第18話【第四章】

【第四章】


 俺の鼻血が止まったのと同時に、輸送装甲車は車列を止めた。


《フロント・シャフトに到達した! 車両誘導班の指示に従い、シャフト中央部に停車せよ!》


 モーテンの声が朗々と響く。ここがブルー・ムーンの本拠地……。

 確かに、人工衛星からの捕捉は困難だろう。ただでさえ密林の中にあるのに、加えて通信妨害が為されている。通常の無線は通じない。

 きっとダミーの通信妨害装置もまた、森のあちこちに配されているのだろう。


《一、二、それに六号車! 死傷者を搬送しろ。ここからはスピード勝負だ。車列の内側に負傷者を立たせろ。担架の必要な者は、そのまま車内で待機!》


 輸送装甲車から降りて俺が周囲を見回した、その時だった。

 ゴゴン、と地面が揺れた。いや、違うな。回転しながら降下し始めたのだ。


《運転手は注意しろ! AAMを傷つけんようにな!》

「おいリック、大丈夫か?」

「ああ、ルナか」


 ルナは刀を背中に担ぎ、いかにも手練れの武人の風格を漂わせている。

 それに対して俺は丸腰だ。

 危険だとは思わなかったが、グループ内で自分だけが武器を携行していないというのは、なかなか堪えた。今の俺はあまりにも無力。相手がその気なら、瞬殺されても文句は言えない。


 一方のAMMは、輸送装甲車の最後尾、十号車の荷台に乗せられている。

 エネルギー充填率が低く、しかも左脚部の損傷も修繕されていない。


 今ここに、政府軍がAMMを潰しに現れたら、俺たちにはどうしようもない。


「オーライ、オーライ!」


 輸送装甲車を揺さぶるように、地上誘導係の声が聞こえてくる。それに伴い、地面が、いや、地面に見せかけたフロント・シャフトは降下を続けていく。形状は円形で、直径三十メートルはあるだろうか。


 僅かな回転が三、四メートルほど進んだ時、足場のさらに下方から人工的な光が差してきた。そっと覗き込むと、白衣の係員たちが俺たちの到着を待っている。ブルー・ムーンお抱えの医師たちだろう。


 ああ、でも俺はお呼びじゃないな。俺が負ったのは銃弾が掠めた切り傷と、鼻の中を切った傷。緊急性はあるまい。

 さっとギールの方に目を遣ると、ぴったり目が合った。彼も俺同様に、鼻をティッシュで押さえている。

 なんとか偉そうに振る舞おうとしているギールも、それをどこか滑稽だと思っている俺も、結局は同じ穴の狢というわけか。


 すると、ギールに背後から抱き着くようにリフィアが腕を回した。何事か喋っているが、ギールは振り返りもしない。

 そんなギールに、今度はモーテンが声をかけた。右上腕部に包帯を巻いている。さっきの戦闘で撃たれたのか。


 しかし、モーテンが気にかける様子はない。それは全く別のこと、ずばりリフィアの件だ。

 膝を折ってリフィアと目線を合わせ、軽く頭に手を載せる。するとリフィアは何か反論しかけたが、結局は大人しくギールのそばから離れていった。


 何事かギールに声をかけるモーテン。俺はギールの口の形で、好きにしろ、と言ったのが分かった。

 了解を得たモーテンは、先ほどと同じように襟元のマイクを口に近づけた。


《総員、死傷者の搬送が終了し次第、第一会議室に集合せよ。と言っても、命を落とした仲間に別れを告げたい者もいるだろう。時間的猶予を与える。一時間だ。冷たい言い方だが、我々に残された時間はそう多くはない。諸君らの協力を願う。以上》

「別れを告げたい仲間、か」


 俺の脳裏に、さっとある人物の姿がよぎる。ダグラム大尉だ。

 彼は俺を育て、訓練を施し、一人前の兵士にしてくれた。この恩は一生忘れることはできまい。

 だが、そんな彼を殺害した者こそ、ここにいるブルー・ムーンの面々なのだ。


 味方の死を悼む。それは分かる。だが、中途半端な立場に置かれた俺のことも、少しは考えてくれてもよかったのではないか。


 ダグラム大尉は人一倍愛国心が強かった。もし彼が、俺がルナに観せられたのと同じビデオテープを観たら、一体どうしただろう? 機材を破壊するなり、フェイク動画だと騒ぎ立てるなり、そのくらいのことはしただろうか。銃を突きつけられながらも。


 だが、俺は大尉ではない。ここから先は想像するしかないが、処刑される直前、大尉は何を思っていたのだろう? 

 処刑されるのも止む無しと思ったか、俺の安全を確認できて安堵したか、それとも故郷にいる妻子のことを思って涙したか。


 俺ががっくりと項垂れ、目元に手を遣ってかぶりを振った、その時だった。


「大丈夫か、リック准尉?」


 そう声をかけてきたのは、全く意外な人物だった。


「ギール代表……」

「ギールでいい。無事か?」


 再度俺の安全を確認するギール。俺の安全? いや、違うな。彼が確かめたかったのは、俺の安息感とか、落ち着き具合とか、そういった心理的なものだろう。


 じっと俺の横顔を見つめ続けるギールに、俺は何と返答すべきか迷った。

 お前たちが俺の育ての親を殺したのだ。言ってしまえばそうなる。

 だが、これは雰囲気から推測したにすぎないけれど、今のギールには俺に対する敵意はないように思われた。


「時折思うんだ。僕とリフィアの兄妹を比べた時、どちらが人間として正しいのか、とね」

「人間として?」

「そうだ」


 意外な言葉遣いに、俺はふっと顔を上げた。

 そんなもの、兄であるギールの方が正しいに決まっている。

 と、告げようとして、俺は思った。ギールが尋ねているのはそんなことではない。

 そうではなくて、人の優しさとか、思いやりとか、そういったもののことだろう。


 俺は顎に手を遣り、頭の中で言葉を構築しながらゆっくりと答えた。


「確かに、リフィアの方が理想的な社会、っていうか、世界? とにかく、そういうものは描けているんじゃないかと思う。でも、それに現実味がないのも事実だ。ギール、あんたの言動はリフィアのそれとは似ても似つかない。しかしそれが、まるっきり外れているとも言えないんだ。人間は戦う生き物だから……いや、生きている以上、戦わずにはいられないから、というべきか」

「……」

「一つ確かなのは、どう足掻いても悪役にしかならない、酷い連中が世に蔓延ってる、ってことだ。そいつらの影響の及ばない世界を創りたい。そういう意味では、俺とブルー・ムーンの皆との利害は一致している。でも、いや、まあ……」

「上官の大尉殿のことか?」


 図星を刺され、俺は少なからず動揺した。

 今ここで、大尉の仇を討つという大義名分の下、ギールを手にかけるのは難しいことではない。素手で殺人ができるだけの訓練は受けている。

 だが、実際問題、俺にそれを行うほどの怒りや憎しみは湧いてはいなかった。情が移った、とでも言うのだろうか? リフィアに、ギールに、ルナに。


「ん? あれ?」

「どうした、リック准尉?」

「いや、何でも……」


 どうしてルナのことが頭に浮かんだのだろう。というか、この緊張感は何だ? なにやら頭に血が上っているような気もするし……。


「大丈夫だ、何でもないよ」

「そうか」


 それだけ言って、ギールはリフィアのところへ歩いて行った。


         ※


「フロント・シャフト、ハッチ閉鎖開始!」

「ウォールランプ、点灯!」

「対空監視、気を抜くなよ!」


 俺たちがこの縦穴を降下し終えるまで、大方十分ばかりの時間がかかった。

 これだけの装甲車と搭乗者を安全に地下に下ろすのだから、当然と言えば当然か。


 シャフトの作業員や待機中の医療従事者たちの動きを見るに、やはり元軍人が多いのではないかと思った。


 軍人独特の規律に厳格である雰囲気、短く言えば緊張感のようなものが漂っている。

 敬礼している者の姿も見えるし、やはりここは、テロリストの根城というよりは一種の軍事施設と言ってよさそうだ。


「ここが、ブルー・ムーンの本拠地……」

「そうだ。我々の頭脳と心臓部だな」

「おわっ!?」


 唐突に響いた声に、俺は飛び退いた。


「ひどいな、リック准尉。私の顔の傷はそんなに不気味かね?」

「あっ、モーテン中尉……」

「まあ無理もないな、私も君を驚かせるつもりで近づいたからね」


 まったく、無音で他者に接近できるとは、どれだけ修羅場をくぐって来たんだ……。

 ん? 無音で他者に接近、といえば。


「キリクさんはどうしたんです? 新しい任務ですか?」

「そうだ。生憎、どこで何をするかを教えることはできないがね」


 敵を騙すには味方から、というわけか。


「さて、もうじきフロント・シャフトの最奥部だ。揺れるぞ」


 その言葉に、俺は慌てて両足を踏ん張った。

 ズズン、と音がして、床が静止する。

 間を空けずに、医療従事者たちが近づいてきた。俺は自分を処置不要と判断し、数歩引き下がる。


 凄まじい悲鳴が反響しまくったのは、まさにその時だった。

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