君がいた、

月見トモ

第1話 理由

 今この瞬間に、息が切れるくらい僕は命を燃やしている。夏の陽射しから逃げる様に踏みしめる足音が、僕にそう感じさせた。足場の悪い線路を、リュックを背負って走るその姿は、まるで映画のワンシーンの様だ。

「はぁっ……はぁっ……っ」

 太陽や、あるいはその他の何かから、ただ必死に僕は逃げていた。逃げて、逃げて、逃げ続けて、いつの間にか君に辿り着いた。


 昨日、五年間勤めた会社を辞めた。最近人気のある若手女優の担当マネージャーをしていた僕は、女優の一日のワークスケジュールや、仕事先や出演番組への連絡や打ち合わせ、それらをひとりでこなしていた。あまりの忙しさと、睡眠不足の酷さに耐えた自分は、我ながら凄いなと、褒め讃えたいくらいだった。

 昨夜、仕事終わりに担当女優に誘われて個室のある居酒屋に飲みに行った。仕事の愚痴を聞きながら食事をして、今後の仕事選びの相談をしていた。二時間程して外に出て女優をタクシーで送ると、僕はスマホを開きプライベートモードに入った。アイコンに出ている通知を一通り確認し、また違うアプリを開いてを繰り返す。駅へ向かう途中、何気なく開いたネット記事を見て、僕の足は止まった。

羽田はだらら。大人なビデオに出演決定。初作への意気込みを語る』

 目から入る情報を遮断するかのように、僕はぎゅっと目を閉じた。その記事を開くのを恐れた。怖かった。嘘だと、信じたかった。

 僕がこの仕事を始めて一番最初に担当した女優が、羽田ららだった。当時彼女は二十歳で芸能界に入ったばかりの無名だった。お互い初めての事ばかりだねと、よく笑っていて、不安を拭うような彼女のその柔らかな笑顔に僕は何度も救われていた。いつしか、ダメだと分かっていたが、僕は彼女と恋仲になった。二人してその初心な気持ちを隠して仕事をし、お金を貯めたらどこかへ旅行に行こうと話していた。しかし、彼女はある日突然仕事を放り出し、自殺未遂をして入院をした。

 期待されるのが怖いと、そう一言零し彼女は僕の元を去って行った。それから元気になった彼女が違うマネージャーの元で活動していたことは知っていたが、まさか今度は濡れ場仕事をするなんて、僕は一ミリも考えられなかった。純粋無垢な彼女が、ちっぽけなお金を求め、身体を売りつける。随分と商売上手になったな、なんて笑っていたかったが、僕は涙が零れそうだった。かつての恋人が、好きな人が、全く知らない男に抱かれる。僕に見せてくれた笑顔よりも快楽の笑顔を、知らない人に見せる。想像しただけで胃液の味がした。

 しかし、彼女をそうさせてしまったのはきっと僕だと心の中で思った。僕がもっと頑張って仕事を見つけていたら。マネージャーとして、彼氏として、彼女を支えられていたら。そんな後悔が溢れた。

 見出しで止まっていた指は、迷いながらも意を決して次のページを開いた。何処にでもあるインタビュー記事の内容に、僕は以外にもショックを受けずに読めていた。最後の一行を読むまでは。

『すごく楽しみです。期待しててください』

 この瞬間、僕はどん底に突き落とされた気がした。今までしてきた仕事への熱意、抱えてきた彼女への想い。これから誰かを支えていく自信が、一瞬にして無くなった。全部無駄なような、そんな気がした。

「……なんでだ、よ」

 涙が零れ、その瞬間、死んでしまいたくなった。

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