第123話 大切な幼馴染だった

 「フィオン君?」


 かけられた声に、フィオンははっと我に返った。

 声のするほうへ視線を送ると、深緑の澄んだ瞳が心配そうに見返してくる。

 いつもフードを深くかぶって、目立たぬよう顔と赤い髪を見せないようにしている少女は・・・今日はコンテストに出るために着飾って、その顔も髪も露わで。その顔を明るい月の光と、青白い光を放ちながら漂う"ルミエ"が明るく照らして、別人のように綺麗だった。


 「今、鉱山の出口で、ソルティア陛下と会ったの。ひょっとして、ここに来ていたのかと・・・」

 「あ、うん・・・少し話をしたかな」

 曖昧な笑みを返すフィオンに、ビビは首を傾げる。

 シャラ、と髪飾りが軽やかな音をたてた。

 「あの方、神出鬼没だから。わたしが女神テーレの御子に選ばれたのも知っていたみたいで」

 「・・・」

 「フィオン君?」

 ビビはフィオンの顔をのぞき込む。

 

 様子が変だった。目を合わせようとしても、なにか思いつめたような色を浮かべたまま、逸らされる。こんなこと、今まで一度もなかった。

 そっと腕に触れると、ぴくっと反応を返す。

 なにか言うより早く、フィオンの手がビビの手首をつかみ返す。


 「・・・??」


 抱えていた花束が足元に落ちた。


 重ねられる唇。

 いつもは触れるだけの、やさしいキスが、今日は強引なくらい強く押しつけられ


 「ン・・・っ、」


 熱い舌が唇をこじあけ、ビビの舌に絡みつく。


 「・・・!」

 胸に両手をつき、押し返そうとするも、その逞しい胸板は微動ともしない。

 一瞬頭の中が真っ白になってパニックになったが、いつもは穏やかで冷静なフィオンの突然の豹変に、ビビは抵抗をやめる。

 触れた唇と、自分をかき抱く腕の余裕のなさに、何かが彼を追い詰め、焦らせているような気がして。

 

 ビビは身体の力を抜き、そっと両腕をフィオンの背中にまわした。

 「ビビ・・・」

 キスの合間に自分の名を呼ぶ声は、どこか苦し気で泣きそうで。

 「フィオン君・・・」

 大丈夫、とビビは囁く。

 逃げないから、ここにいるから・・・そう思いをこめてキスを返すと、フィオンは口元を歪ませ、ビビを抱きしめた。


 *


 「・・・ごめん」

 

 唇が離れ、フィオンが呟く。

 「・・・どうして謝るんですか?」

 「ビビの気持ちを無視して・・・強引にキスしたこと」

 

 そっとビビの顔をのぞき込むと、ビビは困ったように眉を下げ、薄い笑みを浮かべると、ゆるゆる首を振った。

 時々、ビビは成人を過ぎたばかりとは思えないほど、こんな風に大人びた女の表情をする時がある。

 すべてにおいて達観しているような、冷めているような・・・それは"無"の色を纏っているように見えて。


 ・・・誰にも踏み込ませない、頑なさがあって。


 違う、とフィオンは首を振る。

 ビビにこんな顔、させたいわけじゃない。

 好きなのに。大切で、大事に護りたいのに、どうしてそんな諦めたような表情をして自分を見るのか。


 「ビビ」

 フィオンの指先が、そっとビビの滑らかな頬をなぞる。

 「俺と・・・結婚してほしい。ビビと家族になりたいんだ」

 「フィオン・・・君」

 「愛している、ビビ」

 こつり、とフィオンの額がビビの額と重なる。


 「幸せにする。お願いだ・・・俺の手を取って」


 ビビの目が大きく見開かれる。


 (これからは、俺がお前を護るから・・・)

 耳元に蘇る、フィオンの声。


 (不謹慎だけど、嬉しいよ。・・・やっとお前と一緒になれる)

 母親を亡くした時すら、泣けなかったビビを抱きしめて泣かせてくれた、大事な幼馴染み。


 すっ、と冷水を浴びたように、感情が引いていくのがわかる。

 そして寄せて湧き上がってくるそれは、かつてのビビの記憶。


 どうして、最初から・・・反対を押し切っても、その手を取らなかったんだろう・・・、と。

 国王の勅命だから、と。父親を亡くした母親が一人だったから、と、言い訳して、どうして拒んでいたのだろう。

 護る、と言ってくれた。ついてこい、と何度も手を差し伸べてくれた。

 その時、自分に覚悟があったなら・・・その手をとって、その胸に飛び込んでいたら。

 フィオンは、ドミニクやアナクレトは、いや、ヴァルカン山岳兵団は・・・国から押しつけられ、背負わされた使命から、ビビを全力で護ってくれただろう。・・・一族の大切な一人として。


 ああ。なのに、

 かつてのビビの心と向かい、張り裂けそうな痛みが走る。

 

 《アドミニア》だったわたし、は・・・オリエを最強に育てるために・・・ビビを、フィオンを利用した。

 そんな自分が、その手を何故とれるというのだろう。

 

 きゅ、と何かを堪えるように唇を引き結んだ。

 

 ーーーーお前に、覚悟はあるの?


 カリストに問われた言葉が、木霊する。

 「覚悟なんて・・・最初からそんな資格すらないのに」

 乾いた笑いが漏れた。


 「ビビ?」

 

 フィオンは思いつめたようなビビの表情に、わずかに顔を歪めた。

 ビビは目を瞬き、フィオンを見上げる。

 目の前のフィオンは、大切な・・・大切な幼馴染だったあの頃のままで。


 ・・・好き。


 でも・・・妻に、ファミリーになることはできない。

 かつてオリエが生きていた同じ時間をなぞっていたとしても、わたしは・・・オリエではなく、ましてやフィオンを愛し、フィオンに求められたビビじゃない。


 今のわたしでは・・・ビビでは、フィオンを幸せにすることはできない。

 【時の加護】を背負い、オリエを解放できる唯一の《鍵》としてこの箱庭に転移した。オリエの望みを叶えるため、生きることを誓った。

 なによりも自分自身が、逃げることを赦さない。わたしがフィオンに出来ることは、笑顔で彼の幸せを願い、手放すこと。

 ・・・それに、気づいてしまった。


 ゆっくりと過去のビビから、今の自分へと感情が戻る。・・・ずきり、と胸が痛み、引き結んだ唇が震えた。

 ポロリ、と深緑の目から涙があふれ、零れ落ちる。


 「ビビ、どうし・・・」

 「ごめん」

 慌てるその声を遮る声は、震えていた。


 「ごめん、フィオン君」

 「・・・ビビ、」

 「ごめん・・・」


 震える肩を抱こうと手を伸ばしかけ、フィオンはその動きを止める。

 ぽたぽたと滴り落ちるその涙をぬぐってあげたいのに・・・うつむいて首を振るビビがそれを拒絶しているようで。フィオンは手のひらをぐっと握りしめた。


 「わたし、あなたの手を、取れない」

 ビビは身体を震わせながら、でもはっきりとした口調で告げる。

 「あなたと一緒に、歩んでいくことが・・・できない。ファミリーにはなれない」


 わかっていたのに・・・一緒の道を歩けないって。

 わかっていたのに、温かなひと時の夢に縋った。

 気づかぬふりをして、そのやさしさに甘えた。


 「・・・っ」

 フィオンの精悍な顔が、苦し気に歪む。


 "いくら最愛だからといって・・・草原を渡る風をとめることができるだろうか"

 ソルティア陛下の穏やかな声が蘇る。

 "渡ることを止めてしまえば、風は命を失うよ"


 ビビを護れるのか、とその目は問いかけていた。

 巨神ミッドガル族の掟と誓約が絶対の、隔離された世界で。よそ者であれ、ビビを護り慈しみ共に生きていく自信はある。それが幸せだと信じて疑わなかった。ビビを愛していること、その気持ちに嘘偽りはない。


 でも、


 "男なら・・・惚れた女の生き様を邪魔するような、愛し方をするんじゃない"

 脳裏に木霊する、母親であるドミニクの声。


 それは、ビビも望んでいることなのだろうか、と。


 "ファミリーと一緒にあの子を幸せにできると本気で思っているなら、それは大きなおごりだ。ビビはその程度の覚悟でつなぎとめておけるほど安い人間じゃない"


 カタン、と何かが外れた気がした。

 ずっと引っかかっていた、何かが外れて・・・急激に視界がクリアになるような。

 残酷だと思えど、お互いごまかして、甘えに身をゆだねる時間は、もう終わったのだと。そう気づけば・・・選択肢はなく。答えはひとつしか残されていなかった。


 「・・・そうだったね」

 フィオンは呟く。

 「君は・・・ヴァルカン山岳兵団の中の、狭い世界で終わっていい人間じゃない」

 フィオンの声に、ビビは顔をあげる。

 

 「俺はビビが好きだよ」

 

 フィオンは言う。

 「初めて会った時から、惹かれていた。ビビを知れば知るほど、好きになっていった。・・・笑っちゃうけどね、こんな歳になって、初めて本気の恋をした」

 一歩近づき、そっと手を伸ばす。流れ落ちる涙を指の腹で、そっとぬぐい、目を落とす。

 

 山岳兵団の長子の嫁になれば・・・あとはひたすら、ファミリーのために、夫であるフィオンのためのサポートに徹するだけで。悪い言い方をすれば・・・ただそれだけ。

 

 強い子を産み、育て上げる。

 それ以上、なにも求められない。


 ああ、駄目だ。俺はビビを縛れない。


 「ビビが好きだから・・・俺の、いや、一族のエゴを押し付けたくない。ビビが好きだから・・・君には君らしく、思うように生きてほしい」

 「・・・フィオン、君」

 「ごめん。愛することが・・・求めることが、君を縛ることになるなんて・・・」

 「ちが・・・っ!」

 激しく首を振るビビの肩に手を置き、距離をとる。小さく息を落とした。


 愛だけでは縛れない。エゴだけじゃ護れない。

 ソルティア陛下の言っていた言葉が、今やっとわかった。

 最初から、自分はビビの横にたつことはできなかったのだ、と。


 「最後に、我儘言っていいかな?」

 見上げると、泣きそうな表情のフィオンが手を広げ、ほほ笑んでいた。

 「うん」

 「抱きしめさせて」

 

 ビビは腕を伸ばし、広くてたくましい胸に身を寄せ、ありったけの力をこめて抱きしめる。

 フィオンもビビを抱きしめ返した。

 「・・・フィオン君」

 「・・・ん」

 「ありがとう。・・・わたしを好きになってくれて」


 わたしが・・・ビビとして、フィオンに恋をした。この気持ちに偽りはない。


 一見ぶっきらぼうに見えて、でも笑うと幼く見える笑顔も。

 自己主張苦手ながらも、流されず芯の通った強さも、愛おしかった。


 記憶の中のビビは・・・龍騎士の始祖と呼ばれ、すべてにおいて超越した母と、騎士団の頂点を極めた父の血を継ぎながらも・・・フィオンを夫とし、山岳兵団の一員として生きる道を選んだ。ひたすらひたむきに・・・彼を愛していた。

 でも、わたしは・・・


 「ビビ」

 フィオンの声は震えていた。

 

 「君の幸せを・・・誰よりも願っている」

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