第8話


         ※


 薄暗いテントの隙間を、ギールの後について歩く。いや、小走りに近い。それほどギールが急いでいるということなのだろうが、では彼が急ぐ理由は何だ?

 リフィアには知られたくない事情のようだったが……。


 気にはなったが、俺は黙っていることにした。

 ギールについて行けば自然と分かることのようだし。

 それに現在のところ、俺はギールと会話をしたことがない。人質という立場である以上、今は黙っているべきだろう。


 それに彼は代表と呼ばれている。交渉や隠蔽工作に関する実権を握っているのかもしれない。そんな彼が、人質は不要と判断して俺を殺しても、誰に文句を言われる筋合いではない。


 それは分かっている。だが、だからこそこれから何が行われようとしているのか、それは気になる。

 そんな俺の気配を察してか、ルナがギールに尋ねた。


「今回のネズミ――捕虜はどんな奴です?」

「陸軍大尉だ。キリクの話では、さっきの戦闘でAMMの弱点である関節部を狙って攻撃していたらしい。彼だけが、だ。もしかしたら大物かもな」


 なるほど。率いてきたのが大尉ともなれば、部隊の装備や練度が高かったのも頷ける。

 しかし――。


「ギール、いや、代表! ほ、捕虜をどうするおつもりですか?」


 つい、疑問が口をついて出てしまった。が、ギールは振り返りもしない。


「ルナ、君にはこのケダモノに礼儀を教えるようにと命じておいたはずだが?」

「はッ」


 ルナの声がやや強張っている。


「現在の状況説明をせよと、モーテン隊長から承っておりましたので、代表の仰る礼儀というものを学ばせるのは後回しにしておりました」

「何だって!?」


 ギールはぐるり、と半ば強引に振り返った。


「僕は組織全体の代表だ! 実戦部隊へ命令するだけのモーテンと一緒にするな! 立場も理想も貢献度合いも、まるで違うんだ!」


 唾を飛ばし、両腕を振り回しながら喚き立てるギール。ああ、これじゃあ駄目だな……。

 上手い言い回しが思いつかないが、器が小さいというか何というか。


 こんなヤツを、俺たちは相手にしていたのか? 政府の方に問題があると知った俺にしてみれば、今やどうでもいいことだが。


「ん? 何だ、ケダモノ! 僕に何か言おうとしているのか? ふざけるな! 絶対に許可しないぞ!」

「……」


 その無能ぶりに、俺はかぶりを振るに留めた。


「ふん、そのまま黙っていろ。ルナ、彼に手錠を」

「またですか?」

「何度でもだ!」

「はッ」


 ルナもどこか諦めの入った溜息をつきながら、渋々手錠を取り出した。


 さっさと歩いてテントの合間を抜ける。そこから見ると、細い枯れ木が立っていた。それを中心に、人が集まっている。ブルー・ムーンの面々だ。十数人といったところか。


「ネズミは目を覚ましたか?」

「はッ! 息があります!」

「散弾銃を寄越せ」


 さっき俺に絡んできた禿頭の男が、待ってましたとばかりに大口径の散弾銃をギールに手渡す。

 俺の胸中を、さっと嫌な想像がよぎった。


「あっ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「代表!」


 俺を止めようと迫ってくる禿頭の男。だが、それより凶悪なものが俺の足元に飛んできた。

 散弾銃の弾丸だ。


「うわっ!?」


 慌てて飛び退く。すると、大男の陰になって見えなかった、捕虜の姿が目に入った。


「たっ、大尉! ダグラム大尉!」


 俺は考えるより早く声を上げていた。

 大尉は簡素なパジャマのようなものを着せられ、両膝を地面についていた。両腕は縄で縛られており、何かで殴打されたかのように鼻骨が歪んでいた。


「大尉! どうしてあなたが!」

「その声……リック准尉か……」

「自分です、リック・アダムス准尉です!」

「……元気そうだな、よかっ……た……」


 何を言ってるんだ、この人は? 今にも処刑されそうだというのに。


「ほう、上官と部下の関係か。師弟関係にも近いのかな? いずれにしても残念だな、こんな形で死に別れるとは……」


 あからさまに舐めた調子で、ギールはそう言い放つ。さっきのお返しというわけか。


「教えてやろう、リック准尉。この大尉殿は、先ほど我々が交戦した敵性勢力のリーダー格だ。反政府組織を急襲しようとして自分が捕らわれるとは、それこそミイラ取りがミイラになる、ってものじゃないか!」

「てめえ!」


 俺は我を忘れ、ギールに殴りかかろうとした。しかし、手錠のせいで身体のバランスが取れず、ばたりと転倒した。控えめな冷笑が浴びせられる。


「いい頃合いだな。よし、せめてもの慈悲をかけてやろう。即死で済ませてやる」


 ギールは俺を見下すように一瞥し、それから、がしゃり、と散弾銃に次弾を装填した。


「やっ、やめろぉッ!!」


 俺は周囲を見回した。そこにはモーテンもキリクもいたが、二人共助け船を出してはくれない。せめてもの救いは、二人が気まずそうにしていることだろうか。


 俺はもう一度叫んだが、聞こえた者はいまい。人間の声量では、散弾銃の発砲音を相殺するには至らないのだから。


 口と鼻から血を流しながら、大尉は倒れた。というより、地面に磔にされた。

 弾丸で背部から腹部を貫通され、臓物が飛び出し、その上に倒れ込むようにして、大尉の身体は肉塊となった。


 俺は振り返り、腹這いになりながらもルナの足を掴み込んだ。


「ルナ、どうして! どうして止めに入ってくれなかったんだ!? お前はブルー・ムーンの切り札だ! お前がギールを説得していれば……!」

「黙れ!!」


 今度はルナの方が、激昂する番だった。


「皆の事情も知らないくせに、偉そうな口を利くな、馬鹿!!」


 ルナがここまで感情をむき出しにするのは珍しいのだろう。皆、目を丸くしてルナの方を見つめている。

 そこにいたのは兵士ではない。剣士でも武人でもない。我を失っている一人の少女だ。


「これ以上そいつの道化につき合うのは止めてくれ、ルナ」


 俺が振り返って見上げると、そこにはギールの顔があった。ルナが感情的になったことは、彼にとっても想定外の出来事だったらしい。

 ギールはそれから数名の部下の名を呼んで、大尉の遺体を埋めるように指示を出し、解散を命じた。


         ※


 俺の宿舎になっているテントに向かい、ルナと一緒に歩いていく。

 朝焼けが目に染みた。いや、これは俺の涙腺が刺激されているのか。


「畜生……。これが戦争だってのか……。どうして俺なんかが……。隊長、俺が元気でよかったって……。自分のことはどうでもいいのかよ……」

「……」

「わざわざ殺すことはなかったんだ、ちゃんとした捕虜としての扱いもしてもらえないのか……」

「……」

「なんで皆あんな光景を冷静に見ていられるんだ……。いくらなんでも惨すぎ――」

「ああ、もううるさい!」


 吐き棄てるように、ルナが俺の言葉を破砕した。

 

「そうだよリック、あんたが言う通り、これは戦争なんだ! ここで大尉とやらを生かしておいたら、またあたしたちにとっての脅威になる! だからあそこで片づけておくべきだったんだ、分かるだろう?」

「……ねえ……」

「は?」

「分からねえって言ったんだ!」


 俺は思いっきり踏み出した足の裏を地面に擦りつけた。ぐらり、と身体が揺れた。その反動で、ルナに向かって言葉が勢いよく溢れ出した。


「くそっ、どうしてあんな真似ができるんだ? 俺たちは人間だぞ!」

「だから後先のことを考えて、あの男を殺したんだろう? あたしたちだって、昨夜のお前らの攻撃でどれだけ仲間を亡くしたと思ってるんだ? お互い様じゃないか!」


 一瞬、俺の意識が揺らめいた。


「お互い様……?」

「ああそうだよ、そうでなきゃ納得なんてできるか!」

「じゃあルナ、お前は心の底から納得できているのか? 敵とはいえ、人があんな無惨に殺されて――」

「これ以上その話を蒸し返すな! 堂々巡りだ!」


 堂々巡り。その一言が、見事に俺を沈黙させた。

 確かにこれでは、なんの回答も出て来やしない。


 目をごしごしと擦り、小さく溜息をつくと、いつの間にか俺に宛がわれたテントの前に来ていた。

 その前で立ち尽くす、俺とルナ。単純にここで別れればいいだけの話だ。俺はもうひと眠りする、とでも言って、ルナを帰せばいいのだろう。が、何かを提案する、ましてや指示するということすら躊躇われる状況だった。


「……夜中に無理やり引っ張り出して悪かった。取り敢えず休んでいろよ。必要なら、私が水を取って来るから」

「いや、今はいらない。悪いなルナ、気を遣わせた」


 先に提案を持ち出してくれたルナに感謝しつつ、俺は勢いよく一歩を踏み出し、軽く体当たりする要領でテントに踏み込んだ。


「寒いな……」


 そう呟いてしまったのは、身体的感覚からか、精神的感覚からか。

 そんなことすら判然としなかった。

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