第2話 最後の会話
「人類の救いをよろこび、運命の神ノルンよ。いつくしみをもってわたしたちの祈りを聞き入れてたまえ」
「この世を去った我らが同胞の魂が、冥府の神ハーデスとすべての聖人の取り次ぎに助けられ、苦しみの束縛から解放され、終わりのないよろこびに入ることができますように」
「そして地上に残されし者を、慈愛の衣で包みたまえ・・・」
リーンゴーン
リーンゴーン・・・
死者を弔うジュノー神殿の鐘の音が、ガドル王国全土に響き渡る。
ガドル王国最強の武人。"龍騎士の始祖"と称され讃えられたオリエ・ランドバルドの死は、ガドル王国国民に衝撃を与え、皆、偉大な英雄の死を惜しみ、嘆いていた。
*
ジュノー神殿を見下ろす小高い丘で、鳴り響く死者を送る鐘の音を聞きながら、ビビは澄み切った空を見上げていた。雲ひとつない青空。亡くなった母親の瞳も、こんなふうに曇りのない澄んだ綺麗な青だったな・・・と思い返したりして。
「馬鹿げている・・・」
ポツリ、とビビは呟く。
「母さんの気持ちなんて・・・誰も知らないくせに。英雄の死を偲んで国民が喪に服すなんて、馬鹿げてる」
国葬、なんて見え透いた国のパフォーマンスだ。それこそ死者に対する冒涜だ、とビビは知らず、唇をかみしめる。
結局・・・惜しまれているのは、母であるオリエの力であるのに。オリエが持つ、大地の守護龍アナンタ・ドライグより与えられ、"龍騎士の始祖"と呼ばれた比類なき能力。守護龍の祝福を受けた者は存在するだけで、その土地は幾多の災害や侵略から守られ、栄えると伝えられていたから。
その存在の死によって失われるであろうものを恐れ、王国の重鎮達は英雄の葬儀など下々の者たちに丸投げで、今頃城にこもって今後の方針を話し合っているに違いない。
英雄オリエ・ランドバルド亡き今、大地の加護がなくなったとか、戦乱の世が再び訪れるとか・・・本当に馬鹿げている。
たかが人間一人の存在で、国の命運が左右されるなら、そんな国は滅んでしまえばいい。
「母さん・・・」
ビビはつぶやく。
ビビの知る母親は・・・英雄オリエ・ランドバルドはいつも家族に背中を向けていて、いつも何かと戦っていて。
英雄としては完璧だった。カリスマを兼ね備えた美しい容姿も、武人としての実力も。でも、母と娘として触れ合ったことなど、数えるほどしかなかった。
「母さんは・・・幸せ、だったのかな」
そっと自分の手のひらに目を落とす。
昨晩に交わした最後の会話を思い出していた。
*
「母さん、具合はどう?」
ベットに横たわるオリエへ、ビビは声をかけた。
オリエはゆるゆると瞼をもちあげ、傍らで心配そうにのぞきこむビビに笑いかけた。
「ビビちゃん・・・大丈夫よ。こうしていれば、明日には良くなる・・・」
言いかけて、オリエは口を閉じ、口端を僅かにあげる。
「なんてね」
オリエは苦し気に息をはき、目を閉じる。
「今まで何度もこうやって・・・【GAME】で人を看取るシーンに遭遇して・・・わかっているのにね。大丈夫、なわけ、ないのに・・・」
自分で言っておかしかったのか、オリエはクスクスと笑う。
「お母さん・・・?」
今日は体調が良いみたいだ、とホッとしながらも、母親の言っている意味がわからずに、ビビは首をかしげる。
オリエは目を開き、目線だけビビへと向けた。病人とは思えない、澄んだまなざしがビビを捕える。
「ビビちゃんには・・・見えるているでしょう?わたしの肩にいる黒い影」
「・・・」
オリエの言葉に、ビビはドキリ、とする。
オリエの体調が急変する数日前から、その肩に黒い影のような塊が見え隠れしていて。それは日を追うごとにはっきりと形を成していく。今もその影は・・・あるモノの形へと、目に見てわかるくらいまでになっていた。
数年前。
父親が亡くなる時も、同じモノをその肩に見た。
黒きモノの名は「冥府神ハーデスの遣い」
肩の上に浮かぶその影が、死神の姿とわかるほどになった時・・・その人間を冥府へ連れていくのだと。
「お母さん・・・っ」
「わたしには・・・もう時間がない」
ポツリ、とオリエはつぶやきビビに手を差し伸べた。
「今から言うことをよく聞いて、ビビちゃん・・・あなたにわたしの力を継いでもらいたいの」
「力・・・を?」
「そう。《アドミニア》から与えられ、育てあげられた力を、あなたに託します」
「《アドミニア》・・・?何?」
聞きなれない単語の発音に、ビビは眉をひそめ、差し伸べられた手を取る。
「神とも神獣とも違い、別の次元で超越した存在・・・転生する代償としてわたしは記憶を失い、彼らから【時の加護】を与えられ、この箱庭に導かれた」
「【時の加護】・・・?箱庭・・・?」
何度か瞬きを繰り返し、オリエは弱弱しく頷く。握り返されたその手は、氷のように冷たかった。そっと指を絡め、オリエはビビを引き寄せる。
「本当は・・・もっと早く継ぐべきだった。でもこれは《アドミニア》の意思であり、わたしにはどうすることもできなかった」
「お母さん、言っている意味がわからない。《アドミニア》って、何?【時の加護】を与えられたって・・・」
ビビの問いは聞こえていないのか、オリエはうつろなまなざしをビビに向ける。
「ごめんね、ビビちゃん・・・」
・・・え?
(・・・生きて、何度でも)
・・・っ、誰?
(僕が、君を見つける。どんな姿に転生しても、僕はきっと君を見つけ出す)
だから、生きて
ふいに聞こえる声とともに、何かが頭の中に流れこんでくる。
光の渦のような・・・それは記憶?
膨大ななにかが、洪水のように頭の中に押し寄せてくる。そのままビビを形成する細胞すべてに覆いかぶさり、混ざり合い、上書きしていくような感覚に身を震わせ、思わずビビはうめき声をあげて頭を抱えた。
「・・・ル、あなたを巻き込むつもりはなかった・・・わたし、は、ただ」
あの時、終わりにするはずだった。
なのに、願ってしまったから。来世というものを。
魂の記憶が続いていく呪いの連鎖。こうなるとわかっていたら、願わなかった。望まなかった。
《アドミニア》から与えられた【時の加護】からは逃れられない。ああ、もう少しわたしたちに時間があれば・・・
苦し気なオリエの声が頭のどこかで響いて聞こえる。それはビビに対してではなく、流れ込んでくる記憶の中の、誰かに向けての言葉のようだった。
ビビはくらくらする眩暈に目を開けられずに、そのままオリエに覆いかぶさるように倒れこむ。その身体を、痩せた腕がそっと抱きしめた。
背を流れる赤い髪を撫でながら、オリエは小さく息を吐く。
「愛しているわ。ビビ・・・愛しいわたしの娘」
どうか・・・どうかあなたが真実と共にありますよう。
もし・・・あの人に見つけてもらえたら、伝えてほしい。
わたしは・・・あなたと出会えて、幸せだったと・・・
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