第十章

       一


 アイオンの時と同様、エネルギーをぶつけてもダメなのだ。

 物理的な攻撃でなければ通らないが大地系は心理的抑制が掛かっていて使えない。

 他に物理的な攻撃……。

 カイルは記憶を探って攻撃魔法を思い浮かべる。

 聖句そのものは知っていても自分では使えないからなかなか出てこない。

 ……そうだ!

 氷雪系は物理攻撃だ。


「氷!」

「え?」

「氷雪系の魔法だよ。氷で攻撃するやつ!」

 ミラが小首をかしげてカイルを見返す。

「氷のつる……壁を想像して! ものすごく高くて薄い壁、あいつの頭と胴の間辺りに」

 剣と言ってしまうと大地系を連想して抑制が掛かる可能性を考えて壁と言い換えた。

 魔物をぶった切れれば形は何でもいいからだ。


「……氷、見た事ない」

「なわけないだろ!」

 ラースが使える魔法は全て見せたと言っていた。

 なら氷雪系も見ているはずだ。

「とにかく知らない!」

「冬の朝とか水が凍ってるの見た事あるだろ!」

「ないわよ!」


 ミラの即答でカイルは気付いた。

 そうか……。

 ミラはケナイ村で大事にされてきた。

 冬の早朝に外に出る事がなく、水もある程度温めたものを出されていたのだ。

 レラスへは来ると同時に上級神官になった。

 当然、朝の水汲みずくみや掃除などと言う雑用はした事がないし、朝食前に神殿を抜け出した事がなければ氷を見る機会はない。

 レラスには雪も降らないし冬はほとんど雨も降らないから軒先につららが出来ても日が昇り出したら解けてしまう。

 となると後はラースの実演した氷雪系だけだが……。

 覚えてないのか……。

 カイルは頭を抱えた。

 地理や天気の勉強をさせられていたのはこういう事か……。

 この世界の事象じしょうを具現化させるには知らないと想像も出来ない。


「聖句言えば出来そう?」

〝刃〟の部分を〝細い板〟にでも代えてしまえば大地の剣を連想したりはしないはずだ。

 カイルがミラに訊ねた時、地面から巨大な槍が突き出し魔物を串刺しにした。


「…………!」

 魔物は断末魔の悲鳴を上げて痙攣すると動かなくなった。

 振り向くとオレンジ色の聖衣を着た神官が数人立っていた。

 ミラはセルケト教の聖衣を見ると顔色を変えた。

 カイルはいつでもミラをかばえるように身構えたが、正直あの魔物を倒せるだけの実力を持ったセルケト教徒を何人も相手にミラを守り切れる自信は無かった。

 セルケト教の魔法はカイルの障壁を貫通する。

 アスラル神の加護も。

 しかしセルケト神官はカイル達が誰か気付かなかったらしい。


「異教徒だからといって無闇むやみに攻撃したりする気はない」

 セルケト神官がおだやかにげた。

「じゃあ、ここへは……」

「ケナイに布教に行ってこの魔物の事を聞いたのだ」

「助かりました。ありがとうございます」

 そう言うとミラの手を掴んで急いでその場を離れた。

「ちょっと……」

「喋らないで。あれだけの実力者、僕らじゃ相手に出来ないんだから」


 カイルはミラの手を引きケナイ村を横目で見ながら通り過ぎた。

 ミラは終始しゅうしうつむいていた。

 わざわざ見なくても気付いていただろう。

 結局なんの役にも立たなかった二人に対する冷たい視線に。

 みんなわざわざ立ち止まって、戸や窓を開けて、こちらを見ていた。

 村の入り口にいた男が道につばいた。

 二人がもっと近くを通っていたら、唾を吐き掛けられたのは道ではなくミラの方だっただろう。

 ミラの家の戸は堅く閉じていた。


 やがてアル・シュ・ムイラ地方の西端にある山脈に差し掛かった。

 道が徐々に上り坂になり、標高が高くなるにつれ樹々が増えてくる。

 下り坂に差し掛かったところでミラが足を止めて後ろを振り返った。

 ここを下りたらもうアル・シュ・ムイラは見えなくなる。

 カイルもえてかそうとはせずに道端の樹にもたれ掛かった。

 どうせ疲れてきたところだったのだ。

 樹々の葉の間から垣間見える空を仰ぐ。

 ミラは眼下に広がる平地を見下ろしていた。

 石にでもなってしまったみたいにカイルに背中を向けたまま動こうとしない。


 大分ってから、

「これで、もう二度と帰れなくなっちゃったわね」

 ミラが樹々のざわめきにき消されそうなほど小さな声で呟いた。

 その言葉に驚いて思わずミラの背を凝視した。

 ミラが俯く。

 帰り……たかったんだ……。

 当然か……。

 ミラはついこの前までここで暮らしていたのだ。

 いくら妹と扱いが違ったと言っても十五年もの間、家族と一緒に住んでいたのだ。

 神殿を出たがっていたのも、魔術師になりたがっていたのも、帰りたかったからだ……。


『各国の王様がこぞって問題解決を頼みに来るような……』

 来て欲しかったのは王様の使いじゃない。

 ケナイからの迎えだ。

『妹と態度が違ったもの』

 ずっと、待ってたんだ……。

 両親が妹に示す愛情を自分にも向けてくれるのを。

 妹が母に、父に、抱き締められているのが羨ましくて、自分にもその日が来るのを待ち焦がれていたのだ。

 王様から使いが来るほどの魔術師になれば両親も「自慢の娘だ」と言ってくれるに違いない。

 きっと迎えに来てくれるはずだ。

 いつか必ず……。

 ずっとそう思って待っていた。


 ケナイ山を吹き飛ばした犯人として突き出された時点でそんな日が来る事はなくなったのだが、それに気付かない振りをしてわずかな望みにすがっていたのだ。

 だがそんな日は来ない。

 その望みは完全に打ち砕かれた。

 そんな日が来ることはないのだと思い知らされたのだ。

 カイルはミラを向き直らせると抱き寄せた。


「なんのつもり?」

「僕が悲しかった時、こうしてほしかったから……かな」

 ミラは腕の中で小さく震えている。

 声は出していなかったが、カイルの服の肩の部分が濡れていくのが分かった。


       二


 あの日――母さんが病気で死んだ時、何が起きたのか理解出来なかった。

 前夜、寝床ねどこに横たわった母さんは朝になっても目を覚まさなかった。

 ケナイはともかくラウルでは稀にやまいかかる者がいたのだ。

 大抵はカイルの回復魔法で治ったのだが、母さんは症状の自覚がなかったのか体調不良を訴えなかった。

 そしてある晩、寝床に横になったまま息を引き取ってしまった。

 カイルがいくら回復魔法を掛けても母さんは起きなかった。

 父さんは必死で「目を開けてくれ」と叫んでいた。

 お祖父ちゃんや、おじさんやおばさん達も泣いていた。


 だから望んだ。

 母さんが目覚めてくれる事を。

 そうすればみんなが喜んでくれる。

 そう思ったから父さんの横で、母さんが目を開けてくれるように祈った。

 みんなの望み通り母さんは目を開いた。

 その瞬間、父さんに殴られ床に叩き付けられた。

 母さんがみんなを見回した時、父さんが近くにあった薪割り用の斧を掴んだ。


 訳が分からないまま身体を起こしたカイルの目の前で母さんは殺された。

 母さんは驚愕の表情で再び寝床に倒れた。

 なんで……?

 目を見張ったカイルの方を振り返った父の顔に浮かんでいたのは恐怖と憎悪と嫌悪。


 化け物を見るような冷たく、激しい憎しみに満ちた眼差し。

 生まれて初めて悪意を向けてきた相手は父さんだった。

 母さんの周りに広がっていく血溜まり。

 父さんの手に握られた血のしたたっている斧。

 もしラースが来なければ間違いなく父さんに殺されていたはずだった。

 なんで?

 目を開けてほしかったんでしょう。

 そう言ってたのにどうして……。


 そう、あの時、誰かにこうしてほしかった。

 こうやって抱き締めてほしかった。

 誰でもいいから……。

 ……いや、違う。

 母さんに抱き締めてほしかった。

 父さんに「よくやった」って褒めてほしかった。

 アリシアに喜んでほしかった。

 望んでいると思ったからそれをかなえたのに……。

「ありがとう」って言って笑って欲しかっただけなのに返ってきたのは憎悪と嫌悪。

 いつしかミラはカイルの服を握り締めて泣きじゃくっていた。


 仕方ない。

 エンメシャルに倒せないものをキシャル一人で倒せるはずがない。

 出来ない事は最初から分かってた。

 こんな事、頼んできた方が悪い。


 言葉にはしなかった。

 言う必要は無かったから。

 言われなくてもミラは分かってるから。


 やがて、

「……ありがと」

 ミラが小さな声で言った。

 カイルがミラの顔を見ようとすると、

「もう離していいって言ってんのよ」

 と言われて慌てて手を離した。


「帰りましょう。セルケト教徒が私達の正体に気付いて追ってきたら厄介だし」

「そうだね」

 二人は黙って歩き出した。

 あの様子ではケナイの連中はカイル達が誰だったのか、セルケト教徒に話すのを躊躇ためらったりはしないだろう。

 さすがに三度目は無しにしてほしい。


 汚れた聖衣を取り替える為にタグラ神殿によるとラースが迎えに来ていた。


「ラース」

「度々申し訳ありません」

 カイルはラースの顔を見るなり頭を下げた。

「気にしなくていい。困っている人を助けるのが神官の勤めだ」

「でも……」

 倒せなかったんです。

 その一言がどうしても言葉にならなかった。

 ラースは言わなくていい、と言うように軽く手を振った。


 タグラからの帰り道。

 カイルはケナイに行って以来、引っ掛かっていた疑問が何度も口から出掛かった。

 ラースなら知っているだろう。

 けれどミラの前で聞くのもはばかられる。

 レラスに帰ってからでいいか……。


「ね、あの地方アル・シュ・ムイラって、みんなハイラル教になっちゃったの?」

 ミラはカイルの疑問をあっさり口にした。

 僕の気遣きづかいはなんだったんだ……。

「いや。ケナイ以外は勧誘したところで何の得にもならないから」

 やっぱり……。

 だからこそセルケト教の神官が布教に来たりしていたのだろう。

 ハイラル教徒になってしまったら教団は村が困っている時に助けなければならない。


 ハイラル教は魂の救済をうたっていると言っても、建前上はこの世で困っている人も救う事になっている。

 アル・シュ・ムイラは間引きや身売りが当たり前のように行われる地域だ。

 お布施ふせが期待出来ないどころか常に助けの手を差し伸べ続けなければいけない地域など負担が大きすぎる。

 アスラル教は元々それぞれ土地の自然信仰の総称のようなものだから布教活動などしない。

 やるのは依頼された魔物退治や治療くらいで援助などはしない。

 豊作祈願ほうさくきがんの儀式をすることもあるが、ミラならともかく普通の神官の祈祷きとうなど気休めでしかない。

 セルケト教もハイラル教より遙かに古い宗教だから魂の救済があると言っても基本的には神を拝ませるだけだ。

 食べ物が欲しければ神に祈れと言うだけで教団側は何もしない。

 だから貧しい地域にも布教に来るのだ。

 改宗したところで助けたりはしないから貧しい地域の信者が負担になる事はない。


 ラースの言葉は二人の疑問に答えるものであり、また、ケナイの連中がミラを売った事を肯定するものでもあった。

 セルケト教徒に襲われた時リース母子おやこが無事だったのはあの場にいなかったからだ。

 ミラは逃げ出す時にはあの二人を連れていこうとする。

 いない人間を捜し回っていたら逃げられない。

 だからあの二人は早い段階で帰されていたのだろう。


       三


「カイル!」

 カイルとミラがレラス神殿に戻った翌日、廊下を歩いていたカイルはミラの声に振り返った。

 廊下には誰もいないし開いている扉もない……と思ったらミラが窓枠にしがみついていた。

 こちらを向いているという事は神殿に入ろうとしてたらしい。

 必死で右足を窓枠に引っ掛けようとしている。

 左足はまだ外だ。


「何やってるんだよ!」

 カイルは慌ててミラの手を掴んで引き上げた。

「丁度いいところに来てくれたわ」

「みたいだね」

「そう言う意味じゃなくて……あんたを捜しに来たのよ」

「なんで?」

「悪霊退治、頼まれたんだけどやり方が分からなくて」

「悪いけど、僕はこれを神官長に届けなきゃなんないし、他にも……」

 ミラはカイルの持っていた書類を取り上げると近くを通りかかった中級神官に押し付けた。


「これ、神官長に届けといて」

「ミ……ぐっ!」

 抗議しようとしたカイルの鳩尾みぞおちにミラの肘鉄ひじてつが決まった。

 思わず、くの字になったカイルを無視して、

「キシャルの命令よ」

 と言って中級神官を行かせてしまった。

「さ、行きましょ」

「嫌だ」

 カイルはミラに掴まれた手首を引き抜いた。


「つまんないこと根に持たないでよ。困ってる人がいたら助けるのが仕事だってラースも言ってたじゃない」

「あのなぁ!」

「ほら、行きましょ」

 ミラは問答無用で窓枠に取り付いた。

「せめて裏口から出ようとは思わないの?」

「こっちの方が近いじゃない」


 ミラが窓から飛び降り、カイルが渋々続こうとした時、廊下の端でラースと立ち話をしていたガブリエラと目が合った。

 引き留めてくれるかもしれない。

 カイルの淡い期待は、愛想良く手を振られて砕け散った。

 その仕草にラースが振り返る。

 ラースも苦笑しただけで見なかった事にされてしまった。

 神官長に叱られたらラースの了解を取ったって言おう……。

 カイルは仕方なく急かすミラの横に飛び降りた。


「そんなに嫌な顔しないでよ。悪霊退治が上手くいけばきっと何か美味しいもの食べさせてくれるわよ」

 ミラは神殿の規則はことごとく破っているのに「人助けで謝礼を貰わない」というのだけは守っている。

 無論、単に人助けで稼ぐという発想を持ち合わせていないだけ、と言う可能性は高い。

 ケナイにいた頃、ミラに貢ぎ物を持ってきた人間は大勢いたが、ミラ本人の手には一切渡っていなかった。

 そういうものを貰っている事すら知らなかった。

 ケナイの連中はミラで稼ぐだけ稼いだ挙げ句、最後にミラを売って一儲けしたのだ。

 それにしても未だにこういう事をやっているのはやはりいつか神殿を出る気なんだろうか?


 それを訊ねてみると、

「勿論よ」

 と言う答えが返ってきた。

「お金の稼ぎ方も知らないのに?」

「私達は預言者の子孫なんでしょ。なら占いとか」

 その言葉にカイルは思わず吹き出した。

「また、人のことバカにして!」

 ミラが食って掛かってくる。


「違うよ」

「じゃあ、何?」

「ラースの言う事ならなんでも信じるんだと思ってさ」

「あれが嘘だったって言うの?」

「神官は嘘けないだろ。ただあの時、僕らが預言者の子孫だなんて一言も言わなかったじゃないか」

「それだけじゃ違うって事にはならないじゃない」

「君と僕は親戚だぞ」

「嘘」

「君のひいお祖父さんは僕のお祖父さんのお祖父さんと同じ人だよ」

「やだ、あんたまさか自分の先祖の名前、全部知ってるの?」

「そんなわけないだろ。ラースの話を聞いた後で調べたんだよ」

「ふぅん」

 ミラが頷いた。


「聖女が子供を連れて逃げた先はロクリ。後在が活動拠点にしたのはキュルカ。馬を使っても一年半は掛かるほど離れてるんだぞ。間には海もあるし。そりゃ、三千年の間に子孫が増えて血が混じった可能性はあるけど……違うと思うよ」

「じゃあ、預言者の子孫は?」

「いるかもしれないけど僕らじゃないよ」

「なんで言い切れるのよ」

「血の繋がりが必要なんだとしたら子孫を根絶やしにすれば終わるだろ。最初の時にそれはやってるはずだよ」

 なのに今回で三回目という事はハイラルの子孫と約束の子は違うのだ。


「じゃあ、約束の子ってどうやって決まるの?」

「そこまでは」

 カイルは肩をすくめた。

「ただ、封印獣を世界の守護者って言ってるセルケト教は間違ってないみたいだね」

「いきなり攻撃してくる連中が?」

「封印獣の事だよ。あれは約束の子を殺すためのものだ。世界を破滅から守る為に」

「あんたって教わった事を覚えるのは得意でも頭が硬いのね」

 君にだけは言われたくないよ。

 そう言いたかったが確かにべんろうする、という点ではミラにはかなわない。

「約束の子だから封印獣に狙われるんじゃなくて、封印獣を最初に倒した人が約束の子って考え方も出来るでしょ」

 詭弁きべんだ。

 そう言うのは簡単だったが気休めになったのも事実だった。


 二人が町中を歩いていると怒鳴り声が聞こえてきた。

 見ると道端で数人の若い男が旅人らしい男を取り囲んでいた。

 道を行き交う人は一様に目をらし、男達をけて通っていた。


「あいつら!」

 ミラは駆け出すと男達の間に割り込んだ。

「やめなさいよ!」

「また手前てめぇか!」

 前にも同じ事があったのか……。

 カイルは溜息をいた。

「そうよ。また私よ。もう一度同じ目にいたくなかったら……」

 その時、ミラの後ろからちんぴらが棒を振り被った。

「ミラ!」


 ミラに振り下ろされた棒がはじかれる。

 やはり魔法障壁ではない。

〝アスラル神の加護〟だ。

 棒を弾かれた男がよろめいた。

 次の瞬間、男達は見えない力で吹き飛ばされた。


「人にたかるのやめなさいよ!」

 ミラの言葉に男達は捨て台詞を吐いて逃げていった。

「助かりました。これ少ないですけど……」

 助けられた男が拳を差し出した。

 多分、金貨かそれに代わる金目のものだろう。

 ミラはそれを軽く手を振って断った。

「気持ちだけでいいわ。受け取っちゃいけない事になってるから」

「けど……」

「それより、他の人が見て見ぬ振りをしたこと恨まないであげて。あいつらに睨まれると大変なのよ」

「……分かりました」

 男はミラが受け取りそうにないのを見て取ると頭を下げて行ってしまった。

「ミラ、今の……」

「あいつら、いつも人にたかってんの。腕が立つから普通の人達は逆らえないのよ」

 ミラはそう答えると目的地に向かって歩き出した。


       四


 カイルはミラに案内された家で悪霊を浄化した。

 下級神官でもこの程度なら出来るはずだ。

 せめてもう少しミラに魔法教え込んでもらわなきゃ……。

 ミラが引き受けた仕事をいちいち押し付けられてはたまらない。

 悪霊退治を終えると、ミラの予想通りおやつをご馳走してくれた。


 カイルはすぐにでも帰りたかったのだが、ミラがどこかのおばさんに捕まってしまった。


「ごめん、ちょっとだけ待ってて」

 ミラはそう言うと、カイルが答える前に人混みの中に消えてしまった。

「ったく……」

 子供じゃないんだし、ここでミラを置いて帰ってしまっても構わないだろう。

 ミラも文句は言うだろうがいつまでも根に持ったりはしない。

 単に覚えてられないだけかもしれないが。


 それとも忘れることで自分の心を守っているのだろうか。

 帰ろうかどうかを迷うまでもなかった。


 いきなり後ろから突き飛ばされ、カイルは路地に置かれたゴミの山に倒れ込んだ。

 状況を理解する前に脇腹を蹴られた。

 まず先に衝撃を感じ、次に熱さにも似た激しい痛みが襲ってきた。

 背中や顔を続けざまに蹴り付けらる。

 次々に蹴りが襲い、それが永遠に続くかのように思われた。

 瞼が腫れ上がり、血が流れ込んで霞んだ視界に映ったのはさっきミラが追い払った男達だった。

 右肩を蹴られ、何かが折れる音とともに灼熱した痛みに呻いた時、後頭部を地面に叩き付けられて意識を失った。


「カイル! 大丈夫?」

 カイルが目を覚ますとミラが心配そうに覗き込んでいた。

 痛いところはどこにも無かった。

 ミラが回復魔法を掛けたのだろう。

「ごめん。巻き込んじゃって……」

 前にも聞いた台詞だな。

 カイルは何も言わずに上半身を起こした。

「まさか、あんたを襲うとは思わなくて……」

 ミラは今にも泣きそうな顔をしていた。

「いいよ、別に」

 口の中で呟きながら立ち上がる。

 回復魔法では傷は治せても着ている物まではどうにもならない。

 ゴミ置き場でやられたから白い聖衣は形容しがたい色に染まっていた。


「用がんだなら帰ろう」

 カイルがそう言うとミラは素直に従った。

 ミラは責任を感じているらしく、珍しくしおらしい顔をしていた。

「ったく、君と一緒にいるとろくな事がないよ」


 八つ当たりだ……。

 それは分かっていても、言わずにはいられなかった。

 ここに住んでるから逆らえない。

 ミラはそう言ったが、町の住民全員とちんぴら達では住人の方がずっと人数が多いのだからみんなで協力すれば追い出せるはずだ。

 なのになんでみんな見て見ぬ振りなんだよ。

 カイルにはミラのように恨みを忘れるなんて出来ない。

 成すすべもなくみじめに地面に転がされる屈辱。

 意識を失った後のことは知らないが、多分ミラが来るまであの場に無様に引っくり返っていたのだろう。

 そう思うと恥ずかしくていたたまれなかった。


「悪かったって言ってるでしょ」

 ミラが恨めしそうに言った。

 歯切れが悪いのはホントに申し訳ないと思っているからだろう。

「聖衣を台無しにされたのこれで何度目だよ」

「わざとじゃないでしょ」

「わざとじゃなきゃいいのか?」

「そんなこと言ったって……」

「いつだって後先考えてないし……」

「考えたってしょうがないじゃない」


 弱い者いじめをされた者が、更に弱い者をいじめる。

 今カイルがやっているのがそれだった。

 それは百も承知していながらめられなかった。

 ミラも分かっているから普段なら言い返すか鼻で笑って片付けるところを大人しく聞いているのだ。

 ミラが気付いていると分かっていながら八つ当たりしている。

 彼女に甘えているのだ。

 自分がそんなに情けない人間だったとは思わなかった……。

 そう思いながらも次々と言葉が口をついて出てきてしまう。


「いいよな。なんにも考えてなくて」

「悪かったわね」

「君は破壊神の使いじゃないからそうやって呑気に構えていられるんだろ」

「二人ともそうだって……」

「君は約束の子だ」

「破壊神の使いじゃないの?」

「僕が破壊神の使いだよ」

「なんで破壊神の使いがあんたなの? 攻撃魔法が使える私が破壊神の使いって考える方が自然じゃない」

「破壊って言うのは物理的な破壊じゃないだろ」

 契約の施行しこうによる破壊。

 施行とはこの世の破滅はめつを望む事だ。


「僕は子供の頃から教典を読まされてきた。教典は道徳や倫理を教え込むものじゃないか。僕にはそういうものを教え込んでおかなきゃいけないって判断されたから……」

「それは違うわよ。私だって最初のうちは教典読むようにしつこく言われたもの。読まずにすんだのは根気強く逃げ回ったからよ」

 ミラが胸を張った。

 自慢にならない事を誇らしげに……。

 カイルは白い目でミラを見た。


「それに、どっちにも出来るって言ってたわよ。どっちも破壊神の使いなのは同じって事でしょ」

「怖くないの?」

「何が?」

「世界を滅ぼしちゃうかもしれないんだよ」

「滅んじゃったら創り直せばいいのよ」

「え?」

「少しはマシになるかもよ。この世界ってお世辞にも住みやすいとは言えないもの」

「また滅んだら?」

「創り直すの。何度でも」

 カイルはミラの横顔を見つめながらセルケト教セイヤンス派の教えを思い出した。


 セルケト教セイヤンス派は破壊を悪とはとらえてない。

 破壊の後には再生があるからだ。

 セイヤンス派が多い辺りは乾燥していて、しょっちゅう野火のび――草原の火事――が起きる。

 炎は地上の全てのものを燃やしくしてしまう。

 ただでさえ乾燥で燃えやすいのにその地域に生えている木の樹脂は可燃性が高い油分を含んでいるから尚のこと火事が起きやすい。

 しかしその地域に生えてる木の種子はからが固く、高温にさらされて割れないと芽が出ない。

 火事がなければ新しい木が生える事もないのだ。

 破壊が再生を促している。

 だから創造神と同じくらい破壊神がうやまわれているのだ。

 破壊と創造。希望と絶望。

 ミラは破壊と創造の両方を司れる。

 破壊だけを望んでいるハイラル教徒にとってミラは目障りなだけだろう。


 神殿に帰ると上級神官の職務室の長椅子ソファにウセルが寝ていた。


「ウセル!」

「よ、お帰り」

「ウセルこそ……帰ってきたって事は魔物退治、上手くいったのね」

「まーな」

「その割には元気ないわね。何かあったの?」

「君の恋人に会った」

「な……! なに言ってんのよ! 私にはそんなのいないわよ!」

 真っ赤になって否定したミラに、

「ホントに誰だか分かんないの?」

 カイルは冷たく言った。

「いないってば!」

「いる、いないじゃないだろ。自称なんだから」

「自称じゃ誰かなんて……」

「自称天使」

「あ! あいつ~!」

 ミラがシーアスをし様に言い始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る