第2話 最後の会話

「人類の救いをよろこび、運命の神ノルンよ。いつくしみをもってわたしたちの祈りを聞き入れてたまえ」


 「この世を去った我らが同胞の魂が、冥府の神ハーデスとすべての聖人の取り次ぎに助けられ、苦しみの束縛から解放され、終わりのないよろこびに入ることができますように」


 「そして地上に残されし者を、慈愛の衣で包みたまえ・・・」


 リーンゴーン

 リーンゴーン・・・


 死者を弔うジュノー神殿の鐘の音が、ガドル王国全土に響き渡る。


 ガドル王国最強の武人。"龍騎士の始祖"と称され讃えられたオリエ・ランドバルドの死は、ガドル王国国民に衝撃を与え、皆、偉大な英雄の死を惜しみ、嘆いていた。



 ジュノー神殿を見下ろす小高い丘で、鳴り響く死者を送る鐘の音を聞きながら、ビビは澄み切った空を見上げていた。雲ひとつない青空。亡くなった母親の瞳も、こんなふうに曇りのない澄んだ綺麗な青だったな・・・と思い返したりして。

 

 「馬鹿げている・・・」

 ポツリ、とビビは呟く。

 「母さんの気持ちなんて・・・誰も知らないくせに。英雄の死を偲んで国民が喪に服すなんて、馬鹿げてる」

 国葬、なんて見え透いた国のパフォーマンスだ。それこそ死者に対する冒涜だ、とビビは知らず、唇をかみしめる。


 結局・・・惜しまれているのは、母であるオリエの力であるのに。オリエが持つ、大地の守護龍アナンタ・ドライグより与えられ、"龍騎士の始祖"と呼ばれた比類なき能力。守護龍の祝福を受けた者は存在するだけで、その土地は幾多の災害や侵略から守られ、栄えると伝えられていたから。

 その存在の死によって失われるであろうものを恐れ、王国の重鎮達は英雄の葬儀など下々の者たちに丸投げで、今頃城にこもって今後の方針を話し合っているに違いない。

 英雄オリエ・ランドバルド亡き今、大地の加護がなくなったとか、戦乱の世が再び訪れるとか・・・本当に馬鹿げている。

 たかが人間一人の存在で、国の命運が左右されるなら、そんな国は滅んでしまえばいい。


 「母さん・・・」

 ビビはつぶやく。


 ビビの知る母親は・・・英雄オリエ・ランドバルドはいつも家族に背中を向けていて、いつも何かと戦っていて。

 英雄としては完璧だった。カリスマを兼ね備えた美しい容姿も、武人としての実力も。でも、母と娘として触れ合ったことなど、数えるほどしかなかった。


 「母さんは・・・幸せ、だったのかな」


 そっと自分の手のひらに目を落とす。

 昨晩に交わした最後の会話を思い出していた。



 「母さん、具合はどう?」


 ベットに横たわるオリエへ、ビビは声をかけた。

 オリエはゆるゆると瞼をもちあげ、傍らで心配そうにのぞきこむビビに笑いかけた。


 「ビビちゃん・・・大丈夫よ。こうしていれば、明日には良くなる・・・」


 言いかけて、オリエは口を閉じ、口端を僅かにあげる。


 「なんてね」

 オリエは苦し気に息をはき、目を閉じる。

 「今まで何度もこうやって・・・【GAME】で人を看取るシーンに遭遇して・・・わかっているのにね。大丈夫、なわけ、ないのに・・・」

 自分で言っておかしかったのか、オリエはクスクスと笑う。

 「お母さん・・・?」

 今日は体調が良いみたいだ、とホッとしながらも、母親の言っている意味がわからずに、ビビは首をかしげる。

 オリエは目を開き、目線だけビビへと向けた。病人とは思えない、澄んだまなざしがビビを捕える。

 

 「ビビちゃんには・・・見えるているでしょう?わたしの肩にいる黒い影」

 

 「・・・」

 オリエの言葉に、ビビはドキリ、とする。

 オリエの体調が急変する数日前から、その肩に黒い影のような塊が見え隠れしていて。それは日を追うごとにはっきりと形を成していく。今もその影は・・・あるモノの形へと、目に見てわかるくらいまでになっていた。


 数年前。

 父親が亡くなる時も、同じモノをその肩に見た。

 黒きモノの名は「冥府神ハーデスの遣い」

 肩の上に浮かぶその影が、死神の姿とわかるほどになった時・・・その人間を冥府へ連れていくのだと。


 「お母さん・・・っ」

 「わたしには・・・もう時間がない」

 ポツリ、とオリエはつぶやきビビに手を差し伸べた。

 

 「今から言うことをよく聞いて、ビビちゃん・・・あなたにわたしの力を継いでもらいたいの」

 「力・・・を?」

 「そう。《アドミニア》から与えられ、育てあげられた力を、あなたに託します」

 「《アドミニア》・・・?何?」

 聞きなれない単語の発音に、ビビは眉をひそめ、差し伸べられた手を取る。

 

 「神とも神獣とも違い、別の次元で超越した存在・・・転生する代償としてわたしは記憶を失い、彼らから【時の加護】を与えられ、この箱庭に導かれた」

 「【時の加護】・・・?箱庭・・・?」

 何度か瞬きを繰り返し、オリエは弱弱しく頷く。握り返されたその手は、氷のように冷たかった。そっと指を絡め、オリエはビビを引き寄せる。

 「本当は・・・もっと早く継ぐべきだった。でもこれは《アドミニア》の意思であり、わたしにはどうすることもできなかった」

 「お母さん、言っている意味がわからない。《アドミニア》って、何?【時の加護】を与えられたって・・・」

 ビビの問いは聞こえていないのか、オリエはうつろなまなざしをビビに向ける。

 「ごめんね、ビビちゃん・・・」


 ・・・え?


(・・・生きて、何度でも)


 ・・・っ、誰?


(僕が、君を見つける。どんな姿に転生しても、僕はきっと君を見つけ出す)

 だから、生きて


 ふいに聞こえる声とともに、何かが頭の中に流れこんでくる。

 光の渦のような・・・それは記憶?

 膨大ななにかが、洪水のように頭の中に押し寄せてくる。そのままビビを形成する細胞すべてに覆いかぶさり、混ざり合い、上書きしていくような感覚に身を震わせ、思わずビビはうめき声をあげて頭を抱えた。


 「・・・ル、あなたを巻き込むつもりはなかった・・・わたし、は、ただ」

 あの時、終わりにするはずだった。

 なのに、願ってしまったから。来世というものを。

 魂の記憶が続いていく呪いの連鎖。こうなるとわかっていたら、願わなかった。望まなかった。


《アドミニア》から与えられた【時の加護】からは逃れられない。ああ、もう少しわたしたちに時間があれば・・・

 

 苦し気なオリエの声が頭のどこかで響いて聞こえる。それはビビに対してではなく、流れ込んでくる記憶の中の、誰かに向けての言葉のようだった。

 ビビはくらくらする眩暈に目を開けられずに、そのままオリエに覆いかぶさるように倒れこむ。その身体を、痩せた腕がそっと抱きしめた。

 背を流れる赤い髪を撫でながら、オリエは小さく息を吐く。


「愛しているわ。ビビ・・・愛しいわたしの娘」


 どうか・・・どうかあなたが真実と共にありますよう。


 もし・・・あの人に見つけてもらえたら、伝えてほしい。

 わたしは・・・あなたと出会えて、幸せだったと・・・

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