第2話

「それなら歌を詠んでみるわね。」

 瑠璃はしばらく黙考した。やがておぼつかない口調で詠じた。

「さくらばな ああ櫻花櫻花 契りしひとの 袖の香ぞする」

 蘭菊は、目を三角にして断じた。

「いけません、本歌取りともいえない。あらゆる時代のパクリですな!」

「んまあ。平面描写をやってみたのよ。あなたが言ってたでしょ。」

 瑠璃はぶつぶつ抗議した。

「平面描写は近代短歌の怖ろしい武具です。なんにも頼るものがない、日本文学が営々として築き上げた言語のイマージュの遺産を惜しげもなく打ち捨てて、徒手空拳で言葉の大海に船出する行為です。その構成の鬼のごとき精密さといったら!あなたのは、全然理解のほかです。」

「えーやだあ。そんなにがみがみしないでよ。なによう、ちょっと父の顔を見てくるわ。ついてこなくていいのよ。」

「さいわいです。」

「どうして。」

「行けばわかりますよ。ではごきげんよう。」



 瑠璃は、父の居室に這いずり込んだ。

 父の中納言は、和漢の書物を広げてうなっている。部屋が真昼に閉め切られ、ほのかな灯火がやけにきれい。

「これはね、ノーブレスオブなんとかっていうんだよ。なんとかってなんだっけ。」

 中納言は、聞きなれない言語を用いた。

「なんですの、それは。」

 どうせ蘭菊から聞いたに決まってる。

「高貴なる貴顕が負う自己犠牲と奉仕の精神だよ。私はいにしえの故事を集めて一編の書物をこしらえている。人の役にたつように。洒脱な会話にまごつかないように、お手引きをつくるのさ。」

 じつに功利的な書物であろう。

 ちなみに、父は中納言の官位を、手際よく金で買った。

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