第113話 予感
丁度その頃。
カイザルック魔術師団師団長の執務室で、リュディガーとジャンルカは向かい合ってワインを飲んでいた。
テーブルには、ヴェスタ農業管理会の婦人部が腕をふるった料理が並んでいる。
「今頃、会場は盛り上がっているだろうなぁ」
ふとぼやくリュディガーに、ジャンルカはワイングラスをくゆらす動きを止める。
「気になさるなら・・・師団長も観戦に行かれたらよかったのでは?」
「遠慮しておくよ・・・明日にはオスカーやイヴァーノに無理やり聞かされるだろうし」
ここしばらく、こうやってのんびりとワインを飲む時間もなかったからね。
言って、こくり、とワインを飲み干す。
ビビはあまりワインが得意ではないらしく。プラットから貰ったワインはいつも師団長の執務室へ置いていく。
プラットの提供するワインは、必然的に質も良く、イレーネ市場でも滅多に出回らないプレミアレベルだ。ワイン好きのイヴァーノが知ったら、さぞかし悔しがるだろう。
「うん、今年もなかなかいい出来なんじゃない?」
知らず口元にも笑みが浮かぶ。
ジャンルカも頷き、空いたグラスにワインを注いだ。
「ビビがこの国に現れて・・・半年だね」
もう半年、まだ半年・・・。
どちらにしろ、ビビはこのガドル王国ではいなくてはならない存在になりつつある。
ビビが訪れてから、天候も落ち着き、家畜や農業の収穫量も増えている。ジュノー神殿の神官トップである法王猊下は、神獣ユグドラシルの加護が例年に増して濃く、王国を包み込んでいるのを感じる、と言っていた。
その反面ハーキュレーズ王宮騎士団からは、ダンジョンの魔物がゲートをくぐりぬけて頻繁に現れるようにもなった、という報告も入っている。
これら一連の出来事が、神獣ユグドラシルの加護を持ったビビが、この国に滞在していることと関係しているかはわからない。
豊穣をもたらす神ヴェスタと運命の女神ノルンの遣いである、神獣ユグドラシル。
その反面、世界を浄化する滅びと再生の力を持ち、恐れられていたのも事実だ。
「ビビの様子はどう?」
「来年の春に出国する意思は、変わっていないようですね」
「そう・・・」
リュディガーはため息をつく。
「ガドル王国の武術組織を代表する独身ツートップをもっても、引き留められない・・・か」
リュディガーの言葉に、ジャンルカは小さく笑う。
「ん?」
「この国で師団長の目にかなう男を探すのは難しそう、だと」
「心外だな」
ジャンルカの言葉にリュディガーは笑う。
「俺はビビを娘のように大事に思っているし、信頼しているんだ」
言って、ワインを一口。
「信頼している娘が選んだ男なら、その男も信頼するに値するさ。それが気に食わん騎士団の若造だろうと、巨神ミッドガル族次期兵団長だろうと。・・・そう思わないか?」
確かに、とジャンルカもふっと笑みを漏らす。
「でも、ビビは・・・それを望んでいないからね。あの子は・・・相手へ共に背負わせるくらいなら、自分一人で抱えて生きることを選ぶ」
何故そこまで頑ななのかわからないが・・・リュディガーはため息をついてソファーに背を預けた。
「俺は、ビビに・・・なにをしてやれるんだろうなぁ」
「・・・」
「お前さんの言う通り、これ以上この国で【時の加護】について調べるのは、限界だと思う。"最果ての地"に近い、かつて戦禍に巻き込まれた小国近辺あたりなら、まだなにか残っているかもしれないが・・・」
どちらにしろ、国外のこととなると、海外にも拠点を置く商人の力を借りなければならない。
だが、そのためにはそれなりの理由と裏付けを用意する必要がある。
「今ビビの存在をあまり国外には出したくないし、陛下が難色を示していてね」
「陛下が?」
「ああ。まだ時期じゃないって。なにか考えがあってなのか」
ソルティア陛下はビビを気に入っているから、彼女の不利になることはしないと信用しているが。
所詮、彼も一国の主であり・・・万が一ビビの存在が国外に知れてしまった時。国の大事と旅人の娘を天秤にかけ、どうジャッジするかはリュディガーにもわからない。
ジャンルカは黙ってワイングラスに目を落とす。
"師匠、わたし・・・"
夕暮れの帰り道。かつての自分の同僚の死を感じ取り。ビビは深緑の目に涙をいっぱいためて、震えながらジャンルカを見上げていた。
"わたし、頑張ります。師匠の期待に応えられるように、だから"
前々から自分の前では、よく泣く弟子だった。
でも、その日。他人の為に静かに流すその涙は・・・夕日の赤に染まり、輝いて美しかった。
"どこにも行かないで・・・"
あと半年で滞在期限の1年を迎える。
"行っちゃいやです・・・"
それまで、ビビに自分のもつ知識すべてを教えこみ。
来るべき時に、彼女自身が答えを導き出し、自分の手から離れていくその時まで。
自分は生きていられるのだろうか・・・
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