第2話 少女
それから僕は直ぐに仕事を辞めた。担当女優や事務所から電話が何度も掛かって来ていたけれど、全て無視し、宛もなく知らない駅まで行ったり、全く知らない土地を散策した。まるで死に場所を探すように彷徨う僕は、どんな風に見えただろう。一瞬、想像してみるものの他人は自分に興味すら持たないんだと、自暴自棄になった。
ある土地の川を渡ると、人と共に線路は途切れた。僕は廃線になった線路に侵入し、息が切れるくらい走った。どうして走っているのか、何故僕はここにいるのか、心が何処にあるのかが分からなかった。ただ、もう家や仕事には戻らないことを誓って、真夏を駆け抜けた。
悔しさと共に汗が滲む。涙が出て、それが次第に蒸発していく。
ふと、大きな石につまづいて、僕は転びかけた。その時ようやく、自分が走っている線路の足場が、酷く悪い状態だと気づいた。我に返って僕は地面を踏みしめるようにゆっくりと歩き出した。
しばらく歩き、木々がお生い茂る所まで来た時、遠くにボロボロになった鉄の塊がぼんやりと見えた。電車だ。近づいて見てみると、窓も割られ、雨風に曝されて丸みを帯びたガラス片がそこらじゅうに散らばっていた。
「うわ……酷いな……」
誰もいないだろうと、僕は独り言を呟きながら電車内を覗いた。すると、そこには思いがけずに先客が居た。
肩で切られた柔らかい黒髪に、色白の透明な肌。青薄いカーディガンを脱ぎ捨て、何処か遠くを見つめる彼女の腕には包帯が巻かれていて、身体の至る所には痣が何ヶ所もあった。恐らく高校生くらいの彼女のその目は光を宿しておらず、それだけで充分すぎるくらいの説明だった。
「あの……」
僕が声をかけると、彼女はこちらを見つめ、何故か少しだけ笑った。その笑顔に、その時の僕は何故か強く惹かれていた。
「あ……えっと、ここで何してるんですか」
僕が問いかけると、さっきまでの笑顔が嘘のように消えて、彼女はうつむいた。
「なにって……失敗したの」
ロボットの様なトーンで瞬きもせず真っ直ぐ窓の外を見つめてる彼女。僕はその変わりように動揺しながらも、辺りを見渡した。彼女の足下には、ちぎれたロープとつり革が落ちていて、僕は全てを察した。
「……あ、あのっ。えっと……僕、
焦っているとは言えこんな時に自己紹介なんて。出来る人間はきっと優しい言葉をかけるはずなんだと思い、一瞬にして後悔した。
「……私……
彼女はそんな僕の気持ちを見透かすように僕の影を見つめた。律、と名乗る彼女は、僕なんかよりもずっと大人びているように見えた。
「お兄さんも、死にたいの」
「え? あ……あぁ、まぁ。何となく」
「そっか、じゃあ仲間だ」
彼女は安堵したように僕に微笑みかけた。まるで幼い子供の様にコロコロと表情が変わる彼女に、つい、興味が湧いた。
「あ、律さんはこの場所が好きなの?」
「まさか。こんな自殺スポット好きになる訳ないでしょう」
ギョッとした目でこちらを見つめる彼女に、まさにギョッとした目で僕は見返した。今、彼女が発した言葉の意味を頭の中で繰り返し、その度に冷や汗をかいた。自殺スポット、とでも言ったのか?
「なんだ。知ってて来たのかと思った」
「……何もかも嫌になって、無我夢中で走ってたら、ここに着いたんだ。そっか、ここは……」
「色んな人が、ここで全てを終わらせるんだよ。私もそのひとり」
「…………そっ……か、」
平気で語られるその願望に、かける言葉が見つからず僕は黙り込んだ。彼女もそんな僕を見て、喋るのを辞めた。初対面の人との沈黙ほど、辛いものは無いだろうと、今の仕事をし始めた時のことを思い出した。喋っていた口は閉じたものの、代わりに緊張からか、手先が忙しなく動く。冷や汗も出て、唾を飲み込むのもタイミングを見ていた。そうしたら他の社員から君には社会に溶け込む能力がないと言われて、酷く落ち込んだ。だからこいつらの何倍も頑張ろうと心に決めた。でも――。
「お兄さん、私、アイス食べたいな」
彼女の柔らかい声が電車内に響いた。沈黙があけたと思ったら、突然のアイスの要求。僕はびっくりして、思わず彼女の顔をみた。
「……え、この辺り、コンビニとかあるっけ」
僕が聞き返すと彼女は首を傾げた。ここに来るまで、コンビニは無かったはずだが、気になって調べてみることにした。
「あー、三キロ歩けばあるのか……」
僕が携帯のマップ機能を開きながらそう言うと、彼女の瞳は突然キラキラと光を宿した。その瞳で僕の目をじっと見つめた後、何か言いたげな表情をした。言いたいことは分かっていた。
「行きたいのは分かるけど……警察に見つかったら律さんは補導されちゃうし、僕は逮捕されちゃうよ」
僕がそう言うと、彼女は拗ねた様子で靴を片手に、錆びた線路上を歩き始めた。その彼女の姿はまるで、終わると約束された夏の様に儚かった。
「あっ、どこ行くの」
「別に、その辺散歩行くだけ」
少し怒ったように振り向きもせず彼女はどんどん歩く。列車の窓から遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見つめ、僕は溜め息を吐いて座席に座り込んだ。
「……僕、なにやってんだろ」
夏の蒸し暑さが僕の体力をじわじわと奪っていき、僕は思わず寝転がった。座席には汗が染みていき、頭がぼーっとする。遠くから蝉の鳴き声が煩いほど聞こえて、僕は次第に脱力した。
「蝉は……後悔とかあんのかな……」
力も湧かなくてもう何も考えたくなかった。先のこととか、これからの事なんて知るものか。いっその事、今日で世界が終わればいいのに。そんなことばかりが頭に浮かび、瞳を閉じると見える暗闇を、僕は何分も感じていた。
「――お兄さん」
しばらくしてから、彼女の声が聞こえてきて、僕は目を開いた。
「お兄さん、やっぱりお腹減った」
さっき外へ出かけたはずの彼女が僕の前に立っていた。辺りを見渡すと、外は薄ら暗くなり、あれほどうるさかった蝉も静かになっていた。
そんなに時間が経っていたなんて思いもしなかった僕は、重い頭を抱えながら起き上がった。時計を見ると、その針は五時半を指していた。眠ったからか喉も渇き、お腹も減った気がする。流石に何も食べないで今晩を乗り切るのは無理だと思い、僕はスマホの灯りを頼りに、靴を履いた。
「コンビニ……行こうか」
「えっ、いいの?」
「ただし、警察には充分気をつけようね」
「うんっ!」
例え世界が終わっても、僕が抱える彼女への想いや後悔は消えてくれない。例え明日が続くとしても、きっと僕達は交わることはない。この先も、永遠に――。
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