第3話 最後の抱擁

「ビビ、ここにいたのか」

 

 声がかかって振り返る。

 

 「フィオン君」 

 

 喪服姿の青年が、息を弾ませて立っていた。

 すこし釣り目の青い瞳が、ビビの姿を見てほっとしたように細められる。

 新緑を思わせる鮮やかな色の髪を短く刈り込んだ髪型は、端正な顔立ちに良く似合っていたが、着慣れていない喪服はがっしりとした体躯には、やや窮屈そうに見える。

 ビビの幼馴染であり、婚約者でもある、フィオン・ミラーである。

 

 ビビは驚いたような表情を浮かべたのち、苦笑する。

 「・・・似合っていないね、それ」

 「あのな・・・心配して探しに来たのに、いきなりそれ言う?」

 プッと可笑しそうにフィオンは噴き出し、ビビの隣に歩み寄る。

 隣に立ち、ジュノー神殿を見下ろした。


 緩やかな風が二人の立つ丘を渡っていく。

 緑の木々に覆われたレンガ色のジュノー神殿の屋根。続く正門までの石畳の通路からだろう、香水にも使われる甘い花の香がこちらまで流れてくる。

 

 「へぇ・・・こんな場所あったんだな。知らなかった」

 「ふふふ、実はわたしも母さんにこっそり教えてもらったの。一人になりたい時は、って。この場所は城下に住む人も知らないのに・・・見つけ出すなんてフィオン君、さすがだね」

 「そこは、ビビへの愛の深さ故だと褒めてほしいな」

 おどけた口調で言われ、ビビは笑う。その無理した笑みを見て、フィオンはそっとビビの肩を抱き寄せた。


 「大丈夫か?」

 「・・・うん」


 こつり、とフィオンの逞しい肩に額をあて、ビビはうなずく。

 元々ビビは感情を表に出すのが苦手だった。そんな中フィオンは幼馴染みだけあって、姉兄すら気づかない、わずかに見せるその感情を感じ取る。先回りして受け止め、こうやって甘やかせてくれるのだ。そのやさしさに幾度も救われてきたことを思い返し、ビビは感謝するとともに小さく息を吐く。

 

 「・・・イゾルデさんや、アレックスさんも心配していた」

 「・・・」

 黙ってうつむいているビビの肩を、フィオンの大きな手のひらが慰めるように、ゆっくり撫でる。

 「さすがに心配するだろ。あんな目立った場所にいて、王族が献花を始めた途端いきなりいなくなるんだから」

 宥めるようなフィオンの口調に、ビビは首を振った。

 「・・・教皇様の言葉が嘘くさくて、聞いていられなかったの」

 ごめんなさい、と小さな声で謝るビビに、その肩を抱く手にわずかに力がこもった。


 好きで目立った場所にいたわけじゃない。身内の葬儀だから仕方なかった。本心は・・・あんな綺麗ごとで作られた空間なんて耐えられなかった。これでも充分我慢したつもりだ。


 嫌いだ。


 母親を利用した王族も、母親の自由を奪ったベロイア評議会の長老たち、貴族院の連中もみな大嫌いだ。

 何かに堪えるように震えるその身体を、フィオンはいたわるようにそっと抱きしめ、ゆるやかな風にたなびく髪を撫でる。


 ビビのコンプレックスでもある赤い髪。母であるオリエや姉兄は金の髪。亡くなった父親は黒髪だった。本来そのどちからであるはずの色は・・・鮮血を思わせる異質な赤だった。

 何度染めようとしても染まらない。子供の頃は血の色だといじめられた。不吉な色だ、と陰口を叩かれたこともある。


 "気持ち悪い"


 家族はそんなそぶりを見せなかったが・・・兄の妻、当時は恋人であった女性に何気なく言われた一言。いつしかビビはその髪を隠すようになり、兄夫婦とも距離を置くようになった。


****


 ガドル王国はアルコイリス全土、9つある大陸のひとつ、南方に位置する島国である。

 ガドル王国には3つの武術組織がある。

 

 ひとつは武術組織の中でも花形の職業と言われている、ガドル王国の【剣】王都ガドル王城に居を構える"ハーキュレーズ王宮騎士団"

 始祖が巨人族と言われている、王都から離れたヴァルカン山脈に居を構えるガドル王国の【盾】"ヴァルカン山岳兵団"

 そして今では旧都と呼ばれている、カイザルック帝国の跡地に居を構えるガドル王国の【知恵】"カイザルック魔術師団"

 元々この三拠点はそれぞれ別の小国家として成り立っていたが、数百年前に起きた戦禍の後、女神ノルンからの神託によってひとつの国になった、と伝えられている。


 武術組織のひとつであるヴァルカン山岳兵団の軍人貴族ミラー一族の長子、フィオン・ミラーとビビは幼馴染で。15歳で成人すると同時に、本人たちの強い希望で婚約した。フィオンはそのまま山岳兵団へ。ビビは両親の跡を追い、王宮騎士団へ入団。

 だが両者今年30歳となるも、未だ婚姻を結んでいなかった。これは、オリエの血を継ぐ三人の子供の中で、武術職に就いたのは末娘のビビだけだった。このビビが、英雄オリエの力を遺伝している可能性を期待されていて、その可能性がある限りは、強制的に国の監視下におかれていたからだ。

 実際のところ、ビビの実力は非凡であったが両親を凌ぐものではなく、オリエが守護龍より授かったとされる"龍騎士の銃"もビビに引き継がれることなく、オリエが退役したと同時に守護龍の元へ返還された、と伝えられている。


 そしてオリエが寿命を迎え、完全に遺伝の可能性が潰えると・・・手のひらを返したように二人の婚姻を認める書類が、数日前に城から届いた。

 武術職に就いている女性が晩婚なのは珍しくないが・・・婚約しておきながら結婚は15年も延期、というのはかなり異例だった。

 それほど、オリエの偉業は大きかったのだ。

 過去アルコイリス全土の頂点に立ち、ガドル王国にも歴代"龍騎士"と呼ばれた勇者は存在していた。オリエの夫でもあるカリスト・サルティーヌもまた、何代か後、龍騎士の称号を受けた騎士の一人である。しかし大地の守護龍アナンタ・ドライグより、眷属として認められ、その証【龍騎士の銃】を賜ったのは、過去にもオリエただ一人だったのだ。

 それでも、王からの勅命とはいえ、ビビは自分たちの意思を無視した国のやり方に、不満を覚えずにいられなかったのも事実で。


 「これからは、俺がお前を護るから」

 ビビを抱きしめ、フィオンは言う。

 よく頑張ったな、と囁かれ、ビビはフィオンの胸に顔をうずめたまま首を振る。

 「いいんだよ。誰だって・・・身内が死ねば・・・ましてや、最愛の母親が亡くなって悲しくないわけがない」

 「・・・っく、」

 「いいんだ、泣いたって。俺の前くらい、無理するな。・・・受け止めるから」

 「う・・・、」

 背中へまわされた腕に、力がこもる。

 身体を震わせながらしゃくりあげるビビを、フィオンは抱きしめ、その髪に唇を落とした。


 しばしフィオンの胸の中で泣き、ジュノー神殿の追悼の鐘が鳴りやむ頃、ようやくビビは顔をあげた。

 「ありがと、フィオン君」

 「落ち着いた?」

 目元に残る涙を親指でぬぐい、こちらを見つめるフィオンのまなざしの優しさに、ビビは顔を赤らめる。

 30歳にもなって、子供のように人の胸の中で大泣きするなんて、身内の前でもしたことなかったのに。恥ずかし気に目を逸らし、うつむくビビの両頬を、フィオンは笑いながら大きな手で包むようにした。

 

 「これから、どうする?とりあえず・・・うち、来る?」

 ビビと目を合わせ、フィオンはおどけたように首を傾げてみせた。それにビビは小さく吹き出す。

 「さすがに、母親の葬儀当日にいきなり山岳兵団へ嫁入りするわけには」

 「構うもんか。ビビは俺の婚約者なんだよ?どうせ屋敷には俺しかいないし。貴族院の長老たちもビビをいつでも歓迎するさ」

 「ふふふ、ありがとう。でも色々手続きもあるから・・・しばらく残った独身時間をこちらで謳歌するつもり」

 ジュノー神殿へ婚姻の届け出にも行かなければならないし、王城の居室に残したオリエの遺品や、荷物の処分もある。

 しばらくは姉兄もこちらに滞在するようだし、積もる話もたくさんあるだろう。

 そっか、と少し残念そうに眉をさげるフィオンに、ビビは申し訳なさそうに苦笑する。フィオンはニコッと笑みを浮かべ、ビビの額にキスをした。

 「じゃあ、俺はビビがいつでもこっちに来られるように、準備しておく。今度一緒に買い出ししような」


 ハーキュレーズ王宮騎士団には、退団の書類は提出済だ。ずっと働いて戦ってきたから。少しくらい自分のために時間とお金を使っても、罰は当たらないだろう。

 オリエの親友であり、ビビの上官でもあり。そしてオリエの跡を継いで騎士団総長に就任したジェマ・ブラッドレイは、そう言って周囲の反対を押し切りビビの退団書類を受け取ってくれた。

 

 "そのかわりに、結婚式には呼べよ?お前は私の娘同然、だからな!"

 

 豪快に笑って送り出してくれた、その笑顔を思い出す。一緒に母親を看取ってくれた彼女には、感謝の思いしかない。肩の荷がおりたように清々しく笑うビビを、フィオンは眩し気に見つめた。


 「不謹慎だけど・・・俺、嬉しいよ」

 「・・・?フィオン君?」

 「やっと、ビビと一緒になれるんだな、って」

 「・・・フィオン、君」

 「愛しているよ」


 たまらなくなって、ビビもまたフィオンを抱きしめ返す。


 「わたしも、愛している。・・・今まで待っていてくれて、ありがとう」

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