第122話 望むものはひとつ
「あの娘が欲しいの?フィオン」
母親である、ドミニク・ミラーは、兵団長引き継ぎの儀式の終えた夜、屋敷で二人で酒を酌み交わしながら、ふいにフィオンへ問いかけてきた。
父親であるアナクレトは、ミッドガル街から来た職人たちの対応で忙しいらしい。
こうやって二人で酒を飲んで語らうのは、随分久しぶりのような気がした。
「お前が、ミラー一族の兵団長として認められるために、どれだけ努力をしたかはわかっている。同じ年ごろの子供の楽しみを与えてやれなかったことも、親として申し訳なかった、と思っている」
ドミニクは表情が乏しい。無愛想とも言われ、あまり異性に好意を持たれるタイプではなかった。
しゃべり方も淡々として、物言いもキツい。夫のアナクレトの前だけ時々やわらかい笑みを浮かべる以外は、笑った顔は息子のフィオンでさえ、数えるほどしか見たことがない。
フィオンにとって、ドミニクは母親である前に、ミラー一族を束ねる兵団長であったのだ。
常に護るよう自分に向けられた背中は、フィオンにとっての憧れで。いつか追いつこう、いつか並ぼうと。その想いだけで今まで生きてきたと言っても過言ではない。
「一族の掟を誰よりも重んじているお前が、旅人の娘を望むなんてね」
ドミニクは可笑しそうに目を細める。
「母さんは、俺がビビを一族に迎えることを反対する?」
「いや?私はお前に家長を譲った。お前がなにを望もうが、それが人としての道を外さない限りは従うつもりだ」
言いながら、軽く肩をすくめて、エールをあおる。
「・・・とは建前で、本心は・・・まだ王国に帰化すらしていない娘に、なぜそんな執心するのか不思議でね」
ビビを否定するわけでなく、単に興味本位からの問いだということを理解して、フィオンはほっと肩の力を抜く。
「私は、お前を信頼している。フィオン」
ドミニクは、珍しく口元に薄い笑みを浮かべる。
「お前が選んだ娘だ。私には反対する理由がないさ。・・・ただね」
「・・・ただ?」
「男なら・・・惚れた女の生き様を邪魔するような、愛し方をするんじゃない」
「・・・え?」
「あの若さで、たった一人旅をして。未だにどの国にも帰化せず、なおも旅を続けようとするとは、よほど何かを背負っている女だ。お前はそれごと受け入れ、彼女を護る覚悟はあるのか?いや、・・・」
ドミニクはふと、考えあぐねるよう視線をさ迷わせ、そしてフィオンを見る。
「母さん・・・?」
フィオンの心は決まっているのだろう。
ならば、残るは相手の覚悟のみ、ということか。
「お前は、ミラー一族の兵団長となった男だ。それを忘れるんじゃないよ」
**
一日陽が昇らない、銀月祭。
女神テーレの御子コンテストで、ビビが女性部門で優勝して。
表彰式でちょっとしたハプニング?はあったものの、皆に囲まれて幸せそうに笑うビビは、本当に綺麗だった。
イヴァーノ総長に"抱きしめさせろ!"と迫られ、リュディガー師団長と一触即発になったりと、相変わらず無意識に騒ぎを起こす体質なのは健在のようだ。
舞台裏で恋敵でもあるサルティーヌ第三騎士団副隊長と、何を話したかは気になったが・・・ビビの笑顔を見ていると、もやもやした気分も和らいでいく。
ハーキュレーズ王宮騎士団の中でも、アルコイリス杯出場を目指す者なら憧れる第三騎士団。その副隊長、カリスト・サルティーヌ。
歴代最年少で副隊長に抜擢されたという申し分のない実力と、若い女性を虜にする眩いばかりの容姿。
確かに・・・目を引く整った顔立ちは、山岳兵団の若い少女たちを夢中にさせるだけのものがあり。どことなく人を寄せ付けない雰囲気なのは、母親であるドミニクに通じるところがある。
だがはじめて本人と対面した時、フィオンは噂とはずいぶんと印象が違うことに驚く。
ビビは、ハーキュレーズ王宮騎士団管轄のダンジョンには、この男を同行させ探索しているのだと聞いている。
女嫌いで有名な男が、ビビに対してだけやわらかい対応をすることも。
目が合った時、無表情と思われたその青いまなざしの内に秘められた感情は。多分、自分もまた同じ目で相手を見返しているのだろうと。
この男も、同じ思いで・・・同じ女を見ているのだろうと。
ジュノー神殿に、賞品と賞金を取りに行く、というので付き添おうと申し出たが、騎士団の女子二名の妨害に合い、ビビとは夕方エセルの丘で待ち合わせをする約束をした。
「母さんに会ってほしい」
そう告げると、ビビはびっくりした表情を浮かべ、困ったように微笑んだが・・・了解してくれたのにホッとする。
それを聞いたジェマ・アレクサンドルが鬼の形相でこちらを睨みつけていたが、女の怖さは母親で充分慣れているので気にならない。
*
エセルの丘で、遠くに見えるミッドガル・グリフィスの岩を眺めながら、そろそろビビも来るかな?と思っていたところで、何かが視界に入ってくる。
「・・・?」
ふわりと視線の先に舞い落ちるものに無意識に手を差し出すと、
「黒い・・・羽?」
指でつまんで目元に掲げる。
それは艶やかな光を帯びた、一枚の羽だった。
見たことのない光沢にフィオンは眉を寄せ、空を振り仰ぐ。
見事な星が夜空に広がる以外は、鳥の姿はどこにも見えない。
なぜ、こんなところに鳥の羽が?と不思議に思っていると、いきなり背後から声がかかった。
「やあ、こんにちは」
ガドル王国の王家では、王となるべく選ばれし者は、必ず黒曜の髪と瞳で産まれると言われている。だが戦いの神セトの加護を色濃く宿した真紅の目を持って産まれた男は、彼特有の人好きする笑顔をフィオンに向けていた。
「そ、ソルティア陛下!」
フィオンは慌てて膝をおり、臣下の礼を取ろうとするも、ソルティア陛下はまあまあ、顔あげてよ~と気さくに手を振りこちらに歩いてくる。
フィオンは立ち上がり、彼が国王でありながら供の一人も連れていないことに驚いた。
オスカー最高兵団顧問から、陛下は気さくすぎて王様っていう自覚がないから、いつもリュディガー師団長がベロイア評議会の重鎮をおさめる盾になっちやって、気の毒なんだよね~と、まるで他人事のように言っていたのを思い出した。
「・・・お一人、なんですか?」
尋ねると、ソルティア陛下は笑って頷く。
「うん。国の祭りの時くらい解放されたいんだよね」
王様だって遊びたいんだよーとまったく悪びれない物言いに、フィオンも苦笑するしかない。
「ビビは?一緒じゃないの?」
いきなり聞かれ、フィオンは驚く。
「いえ、ジュノー神殿まで行かなきゃいけないみたいで・・・ここで待ち合わせを」
「ふうん、そうなんだ?」
ソルティア陛下は笑みを絶やさない。人好きする笑みなんだろうが・・・なにか落ち着かない。
「すごいよね、ビビ。国民じゃないのに、女神テーレの御子に選ばれるなんてさ。過去にも例がなかったわけじゃないけど」
やはりソルティア陛下は、ビビが女神テーレの御子に選ばれたことを、既に知っているようだった。
噂では、陛下はガドル王国随所に自分専用の転移移動の魔法陣を張り巡らせており、神出鬼没なのだと。
ただの陽気な王様ではない、持つ魔力は歴代の王最強ともいわれている。それを全く感じさせない雰囲気に、フィオンは自然と委縮する。
「・・・ご存知だったんですね」
「うん。ほんと可愛いよね。なんでいつも、あんな目立たない格好しているんだろ?ああいう女の子らしい装い、もっとすればいいのに」
「・・・」
「でも、あまり注目されちゃうと、恋人は気が気じゃないか」
言って可笑しそうに笑う。
「俺は別に・・・」
恋人気取りでビビを縛るつもりはない、と言いかけ・・・こちらを見る赤い目と視線がぶつかり、言葉につまる。
なんだ?このプレッシャーみたいな重苦しさは。温度がいきなり下がったような。
「フィオン・ミラー」
ソルティア陛下はにこりと笑う。
「ドミニクから兵団長を引き継いだと聞いているよ」
「はい」
「これから色々大変だろうけど、頑張ってね?君には期待している」
「ありがとうございます」
30歳で兵団長を継ぐのは、遅いくらいだったが、フィオンの実力なら問題はないだろう。
「ビビには、今後のことを?」
聞かれて、フィオンはドキリとする。
「いえ、まだです」
今日これから会って、今後の事を話そうと。ビビにもう一度帰化を薦めて、正式にプロポーズしよう・・・そう思っていることは言えなかった。
「そう・・・」
頷いて、ソルティア陛下はスタスタとミッドガル・グリフィスの岩に向かって歩き出す。
フィオンはその後ろ姿を眺め、ふと浮かんだ問いを口にした。
「・・・随分、気にかけていらっしゃるんですね」
誰を、とは言わず問うその声に、ソルティア陛下は振り返る。
「気にかけるもなにも・・・」
ふ、と息を落とし、ソルティア陛下は口端を僅かにあげた。
「ビビは僕にとって・・・待ち人なんだよ。そんなありふれた言葉や感情で収まらないほどに」
フィオンは目を瞬く。
「待ち人・・・?」
「僕はね」
ソルティア陛下はその声を遮る。
「皆が思うより、かなり貪欲なんだ。望むものはたったひとつ。その為だけに生きてきた」
ふふふ、と笑う。
「国のために存在する王らしくない?王は民の幸せしか望んではいけないと、誰が決めたんだろう」
問いかけていながら、フィオンの答えを期待していないように、ソルティア陛下は言葉を続ける。
「生きるって、何だろうね?呼吸して、食べて、寝ての繰り返し?違うよ。命ってただ生きる為にあるんじゃない、たったひとつ望むものを手にいれる為に与えられた力、なんだよ」
「たったひとつを望む・・・力」
フィオンは呟く。
自分の望みは・・・ヴァルカン山岳兵団の一族を護ること。ミラー一族の長子として産まれた時から、それは決められていた。
それが当たり前で、それ以外、望んだことなどなかったし、考えたこともなかった。
「俺は・・・ビビにプロポーズするつもりです」
フィオンの言葉に、ソルティア陛下の赤い目がわずかに細められる。
「軍人貴族ミラー一族の兵団長として、彼女を護りたいと思っています。そのために与えられた命を全力で使おうと、そう思います」
フィオンの言葉に、ソルティア陛下は僅かに笑った。
「おかしなことを言う」
「・・・っ、」
眉を寄せるフィオンに、ソルティア陛下は、ああごめんね?と謝罪をした。
「ビビは、ガドル王国の国民ですらないのに。・・・ビビは望むように生きる権利がある。彼女の望む願いが、この国で生きることじゃなくても。立ち去る彼女を留めることは、誰にも許されない。違うかい?」
だから、君の傍で生きることが幸せだという、一方的な言い方がおかしくてね。
エセル・ヴァルカンの丘を渡る風に、ソルティア陛下は目を細め、遠くに見える巨神ミッドガル・グリフィスの顔が刻まれた岩を眺める。
「今日も草原を渡る風は穏やかだねぇ・・・」
フィオンは俯く。
少なくとも・・・ソルティア陛下は、ビビがヴァルカン山岳兵団へ嫁に入ることを、良しとしていないと感じとる。
ソルティア陛下は・・・ビビを帰化させたくないのだろうか。
「フィオン・ミラー、君に問いたい」
ソルティア陛下はフィオンを見つめる。
「いくら最愛だからと、草原を渡る風を止めることが、できるだろうか?」
フィオンは顔をあげ、ソルティア陛下を見返す。
「それは・・・っ、」
「止めたら、風は命を失い、風ではなくなる。それでも・・・君は変わらず愛することができる?そもそも、ビビがそれを望み、君の傍にいる根拠はどこに・・・?」
ソルティア陛下はミッドガル・グリフィスの岩を振りあおぐ。
「はっきり、言おうか」
言って、ソルティア陛下は再度フィオンに視線を送る。
その容赦ない冷えた視線に、フィオンは息を詰まらせた。
「ビビは君を選ばない。なぜなら・・・君の望みは一族の幸せ、であり、彼女一人に向けられたものではないから」
「陛下!」
「ファミリーと一緒にあの子を幸せにできると本気で思っているなら、それは大きなおごりだ。ビビはその程度の覚悟でつなぎとめておけるほど、安い人間じゃない」
一歩、ソルティア陛下は足を進め、フィオンはその圧に一歩下がる。
「君は捨てることはできるだろうか?たったひとつ望むもののために、過去も未来も家族も全て」
それができないなら・・・
ぽん、とフィオンの肩を軽くたたき、ソルティア陛下はささやく。
「彼女とこれ以上関わることは・・・許さないよ」
***
何気にソルティア陛下最強説
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