第10話 あの国の現実と非現実という両面性

私はあの国から死ぬ思いで脱走した。ある日とても些細な事で、単純に嫌味をこぼしただけで無期懲役を言い渡されたのだから。その夜はとんでもないものだった。何もかも私の常識が壊れた。あれほど威厳のあり何事にも動じない性分であった父が涙を流し嗚咽し私に行かないでくれと懇願した。母が私の来るべき結果を共にすると言い出した。3歳だった妹は何も分からずにただ普段と違う父母の様子に呆然として震えていた。

 他の誰でもなく私が18年間毎日共に暮らした家族とこれから永遠に会えなくなる、そう意識しただけで吐き気がしてきた。交通違反で捕まった時とは全く違う。ある日私は無期という遠い非現実が自分のものとなり、ニュースで登場する悲しい容疑者となったわけである。

 脱走した私のせいで家族はもう居ないが私を寛大に受け入れてくれたこの国には感謝している。今もこうやって酒場で楽しく飲んでいられるのも適度な自由と安心の民主主義のこの国のおかげ、あの日自分に下された処分決定に衝撃を受け生物本能的に脱走を決心した自分のおかげである。

 「あの国じゃビールなんて飲んだことないだろう?あ、そもそもお酒の存在なんて知らなかったか!!」

 隣で顔を赤くして中年の男が私に絡んでくる。すっかりこの店の顔なじみだ。

 「そんな訳ないですよ!」

私は明るく男に答える。

 「あの国では私たちが作っていたやつがありますから。」

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