第5話
※
確かに、テロリスト……というか無法者たちの基地だけあって、殺伐としたところだった。
それは今俺が足を踏み入れた大型テント、すなわち食堂とて例外ではない。
とは言っても、衛生観念はしっかりしているらしい。正規兵の兵舎と変わらないくらいに整頓されている。そこで乾パンと、ペットボトルの飲料水が配られているだけ。
俺もこれだけで腹を満たす訓練は受けている。ちょっと緊張感を胃のあたりに残しておけばいいだけだ。
「さあさあ人質さん、こっちだよ!」
俺の手を引いて、小走りでテントの奥へ向かうリフィア。家族のいない俺には、正直どう接するのがいいのか分からなかった。
両親と言っても、ぼんやり顔を思い出せるかどうかというくらいの仲でしかないのだ。兄弟姉妹に至ってはそもそもいなかったし。
ここは兄貴分として、リフィアに注意を促すべきか。そう思って声を上げたのが失策だった。
「ま、待ってくれ、待つんだリフィア!」
と言った直後、同じテントにいた全員の目が俺を捕捉した。
その視線は次第に熱を帯び、早くも殺気を察せられるほどになった。
流石にその気配を感じ取ったのか、リフィアは楽しげな雰囲気を一瞬で消し去った。
「おい、てめえ」
一際ガタイのいい、禿頭の男が俺の前に立ち塞がった。
「さっさとリフィアから離れろ。でなきゃ、その華奢な首を捻じ切ってやる」
パキポキと手指の関節を鳴らす大男。ああ、コイツはきっとのろまだな。ルナよりはよっぽど御しやすい。
と思いはしたものの、俺は手出ししようとは考えなかった。
俺が彼らの戦友の命を奪ったのは、変えようのない事実なのだ。
この場で命を奪われても文句は言えまい。
俺はずいっと一歩、踏み出した。さっきのルナに比べれば、怖くも何ともない。
予想外だったのは、リフィアの行動だった。
さっと俺の前に回り込んだかと思ったら、四肢を突っ張ってみせたのだ。
大男は目を見開き、目をぱちくりさせた。
「リ、リフィア! そいつが何をしたか分かっているだろう? 君とよく遊んでくれた人たちを殺したんだぞ! 俺たちにとっても友人だったってのによ!」
「で、でも、国際法があるからってモーテンさんが言ってたよ!」
「それはそうだが……」
モーテンという人物について、詳しくは知らない。だが、こんな幼い子供からも信頼を寄せられるとは。確か隊長、と呼ばれていたようだったが。
俺が思索を巡らせている時、大男の背後から声がした。
男性の声だ。そして若い。俺やルナからすれば、やや年上だろうか。
「おい、どうしたんだ、リフィア」
「あっ、お兄ちゃ……じゃなくて、代表さん!」
俺の周囲の人混みがさっと引いて、道を空ける。
その向こうから歩んできたのは、やはり若い男性だった。その様子やリフィアの言葉からして、彼が重要なポジションの人間だということが分かる。
くすんだ金髪で三白眼、への字に歪めた口元が特徴的。言われてみればリフィアに似ているかもしれないが、表情が違いすぎてなんとも言えない。
「おい、誰か報告を上げろ」
ひんやりとした声音で呼びかけながら、俺の視線を捉えて離さない。切れ者がきたな。
俺を軽く見下ろしながらも、その代表とやらは俺に発言を許さない。いや、本当は俺の存在自体を許せないのだろうが。
「ギ、ギール・ケベック代表!」
大男が、明らかに自分より年下である代表とやらに敬礼した。
「貴様か、この事態を招いたのは?」
「はッ、捕虜がおりましたので、つい怒りに任せて……」
「そうか。それで、気は済んだのか?」
「え、あ……」
ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らし、ギールは踵を返した。
「捕虜の扱いは国際法、及び我々が被った被害を鑑みて決定する。その間、捕虜には見張りをつけて、自由に行動させてやれ。それから、テントごとに見張りを立たせて、敵の夜間襲撃に備えろ。以上だ」
あれ、これで終わりなのか? 腑に落ちないな。
「あ、あの、ギール、さん……?」
自分を納得させるためにも、ギールと話をしなければなるまい。そう思って俺は声を発したが、ギールの足取りは止まらない。
むしろ、周囲の連中の視線が再び殺意を帯びたものになってしまった。
一触即発、とまでは言わずとも、とても安心できるとは言えない状況。これならさっきのテントで、手錠をかけられたままでいた方がマシだったかもしれない。
そう思っていた俺の耳に飛び込んできたのは、この場に不似合いな穏やかな言葉だった。
「おや? 何かあったのかな?」
壮年男性の、柔らかなバリトン。俺が振り返ると、そこに予想通りの姿の人物が立っていた。その人物を前に、皆は再び姿勢を正して道を空けた。
「ああ、すまないな。そんなに気をつけてもらわなくとも構わんよ、私はね」
温もりの感じられそうな声で、言葉を続ける男性。俺はゆっくりと、彼のことを外見から判断できないものかと眺め回した。
浅黒い肌に、白いものの混じった豊かな髪。口元には自然な笑みが浮かんでいて、今は整備兵のジャージを纏っている。
だが、一番の特徴は左目だった。額から走った傷が左の瞼ごと眼球を裂き、頬にまで到達している。俺が思わず半歩引き下がると、男性は無礼と受け取ることもなくすっと手を差し出してきた。
「君だね? 新入りの捕虜というのは」
「は、はあ」
「私はハイリヒッド・モーテン。元共和国陸軍中尉だ。ブルー・ムーンの中では、実戦部隊隊長を拝命している。確か君は、リック・アダムス准尉だったね? いや、突然拘束するようなことになってしまって、誠にすまない。それに出せるのが乾パンと水だけとはね」
「あっ、いえ! 俺は捕虜ですから、そんなお世話になるわけには……」
って、何を呑気な会話をしているんだ、俺は。
「どうやら今さっき、代表殿と一悶着あったようだね?」
「代表……。ああ、ギール・ケベックさんですか」
「そうだ。まあ、許してやってくれ。彼は彼で、いろいろ背負っている人物なのでね」
「あ、あの」
俺が顔を上げると、そこにはモーテンの穏やかな笑みがあった。片目の傷が生々しいのに、本人は全く気にしていない様子だ。
「くだらないことをお尋ねしますが」
「うむ、なんなりと」
「代表と隊長って、何が違うんです?」
「ああ、そういうことか。まず代表と言うのは、ブルー・ムーンと共和国政府との仲介役のことだ。政府の汚職事件や揉み消された犯罪、違法行為を平和的に解決するべく、水面下で動いている。その大元は大体陸軍省にあるんだが、詳細はおいおいお伝えしよう」
唐突に汚職だ犯罪だと聞かされ、俺は一瞬意識が飛んだような気がした。
俺の祖国が、そんな薄汚いことを? 俄かには信じられないが……。
俺にある程度考える間を与えてから、モーテンは続けた。
「隊長と言うのは、破壊工作を指揮する人物だ。以前はギールとリフィアの父上が担当されていたんだが、まあ……」
これまた唐突に、言葉に詰まるようなことを述べるモーテン。
そうか、ケベック兄妹の父親は戦死したのか。
その話を直接リフィアの耳に入れまいと、モーテンも苦労して言葉を選んだのだろう。
「ねえねえ、リフィアちゃん」
そう声をかけてきたのはキリクだった。
「今日はお菓子が手に入ったの。あたしたちと一緒に食べない?」
「お菓子? 本当に?」
「ええ。ルナお姉ちゃんも待ってるわ」
「やったあ! 皆で食べよう! ねえ、人質さんも――」
きらきらと目を輝かせるリフィア。だが、俺はキリクの意図を察していた。
俺とモーテンが気兼ねなく話せるよう、リフィアを引き離そうとしているのだ。その方がリフィアにとってもいいのだろうし。
「さて、我々は乾パンと飲料水で乾杯といこうじゃないか、リック准尉」
「は、はい……」
なんとも味気ないことを言いながら、モーテンは俺をテントの外へといざなった。
※
「これを持っていくといい」
そう言ってモーテンが放ってきたのは、全身を包めるような厚地の布だった。
「荒野や砂漠の夜は冷え込むんだ。頭からすっぽり被るように着込んでごらん」
なるほど、ポンチョのようなものか。
「既に聞かされているだろうが、君を殺さずに捕虜にしたのは、ルナ・カーティンが気絶した君を連行してきたからだ。彼女は若いが、戦場での勘の鋭さ、精確さは並大抵のものではない。だから我々も君を生かした」
ぎくり、と心臓が跳ねかけた。まさかモーテンは、俺とルナを引き離したうえで処刑するつもりなのだろうか?
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