第十一章

       一


「それでどうしたんですか?」

 カイルはシーアスを罵倒ばとうしているミラを無視してウセルに訊ねた。

「随分親切だったぜ。魔物が復活したわけ、わざわざ解説してくれたりしてさ」

「復活した?」

「そ。俺が瀕死の重傷負いながらやっとの思いで倒したのに」

「ちゃんととどめはしたんでしょ」

「勿論。けど、俺じゃダメなんだってさ。お前ら以外の人間がいくら倒してもすぐに復活するんだと」

「それじゃあ、私達が死んだら倒せる人がいなくなっちゃうって事じゃない」

 ウセルは何も言わずに目を閉じた。

 答えは聞くまでもない。

 二人がいなくなればその時点で封印獣は大人しくなる。

 カイルの予想通り、あれはセルケト教の聖獣〝世界の守護者〟なのだ。


 そこへラースが入ってきた。


「カイル、ミラ。話は聞いたね」

「はい」

「行ってくれるか?」

「いいけど……私達が倒しちゃって大丈夫なの?」

「二千年前と千年前にも約束の子は全ての封印獣を倒したが世界は滅びていない」

「じゃあ、預言は間違ってるって事?」

「預言じゃなくて契約だよ。施行しこうするかどうかは君達次第だ」

 ラースは言葉を切って二人を見詰めた。


「君達が望まなければ破滅は起きない」

 あるいは僕達が殺されれば……。

「千年前はどうなったの?」

「記録は残ってないんだ」

「大体、千年って何? 確かハイラル教徒達も千年待つとかって……」

「契約が施行しこう出来るのは千年に一度なんだ。理由は分からない。過去二回は約束の子が遂行をこばんだ」

「拒んだならなんで終わってないの?」

「人間には神との契約の撤回は出来ないからだ」

「じゃあ、この先ずっと千年ごとにこんな事するの?」

「それは君達次第だ」

「撤回出来ないならずっとじゃないの?」


 ラースはそれには答えず、

「まず、ロークへ行ってほしい。後はトスタン、グデリ、リピリデス、ナブー、メイナルだ。順番に目覚めていくのは分かっているし、いちいちここに戻ってくるより直接次の場所に行った方が早い。だから……」

 と言って言葉を切った。

 ラースとしては「終わるまで戻ってくるな」とは言いづらかったのだろう。

 とはいえロークはここから北西に、トスタンは西に直線距離で二ヶ月以上掛かる。

 一旦戻って出直すより直行した方が移動距離が短い。


「分かりました」

「中級神官を何人か伴に付け……」

「いらないわよ。どうせ、私達だけで戦わなきゃなんないんでしょ。足手纏いになるだけよ」

「戦いの心配をしてるんじゃないんだ」


 カイルはラースの心配が何か気付いた。

 二人は歩いて三日も掛かるタグラまで手ぶらで出掛けたのだ。

 しかもミラが「喉乾いた」と言い出すまでその迂闊うかつさに気付かなかった。

 ミラだけではなく、カイル自身も相当世間知らずだったと思い知らされ愕然がくぜんとした。

 今度はタグラよりも遠いところへ行くのだ。

 しかも途中で死ななければかなりの長旅になる。

 ラースの心配はもっともだったがミラが強硬に反対した。


「なんでそんなに嫌がるんだよ」

「私達より年下の中級神官なんていないじゃない」

「年下じゃ意味ないだろ。ある程度年とってから入ってきた世間を知ってる人じゃないと」

「それこそ冗談じゃないわよ! 折角せっかく神殿から出られるっていうのに!」

「出ていくわけじゃないぞ! ちゃんと帰って来るんだからな!」

「分かってるわよ! だからこそ神殿にいない間くらい羽を伸ばしたいんじゃない。誰かにごちゃごちゃ説教されながら旅するなんてぴらよ!」

「お前、何しに行くのか分かってんのか!」

「分かっ……!」

「分かった。もういい。君達二人で行きなさい」

 ラースが諦めたように言った。


 ミラと二人……。

 ラースは頭が痛そうな顔をしているが、ミラと同行しなければならないカイルはそんなものではない。

 大体説教ならカイルだっていつもしている。

 にも関わらずカイルが一緒に行くのは嫌がっていない。

 カイルなら軽くあしらえると思っているからだろう。

 なんで僕ばっかり貧乏くじを引かされなきゃなんないんだ……。

 カイルがぼやいている間に旅支度はんでしまった。

 というか最初から用意してあったのだろう。

 二人に選択の余地はないのだ。


自称天使シーアスの魔法が使えれば一瞬なのに」

 ミラがぼやいた。

 シーアスが使っているのはティルグを利用した空間移動で、その魔法自体は人間でも使えるそうだ。

 ラースやガブリエラも出来るらしい。

 カイルやミラの助けに間に合ったのは転移魔法を使ったからだ。

 ケナイ山が吹き飛んだ時、ラースはレラスにいたし、カイルが殺されそうになった時もたまたま近くにいた訳ではない。

 カイルが殺されそうになっているのに気付いてレラスから駆け付けたのだ。

 だがミラとカイルには使えない。


 カイルはそもそも魔法自体ほぼ使えないから空間移動などと言う高等魔術は無理なのだが、ミラが使えないのは彼女が〝アスラル神の化身〟だからではないかという話だった。

 単純にアスラル神の加護があるだけなのか、本当に化身でアスラル神が人の姿を取っているのかは分からないらしいが、とにかくミラはティルグに入れない。

 自称天使シーアスはティルグの住人だからミラが無意識に拒否してしまっている可能性も無くは無いがどちらにしろ使えない事に変わらない。


 となると後は馬か徒歩になる。

 路銀ろぎんは時々届けさせると言われた。

 アスラル神殿には近付くなと言う事だ。

 蘇生という禁忌を犯したカイルはともかくミラは何もしていない。

 というか禁忌を犯したのはアスラルの神官になる前だから元々アスラル神殿の管轄ではない。

 ケナイにいた頃のミラもアスラル教とは関係がなかったからケナイ山を吹き飛ばしたところでアスラル教がとやかくいったりはしない。

 あれは警備兵の管轄だからアスラル教は干渉しない。

 守る事もしない代わりに捕まえて突き出したりもしない。


 ミラは例外的にラースが守ったと言う話だが、そうだとしても他所よそのアスラル神殿が関わらないのは同じだ。

 にも関わらず行かせないようにするという事はアスラル教の中に〝約束の子〟を危険視している者がいるのだろう。

 カイルやミラがタグラでも中央神殿でもなくレラスの神殿に所属させられたのもそういう事だ。

 レラスの神殿長やラースは〝約束の子〟の排除に反対なのだろう。

 実際ラースは神殿長が生き返った時「あなたがいなくなったらカイルを庇えなくなる」と言っていた。

 神殿長達がレラスにカイルとミラを呼び寄せて守ってくれていたのだ。

 けど……。

 カイルの脳裏を疑問がよぎった。


       二


「やった! 村が見えた!」

 ミラが嬉しそうな声を上げた。

 目を上げると前方に町があった。

「早く行こ!」

 ミラが足を速めた。

 カイルが続く。


 三日ほど何事も無く過ぎたある朝、衝撃で目が覚めた。

 東の空から朝日が昇ったところだった。

 前夜は町に辿り着けなかったので街道の脇で野宿したのだ。

 目を開くとミラがカイルの顔を覗き込んでいた。

 頬の痛みに思わず顔をしかめる。

 どうやら叩かれたらしい。

 それも思い切り。


「やっと起きたわね!」

 ミラが怒ったように言った。

「魔法で起こせよ。叩く事ないだろ」

「そんな魔法知らないわよ」

「魔法は想像の具現化だぞ! 僕が起きるとこ想像すればいいだけだろ」

 ミラはそう言えば、という表情を浮かべる。

 カイルは頭が痛くなってきた。

 それと胃も。

「お腹空いた。食べる物持ってないんでしょ。早く町に行こ」

 カイルは溜息をいてミラの後に続いた。


「レラスのアンシャル様とキシャル様ですか?」

 ダイラの町に着くとアスラル神殿の聖衣を着た男に声を掛けられた。

 ミラが口を開くより早く、

「どなたですか?」

 カイルが訊ねた。

 遮られたミラが不満そうな顔をする。

「レラスのセネフィシャルから届け物です」

「ありがと」

 ミラが嬉しそうに礼を言った。

「宿でお渡しします。どうぞこちらへ」

 男はそう言うと先に立って歩き出した。


「食事の支度が出来るまで部屋でお待ちください」

 と言われて部屋に通された。

 部屋に入りドアを閉めた途端、意識が暗転した。


 目を開けるとミラの顔が間近にあった。


「良かった~」

 ミラが安心したような表情で離れる。

 頬は痛くない。

 が、身体を起こそうとして自分の聖衣が赤く染まっているのに気付いた。

「これ……」

 何があったのか訊ねようとして部屋の壁に大穴が空いてるのが目に入る。

「何したの!?」

「とにかく、まず逃げるわよ」

 ミラはそう言うと窓を開けた。

「何も窓から出なくても……」

「いいから早く!」

 カイルを遮るとミラは窓の向こうに姿を消した。

 仕方なく跡を追う。


 ミラはすぐに路地に駆け込んだ。

 じぐざくの細い道を何度も曲がると目の前に高い塀が目の前に現れた。


「そっか、この町、壁に囲まれてたんだっけ」

 盗賊や敵の襲撃から守るために周囲が高い壁で囲まれていて門以外のところからは出入りが出来ないようになっている。

「門はあっち……ミラ!」

 カイルが言い終える前にミラは壁に穴を開けてしまった。

「なんでいつも出口使わないの!?」

「使えないからに決まってるでしょ!」

 ミラはそう言うと穴を通って外に出た。


「ミラ、待って。ここふさいで!」

「なんで?」

なんのための壁だと思ってるんだよ! 敵の攻撃から守るためなんだぞ! 穴がいてたら意味ないだろ!」

 カイルの言葉にミラが壁に目を向けた。

 壁が元通りになる。

 生物すら創造出来るくらいだ。

 無生物など造作も無いのだろう。

 ミラの魔法は文字通り魔法だ。

 穴が消えるとミラは振り返りもせずに駆け出した。


「ミラ!」

「今度は何よ!」

「ロークはそっちじゃないよ」

 カイルが町の方を指す。

 正確には町を挟んだ向こう側だ。

 ミラは顔をしかめて戻ってきた。

「反対側まで壁沿いに行ったりしたら見付かるわよ」

 ここは荒野の真ん中だ。

 森も丈の高い草もない。

 身を隠して移動出来そうなものは何も無い。

 カイルは考え込んだ。


「……きり

「え?」

「霧は見た事あるだろ。夏の朝とかの白いもや。この辺一帯に霧が立ちめれば僕達の姿は見えなくなるよ」

 ミラがちょっと考えるような仕草をしたかと思うと一瞬で辺りに霧が立ち籠めた。

「行こうか」

 カイルはそう言うと壁沿いに歩き出した。

「壁の近くは……」

「見付かりそうになったら敵の周りだけ霧を濃くすればいいよ。そうすれば向こうは前が見えなくなるから」

 見通しがかないのだ。

 壁から遠離とおざかったらカイル達も迷子になってしまうから離れる訳にはいかない。

 ミラは納得したのか黙っていてきた。


「で、何があったの?」

「襲われたの!」

「大丈夫だった!?」

 カイルがミラを振り返った。

「自分の心配しなさいよ! あんた、殺されたのよ!」

 やっぱり……。

 左胸を中心に赤くなっているから刺されたのではないかと思っていたのだ。

 念押ししておいて良かった。

 ミラに叩き起こされた時、覚醒魔法そのものではなく想像しろと言ったのはこのためだ。

 生命すら創り出せてしまうミラなら蘇生も思い付きさえすれば出来るだろうと思ったのだ。

 こんなに早く使う機会が来るとは思わなかったが。


 ミラによると二人は意識消失の魔法を掛けられたらしい。

 彼女も気を失ったが襲われた瞬間、敵が吹き飛ばされ同時にミラの意識も覚醒した。

 ミラがカイルの部屋に飛び込むとカイルは既に床に倒れていて襲撃者らしき男が襲ってきた。

 それをミラが魔法で吹き飛ばし、その後カイルを蘇生させたのだ。


 アスラル神の加護か……。

 やはり普通の人間ではミラを傷付ける事は出来ないのだ。


 セルケト教の魔法が防げなかったのはおそらく約束の子を倒すための魔法だからなのだろう。

 封印獣もそうだがセルケト教は約束の子を徹底的に排除する方針で三千年間対策をこうじてきたのだ。

 おそらく襲ってきたのがセルケト教徒なら二人とも助からなかっただろう。


 ハイラル教徒ならカイルは殺さない。


 となると今回の刺客はアスラル神官という事になる。

 カイルは溜息をいた。

 今後はアスラルの神官にも気を許す訳にはいかないようだ。


       三


 二人は町から少し離れたところで地下水道に入った。

 ダイナの町の周囲は荒野だから水が無い。

 そこで遠くの山脈の水源から地下水道を掘って町まで水を引いていた。

 地下を掘っているのは蒸発を防ぐ為だ。

 地下水道は手入れの時に入れるように所々に縦穴で地上と繋げている。

 二人はそこから地下水道に下りた。

 遮るもののない平原を歩いていたらすぐに見付かってしまうし、かといって常に霧を出していてもそれはそれで目印になってしまうからだ。


 町から十分離れたと判断した辺りで地上に出るとそこからロークに向かって歩き出した。


「こんなことならあの時ウセルと一緒に行けば良かった」

「ウセルがロークに行ったの知ってたの?」

「元々私が行こうとしたのよ。それをウセルが自分が代わりに行くって……」

「いつの話?」

 カイルの問いにミラが少し考えてから、

「確か……そうだ、ウセルが行っちゃったぐ後に神殿長が刺されたんだった」

 と答えた。


「ヘメラから帰った直後って事だよね? なんで一人でロークへ行こうと思ったの?」

「ロークに魔物が出たって聞いたからに決まってるでしょ」

「誰から?」

ヤナマイラ。ロークから頼みに来た人がいるって……」

「え……マイラヤナが君に直接言ったの?」

「そうよ」

「…………」


 魔物退治の依頼は神官長に報告する事になっている。

 誰を派遣するかは神殿長が決めるからで四大神徒に言ったりはしない。

 その四人に告げたところで結局聞いた者が神殿長に報告する事になるので上級神官の仕事を増やすだけだからだ。

 ましてマイラヤナはミラを嫌っていて用がない限り口をかなかった。

 ヘメラの後……。

 タグラへ異動する直前だ。


「……マイラヤナって自分からレラスの神殿を希望したの?」

「そうよ。ラースに魔法を教えてくれるように頼み込んで、出来るようになったら今度はレラスの神官になりたいって言い出したのよ」


 つまりマイラヤナはラースのそばにいたくてレラスに来たのだ。

 それがレラスの上級神官にきがなくてタグラへ異動させられる事になった。

 ミラに教えたりしたら一人で抜け出すのは分かっていたはずだ。

 マイラヤナはミラが約束の子だからレラスで保護されているという事は知らなかった。

 ロークは遠いから往復に最低でも四ヶ月は掛かる。

 普通の神官はそれだけ長期間無断でいなくなったりしたらめたと見做みなされる。


 ミラがいなくなれば自分がレラスのキシャルになれると考えたのか……。

 出身地で人を判断するようなは犯したくないがケナイにはそんな連中しかいないのかと思うと嫌悪を覚える。

 今のアル・シュ・ムイラを最初に見た時は衝撃を受けたがケナイの連中のことを考えるとい気味だとしか思えない。

 一体どのつら下げてミラに頼みに来たんだか……。

 あの連中の為にグルシュ・イ・ロスタムと戦ったのかと思うと……。

 あれ……?

 一瞬、何かが引っ掛かった気がしてカイルは首を傾げた。


 二人は山道を歩いていた。

 褐色の地面。

 小さな草がまばら生えている程度だ。

 身を隠すものが無いが、何も無いなら周囲への被害に気を使う必要も無い。

 セルケト教徒以外になら襲われたところでアスラル神が守ってくれるだろう。ミラは。

 カイルにアスラル神の加護は無いがミラが生きてさえいれば蘇生してもらえる。


「喉渇いたんだけど、水は?」

 カイルが小さな水筒を振って見せた。

 中はからだ。

「水筒、なんでそんな小さいの?」

「水はいつでも出せるから大きいのは必要ないって言ったの君だけど」

 その小さい水筒すらカイルが持っていたのである。

「そっか」

 ミラはそう言うと地面に手を付いた。


 地面から水が噴き出す。

 カイルが水筒を差し出すとミラはそれを受け取って水をんで飲んだ。

 飲み終えたミラから水筒を受け取ると自分も飲んでから水で満たした。

 水を止めろという前に自然に出なくなった。

 水は流れるとき土を削る。

 地形を変えてしまうのだ。

 しかも乾燥して固くなった地面は水をほとんど吸収しないから完全に蒸発しきってしまうまでどこまでも流れていく。

 長い距離を水が削った結果、地形が変わって災害が起きないとも限らない。

 だからめさせようとしたのだが本来なら水脈が通ってないところだからミラが出続ける事を望まない限り用がんだら止まるようだ。


「ちょっと、あそこ!」

 ミラがした先を見ると人が倒れていた。

 足の上に大きな岩がっている。

 生きているのか死んでいるのかピクリとも動かない。。

 大地を削るのは水だけではない。

 風も土を削る。

 もろいところから削れていくため崖の途中が風で削られ上に大きなかたまりが上に残る事があるのだ。

 そう言うものはちょっとした事で落ちてくる。

 男は運悪くそのとき下に居合わせてしまったのだろう。

 ミラが岩を砕こうとする気配をさっして慌てて止めた。


「待った!」

「なんでよ!」

「離れた場所から岩をどけたらダメだって」

「どうして」

「色々あるんだよ。虫の息だったらとどめを刺す事になっちゃうかもしれないから回復魔法掛けられるくらい近くに行ってから……」

 二人とも蘇生出来るとは言え、禁忌の魔法を軽々しく使う訳にはいかない。

 カイルが言い終える前にミラは駆け出していた。


 カイルが追い付く前に岩は粉々になりミラは男に回復魔法を掛けていた。

 男が狐につままれたような表情で身体を起こす。


「ありがとう。助かったよ」

「いいのよ。それより次の村ってどの辺?」

「俺の村ならそこだ」

 男がそう言った時、ミラの腹が鳴った。

 ミラが赤くなる。

 男は笑って、

「うちに来てくれ。食事を出すよ。それに今からじゃ次の町に着く前に夜になる。今夜はうちに泊まればいい」

 と言った。

「いいの!?」

「狭いとこだし大したものは出せないが」

「ありがと!」

 ミラが嬉しそうに礼を言った。


       四


 案内された村は――本来の、と言うべきか――ケナイとよく似ていた。

 要するに荒野だ。

 苦労して畑を作ってはいるようだが水不足で立ちれている。

 これでは自分達が食べるのがやっとだろう。


「あの、おじさん、私達やっぱりめとくわ」

「遠慮しなくていい」

 男はミラの視線の先を見て苦笑した。

 辺りを見回していたミラは井戸に目を留めた。

「あの井戸、水が出てないでしょ」

「ああ、大金を都合して水脈を見付けてもらってかなり深くまで掘ったんだが……」

「見付けてもらった? 大金って、お金払ったって事?」

 男がうなずいた。


「ここに水脈なんか無いわよ」

「え?」

「この辺はどこにも水脈なんか無いのよ」

「ダイラの町をご存じですよね」

 カイルが訊ねた。

「もちろん」

 ここから一番近い町だ。

「ならあそこが山の高いところから地下水道で水を引いてるのも知ってるでしょう。この辺には水脈がないから、地下水道あれでなければ水は手に入りませんよ」

「そんなバカな……」

 男が青くなった。

 大金を騙し取られたと知ったからか、その金を工面くめんするのに家族を人買いに売ったからか……。


「あんな大掛かりな工事が出来るだけの金は無いから水脈を探してもらったんだ」

 男の声がかすれて震えている。

「いいわ」

 ミラはそう言うと井戸に近付いていった。

 次の瞬間、足下を冷気が走った。

 ミラがどこかの水源から水脈を通したのだ。


「おじさん」

 ミラの声に男が顔を上げた。

 ミラが見てみろというように井戸の中に目を向ける。

 不審そうな顔で井戸に近付いて中を覗き込んだ男が目を見張った。

 カイルもそばに行って目を落とす。

 地表近くまで水に満ちていた。

「かなり深くまで掘ったって言ってましたよね。具体的にどれくらいですか?」

 カイルの問いに男が答えた。

 人間五人分か……。

 相当深いな。


「ミラ、浅くして」

「ちょ……!」

 男の慌てた様子に、

「浅くしても水は枯れませんから大丈夫です。深いと落ちたときおぼれますよ」

 カイルが説明した。

 足が付かないほど深い井戸に落ちたらまず助からない。

「小さい子の腰くらいまでの浅さにして」

 カイルがミラに指示した。

 地面が揺れたかと思うと井戸の底が見えるようになった。

 これなら乳児以外、落ちても溺れる心配はない。

「どうぞこちらへ」

 男が今まで以上に腰が低くした。


 男は家に入ると食事の用意を始めた。


「あの、おじさん、水が出るようになったからって今すぐ作物が採れる訳じゃないから……」

 ミラが遠慮がちに断ろうとした。

「いや、問題ない。あの水、きないって言ったよな」

「うん」

 ミラがアスラル神の加護を望んだのだ。

 山の上で出したときと違い、ミラが翻意ほんいしない限り水がれる事は無い。


「なら近隣の村に水を売るからもう食い物に困る事は無い」

「水を売るの?」

 ミラが困惑した表情になる。

「水の無い所では珍しくないよ」

 カイルが教えた。

 水は生きていくのに必須だから水利権すいりけんは常に争いの元になる。


「ここに住み始めたのは最近じゃないですよね。今までどうしてたんですか?」

 建物はどれもいたんでいる。

 経年劣化しているのだから、かなり昔から住んでいたという事だ。

 元々水脈がなかった場所なのに今になって井戸を掘ろうとする理由が分からない。

「近くに鉱山があったんだよ。だから今までは水や食料を買えたんだが……大分前に鉱石が採れなくなっちまってな」

 それなら別の場所に移住すれば良さそうなものだが長年住んでいたところを離れるのは簡単ではないのかもしれない。

「今は細工を作って細々と暮らしてるんだ」

「細工?」

「ああ、鉱山でれた原石をそのまま売るだけじゃなくて細工もしてたんだ。今は原石を買ってるが」

 ミラは少し考え込んでいたが出された食事は遠慮なく食べた。


「あんた、色んな魔法が使えるんだな。神官か? 水を出せたって事はアスラル教か?」

 カイルは焦った。

 こう言うときの答えを考えてなかった。

 アスラル神官だと言う事は隠したい。

 かといって嘘はけない。

 必死に考えを巡らせたがその前に、

「魔術師の修行してるの」

 ミラが答えた。

 まぁ嘘では無い……。

 当人はいつかなる気でいる。


「修行なんかしなくても十分だと思うが」

「そうだけど、有名にならないと依頼が来ないでしょ」

「じゃあ、宣伝しといてやるよ。名前は? 俺はグースだ」

「ミラ」

「ミラ!」

 しまった!

 思わず名前を呼んでしまった。

 カイルはほぞんだ。

 思わず声を上げたカイルをミラが不思議そうに見た。


「なに?」

「なんでもない……」

「どこから来たんだ?」

「サイトの方です」

 カイルが素早く答えた。

 サイトはこの村からだとレラスと方角が同じだ。

 レラスを挟んだ向こうがサイトである。

 方角を答えたのだから嘘では無い……。


 少々苦しいがアスラル教とレラスの名前は出したくない。

 本当は名前も教えたくなかったのだが偽名を考えてなかった。

 ケナイの名も出したくないからウセルのように出身の村の名前を名乗らせる訳にもいかない。

 別の名前を考えないと……。

 呼び名という事にすればぎりぎり嘘ではない。

 かなり苦しいが、この先神殿に戻るまでの間使っていれば嘘をいた事にはならないだろう。

 僕まで詐欺まがいの事するようになるなんて……。

 カイルは溜息をいた。


 翌朝、グースが村の出口まで見送るというので一緒に家を出た。


「ね、この近くの村ってどっち?」

「え?」

 グースが口籠くちごもった。

 教えたくないのだ。

 他の村も水が出るようになったら水は売れなくなる。

「ミラ、急いでるんだから寄り道してる暇ないよ」

 カイルはそう言うと有無を言わせずミラの腕を掴んで村を離れた。

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