかる。お前がどんな姿になっても・・・望むなら、俺が探し出してやる」
はっきりそう告げて、わずかに目元を緩ませた。くしゃり、とビビの頭をひと撫でし。
「ただし、北の森のスノート(毛玉)の姿になったら流石に無理だ。あれは外見の見分けが、まったくつかない」
ブッとビビは思わず噴き出した。
「やだ・・・やめてください。面白すぎる」
「お前がわけわからないこと、言うからだろう」
フン、とビビの頭から手を離し、ジャンルカは立ち上がった。
カップを片手にくるりと背を向けると、何事もなかったように作業台へ向かう。
・・・どうやら弟子を甘やかす飴の時間は終了したらしい。
そうだ。ジャンルカ、という男は本来こういう性格だった。
そのつれなすぎる鮮やかな切り返しに、ビビは一瞬あっけにとられ、そして思わず笑みを浮かべた。
「ほんとですよね」
涙をぬぐい、ビビは息を落とした。
「わたしはわたし、ですよね。変なこと言ってすみません」
「全くだ。詫びに手伝え」
いつものように素っ気ない師匠の態度が、今のビビにはたまらなく嬉しい。
「はい!もう無償出血大サービスしちゃいますよ!何でも言いつけてください」
「・・・出血するまで頑張らなくてもいい」
「しませんよ。例えです」
クスクス笑いながら作業台へ向かうビビの頭を、ジャンルカはポンポンと叩く。
やっぱりこの人、好きだな・・・
ビビは思う。
フィオンの時とは違う。そばにいるだけで温かな気持ちで満たされる。
「ビビ」
声をかけられ、振り返ると、浅くテーブルに寄りかかり腕を組んだジャンルカは、白衣を手に取るビビの頭のてっぺんからつま先に視線を走らせた。
「女神テーレの御子の衣装だな」
改めて言われてヒオリは赤くなってうつむいた。
「あ・・・はい、ジェマたちに騙され・・・いえ、無理やり着せられちゃって」
そのままコンテストに引っ張られ、女神テーレの御子コンテストで優勝して、カリストに祝福のキスされたとか・・・言えない、さすがに。
まぁ、明日にはファビエンヌがしっかり報告するんだろうけど。
落ちつかなげにもじもじしているビビに、ジャンルカはふっ、と笑いを漏らす。
「さすがだな。綺麗だ。とても、似合っている」
「はうッ」
言われた一言は・・・今までビビが動揺した言葉の中で一番の衝撃を与えた。
のけぞって、倒れなかった自分を褒めてあげたい。
*
2人で調合の作業に没頭すること、しばし。
人の気配を感じて顔をあげると、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。
「はーい」
「すみません、ビビ・ランドバルドさんはこちらで?」
ドアをあけると、農地で見かける作業服の男性が立っていた。
「あ・・・わたしですが」
「ああよかった。どこにもいらっしゃらなかったから、最後は多分ここじゃないかって、ベティーが・・・」
言って、男は抱えていたものをビビに差し出す。
差し出された籠には、見事なレッドビーツ実がぎっしり詰まっている。決して市場には出回らない高級レベルのものなのは、市場で見ているビビにもわかる。もうひとつの籠には婦人会で作った料理とワインが。
「これ、サルティーヌ管理組合長から、ランドバルドさんにお届けです」
「プラットさんから?」
「はい。コンテストで優勝したお祝いだそうですよ。組合長、すごく喜んでいて今ベティーロードの酒場でリュディガー師団長やイヴァーノ総長たちとワイン開けて騒いでいます。滅多に見られない貴重な光景ですよ?」
男はにっこり笑う。ビビは赤くなる。
「俺もコンテスト、拝見させていただきました!いや~珍しいものを・・・」
「あ、あ、ああ!いいですから!ご苦労様ですっ!プラットさんにもよろしくお伝えください!」
その後に続くであろう言葉に、ビビは飛び上がり、慌てて男を部屋から押し出す。
男はドアの向こうで、了解~まいどあり!頑張ってね!とわけわからない事を言って立ち去って行った。
頑張ってって、何をだ??
閉めた扉に頭を押し付け、思わず深いため息をもらすビビ。
「来年の女神テーレの御子に選ばれたのか?」
ジャンルカに問われ、ビビは籠をテーブルに乗せ、乾いた笑いを浮かべた。
「はい・・・まぁ、」
その件に関してはあまり触れられたくない。
ごまかすようにビビはジャンルカの方へ振り返り、籠の中のワインをチラつかせた。
「せっかくいただいたので・・・よかったら食べませんか?」
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