第4話

「眠ってる女性に対してこんなことをするなんて、意外と大胆ねえ。それとも、若い人って皆こうなのかしら?」


 俺は自分の周囲の空気が、一瞬で凍りつくような錯覚に見舞われた。


「あ、いや、こ、これはですね! 違うんです!」

「ふぅん?」

「俺はただ眠っていて、起き出したらいつの間にかあんなことに……」


 そうだ。手錠だ。これさえなければ何も起きなかったはずなのだ。


「誰なんですか? 俺にこんな手錠をかけて……」

「あたしじゃないわよぉ。っていうか、むしろあたしはあなたを助けようとしてたぐらいなんだから」

「は? 俺を、助ける……?」

「そうそう」


 手錠をじゃらじゃら鳴らしながら、俺はゆっくりと座り直した。


「まあまあ、あたしも現行の政府、陸軍省に思うところはあるし、見せしめにあなたを殺してはどうか、っていう意見もあったんだけど、あの子がわざわざ助けた相手だからね。少しは何かの見込みがあるんじゃないかと思って」

「あの子? み、見込みって……?」

「さあ、何なのかしらね? 直接彼女から説明させるわ。ああ、それと」

「はい?」

「あたしはキリク・リトファー。歳と体重とスリーサイズは秘密だから、そこのところよろしくね」


 そう言って、妖艶な女性――キリクは立ち上がった。きっとまだ二十代だろう。すらっとした、しかし凹凸のはっきりした身体を惜しげもなく披露しながら、テントの外へと出ていく。

 すると、誰かと会話する声が聞こえてきた。どうやら、説明係と鉢合わせたらしい。


 次にテントに入ってきた人物を見て、俺は心臓が止まるかと思った。

 理由は単純。AMMに乗った俺たちをたった一人で攪乱・行動不能に陥れた、その張本人が目の前に座り込んだからだ。正座である。

 そして今、その刀はきっちり背中に装備されている。刀がなくても、彼女なら俺を簡単に抑え込められそうだが。


 上手く話を進めなければならない。そうでなければ、やはり俺は暴行を受けて殺されるのではないかと思う。ああ、そんな暇もなく斬り捨てられるかも。


 と思っていたら、彼女は唐突に刀を抜いた。


「うおっ!?」


 俺が驚いて声を上げると、その頃には刀の切っ先が俺の喉仏に触れそうになっていた。


「……」

「……」


 何か言ってくれ。あるいは、言わせてくれ。でないと俺の方が失神しかねない。

 ゆっくりと目だけを上げて、刀身を視線でなぞりながらアイコンタクトを試みる。


 その先にあったのは、全くの虚無だった。

 彼女の目には、何も込められてはいないのだ。殺意も敵意も暴力衝動も。

 俺には彼女が、AMMよりも冷たい機械のようにすら感じられた。


 再び沈黙が訪れようとした、その時だった。


「……話せ」

「はい?」

「話せと言ったんだ!」

「はぃい!?」


 ドスの利いた声で、少女は言った。その恐ろしさに、素っ頓狂な声が俺の喉から飛び出す。

 ええい、こうなったら仕方がない。


「自分はステリア共和国陸軍准尉、リック・アダムスであります! 先日AMMの担当パイロットに任命されましたっ!」

「AMM?」

「はッ、我が国が官民一体となって開発した、人型巨大機動兵器の略称です! 正式名称は、Anti-Material-Mobile、だから呼称はAMMです!」

「……ふん」


 ここまで言って、ようやく少女は刀を背後に回した。

 カチン、といって刀身が鞘に収められる。一瞬、月明りを浴びた刀身が妖しく輝いた。


「嘘をついてはいないようだな。お前も我々ブルー・ムーンの活動家たちを殺害したのか?」

「ん?」


 俺は少女の言葉に引っ掛かりを覚えた。活動家? テロリストの間違いじゃないか。

 そう思った瞬間、今までビビッていたのが嘘のように、一気に怒りの炎が湧き上がった。


「活動家? 何を言ってるんだ? お前たちはデモ行進や街頭演説で平和を訴えるわけでも、政治参加するわけでもない、ただの暴力的で非人道的なテロリストだ!」

「それは違う!」


 すると少女の方も、一気に冷静さを失った。


「ステリア共和国内で起こったテロ事件には、我々は関与していない! あれは別な組織か、あるいは政府の自作自演だ!」

「はぁっ!?」


 俺はじっと、珍獣を見る目で少女の目を見返した。

 今の少女の目には、確かな感情が浮かんでいる。俺同様、腹の底から怒りが噴出しているのだろう。


 俺は手錠をかけられたまま、片膝を立ててがなり立てた。


「じゃあ、デパート爆破テロは? 変電所の設備損壊は? そうそう、遊園地地下のガス管爆破って事件もあったな! 忘れたとは言わせねえぞ!」

「だから違うって言ってるだろう? 我々が目指しているのは――」

「我々、我々って分かりにくいんだよ! お前も正々堂々名乗ったらどうだ!」


 うっ、と小さく喉を鳴らし、少女は立ち上がった。


「わっ、わたくしは、ブルー・ムーン実戦部隊所属、ルナ・カーティンであります!」

「階級は?」

「ありません!」

「主な活動経歴は?」

「ステリア共和国軍施設の、対人非殺傷戦闘行為に多数参加してまいりました!」

「年齢は?」

「十八です!」


 なんだ、コイツも十八歳か。俺と同い年じゃないか。


「ふん……」


 俺は急に緊張感が解けたせいで、長い溜息を漏らした。


「……話せ、リック」

「いや、今は俺がお前の話を聞く番だ。お前からネタを出せ」

「……」

「早く!」


 俺は怒りのアップダウンを自分で制御できず、再び怒鳴りつけた。

 すると、信じられない事態が起こった。

 少女――ルナ・カーティンの頬に赤みが差したのだ。


「その……一つ、尋ねたいんだが……」

「何だよ?」

「えっと、何かやらかしたのか? キリクと」

「何か、って何だよ?」

「だって、一緒に……寝て、たんだろう……? だ、から……」

「ぶふっ!?」


 俺が何かを口に含んでいなかったのは幸いだ。もし水でも与えられていたら、勢いよく噴き出していただろう。


「な、ななな、何言ってるんだお前!? 俺がそんなことするわけないだろう!? 気を取り戻したら、隣でキリクさんが勝手に寝てたんだ! 文句ならキリクさんに言えよ!」

「さあどうだか! キリクは私と違って、その、あるだろう、胸、とか……」


 俺は再び噴き出しかけた。

 まあ確かに、ルナは胸が豊かだとは言い難い。こうも露骨にキリクと比較されては、第三者的に見てルナの敗北は決定的だ。


「って何を考えてるんだ、俺は!」


 俺は自身を猛烈にぶん殴りたくなった。


「はっ! リック・アダムス、貴様まさか不埒なことを考えて……!」

「……」


 俺は心底、落ち込んだ。ルナの言葉を完全に否定することは不可能だったからだ。


「今の会話はお互い水に流さないか、ルナ・カーティン」

「今の会話、ってどこからどこまでのことだ?」

「ああ……。そうだな、考え出すとキリがないな。とにかく、お前がこのテントに入室してきてからの会話はお互いなかったことにしよう。自己紹介は済んでるから、それだけでもう十分だろ」

「そ、そうだな、貴様の言う通りだ、リック・アダムス」


 俺は眉間に手を遣った。

 最初は敵同士だからこその緊張感が張り詰めていたが、今やその感覚は皆無。

 代わりに、どうも混沌とした空気が漂っている。なんなんだ、これは。


 ルナもまた正座に戻り、俯いて視線をあちこちに飛ばし始めた。

 闖入者が現れたのは、ちょうどその時だ。


 とてとてと足音が聞こえてくる。そして、すっとテントのジッパーが開けられた。


「ルナお姉ちゃん、夕飯の用意ができたよ!」


 そう言って飛び込んできたのは、俺たちよりずっと幼い少女だった。十一、二歳といったところか。


「え? あ、ああ、そうか。分かった」


 角が取れた口調で、ルナは少女に振り向いた。

 と思ったら、少女は俺に視線を向けた。どうせ気味悪がられているだろう、彼女の味方を大勢殺してしまったんだからな。しかし、少女はすぐに笑顔を見せた。


「人質さん、あなたも来てくれって! モーテンおじさん……じゃない、隊長が言ってたよ!」

「え? 俺を飯に同伴させるつもりなのか?」

「そう言ってるだろう、リック」


 溜め息交じりにそう言うルナ。

 皆で集まって、俺に対する裁きを決定するのだろうか? しかし、だったらこのテントでやればいいことだ。何も、食事しながら決めるべき事柄でもあるまいに。


「食欲が削がれてしまいそうだな……」


 俺がぽつりと呟くと、少女は恐怖の色を一切見せずに俺の下へ寄ってきた。

 俺の方がビビってしまうほど、迷いのない足取りだ。


「今手錠を外してあげるね、人質さん!」

「え、あ、でもそれってマズいんじゃ……?」


 俺があたふたしていると、ルナがこう言い放った。


「今は彼女に――リフィア・ケベックの指示に従え。でないとまた気絶させて、お前を食堂まで担いで行ってやる」


 俺はルナとリフィアに流されるようにしてテントを出て、母屋へと誘導されていった。

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