第93話 ミッドガル高原
「わぁ~気持ちいい!」
ヴァルカン山脈の炭鉱を抜けた、ちょうど山岳兵団のエセル砦の逆側に位置する、ミッドガル高原。
炭鉱の暗がりから、いきなり広がる緑に、ビビは思わず声をあげた。
正面には、巨神族の始祖ミッドガル・グリフィスの顔が彫られた、巨大な崖が連なっている。
「炭鉱を抜けた先に、こんな場所があるなんて」
「場所が場所だけに、あまり一般の人は来ないからね」
後ろでフィオンが答える。
「あの顔の彫刻は、ガドル王国が建設された時、巨神族が一晩で岩肌に彫ったと伝えられている」
「・・・すごい迫力」
広大に続く草原の緑と、そびえたつ崖。遠くにさらに広がる夕暮れ時の空には鳥が群を成して羽ばたいている。
フィオンと二人イレーネ市場でデートを楽しみ。
その足でベティーロードの酒場へ向かって、オスカー兵団顧問と合流すると、そこには何故かカルメンもいて。
聞けば、明日は国民の休日なので、山岳兵団の砦へ泊まりに来ないか?とのお誘いだった。
前回同じ年ごろの女の子との会話が思いがけず楽しかったビビは、喜んでそのお誘いに飛びついたが・・・二人のやり取りを少し離れたテーブルで聞いていたリュディガーは、始終不機嫌というか・・・落ち込んでいる?ようにも見えて。
オスカーやイヴァーノに揶揄われ?慰められながらワインを飲んでいたが・・・白いワンピース姿のビビに何故か目頭を押さえている。
「めんどくせー親父だな、おい」
ゲラゲラ笑うイヴァーノに、
「うるさい!お前に・・・お前に俺の気持ちなんぞわかるか・・・!」
どう見てもヤケ酒が入っているリュディガーに、オスカーははいはい、辛いよね~大事な娘だしね~と意味不明な慰めをしていた。
・・・やはりスリートップは仲がいい。
*
フィオン達と一足先にテレストーンを使ってヴァルカン山岳兵団管轄のエセル鉱山へ向かい、カルメンとはそこで別れた。ビビはフィオンに誘われるまま"ミッドガル高原"へ。
ビビが最初に山岳兵団へ泊まった翌日、本当は案内してあげたかったのだ、とフィオンは言っていた。
「今はもう終わっちゃって時期じゃないけど、春の初めになると白いイキシアの花が一面に咲き乱れて、見事なものだよ」
「・・・春、か」
風が渡っていく草原の緑に、眩しげに目を細め、ビビは呟いた。
来年の春は、自分はここに・・・ガドル王国にはいないのだろう。
旅人でいる限りは、国に留まる期間は一年と決まっている。
春になる前にこの国を出る。その為に、お金を貯め、ジャンルカに教えを乞い、日々スキルを磨いているのだから。
こうやって、この世界で未知な技術を提供するのも、少しでもお世話になったこの国の人たちに恩返しをしたかったから。
わかっていたことなのに、そう思って、ビビは眉を下げる。
皆と離れるのが、この繋がりが切れてしまうのが、寂しいなんて。
意識して距離を置いて、皆に立ち入らせなくても、皆と関わった記憶はなくなることはない。
その消えない記憶が、自分を苦しめることになるとわかっていても、どうしても人が恋しくて差し伸べられた手を取ってしまう、自身の弱さが恨めしい。
白いワンピースの裾が風をうけてはためく。
「ビビは・・・この国に帰化、しないの?」
唐突に問われ、ビビは驚いてフィオンを振り返った。
多くの人に今まで何度も聞かれて、何度も同じ返答をしてきた。
なのに、フィオンに聞かれると返答に詰まる。
「・・・えっと」
「答えはわかっているのに・・・意地悪な質問して、ごめん」
フィオンは困ったように笑い、ビビの横に立った。
「君がカイザルック魔術師団で大事にされているのは、知っている。オスカー兵団顧問をはじめ、ソルティア陛下やハーキュレーズ王宮騎士団やヴェスタ農業管理会からも、君は一目おかれているし。誰もが君が王国に帰化することを望んでいる。なのに旅人であろうとする君には、なにか抱えているものがあるんだと」
「・・・フィオン、君」
そっと伸ばされた手が、ビビの手に触れる。
武骨な指先が絡まり、驚いて顔をあげるビビにフィオンはほほ笑んだ。
「ビビ、俺とはじめて会った時のこと、覚えている?」
フィオンの問いに、ビビは首をかしげる。
「・・・オスカー兵団顧問の家にお泊りした日の宴会で、かな?」
「そう。君は俺と目があった時、俺の名前を呼んで、涙を流していたよね」
「・・・・」
ビビは言葉に詰まる。
思いもよらなかった、フィオンとの再会に、涙腺が崩壊したことを思い出す。
「知り合いに似ていたから、ってその時言われて聞き流していたけど・・・名前まで同じなんてね、今思えば偶然とは思えなくて」
フィオンは少し肩をすくめ、視線をミッドガルの岩に向けた。彫りの深い精悍な横顔に、ビビは知らず見惚れていた。
「なんでかな、俺は・・・ビビを見て、懐かしい?って思った」
「・・・え?」
「一目ぼれ、とも違う不思議な感覚だったんだ。初めて会うのに、懐かしいなんて。"フィオン君"って呼ばれる声も、すごく心地よくて・・・わからないけど、俺たちはきっとどこかで繋がっていたのかもしれない、いや、これから繋がっていくかもしれない、なんて考えて・・・運命を感じたんだ」
きっと、ビビの両親も同じ気持ちだったんだろうね。
再び目があって、フィオンはふ、と小さく笑った。やさしいまなざしに、胸がぎゅ、と締めつけられるようで、苦しくなる。
「俺じゃ、駄目?」
わずかに力がこもる、繋がれた指先。言われた意味がわからなくて、ビビはフィオンを見つめたまま首をかしげた。
「もし・・・俺に似ている人が、ビビが泣くほど大切な人なら・・・俺が、代わりじゃ駄目?俺なら、ビビを護れる。泣かすようなことは、しない。運命の女神ノルンに誓って君を幸せにする」
「フィオン・・・君」
ふわっ、と風が流れてビビは頭を振る。軽く結い上げただけの髪がはらりと解け、うねりながら首筋と背中を落ちていく。
フィオンは眩し気に目を細め、胸元に垂れた赤い髪をひと房手に取った。
「俺にとってビビは、炎の神、エセル・ヴァルカンそのもの」
言って、そっと風になびく横髪をすく。そのまま手のひらが返され、指の先がゆっくり頬を撫でるようにすべる。
そのやさしい仕草と、頬をすべる指の感触に、息が詰まる。
「炎のように気高くて、綺麗で、強くて・・・」
ゆるゆると頬が染まっていくビビを見返し、端正な唇の端がわずかに持ち上がる。
「俺に、力を与えてくれる」
「フィオン、君・・・」
「俺も、ビビにとって・・・そういう存在でありたい」
ずっと、歳の離れた妹と思われている、と思っていた。
カルメンや、フィオンに憧れる他の山岳兵団の少女たちに向けられた、同士に対する慈しみにも似たもの。
自分もまた、彼らと同じで、その対象のひとつにすぎないのだと。
なのに今、ビビを見つめるまなざしは・・・あえてとっていた距離をいとも簡単に乗り越え、一人の異性として・・・純粋に好意を寄せる男の表情そのものだった。それに戸惑い、ビビはフィオンを見返す。
GAMEでフィオンに対して不誠実な扱いをしていたことに負い目があって、でも確かにフィオンが大切で好きだった"ヒビ"としての記憶も色濃く残っていて。
・・・彼のそばが思いのほか心地よく、こうして向き合って、穏やかな時間を共に過ごすうちに、許されないのに、心のどこかで願ってしまう。
この手を取れば・・・今度こそ、フィオンと幸せになれるんじゃないか、と。
戸惑い、揺れる深緑の瞳をじっと見つめながら、無骨な指先がゆっくりとビビの唇をなぞる。
「好きだ」
囁くように告げられ、顎を持ち上げられる。
距離が縮まり目を閉じると、そっと唇が重ねられた。
ひんやりして、少し厚みがあって柔らかい。
唇が離れて、思わずうつむきフィオンの胸に額をつけると、力強い腕が背中に回され、ぎゅっと抱きしめられた。
*
心の中で、誰かが泣いているのを感じる。
それはビビの記憶、だった。
ずっと差し伸べられた手を拒み、目を向けようとしなかった15年間。
最後の最後で裏切るように、残してきてしまった後悔と未練の想いがあふれて、嬉しいはずなのに心がすっと冷えていくのを感じる。
思っていたより根深くて、暗くて、冷たい、傷のような記憶。
どうしたら、あの頃の自分を清算できるのだろう?
フィオンに償うことができるのだろう?
彼のまっすぐな想いに、今の自分は・・・応える資格があるのだろうか、と。
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