第8話 閑話 ある聖女の記憶
「まるで、この世の地獄のよう」
いつも、ふいに考える時があった。
自分はいったい何のために生かされていたのだろうか、と。
もしも・・・龍騎士が、守護龍アナンタ・ドライグに願わなかったら?
神獣ユグドラシルの加護を受けることなく、ただ一人の農家の娘として生きていただろう。
ただの一国民として・・・女神テーレに仕える聖女を、崇めているだけだったろう。
一歩足を踏み出すと、びしゃり、と泥が跳ねてドレスの裾を濡らした。
最高級のシルクであつらえた聖女を象徴する聖衣は、煤と泥と赤黒い血で汚れ、身動きするたびに鉄臭が鼻につく。
目の前に広がるは、荒涼とした地。
暗雲たちこめる空の下。大木は倒れ、黒煙を立ち昇らせ、遠くで聞こえる剣と剣が重なる音と、響く断末魔。
大地を覆うように重なり合う、屍の山。
「初めて神殿から外に出て。目にする光景が地獄、とは」
ため息とともに、もう一歩踏み出す。そして、考える。
もし、自分が、聖女ではなかったら
自分は、【彼】に出会えただろうか。
赤子の時から両親と引き離され。何も知らず、知らされず。神に祈りを捧げることでしか、自分の存在価値を見出すことができなかった。それが幸せなのだと洗脳されていた日々の中、銀月祭で偶然出会った、【黒い鳥】
年に一度の祭でしか会えなかったけど・・・彼が語る外の世界の話が好きだった。置いていかれてしまうのが寂しくて、駄々をこねて泣くと、抱きしめてキスをして、いつか迎えに来ると約束してくれた愛しい人。
愛しさも
寂しさも
切なさも
全部、彼が教えてくれた。
彼が・・・自分のすべて、だったのに。
「ああ・・・疲れた」
暗い天を見上げ、幾重にも広がるオーロラの光の帯を見つめる。
「わたしが望んでいたことは・・・こんなことじゃなかったのになぁ」
呟きは吐く息の白さとともに、暗闇に溶けていく。
名前を呼ばれて振り返ると、暴徒が押し寄せた神殿から命からがら逃げてきたのであろう者たちが、必死の形相で平伏し口々に何か訴えていた。
もう、彼らが何を言っているのか。声は音として耳に届くが、言葉として理解することはできなかった。
救い?慈悲?
自分たちのために、わたしを利用して壊したくせに。
国を護る聖女はもういない。神獣ユグドラシルは世界樹へ還った。
もう、この国は・・・終わりだ。
どさり、と音と共に全身に衝撃が走って、視界が暗転した。
あれほど痛みと熱で熱かった手足の感覚がしびれて、ゆっくりとなくなっていくのを感じる。
目がかすみ、徐々にまぶたが重くなっていく。
寒い・・・
吹きすさぶ風の音が、泣き叫ぶ者たちの声音が、だんだん遠くなっていき・・・うるさかったそれらの音が止んだ。
ああ、やっと終わるんだ。
(――――、)
自分を呼ぶ、懐かしい声。
最期の瞬間、ふと願った。
もし、来世というものがあるならば。
来世というものがあって、また同じ時を巡るなら。
"力"が欲しい
愛する人たちを最後まで護る、力が欲しい・・・
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