第22話

「ちょっ、どこ触ってんの馬鹿! さっさと下ろし――」


 と言いかけて、ルナは黙り込んだ。そして、今までにない表情を浮かべた。

 恐怖だ。

 俺の顔がどこか変なのだろうか? おそらくその通りだろう。


 どこが変なのか? 知ったこっちゃない。だが、何が原因でそんな顔をしたのかは分かる。

 俺の胸中で燃え上がった怒りゆえに、だ。


 おれはゆっくりとルナを下ろし、顎をしゃくってみせた。くるり、と振り返るルナ。

 その目に飛び込んできたのは――。


「ッ! お父さん!!」

「……」


 腹部の右半分と右腕を弾き飛ばされた、瀕死のボイド少佐だ。

 ルナは少佐の下にひざまずいた。惨たらしい死傷者を見るのには慣れている様子だが、それが肉親ともなれば話は別らしい。


「お父さん、お父さん! こんな……! せっかく会えたのに!」


 さっきまでの鬼神のごとき活躍はどこへやら。ルナは完全に動揺し、狼狽し、そして絶望していた。

 俺は二人から目を逸らし、上方への銃撃を続行。敵は手榴弾が尽きたのか、散発的な銃撃を加えてくるだけ。だんだんと高低差もなくなってきたし、モーテン率いる別動隊が敵を引きつけてくれれば、この局面を乗り切れる。


 しかし、ルナは大きな懸念事項となってしまった。

 彼女が父親の仇討ちを目的にして、暴走する事態は避けなければ。


「ルナ、下がってろ。残りの戦力で、シャフト周辺の政府軍兵士は殲滅できる」

「……ぁ……」


 過呼吸になりかけながらも、ルナは抜刀した。


「おい待てよ、ルナ!」

「放せリック! あいつらは私の父さんを殺した!」

「だからってスタンドプレーは……」

「皆殺しにしてやる!」


 そう言って、ルナは俺の腕を振りほどき、大きく跳躍した。右手に刀、左手に拳銃を握りながら。


「おい、まだ敵には銃火器が残ってる! 一人で突っ込んだらすぐに――」


 俺がルナの後を追おうとした、その時だった。


「リック准尉……」


 これほどの騒音が響き渡る中で、ボイド少佐の声が聞こえたのは奇跡だ。

 俺はすぐさま少佐の下に駆け寄った。


「大丈夫ですか、ボイド少佐! 気を確かに!」

「頼みがある。うちの娘を……げほっ、ルナを、守ってくれ」


 言葉が出ない。そんな俺を見て微かな笑みを浮かべ、少佐は続けた。


「君は、元々政府軍の人間だ。抵抗はある、かも、しれないが……。少なくとも、このクーデター計画の、ぐっ、間だけで、構わない」


 ルナを、頼む。

 そう言った直後、少佐の目から光が失われた。


 俺は少佐の左手を取って、両手で強く握りしめた。

 それからすぐに腹這いになり、自動小銃を前方へ向けて構える。やっとエレベーターが地上と同じ、つまり政府軍兵士たちと同じ高さまで上昇したのだ。


 ルナを援護しなければ。

 そう自らに命じて、俺は自動小銃をフルオートに設定した。付属の暗視スコープを装着し、緑色に染まった世界に目を馴染ませる。


 そして、唖然とした。ルナが絶叫しながら、敵を殺害、否、殲滅していたからだ。

 刀を片腕で易々と扱い、政府軍兵士の首を刎ねまくっていく。

 スコープの向こう側は、まさに阿鼻叫喚の世界。俺にルナを援護するほどのゆとりは一切与えられていない。


 しかし、ルナは唐突に刀を投げ捨てた。その向こう側にいた兵士が腹部を貫通され、背後の木の幹諸共串刺しにされる。

 

 流石に斬れ味が落ちたのか。これだけ人間の首を刎ねていれば、刃こぼれを起こすだろう。

 ルナは素早く拳銃を取り出し、カバーをスライドさせて銃撃戦を始めた。が、流石に刀ほどは扱いきれていない。


 敵とて政府軍。防弾装備はきっちり身に纏っているだろう。

 案の定、ルナは敵を撃ち倒すことには成功していたが、致命傷には程遠い。敵はすぐに立ち上がり、木の陰を利用して弾倉を交換している。


 俺は慎重に狙いを定め、援護射撃を開始した。得意の四連射で、パタタタッ、という軽快な銃声を響かせる。

 狙うは頭部、それもヘルメットの真下だ。眉間を撃って即死させる。そうでなくとも、バイザーやスコープくらいは破壊できる。


《こちらモーテン、敵性勢力の背後に回り込んだ。各員匍匐前進で後退、我々の射線に入らないよう警戒せよ》

「よし……」


 俺は唇を湿らせながら、倒木の陰に滑り込んだ。


「ルナ、通信は聞こえたか? 一時退避だ!」

《……》

「おいルナ、こいつらはもう袋のネズミだ。お前も身を隠せ!」

《……》

「聞こえてるんだろう? すぐに退け!」


 あの馬鹿、無線を切っていやがる。脳の血管も二、三本まとめて切れていそうだ。

 俺はできるだけ低姿勢で倒木を乗り越え、匍匐前進でルナの下へ向かった。


 周辺の敵は、ルナの脅威に晒されて警戒態勢を取っている。その背後から、今にもモーテンたちが銃撃を開始しようとしている。ルナを伏せさせなければ。


 そう思って一歩踏み出した、その時だった。

 ぐわん、と視界が歪んだ。続いて脳みそが揺さぶられるような気分の悪さに、後頭部から鈍痛が迫ってくる。樹上から下りてきた敵に、銃床で殴打されたのだ。


 そう気づいた頃には、俺は担ぎ上げられてどこかへと連れ去られるところだった。

 俺の記憶は、ここで一旦途切れることになる。


         ※


 がたん、という音と共に不快な振動が俺を揺する。

 俺は目を閉じたまま、自分の状態を確認した。


 四肢は無事。掠り傷程度。内臓や骨にも異常はないようだ。

 強いて言えば、殴打された後頭部に鈍痛が走っている。それくらいだ。


 問題は、俺は後ろ手で拘束されているらしいということ。

 加えて、臀部から伝わってくる荒っぽい振動。そこから察するに、きっとこれは陸路を走行中の輸送トラックの内部なのだろう。


 瞼を下ろしたままで、できる限り周辺の状況を確かめる。

 三人ほどの人間たちが、緊張感の弛緩した環境で語らっている。どうやらコイツらは、政府軍の下士官のようだ。


 ここはコンテナの中で、必要最低限の武装と防備しか施されていない様子。


「ったく、なんで俺たちの任務がこんなガキの確保なんだ?」

「裏切り者なんだろ? とっとと始末した方がいいんじゃねえ?」

「まあそう言うな。コイツはAMMの操縦技術についてのプロだ。生かしておけという命令を忘れたのか?」


 俺は薄く目を開けて、自分の読みが正しかったかどうかを確認しようとした。

 が、それが失策だった。


「おっと、英雄様はお目覚めらしいぜ。名誉の凱旋だ、気分はいかがですか、准尉殿ッ!」

「がっ!?」


 野郎、思いっきり俺の側頭部を蹴りつけやがった。


「おいおい、俺も混ぜろ、よっ!」

「ぐっ!」


 横倒しになった俺を、コンバットブーツの踏みつけが襲う。


「暴力沙汰はよせ。憲兵にしょっぴかれるぞ」

「いいじゃねえか、んなこたぁ、よっと!」


 鼻先に刺激が走り、血の味と匂いが鼻腔を満たす。


「英雄さんよ、お前のせいで俺のダチが何人くたばったと思ってるんだ? てめえがいなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ!」

「テロリスト風情に感化されてんじゃねえ! 頭の中でもいじくられたのか? あぁ?」


 二人の政府軍兵士も、無抵抗・無感情な俺に苛立ちを覚えたらしい。

 蹴りや殴打は激しさを増し、それでも止まる気配がない。これではクーデターの開始以前に死んでしまうかもしれない。


 それだけはご免被りたい。だが、彼らの怒りは留まるところを知らなかった。

 それほど多くの人命が俺のせいで奪われたのか。

 それほど多くの人々の人生が狂わされたのか。

 そして、一体どれほど多くの人たちが、自分の大切な人を喪ったのだろうか。


 襟を掴んで引っ張り上げられ、ひたすらに殴られる。特に、胃袋を破裂させんばかりのボディブローは効いた。

 初陣で帰ってくる途中にこのザマだ。俺の人生はなんだったのだろうか。


 そう思い詰めた俺は、しかし唐突に思考を停止させられた。

 荷台が横合いから凄まじい衝撃を受けて横転、続けて機銃掃射の唸りが聞こえた。

 頭上からだ。見たわけではないが、発砲音から察することはできる。二十メートルほど上方からの銃撃だろうか。


「おい、何があったんだ?」

「崖から落っこちたのか?」

「待て、俺が様子を見てくる」


 そう言って後部ハッチから乗り出す兵士。すると、まさにタイミングを計ったかのように兵士は粉微塵になった。


「あ、あれ? おい、どうし――」


 二人目の兵士もまた、同じ末路を辿った。どうやら、一人目が粉状になったのが目に入っていなかったらしい。


「ひっ!」


 その光景を見たことで、三人目は腰を抜かした。

 俺はそいつが腰から提げていたキーホルダーに目をつけた。これは俺の手錠の鍵じゃないか?


 辛うじて動いた足で、三人目に蹴りを見舞う。


「うっ!?」


 一発で気絶させることに成功した俺は、すぐさま鍵を拝借。手首から先だけを使って、我ながら巧みに手錠を外した。

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