第十二章

       一


「なんで邪魔するのよ!」

 村から離れたところでミラが腕を振りほどいた。

「場所なら分かるし、そもそもあの人グース、素直に教えてくれたかどうか……」

「なんで?」

「他の村でも水が出たら売れなくなるだろ」

「だから?」

 水を渡すだけでお金がもらえるなら農作業をしなくて済む。細工仕事も。

 何もせずに楽に稼げるようになるのだ。


 ミラは苦労を知らない。

 そこにいるだけで豊穣ほうじょうをもたらし、疫病えきびょうに見舞われる事も、魔物も近付いてこない。

 その為ずっと大事にされてきた。

 それが普通の状態だと錯覚してしまったケナイの連中がミラの力を恐れるようになるまで。

 村を追い出されてからも神殿で何不自由なく過ごしてきた。

 その上魔法を使えば何でも出来る。

 世間から隔絶かくぜつされた環境にいたせいか欲が無い。


 唯一望んだのは親の愛情だけだ。

 それ以外のものは欲しいと思った事がないから欲望というものを知らないのだろう。

 物欲が無く、旅に必要な食事代と宿代以外で金が必要になった事も無いから金銭欲も無い。

 宿はともかく食事はレラスにた頃と同じように街中で人助けをすればその中の誰かは食べさせてくれた。

 大地母神の化身だからか野宿が気にならないらしく宿に泊まれなくても特に不満はないようだ。

 そうなると本当に金が必要にならない。

 そのせいか人間には金を儲けたいとか金で人を雇って楽をしたいとかそう言う欲がある事が分からないようだ。


「この辺の村はどこも水がなくて作物が採れないんでしょ。しかも鉱石も出なくなっちゃったんならお金なんてどうやって作るのよ」

 子供を人買いに売るんだよ、とは言わないでおいた。

 どうせ止めても無駄だろう。

 ミラは一人でも行こうとするはずだ。

 カイルは溜息をくと隣の村に向かって歩き出した。


「そうですか。ありがとうございました」

 カイルは年老いた女性に礼を言うと村を出た。

 ミラは村から見えないところで待機している。


「いいよ」

 岩に腰を掛けていたミラに言った。

「なんでこんな面倒な事しないといけないのよ」

「わざわざ村まで行かなくていいんだぞ。どこが面倒なんだよ」

 カイルはそう言うとミラにおおよその場所を教えた。

 次の瞬間、足下を冷気が走った。

 今頃カイルの言った場所に水が湧いているはずだ。

「行こう」

 カイルはミラを促すと足早にその場を離れた。


「今の村が最後だからこのままロークへ向かうよ」

「いいけど、なんで隠れて遠くからやる必要あったの?」

「君がやったってこと知られたくないから!」

 名乗っちゃったったし……。

「なんで知られたくないの?」

「僕達を狙ってる連中が大勢いるからに決まってるだろ! ダイラでのこと忘れたのか!?」


 ケナイ出身、アスラル神の化身マイラ、今はアスラルの神官でミラと名乗っていてロークを目指している。

 このくらいの情報は全員に掴まれているはずだ。

 アスラル神の化身が出来そうな事をしたというのはなるべく知られないようにしたい。

 ハイラル教徒はカイルを殺す気がないことを考えたらミラの方が敵が多いという事になる。

 ミラは不機嫌そうな表情をしながらもそれ以上は文句を言わなかった。


「ラース達、大丈夫かしら」

「何が?」

「あんたと私がいなかったら上級神官は五人しかいないわけでしょ。忙しくなってるんじゃない?」

「君がいた時から五人だったようなものだろ」

 ミラはほぼ何もしなかったし回復魔法しか出来ないカイルも魔物退治は出来なかったから治療の依頼しか受けられなかった。


「けど君がいなくなったから五人じゃキツくなったかもね」

 ミラのお陰で魔物はほとんど出なくなったし流行病も起きなかったから治療の依頼もかなり減っていた。

 上級神官が出向かなければならない依頼がほとんどなかったから七人中二人が役に立たない状態でもなんとかなっていたのだ。

「なんで私がいないと仕事が増えるの?」

「魔物が減ってたのも流行病が無かったのも君がいたからだよ。今後は長雨になったり逆に日照りになったりするかもしれないし、長雨になったらまた土砂崩れが起きるかもしれないから」

「そうなると他の神殿から神官を呼ぶわよね」

「だろうね」

「まさかヤナマイラが来てたりしないでしょうね。ヤナマイラがケナイでの失敗でエンメシャルから降格されてないか聞こうと思ってたのに忘れてた。帰った時ヤナマイラがいたら今度こそ出てくわよ」

「そう言えば君、なんでマイラヤナが嫌いなの? マイラヤナが君を嫌うのは分かるけど」


 最終的に村を追い出されたとは言えミラは生まれた時から大事にされてきた。

 レラスでも来ると同時に上級神官になったのだからマイラヤナねたまれるのは当然だろう。

 だがミラがマイラを毛嫌いする理由が分からない。

 マイラをうらやましがる要素なんてないだろうに。

 魔法はともかく自然現象を扱わせたら右に出る者はいない上にラースからは特別扱い。

 元々マイラがレラス神殿に入れたのはいつかミラが来た時のためだったのだろう。

 替え玉が必要なくなったからマイラが上級神官になると同時に本来入るべきだったタグラへ異動させられたのだ。


「昔から何かというと突っ掛かってきてたのよ。堂々とやると怒られるから父親におんぶされてる時や母親に抱き付いたりして大人に顔を見られないようにしてこっち向いて舌を出してきたり……」

 あっ……!

 おんぶや抱き付いた時……。

 ミラが唯一欲しかったもの――親の愛情――をマイラは持っていた。

 だからミラもマイラをうらやんでいたのだ。


「疲れた」

 ミラは言うなり近くの岩に座り込んだ。

「ミラ……」

 今夜はこの山で野宿になるにしてもカイルとしてはもう少し先まで行きたい。

 この辺の村を回って水が出るようにしたのでこの地域に長居する事になってしまった。

 ダイラで襲ってきた者は生きているのだろう。

 でなければミラがあんなに急いで宿から飛び出すわけがない。

 その連中がそのまま追ってきているにしろ、別の神官が派遣されたにしろぐずぐずしていたら追い付かれる。

 とはいえカイルも疲れていた。

 ミラはカイルより華奢なのだからもっと疲労しているだろう。

 カイルも休む事にした。


       二


 数日後、夜になり、ようやく町が見えてきた。

 町の入口の松明が目印のように明るく灯っている。


「やっと着いたー!」

 ミラが嬉しそうな声を上げた。

 それから難しい表情をしているカイルの方を向いて、

「なんでそんな顔してんの?」

 と怪訝そうに言った。

「町へ行ってもお金がないからお店や宿には入れないよ」

「ケガしてる人や病気の人達、治してあげれば誰かがご馳走してくれるわよ」


 あまりアスラル神官だとバレそうなことはしたくないのだが他に食事をする方法がない。

 ミラに食事を想像させれば出てくるのだが、それはなるべくやりたくない。

 蘇生と違って禁忌とされていないのは他の者には不可能だからと言うだけで可能な者がいればやはり禁止されているはずだ。

 無闇に自然の法則を乱すのは良くない。

 荒野の街道沿いに常に果物がなっている果樹が生えていれば旅人は助かるだろうから普段ならアスラル神の加護として果樹を作らせて残していくところだが今は追っ手がいる。

 目印になるものを残していくわけにはいかない。

 仕方ないか……。

 ミラもカイルも神官をめたわけではない。

 だとしたら食事とは関係なく困っている人を助けるのがつとめだ。


 町の入口に近付いたとき、

「ケナイのマイラ、アスラル神官のミラ」

 突然声を掛けられたミラが振り返った。

「ミ……!」

 ミラ、と言いかけて慌てて口を噤んだ。

 カイルが呼んでしまっては意味がない。

 見ると警備兵に取り囲まれていた。

「何?」

 ミラはカイルが止める間もなく返事をしてしまった。

「ミラ!」

「ケナイのマイラ、アル・シュ・ムイラの村人達を殺害した罪で一緒に来てもらおう」

 警備兵の一人が手を伸ばしてきた。


「ミラ! 霧! それと雷! 音だけでいいから」

 次の瞬間、辺りが濃い霧に包まれ雷鳴の轟音が響き渡った。

 カイルはミラの腕を掴むと走り出した。

 視界が遮られる直前に確認しておいた警備兵の間を駆け抜ける。

 轟音で足音が掻き消され警備兵は二人が側を通り過ぎたのに気付かなかった。

「ミラ、あいつらがいる辺りだけ残して霧消して」

 霧に巻かれていたら方向感覚を失って警備兵の元へ戻ってしまいかねない。

 瞬時に目の前の霧が晴れる。

 振り返ると警備兵がいた辺りはまだ霧に包まれていた。


 ある程度離れたところで立ち止まった。


「霧はもういいよ」

 今は夜だ。

 二人は灯りを持っていないから離れてしまえば闇が姿を隠してくれる。

 カイルはこの辺りの地理を思い出そうとした。

「ミラ、この辺に水脈ある?」

「ない」

「じゃあ、あの町も地下水道で水を引いてるんだね」

「うん」

「地下水道の水源がどっちか分かる?」


 ミラが水源の方を指差した。

 カイルは星を見上げた。

 ほぼ真北か。

 姿を隠すために地下水道に入ったら遠回りになる。

 追っ手をくにはいいかもしれないが、向こうも姿が見えなければ地下水道を移動していると考えるだろう。

 一度ダイラでそれをやってるのだ。

 別の追っ手だとしても同じ手は通用しないと思った方がいい。

 カイルはしばらく考えてから、しゃがんだ。


「この土、柔らかく出来る? このくらいの範囲だけでいいから」

 柔らかくして欲しい範囲を指で示す。

 ミラが視線を落とした。

 試しに手ですくってみると手で掘れるくらいの柔らかさになっている。

 カイルは土を手ですくうと握って棒状に固めた。


「何それ」

「土の柱。土の柱って言ったらこれ思い出して。大きさとかはそのときに指示するから」

「大地系は……」

「攻撃に使うんじゃないから空間に穴は空かないよ」

「じゃあ、何に使うの?」

「目隠しや足止めだよ。木と同じでいっぱい生えてたら追い掛けられたとき足止め出来るし姿も見えづらくなるだろ」

 ミラが納得した表情を浮かべた。

 それから土を板状に固めてミラに見せる。


「逃げ切るのが無理そうなときは土で壁を作って追っ手の前を塞いで。すぐに壊せるように薄くていいよ」

「簡単に壊せていいの?」

「壊せないと他の人の邪魔になるだろ。君はいくらでも作れるんだし」

 カイルの言葉に納得したように頷いた。

 最後に土を砂に変えさせる。

 カイルが砂を押すと手が沈んだ。

「砂って言ったら地面をこうして。追っ手の前だけでいいから。深さは足首くらいでいいよ。砂って歩くのが大変だけどケガの心配もなくて足止めには丁度いいから」

 ミラが再度頷いた。

「ちょっとここにこれくらいの幅の土の壁、作ってみて。高さは僕達の背と同じくらい」

 言い終えると同時に壁が出来た。

 カイルは地面に座り込むと壁にもたれて考え込んだ。


 ラースが魔法は一通り実演したと言っていたが覚えてないならもう一度見せるしかない。

 炎、風、水、雷は普段の生活で見ているからいいとして……。

 アイオンの魔物もケナイのグルシュ・イ・ロスタムもエネルギーをぶつける魔法は通じなかった。

 しかし大地系の攻撃は心理的抑制が掛かってしまっているから使えない。

 となると氷雪系の魔法だがカイルは攻撃魔法が一切使えないから実演出来ない。

 荒野だろうと冬は水が凍るくらいまで気温が下がる。

 だから水を出して置いておけば朝には凍る。冬なら。


 物理攻撃でなければ通じない魔物に備えて氷雪系を覚えさせるために氷を見せたいのだが今の季節は標高の高い山の頂上近くまで行かなければ氷も雪もない。

 万が一、ロークの魔物にエネルギー系が通じなかったとき、氷雪系が使えなければ倒せないかもしれない。

 となると寄り道することになったとしても先に氷を見せておいた方がいいだろう。

 追っ手はカイル達がロークへ向かっていると思ってそちらへ向かっているはずだ。

 先に山に行こう。

 カイルはそう決めると地面に横になった。


 数日後、カイルとミラは山へ向かっていた。

 時々ミラに二人の背の高さと同じくらいの壁を作らせる。

 大地と壁は同じ土で出来ているし低いから遠目では地面と同化して見えるはずだ。

 今の時期に雪や氷があるほど標高の高い山となると一旦ダイラの方へ戻ることになる。

 だがダイラに近付くわけには行かないからかなり遠回りしなければならない。


流石さすがに今度はラースにも助けてもらえなかったわね」

 ミラが言った。

「そりゃ、警備兵に捕まりそうかなんてラースに分かるわけ……」

 ふとカイルは引っ掛かっていた事を思い出した。

 あのとき何故ラースにはあの閃光がケナイだと分かったのだろう。

 しかも急いでケナイに向かったと言う事はミラの危機を察知したと言う事になる。

「聞いていい?」

「何?」

「君が倒したケナイの魔物の事。詳しく知りたいんだけど」

 カイルの問いにミラが話し始めた。


       三


 その日、ミラは胸騒ぎがして家を飛び出した。

 そして嫌な感じがする方に向かって駆け出した。

 近付くにつれ不快感が増していったと思ったら不意に地面が揺れ始めた。

 そして激しい揺れと共に轟音がしたのだ。

 見るとケナイ山が無くなっていて代わりに巨大な魔物が空に浮かんでいた。

 魔物がミラに襲い掛かってきた。

 咄嗟とっさにミラは魔法を放っていた。

 魔物は四散した。


 その話を聞いて以前感じた引っ掛かりを思い出した。


「そのとき使った魔法って何?」

「テル・シュトラだと思うけど」

「思う? 分からないの?」

「ラースが見せてくれたの真似しただけだから」

 見せるときに名前も言ったはずなのだが……。

「それ、アイオンやケナイのグル・シュ・ロスタムに使ったのと同じだよね」

「うん」

 カイルが倒したヘメラの封印獣は除霊しただけというのを抜きにしてもかなり弱かった。

 ケナイの封印獣もだ。

 アイオンの封印獣やケナイのグル・シュ・ロスタムにはあれだけ苦労したのに。

 何故ヘメラとケナイは弱かったのだろうか。


「魔物を倒した後どうしたの?」

「え?」

「死体が残ってなかったから魔物の仕業だって証明出来なかったんでしょ。君が死体を消したの?」

「ううん、お祈りが終わったら魔物は消えちゃったの」

「お祈りとは違うんだけど」

 ハイラル教では聖典の文句もんくとなえるのがお祈りだがアスラル教のお祈りには決まり文句はない。


「魔物を退治して村に戻ったら警備兵がいて、捕まりそうになったときラースが来てくれたの」

 あの辺に警備兵の駐屯地ちゅうとんちは無い。

 たまたま近くにいたのでもない限り来る警備兵が来ることは有り得ない。

 あの辺アル・シュ・ムイラは辺境だが隣の国との国境からも離れているから呼ばない限り警備兵は来ないのだ。

 例えいくつもの村が吹き飛んで大勢の死者が出たとしてもそれを誰かが訴え出ない限り警備兵が来ることは……。

 そうだ。


 誰かが訴えない限り警備兵は来ない。

『慣れすぎてしまったんだ』

 ラースの言葉がよみがえる。

 豊かな生活が当たり前になった。

『ミラの力が怖くなったんだ』

 村人達はミラに頼みに来る人達に高い謝礼を吹っ掛けていたのかもしれない、最近依頼が減っていたらしい、ラースはそう言っていた。

 そうやってミラを儲ける事に利用していたから常に後ろ暗い思いをしていたのだろう。


 もしミラにそれがバレたら?

 アスラル神の代わりにミラが村人達に天罰を下すかもしれない。

 疑心暗鬼がしょうじ始めた時に魔物を吹き飛ばしたミラを見て怖くなった。

 それでめられたんだ……。

 誰かが警備兵にミラが大勢の村人を殺したと訴えた。

 ……いや、それだと村に戻ったとき既に警備兵がいたことの説明が付かない。

 となるとケナイ山の魔物や警備兵を呼んでいたのもハイラル教徒の差し金だった可能性が高い。


 閃光が見えた時、ラースはレラスにいた。

 ケナイまでは徒歩で五日は掛かるのだから警備兵が来て捕まりそうになったのを防げたのだとしたら空間転移の魔法で行ったのだろう。

 ラースはあの時あれがケナイだと分かった。

 だが魔法も使わずに分かるものなのか?


 分かるとしても頼まれない限り助けない方針のアスラル神官が依頼の前に動いた。

 カイルの時もそうだ。

 ケナイの魔物は特殊な奴だったから感知出来たというのはまだ分かる。

 しかしカイルがした蘇生は禁忌とは言え封印獣とは関係ないのだから遠方から気付けるとは思えない。

 つまりカイルが蘇生をしたから来たのではないのだ。

 カイルが殺されそうになってるのを察知したから来たのだろう。


 そもそもレラスの管轄外であるラウル村やケナイ村にラースは度々来ていた。

 そしてミラがレラスに来てからは一度もアル・シュ・ムイラへは行ってない。

 つまりラースの目的は最初からミラとカイルだったのだ。

 ミラは神官になるように勧められていたと言っていた。

 カイルは勧められた覚えはないが神殿に引き取られたのは小さい頃だったから勧誘されたとしても自分ではなく両親に言っていただろう。

 他の者はわざわざ瞬間移動してまで助けには行っていない。

 ラースはミラとカイルが約束の子だと知っていたのだ。

 だから定期的に様子を見に来ていて危険を察知したとき飛んできた。

 だが魔物が出る前に約束の子だと気付いた理由は?

 それにカイルが殺されそうになったのが何故分かったんだ?


 不意に悲鳴がした。

 ミラとカイルが同時に声が聞こえた方に駆け出す。


「おじさん!」

 叫んでいたのはグースだった。

 そういえば、ここは以前通ったグースの村の近くだ。

 魔物がグースに襲い掛かろうとしていた。

「この!」

 ミラが魔法を放った。

 カイルがグースに障壁を張るのと魔物が風で切り裂かれるのは同時だった。

 魔物が四散して転がる。

 カイルが障壁を張ると予想していたと思いたい……。

 障壁の手前の地面に幾筋いくすじものみぞが出来ている。

 障壁が無ければグースも魔物同様バラバラになっていたはずだ。

 ホントに考えなしなんだから……。

 カイルは白い目でミラを見た。

 蘇生は禁忌なのだからうっかり殺してしまったから、などという理由で生き返らせる訳にはいかないのに……。


「おじさん、大丈夫!?」

 ミラがグースに駆け寄っていく。

 カイルも続こうとした時、背後から足音がして振り返った。

 男が駆け寄ってくる。

「おい! 無事か!?」

 近付いてきた男がグースに声を掛けた。

「ああ、ヘルト、問題ない」

 グースが片手を上げた。

 同行者がいたのか……。

 そう思ったとき、グースが厳しい表情で、

「そっちを頼む」

 と言った。

 その途端、背後にいたヘルトがカイルの腕を掴んだ。


「え?」

 カイルが驚いてヘルトを見上げる。

「おじさん!?」

 ミラの戸惑ったような声に振り返るとグースがミラの首に手を掛けたところだった。

「ミラ!」

「動くな!」

 ヘルトが後ろからカイルを羽交はがめにした。

 力の限り抵抗したがヘルトの腕はびくともしない。

 ミラも必死で藻掻もがいていた。


「あんたを殺してその坊主をハイラルの神官に引き渡せば彼らはこの先ずっと食料を援助してくれるそうだ」

「なっ!?」

 ミラをハイラル教に売ったのか!?

 命を救った上に水まで出るようにしたミラを……。

 水が出るのだからこの先水不足に悩まされる心配はない。

 少なくとも水がなくて作物が枯れる事はなくなったのに……。


       四


「折角、一生楽に暮らせると思ったのに他の村にまで水を出したりしやがって」

「悪く思わないでくれ」

 ヘルトが背後で言った。

「思うに決まってるだろ!」

 カイルは思わずグースに怒鳴り返していた。

 ミラがあの男グースの命を助けたのはこれで二度目だ。

 見るといつの間にかミラが抵抗をめている。

 グースがミラの首を絞める手に力を入れる。

 ミラがあえぐように口を開けた。


「ミラ! 何やってんだよ!」

 ミラなら魔法でグースを吹き飛ばすくらい簡単なはずだ。

 なんで……。

 その時、ミラが苦しそうな顔でこちらに視線を向けた。

 かすかに口が動いた。

 あ・と・で……。

 カイルはハッとした。

 ミラの言わんとしている事が分かった。

 ハイラル教徒がミラの死体を確認した後で蘇生しろと言ってるのだ。

 カイルならそれが出来るから大人しく殺される事にしたのだろう。

 そんな……。


 ミラが苦しそうな表情でグースの手を引っいた。

 無意識の反射だ。

 当人は殺される気でいても身体の方が苦しさに反応してしまったのだ。

 どうして……。

 そこまでして助ける必要があるのか?

 欲に目が眩んで自分を裏切った人間に。

 こんな奴らにそんな価値があるのか?

 だが非力で攻撃魔法も使えないカイルには何も出来ない。

 ただ見ていなければならない。


 本来ならミラを守るはずのアスラル神も何もしなかった。

 ミラがそれを望んでいるからだろう。

 しかし蘇生が出来ると言っても確認に来たハイラル教徒に捕まったらやらせてもらえるとは思えない。

 必ず邪魔されるだろう。

 生き返らせる事は出来ないかもしれないのに。

 ミラはバカではないしハイラル教徒に捕まった事もあるのだからそれは分かっているはずだ。

 それでも自分の命より彼らを救う事を選んだ。


 なんで?

 そんな価値ないだろう。

 こいつらにも、ケナイの連中にも、ヘメラの村人にも……。

 ミラは誰にもそれだけの事をしてもらっていない。

 親からの愛情すらもらえなかったんだろ。

 誰も何もしてくれなかった。

 助けてくれたのはラースだけだ。

 なのに何故助けてやる必要があるんだ。

 こいつらにそんな価値はない。

 こいつらに、ケナイの連中に、自分達殺そうとしている神官達やつらに、人間に……。


 グースの手を引っ掻いていたミラの手が落ちた。

 ミラの身体の力が抜ける。

 なんで……!

 カイルは地面に膝をいた。


「よし、あの神官に知らせてこい」

「おう」

 ヘルトはカイルを離すときびすを返した。

「あんたは殺すなって言われてんだ。逃げたり抵抗したりするなよ」


 グースの言葉に思わずカイルは目の前の魔物の死骸しがいに手を伸ばしていた。

 その瞬間、魔物が生き返った。

 切断された部位も全て元に戻っている。


「な……」

 蘇った魔物が暴れ始める。

 グースが逃げようとしたが間に合わず触手にはじき飛ばされて地面に叩き付けられた。

 魔物がミラに触手を伸ばす。

 カイルがミラに障壁を張る前に土のやいばが地面から突き出した。

 魔物が無数の刃に細切れにされる。

 アイオンの時と同じだ。

 アスラル神の加護か……。

 あの時の土の剣もアスラル神がミラを守るためにやったのだ。

 ミラの生死は分からないが意識が無いのは確かだ。

 それでもアスラル神に守られた。

 つまりグースが無事だったのはミラの意志を尊重したからと言う事になる。


 グースが苦しそうな表情で助けを求めるように手を伸ばしてきた。

 ミラやカイルを売っておきながらまだ助けを求めようとするのか。

 それでも助けなければ……。

 まだ息があるから助けられる。

 助けるのがアスラル神官の務めだ。

 けれどその手を取る事は出来なかった。


 こいつグースは、彼らは、恩人であるミラを殺そうとした。

 自らの利益のために、命を助けてくれたミラを売ったのだ。

 カイルにはどうしてもその裏切りを許す事は出来なかった。

 見殺しにするのはいけない事だ。

 神官は助けを求める人を救わなければならない。

 そう思いながらも動く事が出来ずにいる間にグースの力がきた。

 手が地面に落ちる。


 息を引き取る直前、グースはカイルを許すような笑みを浮かべたような気がした。

 その瞬間、我に返った。

 人を見殺しにしてしまった。

 助ける力があったのに。

 自分が人を死なせた。

 カイルはその事実に身体中から血の気が引いていく。

 その時、倒れているミラが目に映った。


「ミラ!」

 カイルはミラに駆け寄ると抱き起こした。

 かろうじてまだ息がある。

 カイルは回復魔法を掛けるとミラが目を開いた。

「助かったわ」

 ミラがけろっとした顔で言った。

「……って、え!? おじさん、どうしたの!?」

 離れたところに倒れているグースを見たミラが驚いて言った。

「……行こう」

 カイルはグースに駆け寄ろうとしたミラの手首を掴んで歩き出した。

「おじさんを助け……」

「もう死んでる。それよりハイラル教徒が近くにいる」


「どうしたの? 何があったの?」

 しばらく行ったところでミラがそっとカイルの腕を離すと訊ねた。

 ミラはあの男を助ける気だった。

 それをさまげた上に人を殺してしまったのだ。

 ミラに軽蔑されるかもしれない……。

 そう思うと言葉がつかえた。

 ミラも何も言わなかった。

 黙ってカイルの後にいてくる。


「何故教えてやらない?」

 どこからともなくシーアスの声が聞こえてきた。

 ミラが慌ててカイルにしがみついた。

「地震」

 カイルがそう言った瞬間、地面が揺れ始めた。

「無駄だ。今はそっちにいないんでね」

 シーアスがそう言ってもミラは地震を止めなかった。

「彼女を助けたんだからお前は騎士ナイトだろう」

 シーアスが嘲笑うように言った。

「そいつは君を助けたんだ。魔物をよみがえらせてね」

「え?」

「黙れ!」

 カイルが叫んだ。

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