第4話
俺は父さんの悲痛な面持ちで椅子に座って話していたあの姿は正直可哀そうな気がして心を痛めた。どうしてかって?父さんは母さんと喧嘩に堪えない毎日を送っていたが、やはり母さんのことを愛しているということは幼少期の頃から色々と父さんから聞かされていたので知っていた。だけど、やはり遥架と同じようにあの場から逃げたくなる程の許せないことはあった。この頃は減ったけれど、夜遅く帰ってきたことが長く続いて俺たちのことなど気にも留めずに顔を合わせないような素振りをしていた。それは、不倫でもしているのかと疑ってしまうときもあった。 やはりお互い何も言わないのだ。だからお互いの考えていることなど分かるわけがないのだ。
俺は遥架の部屋のドアの前に立って耳を澄ませた。遥架は『泣いて』ていた。そして俺も一緒に『悔やんで』そして俺だけ『怒って』いた。何に対して怒っているのか自分でも分からなかったけれど。ただひたすらと、胸の痛みと暑さを感じながらその場に突っ立っていた。
―――・・・
この日はずっと、『泣いて、悔やんで』いた。私は無力であることを強く突き付けられたのだった。
二日後に病院に顔を出した。まだ頭の整理はついていないけれど、それよりも私はお母さんの顔を見たかった。
「お母さん。」
と、母が眠るベッドの横で呟いてみた。分かりきったことだ。お母さんには聞こえていないということ、お母さんには私が見えないのだということ。
「お母さんは、今も怒っているの?」
枯れ葉が生い茂る木々が風に吹かれ揺れるのを窓から見えるこの病室で母は眠っている。私はそれをボーっと見て何となく、もう十月に入ったのだということを感じた。お金がかかる。何事にも。顕斗を出迎えるときの夫婦喧嘩の内容を聞いて、自分たちが私立高校に通っている今現在の感想だ。だから、私たちのために一生懸命働いていたんだよね?知ってたよ。お母さん。だからこそ、休んでほしかった。
それからというもの、私は毎日のように病院へ行き、瓶の中のお水と生けた花を取り換えて、必要であればお母さんの額の汗を拭いて、優しく家族のことや学校のことを話して聞かせた。正直、片方だけは辛かった。仲直りをしたいという気持ちも、話したいという気持ちも、片思いであることが切なく心をギュッと手で握るように苦しくなる毎日であった。それでもいつか届きますようにと、心の底から願って...。
―――・・・
今日の晩御飯はオムライスだ。卵の表面から出る湯気と、中身のケチャップライスの匂いが鼻をかすめた。我ながらいい出来だと卵の明るく綺麗な黄色とポツポツと白い斑点が散りばめられているのを見て自画自賛した。私は自分の以外のオムライスにラップをかけようとしたら階段から誰かが下りてくるのが聞こえた。誰だろうとドアが開くのを凝視すると顕斗が姿を現したのを見て心底びっくりした。
「どうしたの?」
少し怒ったような低いぶっきらぼうな声で訊くとぶっきらぼうな声で返された。
「晩御飯できてんだろ。食べるからラップ外して。」
私はポカンと口を開けて固まった。すると顕斗は不服そうに顔をしかめた。
「俺と食べるのは嫌か?」
「ううん。食べよ。ご飯。」
この日、久々に兄弟二人で晩御飯を食べた。それはとても静かな沈黙の中でお互い黙々とスプーンがお皿に当たる音を聞きながら食べた。
『怒って、蔑んで、人のせいにして、自分は悪くないと言い張って』、私はこの家で過ごしていた。
もしかしたら一緒にお母さんのお見舞いへ行こうと言ったらのってくれるかもしれない。そういう淡い期待をして訊いた。
「一緒にお母さんのとこに行かない?」
と。すると顕斗は目を見開いた。それは本当に驚いているようで。了承してくれると思った。けれど、その期待とは裏腹に顕斗は私と目を反らして言った。
「ごめん。俺は行く気がない。」
私は思わずひゅっと空気を吸った。顕斗の声は今まで以上に低く、冷えていた。裏切られたと思った。私はわなわなと震える声で「分かった。」と小さく呟いた。それから一週間、私は顕斗の口を聞かなかった。
―――・・・
俺はやってしまったと思い息を吞んだ。行く気がないんじゃない。行けないのだ。近いうちに大会もあって、それで部活の練習に打ち込まなくてはならない。それは母さんと父さんのためでもあるのだ。それだというのに先ほどの俺の返答はなんだ。冷たいにも程があるだろ。黙り込んだ遥架の表情を見るとやってしまった感が強くなってくる。今からでもやり直せる。さっき言ったことを今からでも訂正できるはずだ。けれど、言葉が喉をつっかえて出てこない。脳内では言おうと思っていた文章がぐるぐる目眩がしそうなほど回っているというのに。すると遥架は「分かった。」と短くはっきり言って、それ以上こちらを向かなかった。ここでやっと、やってしまったという後悔で乾いた笑いをすることしかできなっていたことに気が付いた。空になったお皿にはもうあの美味しいオムライスは残っていない。これから俺はどうすればよいのだろうか。そう、頭を悩ませた一週間であった。それでも、晩御飯は律儀に遥架は作っておいてくれたことに心底感謝した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます