第十三章

       一


「そいつが生き返らせた魔物があの男を殺したんだ。あの男を殺したのはそいつだよ」

 シーアスが嘲笑うように言った。

 カイルが再度怒鳴る前に、

「だったら何よ!」

 ミラが言い返した。

「え?」

 カイルは驚いてミラを振り返った。


「私を助けるためでしょ。だったら何が悪いのよ」

「怒らないの?」

 カイルは思わず訊ねた。

「何を?」

「君はあの村がハイラル教に食料もらえるようにするために大人しく殺されようとしたんだろ」

「そうだけど……私を助けようとしたんでしょ。アスラル教は襲われたら守っていい事になってるじゃない」


 守っていい対象は自分だけではない。

 自分のみに限定してしまうと他人を助ける事が出来なくなる。

 襲われてる人を助けたり神官が代わりに魔物退治をする事も出来なくなるから他人の為の反撃も許されているのだ。

 シーアスの声はそれ以上聞こえてこなかった。

 地震が止まる。


「食料が貰えなくなったとしても水不足にはならないんだから来年からは普通に収穫出来るわけだし」

「それ、分かってて殺される事にしたの!?」

「水不足にはならなくても作物が病気で枯れたりすることはあるし、援助してもらえるならそう言うとき助かると思って」

「そこまで心配する必要ある? それはどこの村でも起こるんだし、全ての人間を助ける事は出来ないんだよ」

「そりゃそうよ。でも自分が出来る範囲でやればいいってラースが言ってたもん。みんながほんの少し人に優しくすれば住みやすい世界になるって」

 それはハイラル――先在せんざいの教えだ。

 アスラル教は間違いなく先在ハイラルの教えを受けた者――おそらくエリシャ――が作ったのだ。

 だがその先在はいわれのない罪で処刑された。


「ハイラルが処刑されたのは人を救ったからだ」

「それはこの前ラースから聞いたわよ」

「罪状知ってる?」

「え、人を助けてたからじゃ……」

「三千年前だってそんな理由じゃ処刑は出来なかったよ。罪状があったんだ」

 ミラは黙って聞いていた。


「罪は反逆罪。王様にハイラルは謀反むほんたくらんでるって嘘の密告した人がいてそれで処刑されたんだ」

「ふぅん」

「誰が密告したと思う?」

「そりゃ、ハイラルが邪魔な人でしょ」

「弟子だよ。ハイラルが邪魔だった人が弟子の一人に金を渡して嘘の告発させたの」

「なんで自分で言わないの? 自分で言えばお金払わなくてむのに」

「ハイラルと敵対してる人が言うより、親しい人が本人から聞いたって言う方がホントみたいに聞こえるだろ」

 ミラが納得したように頷いた。


「お金の為に他人を騙して儲けようとする人や、騙された人を助けようとしてる人を陥れる人、お金をもらって親しい人を裏切る人。それまで散々人助けをしてきたのに処刑される事になったとき助けてくれる人は誰もいなかった」

「それは仕方ないわよ」

「なんで!? 人助けしてたんだよ!? 助けてもらった人達は大勢いたのに……」

「でも助けたら法律を破ることになるんでしょ」

「そうだけど……」

「恩人を助ける為なら法律を破っていいって事になったら悪いヤツだって法律を破ってもいいことになるでしょ。それじゃ法律の意味がなくなるじゃない」

「……だから君も警備兵に大人しく捕まろうとしたの?」

「うん、だって本当に私がケナイ山を村ごと吹き飛ばしたなら当然でしょ」

「やったのは君じゃないだろ!」

「そうだけど……犯人って決まっちゃったんなら決まりには従わないと」


 どんな悪法だろうと悪法だから破っていいとなったら法律の意味がなくなる。

 悪法だと思うのならそれを変えるようにするべきであって法律としての効力を持っている間は守る必要がある。

 でなければ社会秩序は保たれない。

 ラースからそう教わったのだろう。


「……なんで法律には従うのに神殿の規則には従わなかったの?」

 カイルが訊ねるとミラが肩をすくめた。


 おそらく警備兵に大人しく捕まろうとしたのは誰も味方になってくれなかったからだ。

 家族にすら見捨てられたから。

 きっと家族や村人達は信じてくれると思っていたのだ。

 だが裏切られた。

 当然だ。

 元々警備兵を呼んだのは村の者なのだから。

 最初からミラを追い出す気で呼んでいたのだから味方などいるはずがなかった。

 信じていた人達に裏切られた。


 両親は本当に自分ミラを自分達の子供だと思っていなかった。

 親が手を差し伸べてくれる日は来ない。

 村から出してもらえず外の世界を見たことがなかったミラは他の場所で生きていくすべを知らなかった。

 それで生きることを諦めたのだ。

 そしてアル・シュ・ムイラはアスラル神から見捨てられた。

 理由は分からないがアスラル神は誰か、あるいは何かにミラという祝福を与えたのだろう。

 にも関わらず恩を仇で返すような真似をしたからあの地アル・シュ・ムイラはアスラル神の加護を失ったのだ。


 ミラとカイルは山道を歩いていた。


「僕は君みたいに許す事は出来ないし、忘れることも出来ない」

「まぁ普通はそうでしょ」

「自分が普通じゃないって言ってるって分かってるの?」

「分かってるわよ」

 ミラがむっとした表情で言い返す。


       二


 ミラはずっと前に諦めたのだろう。

 期待してないから失望もしない。

 人間とはそう言うものだと突き放して見ているから怒らないし許せる。

 氷を見たことが無いと言うことは冬の朝、外に出たことがないと言うことだ。

 マイラヤナのことを嫌っていたし、もしかしたら友達もいなくて同年代の子と遊んだこともなかったかもしれない。

 神様として扱われていたから子供らしいこともしたことがなく、ただ家の中に飾られ、依頼があったときだけ祈らされ、家族と一緒にいるマイラヤナを羨ましいと思っているだけの日々。

 人々に沢山のものを与え続けてきたのに自分が欲しいものは手に入らなかった。

 望みはたった一つだったのに。

 だから家族や村人達に裏切られたと知ったとき全てを諦めてしまったのだ。


「僕は許せない」

 ミラから多くのものを受け取りながら彼女に何一つ与えなかったどころかハイラル教に売ったケナイの連中を。

「君に恩を仇で返した奴らも……あの人グースを見殺しにした自分も……」

 ミラは分かっているのかいないのか、小首をかしげている。

「こんな思いしてまで救う必要があるの? なんでそこまでしなきゃならないの? 君も僕も誰かにそれだけの事してもらったことなんかないだろ」

 カイルの顔を見ていたミラがひらめいた! という表情になった。


「そっか、あんたハイラルなんだ。それで二人いるんだ」

「前に話しただろ先在と後在がいるって。僕が……」

「あんたは前の方」

「え?」

「処刑前のハイラルも今のあんたと同じように考えたから他の人に決めてもらう事にしたのよ。だから二人なんじゃない? ハイラルと、ハイラルが任せた人」

「先在が後在に判断を託すとは……」

「バカね。判断を託した相手が後在で、あんたが先在なら私が後在って事でしょ。だったらハイラル教徒が私を殺そうとする訳ないでしょ」

 そういわれてみれば……。

 ハイラル教徒がカイルを殺そうとしないのは後在と見做みなしているからだ。


「どちらにしろ人を死なせてしまった僕をラースはきっと許してくれない。ガブリエラも……何より自分自身を許せない。人を殺したことも、心が狭くて情けない自分も……」

 この事が知られれば中央神殿の連中は今度こそカイルを処刑するだろう。

 それを知られたくないと思っている卑怯な自分も、自分が嫌悪している浅ましい人間と同類だ。


「なら私がゆるすわ」

「え?」

 ミラの言葉に顔を上げた。

「私が赦してあげる。他の誰が赦してくれなくても、あんたが自分を赦せなくても、私が赦す」

 ミラがどうだ、と言うように胸を張った。

 カイルは言葉もなくミラを見詰めていた。


「…………」


 そういう事か……。

 これだ。

 ミラがもう一人の〝約束の子〟の理由わけ

 ゆるし、救う者。

 それで先在が判断を託す相手に選んだのだ。

 彼女は決して見捨てない。

 世界の破滅は望まない。

 それが分かっていたから彼女に判断を委ねたのだ。

 彼女が破滅を望んでしまうほどひどい世界はそれこそ救う価値がないから。

 だからハイラル教にとっての障害なのだろう。


 カイルとミラは山道を歩いていた。

 標高が高くなるにつれ樹々が増えていき、この辺りは森になっている。

 二人は川沿いを歩いていた。


「なんでそんな難しい顔してんの?」

「聖句の復習だよ」

「なんで?」

「君が聖句を覚えてないから!」

「私はそんなの言わなくても使えるわよ」

「その代わり知ってる魔法しか使えないだろ」

 大地の剣イス・レズルは聖句を聞かせたら出せた。

 氷を見せる前に氷雪魔法を使う必要に迫られたとき聖句を言えば使える可能性は高いがミラが覚えてるのは既に使えるテル・ルーズだけなのだからカイルが唱えて聞かせるしかない。

 そのとき聖句を間違えたらイス・レズルの時のように違う物が出てきてしまうから復習をしていたのだ。


「君、教典持ってるよね」

 カイルの言葉にミラが両手を見せた。

「神殿の部屋にって意味だよ」

「あるけど」

「それ、ここに出せる?」

「なんで?」

「僕が見たいから!」

「だったらあんたのでいいでしょ」

「僕のが出せるんなら僕の方がいいけど、君、僕の教典見たことないだろ。出せる?」

 ミラはカイルの言葉に不機嫌そうな表情で腕組みをした。


 …………。


 何も出てこない。

 ミラが腕組みをとくと二人の前に一冊の本が落ちてきた。

 子供用の絵本……。


「これ、村で使ってたもの?」

「村でこんなもの読むわけないでしょ」

「字は読めるんだよね?」

 カイルは恐る恐る訊ねた。

「当たり前でしょ!」

「なのに神殿でこれ読んでたの!?」

「読んでないわよ」

「じゃあ、君が読んでたのは?」

「ない」

「なら、これは?」

「神官長にせめてこれくらいは読めって渡されたのよ」

「君、こんなの渡されて平気だったの!?」

 どんなバカでもこの程度なら読めるだろってイヤミだぞ……。


「大人用だろうと子供用だろうと読まないならどっちだって同じでしょ」

 カイルは眩暈めまいを覚えた。

 この感覚、久し振りだな……。

「君、ケナイの魔物がお祈りしたって言ってたよね。つまり教典を全く読んだことがないわけじゃないんだろ。これには魔物が唱えた文句は書いてないんだから他の教典読んだって事だよね」

 カイルは頭痛に耐えながら辛抱強く言った。

「ラースが村に来たとき何度か読んでくれたのよ」


 そういえば……。

 ラースは、ガブリエラが勝手にかぶせてしまったと苦笑いしながら可愛らしい花柄の表紙の教典を持ち歩いていた。


「ラースの教典は? 覚えてる?」

「あの可愛いやつ?」

「そう! それ!」

 カイルの言葉が終わる前に花柄の教典が現れた。

 こういう事か……。

 ラースがガブリエラに好きにさせていたのは逆らうと後が面倒だからと言うだけの理由ではなかったのだ。

 ガブリエラの好きな可愛らしいものをラースのような大人の男性が持ち歩いていれば印象に残りやすい。

 もしもの時に備えてミラが覚えやすい物を持っていたのだろう。

 おそらくこういう事態を想定していたのだ。


「ね、村があるわよ」

 ミラが指差した先には何軒かの家が見えた。

「行ってみましょ」

 ミラの言葉にカイルは溜息をいた。

「君、たった三日前のことも覚えてないの?」

「覚えてるわよ。でも、あんな小さな村に警備兵なんかいないでしょ」


 普段ならそうなのだが……。

 そもそも町の入口でミラを待ち構えていたのがおかしいのだ。

 町中にいるミラを見て、手配書の娘だと気付いたというのなら分かる。

 だが声を掛けられたのは町の外だ。

 しかも夜だったのだから遠くからでは顔は判別出来なかったはずだ。

 おそらくアスラル教かハイラル教があらかじめ二人の立ち寄りそうな町の警備兵達に二人が来ることを教えていたのだろう。

 だとすれば普段は警備兵のいない村に来ている可能性がある。


       三


 不意に背後で草を掻き分ける音がした。

 カイルは振り返りながら障壁を張った。

 木の枝をけながら中年の女性が現れた。

 手に大きなかごかかえている。

 どうやら木の実を採取した帰りらしい。


「あんた達、見ない顔だけど迷子かい?」

「いえ……」

 否定しかけて口をつぐんだ。

 道があるにも関わらずそこを通っていなかったのだ。

 迷子を否定したら追われている事を肯定することになってしまう。

 かといって迷子だと言ったら嘘をくことになる。


「あの村に行こうとしてたの」

 ミラが無邪気に答える。

 こういうときミラの罪のなさそうな見た目は役に立つ。

 この顔で詐欺まがいのことを平気で言うとは誰も想像しないだろう。

「ああ、近道しようとしたのかい」

 中年女性が笑った。

 村へ向かう道は湾曲わんきょくしていて少し遠回りなのだ。

 最短距離でいこうと思ったら道を外れて森の中をっ切った方が早い。

 おそらくあの村の子供はみな同じ事をするのだろう。


「村に知り合いがいるのかい?」

「いえ、あの山を越えないといけないのですが、そろそろ暗くなるので……」

 だからといって村へ行こうとしていたわけではないが村に向かっていたとは言っていない。

 かなり際どいところだが……。

「村に宿はないから今夜はうちに泊まりな」

「いいの?」

「いいよいいよ」

 女性はそう言うと二人を自宅へと招いた。


 標高が高すぎず低すぎず適度に雨の降る場所だから不作は滅多にないだろうし、山の恵みもあるし川に魚もいる。

 不作の年でも食べ物には困らないだろう。

 これなら一晩くらい世話になっても大丈夫か……。

 ざっと見回した限り警備兵がいる様子もない。


「おや、その子達は?」

 村に入って女性の家に向かっていると初老の男性が声を掛けてきた。

「山を越える途中だって言うから連れてきたんだ。夜は獣や魔物が出るだろ」

「そうかい、ゆっくりしていくといいよ」

 男性はそう言うと去っていった。


 家にくと女性が食事を出してくれた。


「ね、困ってることない?」

 ミラが訊ねた。

「僕、大工仕事が得意なんです。修理が必要なものがあれば直しますよ」

「もしケガ人とか病気の人がいるなら……」

「僕達がすぐに町に行って呼んできます」

 カイルは急いでミラを遮った。

 魔法を使えるという事は知られたくない。

 ミラは不満そうな表情をしたが何も言わなかった。

「今のところは特にないね。ありがとよ」

 女性はそう言って笑った。


 翌朝、朝食をご馳走になっている時、外から騒ぐ声が聞こえてきた。


「なんだろうね」

 女性が騒ぎを確かめようと窓を開いた。

「うちの子は関係ない! 破壊神の使いってなんだ!」

 その言葉を聞いた瞬間、ミラが家から飛び出した。

 カイルも後に続く。

 オレンジ色の聖衣を着た男達が暴れる子供を押さえ付けていた。


「ちょっと! その子を離しなさい! 約束の子は私よ! その子は関係……」

「お前のせいか!」

 子供の父親がミラを殴り付けた。

「きゃ!」

 ミラが地面に倒れ込む。

「ミラ!」

 カイルがミラに駆け寄った。

「ちょっと待ちなよ。どういうことなんだい」

 女性が男性とセルケト教徒を交互に見ながら訊ねた。


「その二人は破壊神がこの世界を滅ぼすためにつかわせた使者だ」

「そいつらがいたら世界が滅びる」

「殺さなければ我々は全員死ぬんだ」

 セルケト教徒達がそういった途端、村人達の空気が変わった。

 化け物を見るような嫌悪と憎悪の視線。

「ミラ、霧、雷」

 辺りが濃霧に包まれ辺りに轟音が響き渡る。

 カイルはミラの腕を掴むと村の出口に向かって駆け出した。

 走りながら障壁を張る。

 周囲の樹々が折れる音がする。

 魔法で薙ぎ倒されているのだ。


「ミラ、前に向かって強い風!」

 強風で霧が晴れる。

 前方を塞いでいた樹々が吹き飛ばされて道が出来る。

「痛っ!」

 ミラが声を上げて風が止まった。

「自分で治せる?」

「もう治し……痛っ!」


 目の隅に大量の血が飛び散ったのが見えた。

 足をやられれば治すまでの間、わずかだがその場に留まることになる。

 そうなれば追い付かれる。

 前回と違って攻撃が途切れないのは交代で打っているからだろう。

 向こうは約束の子を倒すためだけに修行してきている。

 体力もカイル達よりあるはずだ。

 ミラとカイルは魔法を際限なく使える代わりに体力がない。

 長時間走り続けるのは無理だ。

 現にミラの足が遅くなり始めている。

 無事なうちにこちらから仕掛け……。


「きゃっ!」

 ミラがつまずいた。

 倒れるより前に別の攻撃でミラの身体がね飛ばされる。

 カイルも違う方向へとはじき飛ばされた。

 その間にもカイルとミラの身体を攻撃がき抜ける。

 地面に叩き付けられる直前、ミラの左胸から血が噴き出すのが見えた。


「ミラ!」

 カイルは地面に倒れ込んだ。

 ミラを助けなければ……。

 けれどここで生き返らせてもカイルが死んだ後にまた殺されるだけだろう。

 もう一度同じ苦痛を味合わせてしまうことになる。


 これが望みなのか?

 こうやって約束の子が生まれてくる度に殺して……。

 無関係の子供まで約束の子という理由で殺そうとした。

 カイルもミラも世界の破滅を望んだことはない。

 少なくともミラは望まない。

 なのに約束の子だからという理由で殺すのか?

 何もしてないのに。


 ……いや、違う。

 ミラは人々に多くの恵みをもたらした。

 大勢の人を助けてきた。

 見返りも求めずに与え続けた結果がこれなのか?

 奪うばかりで与えてはくれず、破滅を防ぐためだと言って何もしていない者の命を奪う。

 他の方法を試そうともせずに拙速せっそくに暴力で解決をはかる。

 そんなに世界の破滅を望んで欲しいのか?

 そっとしておいてくれれば何も起きなかったのに。

 何もしてこなければ破滅を望むことなんかなかったのに……。

 こんな世界……。

 不意に目の前の景色が変わった。


       四


「ほら、もう大丈夫だよ」

 そう言ったのは自分だがカイルよりも低い大人の声だった。

 回復魔法で少年の傷を癒やしたところだった。


「こいつが〝約束の子〟だ!」

 誰かが叫んだ。

 なんの話だ?

 自分カイルがそう思った直後、後頭部を殴られて地面に倒れた。

 次々と殴られて身体中に衝撃を受ける。

 驚いて駆け寄ってこようとした自分カイルの恋人も殴り倒された。


「この女も仲間だ!」

 その声と共に彼女まで殴られ始めた。

「この子供も呪いを受けたかもしれない」

 そう言うと誰かがたった今自分カイルが治した子供を殺した。

 どうして……。

 何故自分達がこんな目に遭わされるのか理解出来ない。


〝約束の子〟

 それはなんだ。


「契約が始まる前に殺してしまえ!」

 再び人々を煽動せんどうする声が聞こえた。


〝契約〟

 一体なんの話だ。


 見ると恋人はぼろ雑巾のようになって転がっていた。

 彼女は関係ない。

 たまたま自分の恋人だったというだけだ。

 なのに巻き添えを食らって惨殺ざんさつされた。

 こんなことをされるいわれはなかったのに。

 男は怒りで身体が震えた。

 だがもう指一本動かす力も残っていない。

 何もしてない自分達をこんな目にわせた奴らが憎い。

 助けてくれなかった連中も許せない。


「許す必要はない」

 シーアスの声が頭の中で囁いた。

「彼女だけじゃない。お前と血縁関係のある者は全員殺された」

 血縁は死んだ両親だけだ。

「何代も前の先祖までさかのぼってその子孫達を皆殺しにしたんだ」

 何故……。

 自分達が何をしたんだ。

「何も」

 何も?

「何もしてない。同じ男の子孫、ただそれだけだ」

 なんでそんな理由で……。


「それが人間と言う生き物だ。許せるか? そんな理不尽な世界を。人間達を」

 許せない。

「なら望め。世界の破滅を。お前にはそれが出来る力がある。憎いだろう。この世界が。彼女を殺した連中が」

 憎い。

 許せない。

 無関係の彼女まで巻き添えにして殺した世界など……。

 そのとき見知らぬ記憶が脳裏に浮かんできた。

 今と同じく激痛の中で叫んでいる聞き覚えのない自分の声。


 神よ。

 私の命を捧げます。

 代わりに私の大切な人をお守り下さい。


 過去の自分も似たような目にい、せめて愛する者だけは助けて欲しいと神に懇願こんがんして死んだ。

 自分はあの男の子孫なのか……。

 だとしたら愛する人は救われたと言う事になる。

 神は願い通り自分の大切な人だけは守ってくれたのだ。


 もう一度彼女に視線を向けた。

 こんな目にってもなお彼女は微笑んでいるように見えた。

 手を焼く子供を見守る母親のように、自分を殺した人間を「許してあげて」と言っているかのように。

 ずっとその優しさに救われてきた。

 彼女の側にいられればそれで良かった。

 他には何もいらなかった。

 唯一この世と引き替えにしてもいいと思える人。


 ……君はこんな目にわされても許してしまえるのか?

 私には無理だ。

 君は本当に許せるのか?

 何もしていない自分を殺した連中を、助けの手を差し伸べてくれる人のいなかったこの世界を。

 自分には許すことは出来ない。


 だから君に判断を委ねよう。

 本当に許せるのなら救えばいい。

 この世界に、人間達に、それだけの価値があると思えるのなら。


 神よ。

 私の命を捧げます。

 代わりに私の大切な人をお救い下さい。

 彼女に判断を委ねます。


 男は最後の力を振りしぼってそう呟くとゆっくり目を閉じた。

 そのまま意識は暗闇の中に落ちていった。


 カイルの目に映る景色が戻った。

 そういう事か。


 ハイラルが望んだのは愛する者エリシャの無事。

 それが神と交わした契約だ。

 だからエリシャはこの大陸に飛ばされ生きびることが出来た。

 契約はあくまでもエリシャを助けること。

 エリシャが寿命をまっとうした時点で神とハイラルの契約は満了まんりょうしたのだ。


 最初の約束の子は〝約束の子〟ではなかった。

 最初の約束の子が死ぬ間際まで契約も存在してなかった。

 あの声、あれはシーアスだ。

 おそらくあいつシーアスが先在の唱えた慈悲の教えを呪いの教えに変えたのだ。

 ハイラル教徒に「異教徒を殺せ」「〝約束の子〟が神の国をもたらす」と言ったのだろう。

 そして、セルケト教徒はそれを聞いて〝約束の子〟とは、この世に破滅をもたらす存在だと見做みなしたのだ。


 あいつシーアスが人々を煽動し、最初の〝約束の子〟をそそのかした。

 人間を呪え、世界の破滅を願え、と。

 だが彼はハイラルの命と引き替えにエリシャが助かったことを知って同じ事を願った。


 その瞬間、彼は〝約束の子〟となり〝契約〟が生まれた。


 あの時、ただ彼女を助けることだけを願えば良かったのだ。

 そうすれば契約は彼女の寿命と共に満了していた。

 だが彼は、最初の約束の子カイルは判断を彼女に委ねてしまった。

 だから彼女ミラが巻き込まれた。

 ごめん……。

 ただ助けたかっただけなのに……。

 心が弱かった自分はシーアスの言葉にまどわされて破滅の可能性を残してしまった。

 本来ならミラはこんな目にわなくてんだのに巻き込んでしまった。

 本当にごめん……。

 許してとは言えない。

 これで君が定めから解放されるかは分からないけど……。


 神よ。

 私の命を捧げます。

 代わりに私の大切な人をお救い下さい。


 その瞬間、カイルの意識が暗転した。


 ミラが目を開くと青い空が見えた。

 ゆっくりと身体を起こして辺りを見回す。

 知らない場所だった。

 眼下に荒野が広がっている。

 ここはゆるやかな坂の途中だ。

 さっきまでは森の中にいた。


 セルケト教徒のことを思い出して慌ててもう一度周囲を確認したが人影は見えない。

 遮るもののない荒野だ。

 身を隠せる場所はないから誰もいないのだろう。

 近くに山が見えるが周囲に比較出来るものがない場所での遠近感はてにならない。

 大きいものは近くにあるように思えても実際はかなり離れていたりする事がある。


 カイルを探してもう一度周りを見たとき道標みちしるべに気付いた。

 ローグと書かれている。

 どうやらローグの近くらしい。

 標識の指す方向を見ると遠くに町があった。

 町は高い壁で囲まれている。

 建物はどれも小石より小さい。

 二階建てらしいのにこれだけ小さく見えるという事はかなり距離があると言う事になる。

 ミラはティルグには入れないのだからここへは誰かに運ばれてきたはずだ。

 何が起きたのか分からない。

 ローグの近くにいる理由も、なぜカイルがいないのかも。


 ……約束の子が封印を開き契約の序次じょじは始まった。

 これより契約の施行しこうが開始される。


 地の底から響くような声が聞こえてきた。

 ミラははじかれたように顔を上げた。


「契約って言うのが世界の破滅なら望まないわよ」

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