第2話


「どうして何も話さなかったの?」

「母さんには関係ない。」


 いつもよりも早く目が覚めてしまった私はいつもなら無いはずの顕斗の靴を見て無意識に首を傾げた。顕斗は朝練があるのでこの時間には家を出ているはずなのだ。とりやえずドアノブに手を掛けて開けようとすると中からお母さんと顕斗の声がして思わずドアノブから手を離した。その代わりにドアに耳を当てて聞いてみるが、顕斗は「母さんには関係ない。」の一点張りで、ドアが開くのと同時に預けていた身体がバランスを崩して一瞬、倒れそうになった。「あっ」と咄嗟に出た声と共に顕斗のびっくりした顔が私の目に映った。


「おはよう。」


気まずさと恥ずかしさが混じったような声で挨拶をした。だが顕斗は何も感じなかったようでいつものように素っ気ない態度で「はよ。」とだけ言って行ってしまった。


「おはよう。お母さん、何かあったの?」


お母さんは机の上に広がっていたプリントを整理していた。顕斗が一気に部活バックから出したプリント達だろう。


「来週、授業公開日なんだってね。」

「お母さん、来るの?私は別に構わないけど、出席表書いた?」


お母さんは、何枚ものプリントを重ねて立ててコンコンと音を出して揃える。小学校ならまだしも、中学、高校となってくると保護者は授業公開日などで顔を出す人は数人いるかいないか。だけど、母は何となく、今のやつれた顔を治して欲しい。だからこれが仕事を休む口実になるかと小さく期待もしたが現実はそうもいかない。


「どうしよっかな。仕事が土曜日に入っているかどうか今日確認してから決めるわ。遥架はさっさとご飯食べなさい。」


お母さんは若干痩せこけたような疲れたような顔をしてにっこり微笑んだ。それを私は黙って、心の中で(仕事休めばいいのに。)とか呟きながら「はーい。」と言った。

 私は出された朝食を食べた後にゴミ箱の中を見てみた。昨日の晩御飯が捨てられた形跡は無いことを確認するとひとまずは胸の奥底のフツフツとした熱はゆっくりと温度を冷ました。顕斗は私が作った料理をちゃんと食べている。昨日の登校した時の左斜め前方にいた顕斗を含めた男子4人組の会話が耳の中で疼く。私たちは昔はもう少し仲が良かったはず。私はダメね。過去に囚われている。そんな気がするの。


「私は顕斗の考えていることが何も分からないわ。」


と、独り言を呟いて綺麗に洗われたお皿の縁を指でなぞった。それはとても大切で、壊れやすいガラスを触るように。顕斗が洗ったお皿はいつも綺麗だ。いつ頃からだっただろうか。とても洗練されたまるでプロが洗ったような高度な技を使ったよう。長い年月を使った非の打ち所のないお皿洗い。どんだけ彼は皿洗いが好きなのだろう。本人が言うには「皿洗いはとても奥が深いのだ。」だそうで。いつだったけ?まるでモヤがかかったみたいで思い出せない。

 母と顕斗はさっきは何を言い合っていたのだろうか。流石に授業公開日の話であんな言い合いはしないだろう。


―――・・・


 顕斗はきっと、家族が嫌い。絶縁でも望んでいるかと思うほど私達への態度は冷たい。まるで、私と、両親のことは他人とでも言うかのよう。そんなことを考えていた、3時間目の芸術の授業。たまたま私と顕斗は音楽、書道、美術の中で同じ美術を選択した。隣のクラスであるためにこの授業だけ一緒に受ける。ほら、クラスメイトと喋っている時はずっと笑ってる。


「遥架ちゃん、ずっと怖い顔してるけど大丈夫?」

「え、そうかな?」


クラスメイトの鈴木すずき真弥まやにそう言われて自分の頬を右手で触った。何となく筋肉が硬い感触がしたような気もした。


「朝にお母さんと喧嘩したからかな?なんか気分が優れなくて。」


と、力無い顔を真弥に向けた。内心では、(あーあ、家族のこと喋っちゃった。)と後悔する。でも、話した相手が真弥で良かったとも思った。真弥は本当に心から優しい人だと思って信頼している。こうやってすぐに人の変化に気付いてくれるのもとても嬉しいものだ。


「それはとても大変だったね。どんなことで喧嘩しちゃったの?」

「私はお母さんの体調の心配しているだけなのに、お母さんは迷惑そうな顔するからついカッとなっちゃって。」


私は真弥にだけ家族のことを話していた。真弥の優しさに絆されてつい色々と話してしまったという、ほぼ事故なのだが彼女は親身になって聞いてくれたことはとても感謝している。


「遥架ちゃんはとてもお母さん想いだっていうことをきっと伝わっていると思うよ?もう少し肩の力を抜いて。そうだ!帰りに今日は駅でお祭りやってるから一緒に回らない?きっといい気晴らしになると思うの。」


私は満面の笑みでコクッと頷いて「ありがとう。」と言った。そんな他愛のない小さな幸せを感じた時、教室の扉が開いた。それは美術の先生ではなかった。


「菅野くんと菅野さん。」


と言ってクイッと手で廊下へ出るように促されたので私はいきなりのことで小さな不安感を持って席を外した。

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