第3話 蘇る記憶

 その足に触れた瞬間、私の脳内にピリッと電流のようなものが流れた。

 同時に白黒の不明瞭な映像が流れてゆく。


***

「一体何をそんなにも夢中になって読んでいらっしゃるの?」

 そよ風のような声がどこからともなく聞こえてきて、私は読んでいた本を声の主に差し出した。


「『椿姫』……フランスの作家『アレクサンドル・デュマ・フィス』が1848年に実際の体験を基にして書いた長編小説ですわね」

 彼女はそう言いながら興味深そうに私の手から本を取り上げ、パラパラとめくった。


『椿姫』はパリを舞台にした悲恋の物語。

 高級娼婦に恋をした貴族の青年は情熱的な愛で彼女の心を射止める。しかし父親の反対に遭い、二人は引き裂かれてしまう。

 困難を乗り越え再会したときには、彼女は結核に命を蝕まれていた。嘆き悲しむ男の腕の中で女は息絶える……そんな話だった。


「若い書生さんには退屈なお話なのではなくて?」

 彼女はクスクスと笑いながら本を返してきた。


「大学校の課題なのです。この本を読んで登場人物の行動原理の考察をしなければならないのです」

 少し照れながら応えると、彼女は口元を緩ませた。


「それならば、帝国劇場へ『椿姫』のオペラを観に行きましょうよ」


 甘い蜜に誘われる蝶のように彼女の甘美な声に導かれ、私はこの『椿屋敷』に足を踏み入れた。それは椿の咲き誇る一月初頭の寒い日の朝だった。


***

 そんなことを思い出しながら私は中庭に出ると、大きな椿の古木の根元に恐る恐る右足を横たえた。

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