第9話


         ※


 それからしばし、俺は眠る気にもなれず、ぼんやりテントの天井を見上げていた。

 口から出るのは溜息ばかりだ。


「ダグラム大尉……」


 彼がいなければ今の俺はなかった、と言っても過言ではないだろう。根無し草だった俺を兵士として育て上げ、軍務に就かせてくれた人だ。


 そんな人が、自分の目の前で殺害される。

 その可能性を無視していたわけではない。しかし、想定の範囲内に置いておくことと、実際に目にしてしまうこととは、大きく異なる。


 何より、俺は大尉の目から光が失われる瞬間を見てしまったのだ。こればっかりはどうしようもない。

 俺がギールに怒りを覚えないでいられるのは、それこそ訓練で自らの心理状態を分析する術を習得していたからだ。


「もし心理学を履修していなかったら……」


 俺は憎しみに囚われ、ギールを殺害していただろう。そして、今度は自分が捕虜になって、大尉よりも酷い殺され方をしただろう。


「ふん……」


 俺はごろりと転がって、窓の方に目を遣った。

 日は既に上っている。今日も暑くなるだろう。

 朝日に反応したのか、腹がぎゅるぎゅると情けない音を立てた。まったく、自分の恩人が殺されたというのに。食欲というのはお構いなしらしい。


 ちょうどその時、ばさばさとテントの入口が鳴らされた。


「人質さん、朝ご飯だよ!」

「ん? ああ、リフィアか」

「おはようございます、人質さん! お腹空いてる?」

「まあな」

「じゃあ、早くおいでよ! 食堂に案内するから!」


 そいつはまた光栄なことで。

 俺は寝癖でボサボサになった頭を搔きながら、のっそりと立ち上がった。

 さっき別れた時、ルナが手錠をかけないでいってくれたのは幸いだ。


 俺は渡されていたペットボトルの飲料水の残りを一気飲みし、数回自分の頬を両手で挟むようにして叩いた。

 きちんと体調管理をすることも、兵士の重要な任務の一つだ。

 まあ、寝つくことには失敗したわけだけれど。


 テントを開けると、そばでリフィアが待っていた。満面の笑みだ。随分とご機嫌でいらっしゃる。


「ねえ人質さん!」

「リックだ。人質じゃなくて名前で呼んでくれ」

「じゃあ、リック! 昨日は悪い兵隊が来たけど、皆で協力して追い払ってくれたんだよね!」


 その言葉はなかなかに堪えた。悪い兵隊たちを殺すか追い払うかをした後に、そのリーダー格だった大尉を処刑したなどと、誰が言えるだろう? こんな純粋無垢な少女を相手に?


「あ、ああ、まあな」

「リックも戦ったの? あのロボットで?」

「え? あー、いや、俺は参加してない」

「ほえ?」


 よほど意外だったのだろう、リフィアは目を丸くして、俺を見つめ返してきた。

 ううむ、仕方ない。


「リフィア、俺は兵隊だけど、戦わない兵隊なんだ」

「なあに、それ?」

「皆に物を運んだり、連絡を取り合うのを助けたりするんだ。昨日はそれで手一杯だった」

「へー! 兵隊さんって面白いんだね!」

「ん……」


 本当はこんな仕事、ないに越したことはないんだけどな、きっと。


         ※


 そうこうするうちに、俺はリフィアに手を引かれながら大型のテントに立ち入った。

 昨日よりも食事は豪華だった。メインディッシュ、というか渡されたのはコンビーフの缶詰が一つ。

 

 乾パンよりはマシかな……。

 こんなこと、口に出して言ってしまったら、おそらくリンチに遭うだろう。

 まあいいか、実際久々に食べたこともあって、結構美味かった。


 コンビーフを平らげた俺は、リフィアが他の兵士の下へ駆け寄っていくのを眺めていた。

 こんな環境で育ってしまって、彼女はどんな大人になるのだろう? ギールはどう考えているんだろう。


 余計な心配をしていると、さっと俺の前をギールが横切っていった。噂をすれば影、というものらしい。

 ギールが俺の前で少し速度を落とし、一瞥をくれる。

 せめてもの反抗だ。俺は目力を強め、ガンを飛ばすことでよしとした。


「やあ、リック准尉」


 唐突に響いた穏やかな声。振り返ると、そこにはモーテンが立っていた。ゆらゆらと長い腕を振っている。


「いやはや、昨晩は失礼した」

「えっ?」

「私が君を連れ出したものだから、敵に見つかりやすくなってしまった。申し訳ない」

「いっ、いえ! そんな……」


 俺がモーテンに連れられて行った方を見ると、確かに荒れている。黒煙、銃痕、地面のひび割れ。


「リック准尉、少し歩こう。昨日の口直しとでも思ってくれればいいんだが」

「ああ、はい、大丈夫です」


 俺が上の空で答えると、こっちだ、と言ってモーテンが歩き出した。


「索敵班、状況は?」

《敵の兵士及びAMMと思しき影は見当たりません》

「了解」


 無線通信を終えると、モーテンは肩を竦めた。


「昨日も索敵網を巡らせておくべきだった。こんなに早くこの基地が捕捉されてしまうとはね」

「歩兵のみの編成でしたし、夜間だから捕捉が難しかったのでは?」

「そう言ってもらえると有り難いが、人命にかかわる案件だからね。十分すぎる安全性を確保することなどできないよ」


 警戒しすぎるということはない。

 モーテンはそう言い切った。


「でないと、私の左目のようなことになってしまうからね」


 右目だけでこちらを見つめるモーテン。

 不思議なことに、俺は彼の顔を恐ろしいとは思わなかった。


 それよりも気になったのは、彼がブルー・ムーンに参加した理由だ。


「そんなモーテン中尉は、どうして政府軍からブルー・ムーンに立場を変えたんです?」

「……」

「あっ、す、すみません、出過ぎたことを……」

「ん? ああ、いやいや!」


 モーテンは穏やかに首を振った。相変わらず、そこに浮かんでいるのは穏やかな笑みだ。


「君と同じだよ、リック准尉。何が正しいのかを自分なりに見極めてのことだ。もし私の考えや信念と異なることをこの集団が起こそうものなら、私はギール代表と刺し違える覚悟だ。まあ、それはないだろうがね」

「そう、なんですか」


 ん? これでは俺が、既にブルー・ムーンに参加してしまっているような口ぶりではないか。それはあながち間違いとも言えない状況になりつつあるが……。


「若い人たちには、ちゃんと自分という確固たるものを持っていてほしい」


 遠くの地平線と入道雲を見つめながら、モーテンが静かに言った。


「何です、確固たるもの、って?」

「それを探そうとするのも立派なことだ。これ以上は私から述べられることはないな」


 俺は顎に手を遣りながら、じっと彼の背中を見つめた。

 

 それからしばしの時間が経過した。

 モーテンは無造作に背後から無線機を取り出した。


「どうした? ……ン、了解した。ハイキングはここまでだ、リック准尉」

「はい?」

「敵に動きがあった。すぐに戻った方がよさそうだね」


 俺ははっと目を見開いた。


「敵?」


 それは政府軍のことじゃないのか? 俺が現在も所属している(ことになっている)集団だ。それが、敵……?


「さ、行こうか、リック准尉」

「は、はッ」


 俺は穏やかな丘を下るようにして、モーテンの姿を追いかけた。


         ※


 テントに近づくと、誰かがこちらに駆け寄ってくるところだった。ルナだ。


「モーテン隊長、それにリック!」


 それに、って何だよ。俺はモーテンの添え物か。まあいい、何があったのかを聞かせてもらわなければ。


「ルナ、何があった?」

「こちらから忍び込ませたスパイからの情報。政府軍は本格的にAMMを実戦配備するつもりみたい。そしてその最初の攻撃目標は――」

「ここか」


 モーテンの声に、ルナは顔を上げて何度も頷いた。ポニーテールがゆらゆらと揺さぶられている。


「敵の規模は一個小隊。それに、観測用のヘリが数機」

「なるほど、AMMの援護体勢に抜かりはない、ということだな。敵の出撃時間は?」

「十九時二十分です。会敵予想時刻はまだ情報がありません」

「ありがとう、ルナ。それで――」


 そこまで言って、モーテンはくるりと振り向いた。


「君はどうする、リック准尉?」

「……」


 声が出ない。網膜が乾くほど目を見開き、嫌な汗が背中を伝っていくのを感じる。

 しかし、全身が強張ってまったく動かない。


 モーテンは言葉を続けようとはしていない。ただただ、俺の反応に関心を抱いている、そんな感じだ。


 俺は未だに、自分を定義し損ねている。

 政府軍の兵士なのか、ブルー・ムーンの構成員なのか。

 誰が味方で、誰が敵なのか。


 ――俺は何のためにここにいるのか。


 意外だったのは、ルナが答えを急かそうとしないでいてくれたことだ。


「ルナ、リック准尉から目を離さないでやってくれ。彼が暴れだそうとしても、君の言葉なら聞くだろう」

「はッ! ……え? 何ですって? モーテン隊長!」


 俺とルナは、あまりにも呆気なく荒野に取り残された。

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