第76話 夕焼けに願う

 「すごい、です。どうやって錬成したんですか?さっきの魔法陣、何なんですか?」

 興奮して、ビビはジャンルカに詰め寄る。

 ジャンルカは、相変わらず無表情で、ポンとビビの頭を叩くと

 「行くぞ」

 と、さっさと部屋を出ていく。

 「あ、ちょっと待ってください!」



 部屋を出て、店のカウンターへ戻ると。

 先ほどの男が立っていた。

 「無事、終わったようだな」

 「世話になった」

 ジャンルカの言葉に、男は破顔する。

 「いいってことよ。人生の最後にいい仕事させてもらった。こちらこそ、ありがとよ」

 え?とビビは男を見る。


 男の右肩に見える、黒い影。


 あ・・・


 ビビは思わず息を止め、男の顔を凝視した。男はビビの視線に気づき、ビビを見ると、困ったような顔をして笑う。


 「お嬢ちゃんも・・・ありがとな」


 ジャンルカにそっと背中を押され、ビビはジャンルカを見上げる。

 ジャンルカはじっとビビを見下ろし、頷いてみせる。

 ビビはカウンターに歩みより、カウンター越しにそっと男の手をとった。

 節くれたった、職人の手だった。


 「あなたが・・・鎖を錬成してくれたんですね?ありがとうございます」

 言ってふわり、とほほ笑むと。男は驚いたように目を瞬かせる。

 目の下の隈が濃く、顔色も蝋のようにくすんで、一目で男が病におかされているのがわかった。

 彼が、ジャンルカとどんな関係で・・・ビビと神獣ユグドラシルの魔石のことを、どこまで知っているかわからなかったが。

 多分全部理解した上で仕事をしてくれたのだろう、と思った。


 胸元がふわりと明るくなる。上着に隠れた魔石が、ビビの感情に反応しているのを感じ、

 握った手を通して、神獣ユグドラシルの加護の力が、少しでもこの男に安らぎを与えてくれるように、そう願いを込めてビビは精一杯男に微笑んだ。

 

 「貴方に・・・女神ノルンと神獣ユグドラシルの加護が、共にありますように」

 

 男は目を見開き、ビビを見つめる。

 やがて、泣きそうな顔をして、その手を握り返す。

 「ああ嬢ちゃんは・・・やさしいね。ありがとう。ありがとう。あんたこそ・・・幸せになるんだよ」


 *


 店を出た後、無言で歩く。

 あの男は・・・寿命がきていた。肩に見えた黒い影は・・・数日後にははっきりと形になって・・・冥府ハーデスから迎えが来るのだろう。


 「ビビ」

 

 呼ばれて、足を止める。

 視界が滲んで、ビビは慌てて袖で目元を拭おうとした。それを咎めるように伸びたジャンルカの手が、そっと添えられる。

 「こするんじゃない」

 「・・・」

 息を詰まらせうつむくビビの頬に、ジャンルカの指先が触れ、親指の腹で目尻に浮かぶ涙を拭う。

 瞬くと、頬を涙が静かに流れた。

 

 「・・・すみません」

 夕暮れ、行き交う人もまばらで。建物から射し込む夕陽の赤が眩しい。

 「謝る必要はない」

 「師匠・・・」

 ビビはジャンルカを見上げる。

 

 「わたし・・・頑張ります。師匠の期待に応えられるように、だから・・・っ」

 声が震える。視界が、滲む。

 何度も涙をぬぐってくれる指先が、温かく優しくて、せつない。


 ーーーーー好きです。


 あなたが・・・

 どうしようもなく、好き。


 でも、わたしはあなたの弟子だから。

 それ以上にも、以下にもならない存在だから。

 許されるなら。


 弟子、としてこれだけは願わせてください。


 「・・・どこにも行かないで」


 そばに、いさせてほしい。


 ジャンルカは僅かに目を見開く。

 「行っちゃ、嫌です・・・」


 *


 「・・・あれ?あそこにいるの、ビビちゃんじゃない?」


 デリックの声に、カリストは振り返る。


 「ほら、あそこ」

 「あ、ほんとだ・・・って、うわ」

 オーガストがびっくりしたような声をあげる。

 「あれ、ジャンルカ氏じゃない?一緒にいるの」


 建物から射し込む夕陽の眩しい光の中、橋の傍の木々の下に佇む人影がふたつ。

 一人は、旅人の好む見慣れたフードつきのベストを着た、ビビ・ランドバルド。

 向かい合わせで立つ長身の影は、ジャンルカ・ブライトマン。

 「ガドル王城と、ジュノー神殿以外で見るの、久しぶりだよな」

 デリックは呟く。

 「あんなところで、何して・・・」

 言いかけて、ギョッとする。


 ジャンルカの手が伸び、俯くビビの頬を包む。ビビは顔をあげた。

 行き過ぎる緩やかな風が、フードからのぞくビビの赤い髪を揺らしている。

 2人の表情は見えなかったが

 「あれ、ただの師弟って雰囲気じゃ、ないよな。・・・まじかよ」

 「おい、カリスト」

 オーガストが声をかける。

 「お前大丈夫か?顔、こわいんだけど」

 「・・・」


 ジャンルカ・ブライトマン


 数年前に、妻を亡くしてから一線を退き、カイザルック魔術師団で調薬や魔法陣の研究をしていて、他人と関わるのを嫌う孤高の一匹狼で有名な人物だった。


 子供の頃、一度だけジャンルカの試合を見たことがある。

 前回・・・9年前のアルコイリス杯。当時憧れ、目標だったハーキュレーズ王宮騎士団第三騎士団隊長イヴァーノ・カサノバスの対戦相手だった。

 連勝負けなしの戦神で次代の騎士団総長、と言われていたイヴァーノが負けるのを初めて見た衝撃は、今でも脳裏に焼きついている。

 それからは、ジャンルカの所属するカイザルック魔術師団が嫌いになった。

 そもそも、魔術師の使う、魔術というものが嫌いだった。

 武術組織に所属する人間なら、大抵は魔力持ちで、カリストも魔力は強い方だと言われている。身体を強化したり、剣に魔力をこめて攻撃したり、使い方は人によって千差万別だが、カイザルック魔術師団の使う攻撃魔術はその比ではない。

 広がる魔法陣、見たことのない、聞いたこともない術式。未知に対する畏怖の念なのか、どうも馴染めずにいた。


 そんな中、見せたビビの魔術は・・・常識すらひっくり返す規格外のものばかりで、もうどこを突っ込んで良いのかわからないレベルで。

 でも、彼女が廃墟の森で見せる転移の魔法陣は、目を奪われるほどに綺麗だと感じた。

 嫌いで苦手だった魔術、というものに、少なからず歩みより始めたのは、ビビの影響が大きい。

でも、


 「やっぱり、気にくわない・・・」

 ボソッと呟いたカリストの言葉に、デリックとオーガストは首を傾げる。

 「・・・何が?」

 尋ねてみたが、カリストは黙って踵を反し歩き出す。


 俯くビビの頬を、そっと包み込むジャンルカの手。

 人に触れられるのが苦手だと、ジェマにハグされている時でさえわずかに身体を固くしているビビが、ジャンルカには一切の抵抗をせず、無防備に受け入れている。


 「・・・」


 胸のもやもやは一向に晴れなかった。

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