第3話

 その事実に、驚かなかったと言えば嘘になる。だが俺は自らに課した信念を思い返した。

 常に冷静であれ、と。驚いてばかりではいられないのだ。


 少女の気配に気を取られていたのは一瞬のこと。俺は機関砲と、弾薬の尽きたロケット砲をパージ。ごとんごとん、と鈍い落下音が響いてくる。

 燃料がまだ半分は残っていることを確認し、背部のスラスターから一気に排熱した。


 高熱を帯びた排気が、少女に接近を躊躇わせる。

 それを見ながら、俺は機体を浮かせて一旦上空へと退避した。


「誰か、誰か応答してください! 俺がこの戦場から連れ出します!」

《おいおい、無茶言うなよ新入り! いくらAMMの力があったって、この機体を搬出するなんて無謀だ!》

「やってみなければ分かりません! せめてパイロットだけでも……!」

《AMMを残していくって言うのか? テロリストに機密情報を渡すことになってしまう!》

「ぐっ……」


 二、三号機のパイロットの言い分は、どちらももっともだった。だが、どうしても助けなければ。

 死に急ぐつもりはない。だが、無防備な味方を敵の眼前に晒すつもりもない。


「今の通信から、皆さんの座標は分かりました! 空中から頭部のバルカン砲で、敵性勢力を殲滅します!」

《おい、待てリック!》


 隊長の言葉を無視して、ディスプレイに目を戻す。そして視界を火器管制システムに委ねる。


「あの女さえ片づければ!」


 その頃には、既に味方機は這うような動きで戦闘区域からの離脱を果たしていた。

 しつこく追いすがろうとする少女。彼女に狙いをつけ、俺はバルカン砲を連射した。


「当たれ! 当たれえっ!」


 無我夢中で弾丸をばら撒く。が、それらは少女にことごとく躱されてしまった。何が起こっているんだ?


「くそっ!」


 俺は空中でのバランスを取るべくスラスターを小刻みに噴射した。

 少女を飛び越えつつ、再度バルカン砲を見舞う。そして、今日何度目かの信じられない光景を目にした。


 少女は長くて武骨な、重金属の塊のような刀を有していた。それだけでも目を疑うような光景だ。だが、本当に驚くべきは次の瞬間。

 その刀を振り上げながら、少女はバルカン砲の弾丸を弾いてみせたのだ。


「ッ!?」


 馬鹿な。この機体の搭載火器が、たった一人の少女によっていなされた、だと!?

 愕然としながらも、俺は再び戦闘区域に踏み込んだ。そうするしかなかったのだ。

 少女には、こちらの手の内を晒してしまった。あいつだけは仕留めなければ――!


《退け、リック! 当初の作戦は完遂した! 無茶をするな!》


 隊長がそう言っているのが聞こえてくる。が、それこそ片耳から入ってもう片方の耳からすり抜けてしまうような感覚だった。


 今の俺には、さっきまであったはずの敵への同情心は完全に失われている。

 逆に、相手が自分と歳の近い少女だということが、俺の怒りに拍車をかけていた。


 なんとか一、二、三号機のパイロットたちを無事に脱出させなければ。

 そのことばかりが募り募って、いつの間にか怒りにすり替わっていたのだ。しかし――。


「なっ! た、弾切れ!?」


 ピピッ、という軽い電子音の響き。顔を上げると、火器管制システムのディスプレイに赤いランプが灯っていた。あれは頭部バルカン砲の状況を表示するランプだ。


「弾切れ……」


 俺は再度口にした。

 駄目だ。ここで諦めてはいけない。俺が戦いをやめたら、残り三人はどうなる?

 焦りばかりが染み渡るコクピット全体が、今度は真っ赤に染まった。


「うおっ!?」


 これは機体の基本骨格にまでダメージが及んでいることを示す警告だ。

 どこがやられたんだ? さっと全身骨格をディスプレイに呼び込むと、やはり脚部が損傷していた。他の三機と同じだ。


 オートバランサーもまた警告を発したものの、俺はそれを無視。滅茶苦茶に両腕部、両脚部を振り回し、土埃で敵の接近を阻もうと試みる。だが、その中を突っ切るようにして敵は迫ってきた。


「くそっ! 来るな、来るなああああ!」


 再度バランスを崩した俺は、機体ごとごろん、と仰向けに横たわった。背部に鈍い痛みが走る。最早、周辺の状況がどうなっているのか分かったものではない。


 赤いランプが点滅するコクピット内で、俺は悪寒が走るのを感じた。

 このまま自分は殺されてしまうのではないか?


 さっきまで破壊行為、殺傷行為に僅かな対抗心を抱いていた俺。だが、自分の生命が天秤に載せられ、その倫理観とどちらが重いか測られてしまうとしたら話は別だ。自分の生命を取るに決まっている。


「何か武器、武器は……!」


 装備を確認する俺だが、火器は全弾撃ち尽くしたか、パージしてしまっていた。

 このままあの驚異的身体能力を有する少女に狙われたら、俺が死ぬことになってしまう。


 レバーを投げ出し、フットペダルをばたばたと踏みまくる。

 そんな俺は、次の瞬間に沈黙した。


 ガキィン! という鋭利な音と共に、メインディスプレイが破砕されたのだ。

 コクピット周りの高硬度の装甲板。これもまた貫通されたということでもある。


「ッ!」


 俺はシートベルトを外し、屈みこんで拳銃を取り上げようとした。が、すぐに奇声を上げて背中をシートに押しつけた。


 コクピットを破った刀の切っ先が、ジリジリと迫っている。このまま俺は、装甲諸共貫通されて戦死するのか。

 しかし、そんなことは起こらなかった。刀の切っ先は装甲板を斬り払い、俺を外気に晒した。土煙と爆薬の臭いが混ざり合って、鼻が曲がりそうだ。


 いや、そんなことはどうでもいい。目の前に立ち塞がった少女の姿に、俺は目を離せなくなった。

 防弾ベストとプロテクターを身体各所に纏い、しかしそれらにすら傷一つついていない。

 髪はポニーテールでまとめられ、刀の柄の部分で自分の肩を叩いている。


 月の光が逆光になって、感情は窺えない。だが、その瞳が漆黒であることは見て取れた。


 俺は自分に降りかかるであろう死の恐怖を忘れた。そして、その少女の姿に見惚れていた。それは間違いないと思う。


「あ……」


 何かを言い出そうとして、言葉を失う。

 そんな俺のことになど構わず、少女はすっと刀を引いて、柄で俺の額を思いっきり殴りつけた。


         ※


「んっ……」


 光が差し込んできて、俺の網膜に沁み込んだ。その微かな痛痒が、俺の頭に覚醒をもたらす。


 ゆっくりと目を開くと、あたりはまだ薄暗い。日の出前だな。

 では、俺の眼球に差し込んできた光は何なのか。頭を巡らせて、俺はすぐに納得した。


「ああ、月か……」


 いや、そんなことを呟く前に。

 

「ッ!」


 俺は息を詰まらせながら、がばりと身を起こした。状況を把握しなければ。

 俺の身体は、どうやら粗末なテントに寝かされているらしい。鈍痛に顔を顰めながら額に手を遣ると、丁寧に包帯が巻かれていた。バンダナみたいだ。


 そんなことはどうでもいい。まずは自分の負傷の度合いを確認しなければ。

 頭部に軽傷。これを軽傷というなら、全身軽傷だらけだ。しかし動き回るのに支障はない。


 俺は気を失う前のことを脳内再生した。

 確か俺は、AMMでブルー・ムーンの基地に攻撃を仕掛けて、そこで――何があった?


「あっ、そうだ!」


 思わず大声を上げてしまった。ばさり、とブランケットが振り払われる。

 そうだ、謎の少女に殴打されたのだ。

 しかし今の俺にはきちんと医療が施され、暴行にあった形跡もない。


 味方機が救出に来たのか? いや、だったら今頃、俺は人員輸送車に回収されているはずだ。


 まさか、ブルー・ムーンの連中が俺を捕虜に取ったのか? だったら早く逃げださなければならない。

 そこまで思い至って、俺は立ち上がろうとして失敗した。左腕に手錠がかけられている。もう手錠の反対側は、頑丈で短い鉄棒に繋がれていた。


「おっと!」


 俺は盛大にコケた。あまりに派手に転んだものだから、鼻先が床にぶつかって軽い出血を――って、あれ?


 おかしい。下手をすれば鼻の骨を折っていたであろう俺の顔は、何か柔らかいものに受け止められていた。

 この柔らかい感触といい、甘い香りといい、一体何なのだろう?


 俺は迷った。正直、迷った。

 顔を離すべきか。それともこのままでいてもいいのか。


 そしてこの俺の優柔不断さは、見事裏目に出た。


「むにゃ……ん……? あら、目が覚めたのかしら、人質さん?」

「へ?」


 横たわった俺に声がかけられる。その声の主もまた、寝そべっているようだ。

 問題は、その声が女性のものであること。やけに艶っぽいこと。そして距離的に、俺の頭部は女性の胸部にあたっているらしいということだ。

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