第20話

 って、祖国の、それも首都の警備態勢の甘さを指摘されたのだということは忘れてはなるまい。なんだか、俺の心は宙ぶらりんになってばかりだ。

 こんな事態を引き起こしたのは――。


「やっぱりルナ・カーティンか……」


 俺は顎に手を遣りながら呟いた。


「ん? 娘がどうかしたかね、リックくん?」

「えっ?」


 マズい。心の呟きが音声になっていたらしい。すると、隣でガタン、と音がした。椅子が後ろ向きに倒れ込む。


「わっ、私に何の用があるんだよ、リック!」

「いやあ、べ、別に、考え事をしていただけで……」

「私の名前呼んだでしょ、何があったの? 何を考えてたの?」


 俺は顔の前で手をぶんぶん振った。


「それは俺の立場の話だよ! ルナに出会っていなければ、こんなにいろいろ考えることもなかっただろうな、と思って」

「いろいろ、って何よ!」

「いてっ、いだだだだ! 耳を引っ張るな!」


 その時、スライドドアがすっと開いた。


「あら、随分楽しそうじゃない。何かあったの?」

「聞いてよお母さん! リックのヤツ、私のことを考えて何かしようとして――って、え?」


 動きを止めるルナ。俺は唐突に手から耳を解放され、反動でよろめいた。


「どわはっ!」


 声のした方を覗くと、そこには医療用の白衣を纏った女性が一人。


「お母さん!」


 そう叫ぶや否や、ルナはテーブルに手をついて軽々と飛び越え、女性に抱き着いた。

 ああ、そうか。この女性が母親なのか。


「お母さん! 私、お父さんと一緒にあなたも死んでしまったと思ってたんだよ! でも、よかった、よかったよぉ……」

「フリア、もう医療係の手伝いはいいのか?」


 少佐から尋ねられたフリア女医は、落ち着いた態度で答えた。


「ええ、大丈夫よ。軽傷者がほとんどだったから」


 そう言ってルナを抱きしめる母親、フリア・カーティン。

 夫であるボイド少佐とは対照的に、線の細い女性だ。しかしその瞳から放たれる使命感と勇敢さは、確かにルナと似ているように思われる。


 顔をフリア女医の肩に押し当て、そのまま崩れ落ちるルナ。


「やはり男親は、女親には敵わない、か。悲しいものだね、リックくん?」

「は、え? はあ……」


 そこに同情を求められてもなあ……。

 俺が頬を掻いていると、フリアはこちらに目を遣った。


「あなたがリック准尉ね? 私はご覧の通りルナの母親、フリア・カーティンです。いつも娘がお世話になっていますね」

「いつもってほどじゃないですけど」


 ううむ、どうにもこの奥方とは話しづらい感じがする。俺は大したことはやっていない。丁寧に接されても戸惑いが先行してしまう。

 俺はどうしようもなく、ただ後頭部を掻くばかり。


「ほら、ルナ。リックくんの前だぞ。もっとしゃきっとしないか、しゃきっと!」


 ぺたりと座り込んでしまったルナに向かい、少佐が声をかける。いや、泣いていてもらった方が都合がいいのだが。斬殺される恐れがない。


 それよりも気になったのは、ルナ――というか子供の目線からして、いかに両親というものが大切なのか、ということだ。

 さっき、ルナが少佐に抱き着いた時にも思ったことだけれど。


 俺がこの場に居続けるのは、なんだか無粋な気がする。そう思ってゆっくり退散しようとした時、再度ドアがスライドした。

 次は誰が入って来るんだ? と思って見ていると、小さな人影がやって来た。ちょこちょこと小走りで。


「あれ? あれれ?」

「おい、どうしたんだリフィア! 今はルナのために時間を――」

「マルダンのおじさんがいないの!」

「マルダン?」


 誰のことだ?


「ほら、荒野でリックお兄ちゃんと遊んでた、太っちょの兵隊さん!」


 ああ、あのまん丸いヤツか。そういやさっきから見てないな。


「お兄ちゃん、知らない?」

「いや、俺に訊かれても――」

「亡くなったよ」


 音もなくドアの境に現れたモーテンの声に、その場が凍りついた。

 

「少佐、奥方、少々失礼致します」


 なにやら落ち着きのないリフィアを抱え上げ、モーテンは廊下に出た。が、実際のところ、二人の会話は筒抜けだった。


「いいかい、リフィア。落ち着いてよく聞くんだ。しっかり私の目を見て」

「えー? ふとっちょさんと遊びたい!」

「何度も言ってるだろう? 彼は戦死した。もうこの世にいないんだ。どこを探しても、どれだけ願っても、再び彼と出会うことはできない」

「それがモーテンおじさんの言う、戦死、っていうこと?」

「そうだ。彼は運が悪かったんだ。あれだけの爆弾の破片に降られたら、誰も生きてはいられないだろう……」

「嘘だ! 嘘だよモーテンおじさん! だってふとっちょさんは、あたしの頭を撫でて、絶対に守ってあげるからって、ちゃんとそう言って……!」


 そこから先は判読不能だった。リフィアが大声で泣き出したからだ。

 偶然通りかかったのだろう、ギールの声が混ざる。


「モーテン隊長、どうした?」

「代表、リフィアが――」

「お、お兄ちゃん、戦死なんて嘘だよね? 誰も死んでなんかいないよね?」


 キュッ、と靴の底が擦れる音がした。急にそんなことを言われて、ギールが怯んだのだろう。

 すると、ボイド少佐が眉間に皺を寄せた。俺と向かい合う形で壁に耳を当てていたのだが、流石にこれ以上は聞いていられなかったのだろう。

 その背中に、フリア女医が声をかける。


「あなた、リフィアちゃんがどうかしたの?」

「……あの歳で人間の死を理解しろというのは残酷というものだ。今はあれでいい」


 その後、思いっきり号泣するリフィアの声と共に、複数の足音が遠ざかっていった。


「酷いものね」

「そうだね、お母さん」


 ルナと女医は、互いの背中に腕を回して抱き合った。

 今度こそ、いや、先ほど以上にいたたまれなくなり、俺は無言で会議室を出た。


「……くそっ!」


 思いっきり拳で自分の太腿を殴りつける。一人の兵士が亡くなるだけでもこれほどの衝撃が生まれるのだ。では俺は、一体何人の兵士を手にかけた? 五人? 十人? いや、二十人か?


         ※


 そんな俺の葛藤がどうにかなるわけもなく、時間と場所は移り変わる。

 クーデター決行の前日まで、俺は他のブルー・ムーンの兵士たちと同じ待遇を受けた。食事は適量だったし、風呂場の使用も許可されていた。


 ただ一つ懸念していたのは、俺の身柄だ。

 殺傷の対象とはなっていない。だが、恨みがましい目で睨まれたり、不意討ちの鉄拳を喰らいかけたり、罵詈雑言を吐かれたりした。


 中には、自分の夫や息子の名前を喚く女性もいて、これには随分と悩まされた。

 ……俺は何をやってる?


 そんな俺と対照的だったのは、なんといってもルナ・カーティンだった。

 常にボイド少佐かフリア女医のどちらか、あるいは両方につきまとい、笑顔を振りまいている。


 かと思いきや、突然泣き出すこともあった。情緒不安定すぎないか、お前。

 もちろん、こんなことを直接ルナに言ったことはないが。


 そして現在。


「はあ……」


 俺は、奇跡的に空いていた浴場を訪れていた。静かな場所で、一人になりたかった。

 一応、俺には一人部屋が宛がわれてはいる。だが防音設備が十分でないのか、何かしらの機械音は常に響いていた。


 もちろん、騒音の下であっても疲れれば眠れる。だが、それが心理的な安らぎを与えてくれるわけではない。

 AMMで油田のブルー・ムーンの基地を襲撃してからというもの、常に銃口に晒されてきた気がする。そろそろ一息つきたかった。

 それで殺されてしまったら? どうにでもなれ。


 俺が再び溜息をついた、その時。

 脱衣所の方で音がした。誰か来たようだ。


「チッ」


 やっと自分だけの時間を確保できたと思ったのに。

 一体誰だよ。そんな恨みを込めて、曇りガラスでできたドアの方を見遣る。

 直後、するりとドアが開き、俺は相手と視線を合わせることになった。――そして、恐怖した。


「ルっ、ルナっ!?」

「リック!?」


 無駄な筋肉のない、芸術品のような四肢。微かに赤く染まった頬。真ん丸に見開かれ、驚愕の念に震える瞳。


「あ……」


 俺の喉から乾いた音が鳴る。それからルナは半回転し、急いで引っ込んだ。

 何だったんだ、今のは。

 すると、再びルナが現れた。全裸のままで。


「うぎゃっ!?」


 悲鳴を上げたのは俺だ。だが、感情的になっていたのはルナの方。


「リっ、リリリリック! ここは、お、おおお女湯だぞ!」

「あ、は、へえっ!?」


 それよりドアを閉めておけよ。

 そう言いたいのは山々だが、不可能だ。何故かルナは、着衣よりも刀を優先したらしい。

 立ちまわりや言葉遣いを誤れば、即バッサリだろう。


 目を逸らさなければ。俺はとにかく身体を百八十度旋回させ、膝を抱き込んで背中を丸くした。


「先に入ってたのはあんたなんだから、あんたが先に上がりなさい! その間に、わっ、私の方を見たら、即刻素早く可及的速やかにその首を叩き落とす!」


 そこまで言わなくてもいいだろ。

 俺はゆっくりと湯船から上がり、げっそりしながら脱衣所に向かった。

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