第17話

 窓の外が突如として真っ白に輝き、続いて爆炎に呑まれた。


「伏せろ!」


 咄嗟にギールはリフィアに覆い被さり、熱波から保護した。窓ガラスは既に瓦解し、外壁自体も半分以上の面積が焼失している。


「大丈夫か、リフィア!」

「お兄ちゃんは?」

「まだ敵は近くにいる。そっちの冷蔵庫の陰に」


 ギールは屈んで歩きながら、半ばリフィアを引き摺るようにして冷蔵庫と食器棚の間に身をひそめた。

 その直後、バン! という暴力的な音と共に何者かが乗り込んできた。


「ひっ!」


 ギールの腕の中で、リフィアは身を竦ませる。


「少佐! ケベック少佐! ご無事ですか!」

「この声は……! モーテン中尉!」

「おお、ギールくん! 少佐は? 母君は?」

「……」


 俯いたギール。リフィアは緊張の糸が切れたのか、わんわんと泣き出してしまった。


「そうか、お二人共亡くなられたのだな」


 僅かに情のこもった、しかし冷徹な口調でモーテンは事実確認をした。


「ギールくん、あなたのご両親は人々から尊敬され、祝福されるに値する方々だった。もし、あなたにブルー・ムーンで戦いたいという意志があるのなら――」

「あります! 僕にも戦わせてください!」


 噛みつかんばかりのギール。モーテンはそっと手を掲げ、軽くギールを落ち着かせる。


「妹君はご無事か?」

「はい! リフィアも僕も、無傷です。その……両親が守ってくれたので」


 言葉に詰まったギールは、ぽたぽたと涙の粒を落とし始めた。


「君のご両親だけじゃない」


 モーテンは立ち上がり、ギールの髪をくしゃくしゃと撫でた。


「君にまだ、生きていたいという思いがあったからこそ生き延びることができたんだ。リフィアさんもね。ご両親が亡くなられたのは、一人の友人として私も悲しいが……。今は前に進むしかない」

「はっ、はいっ!」

「我々は臨時指揮所に帰投するが、ギールくん、ついて来るか?」

「はいっ! 同伴させていただきます!」

「リフィアさんも、かね?」


 はっとして、ギールは残された唯一の肉親に振り返った。


「リフィアさんはまだ幼いから、当面の間は保護対象として扱わせてもらおうか。家事手伝いの方に携わってもらってもいいな」

「分かり、ました」


 いつの間にかギールと並んでいたリフィアは、涙声ながらもはっきりとそう言った。

 その頭に、ぽん、と手を載せてほほ笑むモーテン。


「総員、撤収用意! 各員、自分の搭乗していたヘリに戻れ!」


 了解、という復唱が飛び交う。その中を、ギールとリフィアは小さく身を縮め、モーテンに促されるままにステップを上がった。そこはヘリのキャビンだった。


「少し揺れるぞ」


 二人の正面に座ったモーテンが、また笑みを見せる。

 尋ねたいことはたくさんあったが、回転翼の音が轟き、それどころではなかった。


 この日の出来事は、まだ幼かった二人にとって、あまりにも衝撃的なものだった。

 頭で理解するよりも先に、心が大きく揺さぶられてしまう。当然と言えば当然か。

 二人は臨時指揮所に着くなり、宛がわれた部屋のベッドで泥のように眠った。


         ※


「そう、か……」


 俺は何と声をかけていいのか分からず、視線を落として顎に手を遣った。

 しばしの間、俺は落ち着いて自分の心臓の鼓動を感じていた。すっと目だけを上げて、リフィアと目を合わせようと試みる。


「でも、よく生き残ってくれたな」

「そんなこと言ったら、お父さんやお母さんが可哀そうだよ。あたしたちを守ってくれたのに死んじゃって……」

「それは親の義務、ってやつじゃないかな」

「義務?」

「子供のことは守らなきゃ。俺の両親は、そうしたくてもできなかったわけだけど」


 すると、リフィアは真顔になってこんなことを言い出した。


「ねえお兄ちゃん、あなたのこと、お父さんって呼んでもいい?」

「ぐぶっ!?」


 俺はわけも分からず、腹筋が裏返ったような感覚に襲われた。


「そ、それはどういう……?」

「だって、ギールお兄ちゃんは、その……冷たい人になっちゃったから」


 リフィアの言わんとするところを、俺はすぐに理解した。突然ブルー・ムーンの代表に抜擢され、首脳部に加わったギール。年の離れた妹のことを考えている余裕はなかっただろうし、これからもないだろう。


 それに対して、俺はまだブルー・ムーンに来て日が浅い。それでも一生懸命、皆のために戦っていると自負している。そんな俺を見て、父親像を連想してしまうのは無理もないのだろう。だがしかし――。


「な、なんで俺がお前のお父さんなんだ? いや、お前を守ることができる、っていう意味では似たようなもんかもしれないが……。じゃあ、お母さんは誰なんだよ?」


 俺はリフィアに勝ったと思った。片親だけならまだしも、いっぺんに両親に当てはめることのできる人物二人を挙げるのは難しいのではないか。

 そんな俺の考えが甘かったのは、すぐに思い知らされることとなった。


「お母さん? あたしはルナお姉ちゃんがいいと思う!」

「ごぼっ!?」


 これは実に強力なボディブローだった。

 

「ル、ルナが俺の……嫁?」

「うん。だって二人共、仲良しだもの!」


 久々に満面の笑みを浮かべるリフィア。こんなに邪気のない笑顔で言われたら、何を言われても受け入れてしまいそうになる。

 確かに俺とルナは共闘する場面はあったわけだが……。


「二人共強いから、あたしのこと守ってくれるよね? ギールお兄ちゃんの代わりに!」


 まさにその瞬間、俺の笑顔は凍りついた。自覚できるほどに冷たく。

 ん? 何だって? ギールの代わりに、だと?

 強烈な違和感を覚え、全身が微かに震える。


「リフィア、お前、今何て言った?」

「だから、あなたがリックお父さんになってくれたら、あたしのことを守って――」


 その言葉をぶった斬るように、俺は声を出した。

 何と言ったのかは分からない。唸り声を上げただけかもしれない。確かなのは、リフィアが急に怯えて身を引いた、ということだ。


「そんなこと、二度と口にするんじゃない! たとえ冗談だったとしてもだ!」

「リ、リック……?」

「俺に両親の記憶はほとんどない。だけどきっとあの二人なら、血の繋がった俺のことを最優先に考えて、守ってくれたはずだ。家族ってのは、そういうものなんだ。安易に他人を親扱いするんじゃない!」

「えっ、あ、その、ごめん、なさい……」


 リフィアは俯き、顔を上げ、また俯いた。

 

「何か言いたいことでもあるのか?」

「あ、あたし、何の役にも立たない。銃も撃てないし、誰かを蹴ったり殴ったりするのは嫌だし、何より人が死ぬのを見るのは怖いんだよ! 戦えないあたしにできるのは、精々誰かに守ってもらうのがやっと。それに、あたしが無事だと皆が笑顔になってくれる。だから……だから強い人に守ってほしい!」


 それのどこがいけないの?

 そう言わんとするリフィアを前に、俺の怒りは急速に鎮静化していった。


「もういい。俺をどんな目で見るかは、リフィアに任せる。だけどな、本当にお前のこと想ってるのは、最終的に家族なんだ。いや、まあ、家族のいない俺に言えたことじゃないが……」


 そう。俺ははっきりとは知らない。ただ、他人の生き死にはそれなりに見てきたし、そこに家族への、あるいは家族からの情が込められてるのを目にしてきた。


「ギールだって、リフィアのことを守ろうとしているはずなんだ。上手く言葉や態度に出せないだけでね」

「ほ、本当に?」

「そう。ほら、噂をすればだ」


 俺は立ち上がり、パキポキと指の関節を鳴らした。その間に乗り込んできたのは――。


「リフィア、無事か? 大丈夫か? 誰だ! リフィアを泣かせたのは! おい、出てこい!」

「俺だよ、ギール代表」

「貴様! ……って、リック准尉? 何がどうなってるんだ?」

「まあ、ちょっとした説教をな」

「何だと!? やっぱりお前、政府軍のスパイだったのか!」


 ギールは拳銃を抜いた。大して速くはない。俺はその手を振り払い、拳銃を叩き落とす。


「てめえ!」


 拳を振り上げたギール。俺はさっとわきに身を寄せ、そのまま軽く足を出した。


「うおっ!」


 ギールはあたかも漫画のように、思いっきり鼻先から床に転倒した。

 あ、こりゃ鼻骨やられたかもな。


 実戦訓練が足りないのだろう、頭でっかちに作戦立案しまくるタイプだ。

 だが一つ、ただの馬鹿とは違う点がある。それは、よろめきながらも立ち上がったギールの目線にあった。


 俺ではなく、リフィアを見ていたのだ。


「お、お兄ちゃん!」

「リフィア、大丈夫か?」

「鼻血が出てる! すぐに医療キットを――」

「駄目だ。今は負傷者の手当てが最優先だ。僕のことはいい」

「リック、酷いよ! お兄ちゃんが何したっていうの!?」


 俺はわざとおどけた調子で、肩を竦めてみせた。


「だから言っただろう? リフィア、お前には立派な兄貴がついてるんだ。何も心配することなんてないぞ。それと代表殿」

「何だ、まだやる気か!?」

「俺を殴ってくれ。あんたに罠を仕掛けるようなことをしたからな」

「え……?」

「遠慮はいらない。さあ」


 その後、車列が修正されて死傷者の搬送準備が整った時まで、俺とギールはずっと装甲車の天井を見つめ続けることになった。

 鼻血を止めるためであることは言うまでもない。

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