第16話

《これより、総員で『フロント・シャフト』へ向かう! 負傷者はそのまま搬送し、残りの者はポイントA-51にて休息を取ることとする! しかし! その前に、この場で早急に行うべきことがある!》


 ここでモーテンの声が一段階低まった。


《友軍であれば、誰の遺体も残置することは許さん。きちんと墓所まで搬送するぞ。以上!》


 これは手伝わなければ。

 俺はAMMに膝をつかせ、ハッチを空けて懸架用のワイヤーを下ろし、するすると地面に下りて行った。


「よっ、と……」


 足を着くと、すぐさまむっとした空気に全身を包まれた。

 ステリア共和国の、例年通りの季節性気候。それは荒野であるこの地域でも変わらない。短い雨期の訪れだ。


「大丈夫かね、リック准尉?」


 モーテンの声と共に、そっと肩に手を置かれる感覚があった。俺は辛うじて唾を飲み、音を喉から絞り出した。


「……ええ」

「強がる必要はない。私だって背筋がざわざわしてしまうからね。これだけ無惨な死体が転がっているのを見れば」


 軽く振り返るようにして、俺はモーテンの顔を見上げた。

 そこに、いつもの穏やかな笑みはない。辛酸を舐めさせられたような、鋭い負の感情が漂っている。


「君は休め、リック准尉。君は目覚ましい活躍をしてくれた。落ち着かなければ、無理に死傷者の回収作業に参加しなくてもいい。AMMの修理の目途もこちらで立てておく」

「すみません、お言葉に甘えます」


 俺はさっと顔を伏せて、素早く車列の方へと向かった。


         ※


 俺が乗り込んだのは五号車だった。発車の予定時刻を待ちながら、十台に及ぶ大型トラックが整然と並んでいる


「畜生……」


 俺は呟き、ダン、と勢いよく内壁を殴りつけた。


「畜生、畜生、畜生! 何がどうなってんだよ! 死体、死体、死体! 俺がやったってのか? ふざけんな!」


 もう片方の拳で、再度内壁を殴打する。

 しかし、俺が立っていられたのはそこまでだった。

 よく分からない呻き声を上げながら、俺は内壁に背中を預け、ずるずると尻をついた。そのまま頭部をがっくりと下げ、視界をシャットアウト。


「あんなもの、シミュレーターには映ってなかったぞ……」


 今更ながら、俺は最初の作戦時のことを思い出していた。情け容赦なく、ブルー・ムーンの兵士たちの頭上からバルカン砲を浴びせかけたことを。

 他人のことは言えない、か。

 ひとまず、この車両に誰もいなくてよかった。


 そう思ったのも束の間。何かが車内で動く気配がして、俺は慌てて立ち上がった。

 敵か? にしては落ち着きがない。ゆっくりと間合いを取りながら、シートの間を覗く。

 何か武器になるものはないかと思いながら、奇襲に備える。


 しかしその警戒が破られたのは、一瞬のことだった。


「リックお兄ちゃん!」

「うわっ! リフィア!?」


 突然に小柄な人物に抱き着かれ、俺はおろおろと周囲を見回した。何故そうしたのか、自分でもよく分からない。何とはなしにリフィアの肩に手を置き、軽く揺する。


「どうしたんだ、リフィア?」

「だ、だって、さっきまで、どかん、どかんって凄い音がしてたし、だから、その、また戦争になったんじゃないか、って……」

「ああ、まあ、な」


 俺は頬を掻きながらそう言った。嘘はつきたくない。


「でも戦争は終わりだ。もう安全だぞ」

「リックお兄ちゃんは、大丈夫? 怪我してないよね?」

「うん、大丈夫だ。もしかして、俺のこと心配してくれてたのか?」

「だってお兄ちゃん、どのくらい強いか分かんないから」


 ううむ、痛いところを突かれてしまったな。かといって、俺があの大きなロボットを操縦したんだ、と言い出せる状況でもない。

 っていうか、どうして俺の呼称が『お兄ちゃん』になってるんだ?


 それは置いておくとして、俺には新たな任務が与えられた。

 リフィアを落ち着かせることだ。もちろん、この車両から出さずに。俺でも恐怖した車外の光景を、リフィアに見せるわけにはいかない。


「ひとまず座ろう。何か飲み物は……」


 そう呟くと、リフィアが車体後方の小型冷蔵庫を指さした。


「分かった。おっと、意外といろいろあるな。リフィアは何が飲みたい?」

「……オレンジジュース」

「了解だ、お姫様」


 俺はスポーツドリンクとジュースのペットボトルを一本ずつ取り出し、リフィアの下へ戻った。壁沿いに配された固いソファに、ちょうど向かい合うように座り込む。

 発車まではまだ時間があるな。さて、何か話せることはあるか――。


「ねえ、お兄ちゃん」

「お、おう」

「お兄ちゃんのお父さんやお母さんは? 元気?」

「いや、二人共亡くなったよ。病気だったんだ」


 正直に告げる。すると、リフィアははっとした様子で顔を上げ、口元を手で覆った。


「ごめん、なさい……」

「気にするなよ。誰かに言わなけりゃならないとは思ってたんだ」


 確かリフィアの両親は、戦闘で亡くなったと聞いている。この話題を引っ張り出すわけにもいかないか。

 俺がそう思った時、既にリフィアは覚悟を決めていた。


「あ、あのね、お兄ちゃん」

「ん?」

「お兄ちゃんはあたしの家族じゃないけど、でもだから聞いてほしいの。あたしとギールおにいちゃ……じゃなくて代表の両親が、どんな風に亡くなったのか」


 ふむ。リフィアの方から話したいというなら、文句を言える筋合いではない。だが、それでいいのだろうか?

 リフィアが自分の傷口に自分で塩を塗り込むのを、黙って見ていていいのか?


 妙案の思いつかない俺を無視して、リフィアはゆっくりと深呼吸を一つ。そして、語り始めた。


「確かあれは六年前、あたしが五歳の頃の話なんだけれど――」


         ※


「どうなの、あなた?」

「ああ、モーテン中尉はブルー・ムーンに加わるそうだ」

「まあ……」

「我々も腹を括ろう。政府を善として立てるか、自分たちごと悪として断ずるか」

「そうね。でも、ギールとリフィアは? あの子たちの身に何か起こったら?」

「それを防ぐのも、我々大人の使命だろう」


 両親が深刻そうに眉根に皺を寄せている。その話し合いを、リフィアとギールはドアの隙間から聞いていた。ギールの表情は窺えなかったが、きっと両親そっくりの苦々しい顔をしていることだろう。


「ッ! 誰だ!」


 目にもとまらぬ速さで、父親が腰から拳銃を抜いた。その射線上には、ギールの眉間がある。


「ギール、お前か」

「と、父さん、僕も一緒に戦う!」

「何を言っているの、ギール! 死んでしまったら元も子もないのよ?」


 ヒステリックな声を上げる母親の手を、父親が握って落ち着くよう促した。


「ギール、どこから聞いていたんだ?」

「モーテン中尉が参戦する、っていうところから」

「確かに彼は優秀なリーダーだ。実戦部隊の隊長に据えることもできるだろう。だがそれは、飽くまでも彼の下での死傷者数が少ない、という話であって、お前が生きるか死ぬかを考慮したわけじゃない。今は大人しく、親戚のおばさんの家に――」

「嫌だ!」


 ギールは父親の前に立ち、その整った顔で父親を見上げながら軽く胸を殴った。


「僕だって戦える! それよりも問題はリフィアだ。リフィアが生きていくために、平和な世の中を創らなきゃならないだろ? だったら……」


 すると父親は軽く息をついて、しゃがみ込みながらギールと視線を合わせた。


「お前が立派に戦おうとしてくれていることには、心から感謝する。だが、命懸けとなれば話は別だ。お前は私たち両親の代わりに、リフィアの下にいてやる義務がある。だって、家族だものな。だから――」


 そこまで父親が言いかけた時、家全体が、かたかたと不穏な揺さぶりを受けた。

 地震かな? そうリフィアが思った時には、窓から凄まじい光量のサーチライトが差し込むところだった。


「ッ! 敵襲だ! お母さん、ギールとリフィアを地下壕に――」


 それが父親の最後の言葉だった。彼の死因が、低空飛行中の戦闘ヘリからの狙撃であると知らされるには、リフィアはまだ幼すぎた。


 側頭部を狙撃された父親は、しかし、それでも家族を守ろうとした。母親とギールの二人にラリアットをかけるようにして、押し倒したのだ。


「きゃあっ!」

「うわっ!」


 続けて、歩兵部隊による機銃掃射。相当威力のある重火器が使われたのだろう、家の壁はあってないようなものだった。


「ぐっ!」

「んっ! あれ? 母さん? 母さん!」


 ギールを助けるべく、引っ張り上げようとした母親が撃たれた。敵の弾丸に情け容赦はない。母親は脇腹から弾丸を撃ち込まれ、失血性ショックでそのまま死亡した。


 ここで泣き喚かなかったのは、ギールの覚悟の表れだったのかもしれない。あるいは、母親に最期にこう言われたのかもしれない。リフィアをよろしく、と。


 ギールは匍匐前進し、リフィアの下へ戻ってきた。


「お、お兄ちゃん!」

「リフィア、地下壕へ逃げるんだ! 敵はもう玄関前まで来てる!」

「お父さんとお母さんは?」


 今は気にするな。

 そうギールが言おうとした、まさにその時だった。

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