第19話

「お父さん!」


 今の声、ルナか?


「お父さん、お父さん!」


 俺が振り返ると、エレベーター上の人混みを縫ってルナが駆け出していくところだった。


「ルナ、危ないぞ!」


 モーテンの言葉も耳に入らない。走り幅跳びかと見紛う勢いで、ルナは高さ二メートルほどのエレベーターから飛び降りた。

 その先を見ると、メカニックのジャージを着込んだ男性の姿がある。上背があり、長身ながらがっちりとしている。


 ルナの叫び声を聞いていたのか、男性は穏やかな笑みを浮かべて振り返った。抱き着いてくるルナの身体を、後退りしながら抱き留める。


「ルナ!」

「お父さん、生きてたんだね! 私、てっきりお父さんは死んじゃったのかと……」

「まだ死ぬわけにはいかんさ。せめてお前のフィアンセの顔くらい、見せてもらわんとな」

「ちょっ、何言ってんの!」

「おいおい、冗談を言ったつもりはないぞ? 親としては当然の思いだ」

「まったくもう……」


 ポカポカと父親の胸を連打して、ルナは腰に手を当てた。

 フィアンセ、ねえ……。あんなじゃじゃ馬の相手が務まるような人間がいるとは思えないが。


「ねえ、お母さんは? お母さんはどこ?」

「今は医療スタッフの手伝いをしてる。負傷者の手当てが終わるまで、しばらく我慢しなさい」

「むー……。分かった」


 ふくれっ面を作るルナ。それを見て、俺は耐えきれずに吹き出してしまった。


「ちょっ……! な、何が可笑しいっての、リック!」

「っておい、ちょっと待てルナ! 今のは、えーっと、その、くしゃみを我慢してて……」

「問答無用!」

「いや、刀の柄に手をかけないでくれ!」


 正直、俺は心底ビビっていた。最初に刀の切っ先を突きつけられた時のような、異様な緊張感はない。しかし、ルナのフィアンセになるには、これほどの恐怖心に常に晒される覚悟が必要ということか。

 俺はジリジリと後ずさりする。そのうちに、二十センチほどの高低差を残してエレベーターは停止した。


 すると、慌ててエレベーターから飛び降りた人影が二つある。

 

「ボイド・カーティン少佐!」

「おお、誰かと思えばギールくん、それにモーテン中尉じゃないか!」

「少佐、ご無事だったんですね! ご存命ならご一報ください!」

「ああ、すまない。敵の電波妨害装置がところどころに設置されていてね……。ここに辿り着くのがやっとだったんだ」

「左様ですか……。しかし、よくご無事で!」

「私のことはいい。それよりも、大きくなったな、ギールくん」

「はッ、現在臨時代表を務めております」

「うむ。それにモーテン中尉! 片目を失ったのか」

「なあに、片目でも狙撃銃の狙いはつけられます。この傷は敵への威嚇にもなりますしな!」


 何でもないことのように語るモーテンと、語られたことを即座に受け入れる少佐。

 二人共随分と肝が据わっている。鈍感と言えばそうなのかもしれないが。


「カーティン少佐、今までの得られた情報を精査し、お伝えすべき事項をまとめました。ご覧になってください」

「うむ、感謝する」


 少佐はしっかりと頷き、データの入ったディスクを受け取った。


「しかし、AMMの奪取に成功するとは……。その時何があったのか、それだけ今教えてもらっても構わないかね、中尉?」

「はッ、政府軍の一人の身柄を確保し、その際に彼のAMMを奪取しました」

「なるほど、それは興味深いな。彼は今ここにいるのかね?」

「ええ。今呼んで参ります」


 その会話が聞こえたので、俺は顔を上げた。ゆっくりと俺に歩み寄ってくるモーテン。


 ルナは再び顔を紅潮させながら、父親から離れた。俺と父親・ボイド少佐がスムーズに会話に移れるように、との配慮からか。

 俺を呼びに来たモーテンは、さっと俺の肩に手を遣った。


「聞こえていたな、リック准尉? すぐに少佐の下へ。ああ、でも今は――ルナ、君は少佐ともう少し話をした方がいい。最もAMMと近接戦闘を繰り広げた経験が豊富なのは君だ」

「えっ、でも、私が? どうしてリックなんかと一緒に?」

「リックなんか、とはご挨拶だな……」


 俺はそう呟いたが、嫌な思いはしていない。むしろ、ルナが同行してくれることに安堵感を覚えている。


「了解しました」


 ルナは胸中の感情をさっと解き、俺を待ち構える様子。

 苦笑しながら頷くモーテンから目を逸らし、俺もまたエレベーターを降りた。


         ※


 俺とルナはボイド少佐に先導されて、ある部屋に入った。やや狭い感じがしたが、それは地下施設特有の閉塞感によるものだろう。

 しかし極めて衛生的な部屋だ。きっと士気を保つために、日常的な家事には厳格なところがあるのかもしれない。


「さ、二人共、好きな場所に座ってくれ。リック・アダムス准尉、十八歳。そうか、孤児だったのか。今まで生き延びてきた君の強靭さと、そんな君を育てた大尉殿に対して心からの敬意を表する」

「あっ、いえ……」


 そう述べてくれたボイド少佐。俺は何と返したらよいのか分からず、不器用に頭を下げた。少佐は演台のような段差を上がり、データファイルを立体画像表示しながら俺の素性を調べている。


 この期に及んで、俺の胸中は複雑だった。

 今目の前にしているのは、敵の首領である。だったら俺が取るべき行動の選択肢は一つだけ。

 

 殺害だ。


 だが、今の俺の立場は政府軍でどう扱われているか分かったものではない。名誉の戦死ではなく、ただリンチされて殺された一兵卒にしかならないかもしれない。

 それは嫌だ。何せ、俺はブルー・ムーンの首脳部から直接、政府の暴虐な行いを見せつけられてしまったのだから。


 そもそも、目の前の屈強な男――ボイド少佐を倒せるだけの戦闘力は俺にはない。

 気配で分かるのだ。いかに実戦に慣れているか、そしてどれほどの死地を乗り越えてきたか。


 俺が素手で倒せる相手は、精々が一兵卒だ。とてもこんな大男と刺し違えるだけの実力はない。武器があれば、とも思ったが、それはそれで殺意の増幅装置のような効果を発揮してしまう。俺が武器を構えるまでの間に、少佐は俺を絶命させるに違いない。


「いくつか質問しても構わないかね、リックくん?」

「はッ」


 俺は思わず背を伸ばしたが、こちらにだって守秘義務がある。いざという時は、拷問されても口を閉ざしているべき……なのかもしれない。


 煮え切れないヤツだなと、自分でも思う。しかし、俺がやや目線を落としていると、予想だにしない問いを飛んできた。


「うちのルナをどう思う?」


 ピシリ、とはっきりした音を立てて、俺は固まってしまった。


「はっ、はあっ!? ちょ、ちょっと待ってよ、お父さん!」

「何を待つんだ、ルナ?」

「なんでコイツに私の感想を訊くの!? あんまりだよ!」

「なっ!」


 その言い草こそあんまりだ。俺の身体はすぐさま動き出し、ルナの肩を引っ掴んだ。


「まあまあ、落ち着いてくれ、お若いの。冗談だよ」

「はあ……」


 ルナは俺の手を払い除けた。


「リックくんの反応を見させてもらった。何を考えていたかは分かるよ。大体だがね」


 俺は無言。それから少佐によって語られた内容が、あまりにもよく俺の思考をなぞっていたからだ。


「君には愛国心……とは言わないが、国を守るために何かをしたい、という強い意志を感じる。若い頃の自分と重ね合わせてしまったよ」

「は、はあ」

「そして君は迷っている。政府軍に戻るか、我々につくか」

「……」

「まあ、じっくり考えたらいい。と言っても、猶予はあと三日しかないがね」

「三日? お父さん、三日って何のこと?」

「おや、ルナも聞いていなかったのか。ギール代表もモーテン中尉も、随分と口が堅いな」


 一言で言おう。そう言って、少佐は軽く息を吸った。


「クーデターだ」

「な……!?」

「ク、クーデター!?」


 開いた顎が塞がらない俺と、目玉を飛び出させかねないルナ。


「と言っても、飽くまで今の我々は一介の反政府組織にすぎない。また、政府全体をひっくり返すだけの規模の作戦を展開する必要もない。狙うのは陸軍省総本部だ。そこを包囲して、陸軍上層部の身柄を拘束する」

「そ、そんな簡単におっしゃられても……」


 AMM一機では、できることなどたかが知れている。

 そう言おうと思ったのだが、少佐は、心配には及ばない、と述べた。


「既に複数人のスパイが、市街地警備任務にあたるAMMパイロットたちに根回しをしている。ステリア共和国の首都・ステリアンド市に乗り込んでしまえば、戦いは決したも同然だ。心配には及ばないよ」


 俺にできるのは、なるほど、と賛意を示すことだけだった。

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