第20話 ヒロッタ!
グレゴール侯爵邸で使用人をしているアンリは40歳を過ぎてジョンと結婚をした。
母親を看取ってやっとジョンの求婚を受ける気になったのだ。
アンリは母を亡くして寂しかった。
結婚して、すぐにアンリは妊娠した。お互い高齢であり不安がないわけではなかったが、アンリは元気な子供が産まれてくると信じていた。
アンリが産んだ子供は、産院から退院できなかった。
生まれつき遺伝子異常を持って生まれた娘は、すぐに点滴と巨大な人工呼吸器をつけられた。沢山の管に繋がれる娘は茶色がかった金髪で紺色の瞳をしていた。アンリは出来るだけ娘に付き添った。時折微笑むようにみえる娘はとても可愛かった。アンリは娘にソフィアと名付けた。
医師から沢山の説明を受ける。
アンリは、医師にお金なら幾らでも出すから娘を助けてくれとお願いをした。
その日から、仕事の後に病院へ通う毎日が始まった。
同じグレゴール侯爵邸で働く夫のジョンは、アンリに娘を諦めるように何度も言ってきた。人工呼吸器を外せば娘は死ぬ。どうしても娘を諦めきれないアンリはジョンと激しく喧嘩をするようになった。
その内、ジョンは結婚前に暮らしていた、グレゴール侯爵邸の森の小屋に帰っていった。
ジョンとは別居状態だが、毎月生活費を渡される。
結婚前に貯めた貯金、ジョンから渡される生活費、アンリの給料、少しでも可能性があるかもと、説明された治療法は全て試した。どんどん貯金が減っていく。
娘の治療を諦める事はできなかった。
娘が4歳になる時に、最後の治療だと高価な魔石の移植を説明された。
成功すれば、娘は元気になるらしい。
アンリは、その治療に望みをかけて母が残してくれた株や不動産も全て売り払った。
移植の前に、もうすぐ娘が退院できるかもしれないと、グレゴール侯爵家の託児所に相談に行き申し込んだ。
アンリの娘が入院している事を知っている屋敷の仲間は皆、喜んでくれた。それを遠くで見つめるジョンだけは、暗い顔をしていた。
ジョンが、どう思おうと関係ない。ジョンとはもう数ヶ月話をしていない。アンリはジョンに、一緒に娘の治療を望んでほしかった。アンリの話を聞き、励ましてくれるだけでもいい。でもジョンは、娘を諦めろ。人工呼吸器を外してやれと言うだけだった。
結果、魔石の移植は失敗した。娘は病院から一度も出る事なく亡くなった。帝国との戦争がはじまり、人手が足りない王都では集団葬儀を簡素に行うだけだった。娘は呆気なく葬儀場に運ばれ埋葬された。
アンリは娘が死んだ事が信じれなかった。結局ジョンにも知らせる事ができていない。まだ、娘が生きているような気がする。
アンリは、葬儀場を後にしてふらふらといつもの商店街へ行った。
「アンリ、アンリ。ちょっといいかい。」
馴染の店主に声をかけられた。
「今日は、休みなのかい。珍しいね。」
「ええ、そうなの。娘がもうすぐ帰ってくるの。その準備をしていたの。後は
もう帰るだけよ。」
「ああ、そうかい。おめでとう。すまないが、少し頼まれてくれないかい。人手が少なくて困っているんだよ。」
「ええ、いいわよ。」
「助かるね。王城へ荷物を届けないといけないんだけど、確かな身分証明がないとあそこは入らせてくれないからね。アンリなら侯爵邸の使用人だから大丈夫だよ。」
「わかったわ。運ぶだけでいいのね。」
「ああ、頼んだよ。」
アンリは、荷物を積んだ馬車を動かして王城へ向かった。中に通され、荷物を渡す。
アンリが帰ろうと馬車を動かしている時、大きな大樹の前で子供が木を見上げているのを発見した。木の枝に引っかかっている輝く銀のリボンを見ているようだ。
その子供は何日もお風呂に入っていないような姿だった。薄汚れた髪の毛は、茶色に見える。肌には泥がつき、やせ細っている。目は窪んでおり、濁った緑色をしていた。
一目見て、ソフィアだと思った。
ソフィアだ。ソフィアが帰ってきた。
アンリは震えながら娘に近づき話しかけた。
「こんな所でなにをしているの?名前は、、、」
娘は、ボーとアンリを見て言った。
「みんないなくなったの。ザックもいないの。私はソニア。さみしいの。」
アンリは、目の前の娘は捨てられたのだと思った。王城の中に捨てるなんて信じられない。娘は今にも死にそうに見える。ここに置いていくわけにはいかない。
「辛かったわね。ソニアさえ良ければ、私の娘になってくれないかい?ご飯も服もあるし、温かいお風呂もある。ふわふわのベッドもあるよ。」
金髪の娘はボーとアンリを見て頷いた。
「うん。一緒に行く。」
アンリは、笑って言った。
「いい子だね。今日からお前の名前はソフィアだよ。私がお母さんだ。今までの辛い事は全部忘れていい。私が大事にするからね。」
ソフィアを荷台の空の樽にいれて、王城から出た。だれも引き留める者なんていなかった。店主に馬車を返し、綺麗な毛布に包んだソフィアを抱きかかえてアンリは自宅へ帰った。
ソフィアは、何歳か分からないが、あまり食べれていなかったらしく、小さくやせ細って見える。娘と同じ4歳と告げても誰も疑わないだろう。
アンリは、ソフィアを起こし、湯船につけて丁寧に全身を洗って泥を落とした。ソフィアは美しい金髪をしていた。よく見ると瞳も澄んだ緑に見える。アンリは退院する娘の為に用意していた服を着せる。すべてソフィアと名前を書いていた。食事を食べさせて、一緒に布団に入る。
ソフィアは安心したようにすぐに眠りについた。
「帰ってきた。やっと帰ってきた。ありがとう。ソフィア。」
数日、自宅でソフィアと過ごしたアンリはグレゴール侯爵邸へソフィアと出勤した。ソフィアは申し込んでいたグレゴール侯爵邸の託児所へ預けた。
その日、アンリはグレゴール伯爵夫人について領地へ向かった。伯爵夫人を送ったら夕方には王都に帰れるはずだった。だが、急な土砂崩れが起き、グレゴール侯爵夫妻と、使用人達が土砂崩れに飲み込まれた。アンリもその中の一人だった。
アンリは、救出され救護院で手当てをされていた。朦朧とする意識。帰って来たばかりのソフィアの事だけが気がかりだった。
知らせを受け駆け付けたジョンがアンリに駆け寄る。
アンリは必死にジョンへ頼んだ。
「お願い。ジョン。ソフィアを託児所に預けたままなの。私たちの娘をお願い。寂しがっているわ。大事に育てて。お願い。」
ジョンは泣きながら、アンリに言った。
「大丈夫だ。ソフィアを任せてくれ。アンリ、アンリ。」
アンリはそのまま息を引き取った。
ジョンは、アンリを看取って王都のグレゴール侯爵邸へ帰った。アンリとジョンの娘は生まれた時から息をしていなかった。機械で辛うじて心臓が動いている娘の治療費は膨大だった。医師の説明では、すでに脳は死んでいて治療しても回復する見込みがないと何度も伝えられた。だが、アンリは信じなかった。いつか娘は帰って来ると信じ込み、人工呼吸器を外そうとしない。病院もアンリに根負けし、望みの薄い治療の説明をする。その度に高額な費用を払いアンリはソフィアの治療を続けた。
ジョンは、アンリを諫めたが、アンリはジョンを罵るようになってきた。相変わらず仕事に行き、まじめに働いているアンリは何かが少しずつ壊れているようだった。ジョンはそんなアンリを見たくなくて、侯爵邸の小屋へ戻った。
娘が産まれて4年以上たった日、アンリは、娘が退院するからと言って数日休んだ。ジョンは娘が退院できない事を誰よりも、よく知っていた。治るような状態ではない。信じられない事を言うアンリの事が心配だった。
領地へ行ったアンリや公爵夫妻が土砂崩れに巻き込まれたと聞き、駆け付けた。アンリはソフィアを頼むと言い残して亡くなった。アンリの遺言を確かめようと託児所を訪れると、ソフィアと名乗る娘が本当にいた。
ソフィアと名前が書かれた服を着て、ソフィアと名乗る金髪の子供は、やせているが元気に駆け回り、笑っている。明らかに自分の子供ではない。だけど、ソフィアだ。
アンリが待ち望んでいたソフィア。ジョンはソフィアを小屋に連れて帰って一緒に暮らす事にした。自分はこの子の父親ではない事は明らかだ。本当のソフィアがどうなったのかは病院へ問い合わせるとすぐに分かった。死亡し、すでに埋葬されたらしい。では、目の前の金髪の娘は誰なのか。誰でもいい。アンリの遺言通り、できる限り大事に育てるだけだ。ジョンはそう心に決めた。
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