第12話 子供の延長線上

 僕の町から少し東に行くとちょっとした繫華街が見えてくる。ちょっとしたと言っても田舎育ちの僕にとってはかなりの都会的ストリート。そこの川沿いの一角に本館と二号館に分かれたアミューズメントビルという建物がある。ほとんどの成人に届かない者たちはフロア全体をプラスティックの人工芝に覆われた不思議な雰囲気を漂わせている二号館の通称ゲーセン館に出入りするのだが、地元と隣町の若者は次第に子供の時代を終えると、より下流に位置する紫のネオンライトに照らされた大人の本館に入り浸るようになる。

 今日をもって十八歳になった僕は実家にいる母をこの日だけは心配しても我慢してくれと思って、一人バイクに跨りここへ出てきたのだ。大人になれば何か変わるはずなのだ。なるのだ、典型的な十八歳に。皆んなと同じ大人の十八歳に。

 当然のように本館へ一人で立ち入る勇気はなかった。だから友人の拓治とゲーセン館で待ち合わせ、暫く遊んでから本館へ向かった。拓治とは高校が違うということもあって会うのは久々だ。ちなみに拓司の出会って最初の一言は「よぉ、成人男性!」だった。

 「身分証明となるものはありますか?」暗闇の中に照らし出されたフロントの男性は機械的な喋り方で言った。

 僕は昂揚していた。隣で僕より少し先に成人した拓治もそわそわして興奮しているのが分かった。

 僕らは重くて白い線のような傷が沢山入ったドアを引き開け、精力に満ちた重低音のする大人の世界へと入った。


 散々はしゃいで遊び終わった後に、拓治は僕に絡んでくる。酒を飲んだ訳でもないのに顔を赤くし僕の肩に腕を掛けて中学校の校歌を大熱唱している。

 「数年後にはお前のようなシラフの昂揚は祭り症候群とでも呼ばれているかもな!」ほんのわずかに残った理性で僕は言う。

 今までにない興奮と眠気による浮遊感。しかしそれがとてつもなく楽しいのだ。

 二人でトイレに入って用を足すわけでもなく大騒ぎをする。二人のヤンキーみたいな奴が入ってきて「おい!うるせぇぞ!」と怒鳴って殴りかかってくる。しかしその拳は僕の方向ではなく、拓治の方向へ。一発殴られた後に拓治は必死になってヤンキーに懇願する。

 「こいつも一緒だったんだ。こいつも殴ってくれ。」

 「いや、僕はこいつに絡まれて嫌がってたじゃないか。」

 結局僕もお腹を殴られたが、僕らはなぜか自分たちの滑稽さが可笑しくて互いに互いを笑い合った。

 「拓治よ、そろそろ帰ろう。さもないと母さんが警察に捜索願を出してしまうさ。」

 会計に行くと重大な過失に気付いた。財布がない!あぁしまった!ゲーセン館に置いてきたのか!

 とりあえず拓治に払ってもらい今度返すことにした。拓治とは僕のバイクが止めてある本館近くの駐車場で別れた。拓司が相変わらずの陽気さでケタケタ笑いながら手を振って歩いて行くのに、僕は冷たい外気に冷まされ自分の行動の恥ずかしさを感じるのもあって、手首だけで拓治に手を振った。

 ゲーセン館にまた戻る川沿いの灯籠の並んだ道のりには午前一時を回り、僕と反対側の人間たち、アウトローに近い人間たちがカップルや男同士女同士でイチャイチャしたり、酒を飲んで年に一度の祭りの日のように騒いでいた。あぁ何て嫌なんだろう。拓治が居なくなった途端にここは反対側で外側の世界に成り代わってしまった。僕は一目散に一直線にゲーセン館へ向かった。早くここから帰りたかった。母の待つオレンジで暖かい家へ。僕は走っていた。人工芝のチクチクにすねをくすぐられるのを気にも留めずにパチンコを模したゲーム台の窪みに置いてあった自分の財布を掴み取り、元来た川沿いを走った。

 僕は子供だ。僕は泣きそうだった。怪しく光る大人の世界に一人残された子供だ。

 「危ねぇなぁ!」川沿いに設けられたデッキから道側に脚を突き出していたいか厳つい男が叫んだ。

 僕は一瞬ギクッとしたが、立ち止まり男の目を見ていた。その時に何だか男の目は怯えている目に見えた。勝てる気がする。こいつは僕よりも臆病だ。

 「あぁ?お前が道に脚なんか突き出しているからだろ?」僕は多分物凄い剣幕でそれを言い放った。

男は明らかに気が動転しているようだった。やっぱりな、こいつらは何も成長してやしない。子供の時のまんまだ。外側だけが大人の張りぼてなんだ。

 周囲にはよくある飲み場の小競り合いに映っただけだろうが、明らかに僕の中で偏見が崩れ落ちていくようなスッキリとした感覚、ある種の革命が起こったのだ。相手が欲しい。僕には女性がいるのだ。

 周りには和風の外灯の中で沢山の女子たちが楽しそうに喋っている。この中の一人にでも声をかければいいのだ。僕はなぜかそう思った。人生でナンパなんて一度もしたことがない。しかし、今僕にはそれが可能だと感じた。

 本館の入り口前まで戻ってきた時に、入り口の横のテラスで5人の女の子が座ってお酒を楽しんでいた。学校を卒業したばかりの弾けた茶髪と金髪の混合。それに薄い化粧の顔に血管が透き通って見える。十代後半か、本当に二十代前半くらいだろう。僕の心臓が激しく脈打った。これしかない。この子達しかない。僕は恐る恐るそこに近づいて行って、

 「楽しんでるとこ、ごめん。この中の誰か俺と遊びに行ってくれる子いませんか?」と本当に小さな声で言った。恥ずかしくて沸騰しそうで頭がクラクラした。

 しかしテーブルの全員がキョトンとしていた。一人の女の子が苦笑いに近い笑いを含んで「ごめんなさい」と言った。また一人、また一人。もう一人の女の子はテーブルに目を伏せて何かを払うように手首で振り払った。あぁ。やっぱりね。

 「君は?」と僕は向かって右隣の子にも一か八か聞いてみた。その子はすっと顔をこちらに向けると「俺、男です。」と小さく笑いながら言った。短い笑いがグループ内で広がりを起こした。

 諦めて駐車場へ歩いていると、僕がナンパしたグループの少し離れた所にいた男子グループの声が聞こえてきた。「ナンパってマジで気持ちわりぃよな!!」その後に裏返った男たちの笑い声が暗い空に木霊した。

 僕はバイクにキーを刺し、エンジンを始動させる。

 「あいつバイク乗ってるじゃん!あれで釣る気だったんだ!」

 「ダッせ!」

 僕はバイクに跨る。

 そしてスロットルを回そうとしたその時、僕の首に回された白い腕が月に照らされて見えた。頭の直後から暖かい息が僕に向かって囁いた。

 「カッコイイ所見せてよ。」

 僕はただ黙って、その子を僕の後ろに乗せて走ろうと思った。振り返らなかった。しかしとても恥ずかった。だから一度僕の誘いを断ったグループの一人だったという事も知らなかった。ただ早く向こうの明かりの中の観衆から逃れて、この子を連れ去りたい気分だった。

 僕はスロットルを回し人生で一番早くバイクを走らせた。本当はまだ僕は二人乗りなんかしちゃいけない。彼女もヘルメットなんか被っちゃいない。けれどこれが大人を迎えたばかり、僕ら若い大人の勢いなんだ!法律なんか関係ないんだ!

 今度拓治に会ったら借りた金を返すついでに教えてやろう。あいつはナンパなんかしたことがないだろうから。僕らはそんなに悪くない!もう十分ナンパしてもおかしくない歳だろ?と背中を押してやる!いくらカッコよくなくても僕らの勢いなら関係ない!

 僕は余りにも幸せすぎた。恋をしたことはあるが、こんな危険なものは生まれて初めてだ。いつもならこんな思考をするとベタなドラマ的で自分でも恥ずかしくなるのだが、今は違う!

 あぁ僕はこの子と結婚する!このバイクと共に勢い良くどこまでも行く!家に帰ることなんか忘れてどこまでも!僕は大人なんだから!

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