第31話【エピローグ】

【エピローグ】


「ルナっ!!」


 俺はがばりと上半身を上げた。

 慌てる必要はなかった。安全を保障する三つの事実が明白だったからだ。

 自分が病院で負傷者たちに混じって寝かされていること、点滴が施されていること、大人しくしているべきであること。


 だが、俺はそんなことはどうでもいいと思った。

 何せ、俺はルナが確実に戻ったかを確かめることなく、AMMのハッチを閉じてしまったのだ。

 ルナは敵機の爆発に巻き込まれたかもしれない。そこから生じる不安と焦りに、俺は胸を押し潰される思いだった。


 その時、モーテン隊長の声がした。その声に背を押されるようにして、小さな人影がちょこちょこと駆け寄ってくる。俺は思わず、足を止めた。


「こら待て! リフィア!」

「リックお兄ちゃん!」

「どうしたんだ、リフィア?」

「ギールお兄ちゃんは? どこにいるの? モーテン隊長さんが、お兄ちゃんは死んだ、なんて言うから……」

「そ、それは」


 俺は答えようとして、止めた。

 君は天涯孤独の身になってしまった。そんな残酷な事実を、どうして眼前の無垢な少女に告げられようか。


「ねえ、リックお兄ちゃん!」

「ほらリフィア、リック准尉は戦い終わったばかりで、お休みしなくちゃならない。邪魔をしちゃいけないよ」

「で、でも、リックお兄ちゃんならギールお兄ちゃ――代表のことを知ってるかと思って! ねえリックお兄ちゃん、代表さんはどこ? あたし、会いたい!」


 モーテンは眉根に皺を寄せている。よっぽど気が滅入っている様子だ。


「少し待つんだ、リフィア。そのうち医療班が彼の処置を――」


 そう言いかけるモーテン。俺は無礼を承知で、すっと手を上げて彼に黙ってもらった。


「リフィア、気を強く持て。君のお兄さん、ギール代表は亡くなったんだ。俺の操縦するロボット――AMMを守ろうとして、敵機のバルカン砲に撃たれた」


 リフィア、それに後ろで俺を見つめていたモーテンの二人が、はっと目を見開いた。


「嘘! お兄ちゃん、いっつも自分は弾丸が届かないところにいるから大丈夫だって……」

「いいかい、戦争にはそんな線引きはないんだ。生きるも死ぬも紙一重だし、一見危険なところにいる人間が一人だけ生き残ることだってある。その逆もな」

「そっ、そんな話、聞いてない! あたしは知らないよ!」

「そうだ。こんな現実、リフィアみたいな優しい女の子が知るべきじゃない。知らない方がいいんだ」


 俺は顔を上げ、ふっと息をついてからリフィアに向き直った。


「ただ、これだけは覚えておいてほしい。君の兄さんは、本当はとても勇敢で、他人のことを大切に思える人だったんだ。いいかい?」


 呆けた表情を浮かべるリフィア。そっとその髪を撫でてから、俺はモーテンを見上げた。


「モーテン中尉、リフィアを養子にしてやってくれませんか?」

「うむ。了解だ」


 恐らくモーテンも想定していたのだろう。妻子のないモーテンだが、だからこそ子供の世話をすることで何かが見えてくる。とでも思ってもらえればいいのだが。


「それとモーテン中尉、キリクさんのことは?」

「生前の立場は秘匿しておこうと思う。立派な働きをしてくれたというのに、悔しい限りだが」

「そう、ですか」


 偶然、俺とモーテンの俯くタイミングが被った。


「ところでリック准尉、君はルナくんのところに行こうとしていたのではないかね?」

「ええ。今から向かいます」

「廊下にも負傷者が寝かされている。足元に気をつけてな」

「はッ」


 モーテンにルナのいる病室を教えてもらい、俺は足早に歩み出した。


         ※


 ごくり、と唾を飲む。

 ルナには個室が与えられていた。ひどく狭いようだが、これ以上贅沢は言えまい。


 ノックすると、ぶっきら棒な声で返答があった。


「ルナ、俺だ。リックだ。入ってもいいか?」

「ああ。構わないよ」


 思ったよりも元気そうな声。ゆっくりとドアを開けると、ルナはベッドの上で上体を起こしていた。病人用のパジャマを纏っている。


「大丈夫か? ルナの方は」

「どう見える?」

「まったく、飽きもせずピンピンしていやがる……」


 敢えて意地の悪い言葉を選んだのだが、ルナは穏やかな笑みを浮かべるばかりだ。


「ルナのお母さんは?」

「ああ、私の無事を確かめてから、すぐに出ていったよ。負傷者でいっぱいだからね、ここ」

「そうか」


 ふっとルナが首を回し、病院の窓の向こうを見遣った。

 あちこちで赤いランプが見える。消防車や救急車のものだろう。

 戦闘は完全に終結している。だが、火災や家屋の倒壊、ライフラインの復旧などを考えると、しばらくは不自由な生活が待っているはずだ。


 俺が目を逸らし、窓で反射したルナの穏やかそうな顔に見入った。

 その時だった。


「……!!」

「ああ、これ?」


 絶句する俺に振り返るルナ。俺が言葉を失ったのは、ルナの右腕が負傷していたからではない。そもそも、右の肩から先がなかったのだ。


 ルナはくつくつと静かに笑いながら、自分で右肩を見下ろした。


「切断する以外に、私が生き残る方法はなかったそうだ。出血多量でね」

「お、お前、一体、それで……」

「平気なのかって? そんなわけないだろう」

「だ、だったらなんで笑っていられるんだ?」

「何故笑えるのか、か」


 ルナは笑顔を引っ込め、複雑に口元を歪ませた。切れ長の瞳の間に皺が寄っている。


「リック、あんたが知ってるかどうか分からないから言うけど」


 すっと左手を伸ばし、俺の胸を叩くルナ。


「残念ながら、あんたのAMMのハッチ封鎖が早くて、あたしは生身のままで宙に放り出された。でも、まあ悪運が強いんだろうな。敵機のレーザー光線は、あんたの殴打と私の斬撃で随分弱っていたらしい。そこで私の右腕は消し飛ばされちまったけど、爆風がちょうど私の身体を街路樹の方に飛ばしてくれたんだ。木々が上手くクッションになってくれたんだな。だから命に別状はなしってわけさ」

「だ、だからってお前! 親からもらった大切な身体だろうが!」

「そりゃあ、私だって右腕があった方がいいに決まってる。でも、何も悲嘆することはないよ」


 この期に及んで何を言うのか。俺が再び怒鳴ろうとした隙を突いて、ルナは言葉を続けた。


「母さんが研究してるんだ。傷痍兵のための義手とか義足とか。だから、それを早く作ってもらえれば、私は普通の生活に戻れる」

「……」

「どうしたんだ、リック?」

「……せろ」

「ん?」

「俺に手伝わせろ」


 目を丸くするルナ。


「俺はもう一機のAMMを供与してもらって、国境線の警備任務にあたる」

「ちょっ、リック、あんた何を言って……?」

「お前の母さんの研究費を稼ぐ。一番手っ取り早いだろ、国境警備なんていったら」

「そ、そりゃあ分かるけど。でも、どうしてあんたがそんなことを?」

「じゃあ逆に訊くけどよ」


 俺はすっとルナから顔を離し、問い返した。


「どうして俺が稼ごうとしてるか分かるか? お前やお前の母さんのために」

「え……?」


 こくん、と首を傾げるルナ。

 それを見て、俺は急速に頭に血が上るのを感じた。ああ、こんな尋ね方をすべきではなかった。


「お、お前に早く腕を治してもらいたいからだよ。その、俺は料理が苦手だから、家事の分担、で……」


 なんだこりゃ。新手のプロポーズか?

 すると、ルナはすっと左腕を差し出した。


「待ってるよ、私の右腕。でも、左の薬指なら空いてるぞ?」

「ちょっ、待て待て! 俺にだって心の準備ってものが……」


 あたふたする俺を見て、笑い転げるルナ。

 やっぱり恐ろしいヤツだな、俺が惚れちまった女は。


 THE END

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戦火を駆けるブルー・ムーン 岩井喬 @i1g37310

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