第6話 デカダンな日々

 彼女に誘われるまま私は屋敷に入り浸った。

 とうに家賃の払えなくなっていた長屋を引き払い、情夫のように転がり込んだ私を彼女はなんの見返りもなく受け入れた。


 屋敷には彼女のほかに、熊吉と呼ばれる下男げなんがいた。もともとはであったと言うこの男は、小柄ながらに骨太で頑強であった。


 彼女は未亡人であるらしかった。

 夫の遺品を私にあてがい、彼女は百貨店やキネマ鑑賞に私を同行させた。


 亡くなった方のものを身につけるのは気味が悪いという思いもわずかによぎったが、都会のきらびやかな娯楽の誘惑を前にして、そんなものは些細なことであった。


 ある時私は、彼女のオペラ鑑賞に随行した。演目は「椿姫」。


 鑑賞を終えた彼女は私に問うた。

「椿の花言葉を知っているかしら?」


 首を横に振る私に、彼女は教えてくれた。

「赤い椿の花言葉は『控えめな素晴らしさ』『気取らない優美さ』。でもね、この『椿姫』のストーリーに由来して『罪を犯す女』という裏の花言葉もあるの」


 彼女の赤い唇が艶かしく光る。

「ねぇ、あなたはどう思う? 劇中の高級娼婦は本当に罪を犯したのかしら? 青年の父親に身分の違いを指摘され身を引いたのが彼女の罪? それとも青年に自分のことを諦めさせようと嘘をついたのが罪? そんなことが罪だなんて、なんだか中途半端だと思わない?」


 私には彼女の話の意図するところが見えなかった。それ故口をつぐんだ私に、彼女は蠱惑的に微笑んだ。


「どうせ『罪を犯す女』なんてレッテルを貼られるのなら、彼女はなぜ自分の想いを貫かなかったのかしらね?」

 彼女のセリフに狂気を感じ取り、私の背筋を冷たい汗が伝った。


 この日のオペラ鑑賞を境に、私は彼女から距離を取るようになった。

 とはいえ、養ってもらっている身には拒否権などない。不義理をはたした田舎に帰るあてもなく、私は屋敷にとどまらざるを得なかった。


 天蓋付きのクイーンサイズベッドで夜をともにしていた私達に大きな変化が起きたのは、彼女が咳き込み血を吐いた日のことだった。


 往診に来た医師の見立てを聞いた私は、その日から客間に移った。


『肺結核』は致死の病。彼女も私の決断に文句は言わなかった。

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